森の奥の廃教会

「……ここがその遺跡ってやつかぁ」


 その後ソータの後ろに引っ付いて森の中を歩き、途中で夜を明かして数時間ほど。うまいことソータが先導してくれたのか、あの後野生の獣に目をつけられることなく歩き続けた結果、不意に生い茂る木々の間隔が広がる場所に出た。そしてその奥に、多くが朽ち倒壊した建物の姿も。放置されてかなりの年月が経っているのか、石造りの壁には苔が生えており、ガラスがはめられていたであろう隙間は、見事に空洞となっている。


「元々は教会だったのかな?」

 建立当初は大層立派だったことが窺える、朽ちてボロボロになった木造の大扉といい、屋根付近に設けられたガラス模様……今はフレームのみでただの空洞だが……といい、そんな印象を受ける。大きさからして、ここには沢山の信者たちがお祈りをしていたのではないだろうか。えらく街から遠い気もするが、もしかしたら昔はこの近くにも大きな街があったのかもしれない。


「さてな」

 どこか神聖でノスタルジックな印象を与える建物に魅入られているオレを尻目に、ソータは全く関心がなさそうな生返事をする。見ると、建物そっちのけであたりを見回していた。

「……何だよお前、こんななんかすごい遺跡なんだぞ。ちょっとくらいグッとくるものはないのかよ?」

 あまりの彼我の温度差に口を尖らせると、当のソータは肩をすぼめるだけで反応が薄い。

「『なんかすごい』って何だよ。……生憎と、神様なんて欠片も信じてない質でな。俺にはただのボロボロの廃墟くらいにしか見えねえ」

「罰当たりなやつだなぁ」

 オレもそこまで敬虔な信者と言うわけではないが、流石にここまで割り切った感覚は持っていない。とは言え他人の信仰についてとやかく言える立場でもないので、それ以上は問い詰めることはしなかった。


 ここまでの道中と同じように、ソータが先行して朽ちた扉を押しのけ廃墟の中に足を踏み入れる。続いてオレもさっと門をくぐり、中を窺った。

 半分くらい屋根が崩れ落ちているため、中には陽の光が差し込んでおり存外明るい。見ると予想通り元々は教会だったようで、中央の大きな通路を挟んで両サイドに椅子が設けられた広間がオレたちを出迎えた。奥には大きな石像が立っており、差し込む陽の光を浴びて、その周囲だけ石畳の上に緑が生えていた。

 その石像はところどころ崩れてはいるが、オレと同じくらいの年齢の少女であることが窺えた。長い髪をなびかせ、両手をそろえて祈る様は女神様を彷彿とさせる。

 しかし、特に権能の象徴となる物を持っている様子はない。そうなると、オレには一体この石像のモチーフが誰なのかまでは分からなかった。信仰心が欠如しているソータに聞いても、当然ながら知らないだろう。


「おい。ぼさっとしてないで集中しろ」


 祈る少女の像を眺めていると、不意にソータが釘を刺してきた。

「お前、ここに何しに来たか忘れたわけじゃないだろうな?」

 加えて咎めるように口にしたその言葉で、オレははっと我に返る。

「そうじゃん、害獣駆除! も、もしかしてこの中にいるのか……?」

 建物は奥にまだ通路があるらしく、ソータがその先をにらんでいる様が見て取れた。急に怖くなったオレは、ぶるりと震えるとあたりをきょろきょろと見回す。

「分からん。昨日の偵察では、この奥までは見れなかったからな。徘徊した痕跡もねえし、少なくとも外には出ていないはずだ。本当に害獣がいれば、だけどな」

「……? 偵察? お前昨日もここに来たの?」

「ああ。偵察はスカウトの基本だからな」

 だから昨日の出発は見送って、ここまで迷いなく案内できたのかと、オレは納得した。

 と同時に申し訳ない気持ちが湧く。


「……なんかお前ばっかり仕事やってもらって、ごめんな」

「そう思うなら、報酬を上乗せしてくれ」

 そう軽口を叩きつつも、ソータは腰に差している二本の短剣を逆手に引き抜くと、それぞれ緩く構える。


「と言うわけで、俺はこの奥を確認してくるが。お前はここで待ってろ」

 そう問いかけられて、オレはふと迷う。確かに、もしこの奥に害獣がいるとしたら、戦う能力がないオレは非常に危険だ。ここで待機していた方が、恐らく安全だろう。

「……まあ、ここも安全かと言われると微妙だがな」

「いや、そう言われたら付いていくしかないじゃん!?」

 待機していても完璧じゃなさそうだった。そうなると、オレはもうソータに守ってもらうしか身を守るすべはない。それが分かっているのか、ソータも面倒くさそうにため息をつくが、咎めることはしなかった。

