白銀の少女

 そこは、まるで洞穴のように岩肌がむき出しの空間だった。小さな家ならすっぽり収まってしまいそうなほど広々とした空間で、地面の隅から薄紫の光が放たれて存外明るい。見ると、空間の隅には紫色の水晶のようなものが、びっしりと生えていた。

 そんなある種幻想的な風景のど真ん中に、それはあった。


 その空間の中央はわずかに盛り上がっていて、そこに一人の少女がいた。


 さらりとした長い銀髪の、細身の少女だ。眠っているのか、うつむくその素顔はとても整っており、簡素な白いドレスのようなものを着ているせいもあって、まるで女神のような印象を受ける。

 そしてその女神のような少女の胸には、白銀に輝く直剣が深々と突き刺さっていた。

 まるで背後に渦巻く暗闇に縫い付けるように、少女を空中に止まらせている。

 何故、このようなところにこの少女はいるのだろうか。

 そして、この少女は誰なのだろうか。

 ……どうして、少女には直剣が突き立てられているのだろう。


「……何なんだ、ここは?」

 オレの横であたりを見回しているソータが、ポツリとつぶやく。景色に圧倒されているのか、情報量の多さに目を白黒させているのか分からないが、先ほどまでの鋭さはなりを潜めている。

 なので、オレがおもむろに歩き出したのも、遅れて気が付いたようだ。

「お、おい。不用意に近づくと危険だぞ」

 そんな言葉が後ろから聞こえてきたが。オレの目は、目の前で磔にされている少女に釘づけだった。


『――たすけて』


 はっきりとわかった。口は動いていないが、これは目の前の少女の声なのだと。

 心の奥底のどこからともなく湧き出る、何とも言えない感情を持て余す。全く知らない少女のはずなのに、どうして彼女はこのようなことになっているのか知るはずもないのに。


 何故だか、この少女を助けなければと思った。

 この少女を縛り付ける剣を引き抜かねばと、そう思った。


 オレは少女に突き立てられている直剣を握る。

 そして一気に引き抜いた。


 直後、あたりは光に包まれた。







 まるで熱に浮かされたかのようにフラフラと少女へと近づくアリエルを引き留めたが。今までのような快活な雰囲気から一変した彼に、ソータは強く出ることが出来なかった。ソータ自身も、理解が追い付かない状況に辟易していたこともある。

 この銀髪の少女は、何故このような場所にいるのか。しかも、こんな磔のような格好で。

 胸から生えているあの剣は何だ。

 彼女の背後に渦巻く暗闇の渦は何だ。

 どうしてアリエルは、この場所を知っていたんだ。

 声が聞こえたと言っていたが、それはこの少女のものだったのだろうか。

 そもそも、この少女は生きているのか。


 分からないことが多すぎる。情報を重視する環境で育った身の上であるからして、ソータはこの状況に僅かながら焦りを感じていた。情報は生命線だ。無ければそれが災いして命を落とすこともある。だからこそ、情報が集まっていないうちは下手に動かない方が良い。


 ……この遺跡には、何故か魔物もいるようだし、ここで悠長に構えているのは得策じゃない。一度外に出て作戦を練るべきだな。


 ソータはそう結論付ける。

 そうこうしているうちに、アリエルはおもむろに少女に突き刺さっている直剣に手をかけた。

「おい、何を――」

 ソータが静止するのを待たずに、アリエルはそのまま一気に剣を引き抜いた。

 直後、少女を起点にあたりを真っ白にするほど強い光が放たれた。


「何だ!?」

 光は幾秒かすべてを押しのけていたが、やがてすぐに収まった。光量が低くなったことを感じたソータは、閉じていたまぶたをゆっくりと開ける。

「……アリエル?」

 周囲の景色自体は何も変わっていない。相変わらず空間の端に群生する水晶は薄紫の光を放ち、幻想的な雰囲気を醸し出している。

 目を閉じる前から変わったことと言えば、そんな空間の中央の様子だった。


 ソータが目を離した隙に、磔にされていた少女が解放され力なく地面に横たわっていた。そしてその傍らには、こちらに背を向けて立つアリエルの姿。

 彼の右手には、先ほどまで少女に突き立てられていた白銀の直剣が握られていた。

 恐らく彼は少女を拘束するその直剣を引き抜いたのだろう。その一点だけ見ればさして驚きはない。


 理解できないのは、横たわる少女から見える胸元は、血で汚れていないどころか、一切傷ついていないという点だ。先ほどまでアリエルの握る直剣が深々と突き刺さっていたとは到底思えない。

 じゃあ、先ほどの光景は何だったのだろうか。


 幻影……? いや違う。あれは確かに実像だった。アリエルの持つ剣が、確かにあの少女に突き刺さっていたはずだ。何故傷一つ負っていない? そして、何故アリエルは躊躇なくあれを引き抜けた? まさか、やつは何か知っている……?