 意外と面倒見良いよな、こいつ。




 広間の奥に続く通路に足を踏み入れる前に、オレはソータの指示で荷物の中に入っていた松明に火をつけた。それを掲げながら、ソータの後ろについて通路へと進む。

 通路の奥までは陽が差さないようで、大人二人がぎりぎり並んで通れるくらいの通路は、かなり暗かった。ソータは多少夜目が効くと言っていたが、オレはそんな特殊スキルは無いので、指示された松明を持っていなければ何も見えなかっただろう。

 通路には、両サイドに小さな部屋が随所に設けられていたほか、奥まで行くと地下へと続く階段があった。それぞれの小部屋には崩れた瓦礫や朽ちた調度品があるくらいで、お目当ての害獣らしき影はなかった。

 そのため、オレたちは止む無く地下へと足を踏み入れる。


 地下は地上以上に真っ暗であった。注意深く歩を進めるソータの後ろで、オレはびくびくしながらあたりを見回す。地上と違い、地下は回廊と言ってもいいくらい道幅が広い。おかげで、松明の明かりがぎりぎり壁の位置を指し示すくらいで、どのように道が枝分かれしているのか見当もつかない。


「な、なぁ……。害獣って、どんなやつだろうな?」


 黙って歩いているのも怖いので、オレは恐る恐るソータに問いかけた。声自体も空間に反響して余計怖くなったのは内緒だ。

 対してソータの方は辺りを警戒して気を張っている様子だったが、オレのように恐れている雰囲気は感じない。

「さてな。本当は偵察時に確認できれば一番だったんだが、それが叶わなかったからな。何とも言えねえ。ただ――」

 と、そこでソータは小さくため息を吐き、構えた短剣を軽く持ち上げる。


「こんな巣に用いるにはおあつらえ向きな建物に、野生の獣が一匹もいない。加えてさっきからちらちらと床にシミが窺える。……件の害獣とやらは、それなりに力を持っている可能性が高いな」


「ま、まじか……。か、帰っていいオレ……?」

「こっから一人で帰れるのなら、ご自由にどうぞ」

「で、出来るわけないだろ……」

 変にソータが脅しをかけてきたせいで、余計に怖くなってきた。ソータはもしかしたら何とでも対応できると思っているのかもしれないが、オレはそんな力のある害獣とやらに出くわしたら、真っ先に殺されることが分かり切っている。もう何が何でもソータに守ってもらう気満々である。




『――て』





「え――」

 不意にどこからか何かが聞こえた気がした。


『だれ――』


 気がしたではない、何かが聞こえた!?


「ひぃっ!?」

「あ、おい! 急にどうし――ちょ、松明近づけんな!?」

 思わずオレは前を歩くソータの服を引っ掴む。そんな奇行を見せたオレに、ソータが苛立たし気に振り返った。

「何だってんだ!?」

「な、何か聞こえたんだよ!?」

「はぁ?」

 オレの焦りようにソータも冗談ではないと察したのか、口をつぐむ。


『だ――』

『こ――て』


「ほ、ほら……聞こえるだろ!?」

 先ほどから、耳を澄ませばわずかに声のようなものが聞こえてくる。喧騒の中なら聞き逃すほどにか細い音だが、オレたちの息遣いほどわずかな音だけが聞こえるしんと静まり返った地下では、確かに聞こえてくるのだ。

 しかし、ソータは怪訝そうな表情を浮かべるだけで、じろりとオレをにらんでくる。

「……何も聞こえねえぞ」

「そんなはずないだろ! 現に今だって!?」

「あのな。ふざけるのも大概に――」


 とそこまで苛立たし気に言葉を紡いだソータだったが。不意に押し黙ると瞬時にオレに背を向けた。

 それだけでなく、下がりかかっていた腕を上げ臨戦態勢を取り、進行方向先の暗闇をじっと凝視しだした。

 今の今まで見たことのない緊張感漂う背中に、オレは恐る恐る声をかける。

「お、おい、ど、どうした――」

 しかし当のソータはオレを振り返ることなく、暗闇をにらみつけた状態でぼそりと呟いた。


「…………合図をしたら、目をつむって全力で後ろに走れ。三秒数えたら、目を開いていい」

「え、何を――」

「いいから言う通りにしろ。……死にたくなかったらな」

「死……っ!?」

 その言葉に、オレは一気に恐ろしくなる。一体ソータはこの暗闇の先に、何を見ているのだろうか。かなり腕の立つ彼が、ここまで警戒するということは、相当危ない何かがいるのか――


 じりじりと、暗闇から逃げるように少しずつソータが後退する。それに合わせて、オレもひょこひょこと下がっていたのだが。




「――今だ、走れ!」





 直後、ソータが吼えた。


 オレはその言葉を聞くと、ぎゅっと目をつむって踵を返す。それを見計らったかのように、背後から耳をつんざくような破裂音が鳴り響いた。併せて、甲高い悲鳴のようなものがこだまする。それらの音はオレの理性をも吹き飛ばしたかのようで、何も考えられなくなったオレはひたすら足を動かす。


「ひいぃぃぃいぃぃっ!?」


 無意識のうちに悲鳴と涙がこぼれてくる。鼻水もたれ始めたのが分かったが、拭い去る意識すら置き去りにして、オレは走った。

 そんな時だった。




『――たすけて』




 声が聞こえた。

 今度ははっきりと、少女が紡ぐその言葉が聞こえた。


「え――」

 思わず、オレは力いっぱいつむっていた目を開く。目の前はすぐ暗闇が続いていた。手元にあった松明の光は、何故かオレの後ろから先を照らしている。どこかのタイミングでオレが落とした松明を拾ったのか、ちらりと肩越しに後ろを確認すると、背後でソータが松明を片手にさらに後ろを気にしながら走っているのが分かった。


『――こんなところに閉じ込めないで』


「まただ!?」

 その謎の声はさらに声量を増やす。


『――私には、まだやらないといけないことが――』

『――ここから出して』

『――誰か』





『たすけて』





「っ!?」

 オレはぎゅっと足に力をこめると、進路を九十度回転させる。

「おい!? どこに行く!」

 突然方向転換したオレに驚いたのか、ソータがたたらを踏む音が聞こえた。

「――ちっ!」

 直後、彼の舌打ちが聞こえたかと思うと、再び何かの甲高い悲鳴が聞こえてきた。改めて聞くと、声量からそれなりに大きなものの鳴き声であることが想像できる。

「急にどうしやがった! 来た道はこっちじゃないぞ!?」

 今度はオレの横まで走り寄ってきたソータが、苛立たし気に怒鳴る。それにオレも遠慮なく声を被せた。

「声が聞こえたんだ! 助けを呼ぶ声が、こっちから!」

「またそれか!? だから聞こえねえって言ってるだろ! 馬鹿言ってないでさっさと逃げるぞ!」

「絶対聞こえたんだ! この先から……そう、ここから!?」


 怒鳴っている間も、少女の声は聞こえていた。それは今にも泣きそうで、憤りを感じていて、それでいて絶望に打ちひしがれていて……こんな訳の分からない状況でも、助けないとと思ったのだ。

 何故臆病なオレがここまでの気持ちを抱くのか、オレ自身にも分からない。昔から何故だか人が助けを求める声や意思が、何となくわかるのだ。その声を聞くと、どうしても助けずにはいられない。

 オレが田舎を出て聖都まで来たのも、この強い思いが後押ししたからであった。


「ここって……ただの行き止まりじゃねえか!?」

 オレたちが立ち止まったのは、枝分かれした細い道の一角を奥に進んだ先にある、行き止まりだった。オレ自身が思いに駆られて訳も分からず走っていたのだから、それに続いていたソータはさらに訳の分からない状況だろう。苛立ちを隠す様子もなく、オレに掴みかかろうとしていた。

「うまいこと撒けたかもしれないが、今追いかけてきてるのは魔物だ! そこらの獣とは危険度が段違いだ。馬鹿なことやってたら、本当に死ぬぞ!?」

 怒鳴るソータを前にして、オレは半ば恐怖を感じていた。しかし、それ以上に助けに応じたいという謎の使命感が体を支配しているようだった。


 オレは目の前の壁を凝視する。すると、何故かこの先に道があるということが分かった。そして、その道を隔てる壁を取り払う方法も。


「……『退け、我は守護者なり』」


 不意にオレの口から漏れたその言葉。それに呼応するかのように、壁に幾筋もの光が走る。直後、壁がまるで蜃気楼のようにかき消えた。


「な――」

 後ろから、ソータの息を飲む声が聞こえる。オレはそれを尻目に、現れた通路の奥へと駆けだした。遅れて、ソータが付いてくる足音が聞こえる。

「さっきのは何だ? どうしてお前はこの道があることを知ってるんだ?」

 驚きで怒りが若干かき消されたのか、幾分か冷静さを取り戻した口調で、ソータが問いかける。しかし、聞かれたオレもよくわからない。

「……分からない。何か急にここに道があることが分かって、開ける方法も分かったんだ」

「そんなことがあり得るのかよ?!」

「現にそうなってるだろ! オレだって訳わからないよ!?」

 ソータも困惑しているだろうが、オレだって大混乱だ。この遺跡に来たことなんてないし、ましてやオレは魔術なんて使えないはずだった。なのに、急に頭が理解し体が動いたのだ。まるで自分の体じゃないみたいで、怖い。


 けれど、この先に行く必要があると、何かがオレを突き動かしている。怖いけど、従わないと心が締め付けられるように息苦しくなる。心がぐちゃぐちゃしているが、オレはひたすらに隠し通路を進んでいった。


 やがて、通路の終着点へたどり着く。

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