「……おい、アリエル――」

 ソータは取り敢えず彼の話を聞こうと、軽く手を伸ばしながら歩き出す。その足音が聞こえたのか、ゆっくりとアリエルはソータの方を振り向き、口を開いた。



「――君は『紫電』にゆかりのある者かな」



『紫電』――その言葉が耳に触れたところで、ソータはぴたりとその歩みを止める。そしてわずかに目を細め、アリエルに対して両手の短剣を構えた。

「…………誰だ、お前は?」

 臨戦態勢を取り始めたソータの言葉に、アリエルは軽く笑みを浮かべ肩をすぼめる。

「今君が呼びかけたじゃないか。アリエルだと――」

「俺の知っている馬鹿は、その単語を知っているわけがない」


「もう一度言う。お前は、誰だ」と空気をひりつかせるソータに対し、アリエルの姿をした者は小さくため息を吐いた。

「はぁ……。せっかく久しぶりの人との会話だっていうのに、随分な嫌われよう。傷つくな。人当たりは良かったはずなんだけど」

 彼は言葉と裏腹に、どこか楽しげであった。

「まあでも、確かに急に会話に参加し始めたら、驚くのも無理はないか。……けど安心して。君たちに危害を加えようなんて思ってない。むしろ、仲良くしたいと思っているよ。私が使命を果たす間、体を借りることになるしね」


「……体を、借りるだと?」

 ソータは眉をひそめる。その言葉が意味することを、字面の上では理解できても、状況として理解できない。いや、理解の範疇に無いのでかみ砕けない……と言った心持ちか。

 そんなソータの困惑を理解してか、アリエルは自らを示すように軽く両腕を開いた。

「そう。私は今、この少年の体を借りてる。本当の私の体は、私の足元で伏しているこれ。代わりに私の体に、元のこの少年の魂が宿ってる。所謂魂魄置換の術だよ。珍しくないでしょ? 難解な術とは言え、高位の術者……いや、高位で偏屈な術者ならよく使って問題を起こしてるじゃない」


「……何を言っていやがる」

 アリエルの体を借りているという少女は……本人の言葉を信じるのなら……世間話をするかのような軽さでそう口にする。しかし、その内容は到底ソータには理解できない。それはソータ自身が魔術について深い造詣がないことも起因しているが、それでも、一般常識として知っている。


 そもそも、魂を入れ替えるなどと言う魔術は、存在しない。


 もしかしたら世界のどこかには存在する可能性はゼロではないが、珍しくないなどとは引っ繰り返っても言えない。

 ソータの様子に、自分の理解との差異を感じたのか。アリエルの顔をした少女は少し怪訝そうな表情を浮かべていたが、やがて少しうつむく。

「……そうか。もしかしたら、廃れちゃったか。……無理もないよね、あの状況じゃ」

 どこか寂し気につぶやく彼女? を尻目に、ソータは内心焦っていた。


 恐らく、奴は本当にアリエルではないのだろう。冷静になって観察すると、今のアリエルからは明らかに今までとは違う魔力を感じた。わずかに漏れ出る質もさることながら、量も尋常ではない。仮に今の今まで隠し通してきたというのなら、相当の食わせ物だが、さすがにそんなケースはないだろう。少女は魂魄置換……解釈が間違っていないのなら魂を入れ替えた、と言っていたが、それの影響だろうか。


 とすれば、ソータの知るアリエルは、今彼の傍で横倒れになっている少女だということになるか? 

 ……仮にそうだとしたら、もしここでアリエルを連れて撤退を選ぶのなら、あの少女を担いで行けばよいのだろうか。しかし、見た目だけなら今立っている少年こそアリエルであって、魂魄置換なんて眉唾の術が存在するとも思えない。

 つまり……今のソータは納得できるだけの回答を出すことが出来ず、戸惑っていた。


 どうする――


 そんな時であった。

 不意に洞窟の奥の壁が、轟音を立てて崩れた。

 そして天井から、土煙に紛れて何か巨体が降ってくる。


 その巨体は、周囲の水晶の光を浴びて黒く怪しく存在を主張していた。パッと見の印象は、巨大な蜘蛛だ。しかし、優に数メートルはあろうかという巨体は常識の埒外だし、体中に生える毛には、何やら黒い霧がまとわりついている。


「こいつ、さっきの!?」

 遺跡の暗闇の中だと細部まで見えなかったが。頭部近くにソータが去り際に投げたナイフが刺さっていることもあり、先ほどまで彼らに迫っていた魔物であることがわかる。

「おいお前! あぶねえぞ!?」

 ソータは慌てて近づこうとしたが、その足はすぐに止められることになる。





「……相変わらず、醜悪な」





 ふと、アリエルの姿をした少女が吐き捨てるようにそうつぶやく。そして臆した風もなく、剣を持たない左手を何倍もの巨体である魔物へと掲げた。


「滅びろ、魔族ども」


 直後、どこからともなく幾本もの光の剣が魔物の周囲に現れ、残像を残す勢いで突き刺さった。その勢いは土埃をかき消すほどで、思わずソータは腕で目元を覆った。しかし余波が起こした風はすぐに収まる。風が収まったところで、恐る恐る腕を下ろし周囲を確認したソータは、小さく息を飲んだ。


 先ほどまでその巨体をいかんなく動かしていた魔物は、実に十本もの光輝く直剣に全身串刺しにされ地面に縫い付けられていた。それに加え、槍の形状をしたものが一本混じっており、真上から魔物の頭部分を貫いている。いくら強大な生命力を持つ魔物と言えども、即死であっただろう。

「な、んだこれは……」

 杖などの補助もなく、魔力を集中させる隙も無かった。にも拘らず、魔物を一撃で仕留める見たことのない強力な魔術は、ソータの言葉を失わせた。混乱するソータをよそに、魔物に死を与えた光の剣たちは、ゆっくりと粒子となって虚空へと消えていく。

 呆然とその光景を眺めるソータだったが。

 ふと何かが弾ける小さな音を聞きつけた。


 音の出どころは、丁度地面に倒れる少女の体からだった。見ると、コロコロと装飾用の宝石が散らばっていることに気が付く。どうやら腕に巻いていたブレスレットが弾けたようだ。

 同じくその様子を眺めていたアリエルの姿をした少女が「……勘づかれた」と苛立ちを含んだ呻きを漏らす。


「――紫電とゆかりのあるそこの君」

 ふと、彼女はソータの方へ顔を向けてきた。そこには、どこか焦りの表情が浮かんでいる。

「ごめんけど、悠長に説明している暇がなくなった。……この体は必ず返す。だからそれまで、この子を守っててくれないかな」

 急にそのようなことを言い出す少女に、ソータは怪訝そうな顔を浮かべる。

「私には、まだやらないといけないことがある。……また、やつらにいいように利用されるわけにはいかないんだ」

 少女は吐き捨てるようにそうつぶやく。何か強い意志を窺える言葉であったが、生憎と状況が何一つ掴めないソータからしたら、ただの世迷言にしか聞こえない。

「……訳が分かんねえな。俺にもわかるよう、一から説明を――」


 状況の説明を求めようと、ソータが一歩踏み出したところ。突然、ソータの真下に巨大な魔法陣が現れた。現れた瞬間には陣内の幾何学模様は光り輝いていて、すぐさま発動される状態であることだけ、瞬時に分かった。


「な、何だこれ!? おい、お前何するつもりだ!?」

 軽くこちらに左手をかざしていることから、この魔法陣を作り出したのは目の前の少女であることが分かった。よく見ると、地面に横たわる彼女の体の下にも、同じく魔法陣が形成されている。

 既に魔法陣は発動しかけている。足元は魔法陣から放たれる光で全く見えない状況だ。


「っ、くそ!」


 術者の集中を阻止しようと、咄嗟にソータは少女に向けてナイフを放った。しかし、そのナイフは魔法陣から飛び出ることはなく。

 光の爆発とともに、ソータの姿は書き消えた。

 最後に、僅かだが少女の声が聞こえた。




『絶対に、ここには戻ってこないで』と。

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