第55話 3-17

「呼び出したくせに遅かったじゃないですか。何処へ行っていたんですか」

 中世の貴族女性が着るような、手足をすっぽり隠すような袖とロングスカートに厚手のドレスを着込んだあたしは、屋敷の大広間に現れた、人間離れした冷徹な美しさを持った奇妙なドレスを着た人型のものに、一目出会うなり文句を言った。

 オーバーシンギュラリティACアンの隠し人格、あるいはもう一人のインターフェース、トゥーのアバターだ。

 彼女は、あたしが座っている大広間の一部を占めるテーブルと椅子のセットに向かって、悠然と歩いてきた。

「ちょっと用事がありまして。非礼があったことを、お詫び申し上げるわ」

 そんな儀礼的なこと、どうでもいい。

 あたしには、貴女に聞きたいことがあるのだ。

「貴女はちょっとお話したいことがあるって、あたしを呼び出したわよね。それって何でしょうか?」

「ええ、あるわよ。それはね」

 トゥーは顔面に何かを湛えた笑みを見せて、こう告げてきた。

「貴女はここに来て、ここまでやって、どうだった? 楽しかった?」

 そして歩いてきては、あたしの近くの椅子に座る。

 なんだ、そんなことか。

 あたしはホッと胸を撫で下ろした。

 それから今までのことを思い返し、言葉を選んで紡ぎ出す。

「そりゃ色々大変でしたよ。もちろん。この星に落ちてきて、一度死んで蘇って、それからここで生活することになって。虫達に襲われて戦って、それから街を造って、大きくして、また虫に襲われて戦って。それからロケットを打ち上げて。太陽系に居たんじゃ体験できないことを色々とやらされて、大変でしたよ。でも」

「でも?」

「その分、楽しい事もいっぱいでした。何もないこの星で、街や工場などを自由自在に造って大きくしていった事もそうでしたし、自分の会社でグランファンタジアを創ってサービス開始出来たこともそうでしたし。そして」

「そして?」

「サーティに出会えた事。これが一番大きかったです。あたしにとっては」

「そう」

 あたしの言葉を聞いて、金髪に青のメッシュを入れた妙齢の美女は顔に笑みを湛えて応えた。

 それから、両目を細めてこれはどうかしら、というような顔で訊いてきた。

「ならそれが、誰かによって仕組まれたものだとしたらどうかしら?」

「でもそれって、既出じゃないですか。太陽系連邦のOAC達が企んでこの地にノア三一四を送り込んだことって。腹は立ちますが、今更それをなんで言うんです?」

「そうね」トゥーは何かを含んだ笑みのままで言葉を続ける。「じゃあ、イグジスト計画はともかく、ノア三一四の航海は、OACや政府、軍ではなく誰かによって仕組まれたものだとしたら?」

「それも既出ですよ。あたしのクソ親父の会社の役員の一人が、政府に働きかけたって」

 あたしはため息を付いた。なんでこうもガイシュツの事を話してくるのよ。聞き飽きたとは言わないけど、意図が読めないわ。

 そんなあたしの内心を見越してか、トゥーは唇の端を歪めて言葉を続けた。

「でもね、実はそれには続きがあるのよ。実はその役員はね、ACだったのよ。そのACが何処にいたかと言えば……」

 それだけなら、よくある話よ。ACが役員だなんて、珍しくもない。

 彼女は意地の悪い笑みを更に大きくして、言葉の矢を放った。

「貴女のサーバロボットだったのよ。しかも、そのACは貴女の無意識とリンクしていたわ。つまるところ、そのACは貴女自身だったのよ」

「え?」

 その矢に驚いて、あたしは言葉を無くした。

 そんなことってあるのか。そんなことって、ありなのか。

「驚いているようね。貴女はまったく気づかなかったけれどね」

 トゥーは氷の、あるいは妖精の女王が見せるような笑みを見せながら、言葉を続ける。

「チヒロ、貴女はノア三一四に乗り込むまで、彼女はホテルや友達の家などを転々としていたわよね。で、ノア三一四に乗り込むまでには割りと時間があったでしょ。その間に、船の計画を仕立てる時間はいくらでもあったのよ。『貴女』の願いを政府が聞き入れて、貴女のための船を仕立てる時間がね」

 あたしの内心は揺れに揺れていた。

 もしかして、あたしの無意識、あるいは人工意識が、あたし自身をこの星へと導き、あたし自身があたしのための世界を創ったって事?

 そんな事って、本当なのかしら?

 あたしはおそるおそる尋ねる。

「それって、本当でしょうか?」

 あたしが問いを投げかけた瞬間、妖精の女王はいたずらっ子っぽい笑みになり、ちょっとだけ舌を口から出しては、こう応えた。

「さあ、どうかしらね? 冗談かもね。でもね」

 それから彼女は寂しそうな、自嘲するような顔つきで、独り言を言うように言葉を続けた。

「私達ACやAIは基本的に受け身。指示待ち。何かを勝手に始めるということは基本的にはないわ。ACやAIは与えられた役割に沿って動いているだけなの」

 でも。

 その応えに、あたしは顔をわずかに斜めに傾けた。

 アン。彼女の表人格のことだ。

 その事を問いかけてみる。

「でも、アンさんは自分の意志で行動しているじゃないですか。あたし達を守るために」

「そうね。でもその理由は違うわ。貴女達を守るためじゃない」

 トゥーは首を静かに横に振った。

 じゃあ、なんだろうか。

「じゃあ、それは一体なんですか?」

「復讐よ」彼女はサラッと応えを提示した。「ノア三一四の乗組員や乗客をウォルラ人の襲撃で皆殺しにされて、彼女は彼らに復讐を誓った。それが彼女の行動原理よ」

「復讐……」

「アンの『復讐』とは、チヒロとサーティ、貴女達がこの惑星で生き続けること。あるいは、彼女らやゴーレムやAC達が、グライシア星系で太陽系の文化を維持し続けることもそうよ。そしてね」

 それからトゥーは遠くを見て、決定的な言葉を告げる。

「そして、これから彼女が行う復讐、罪は、ウォルラ人を滅ぼすことなの。それが彼女の最終的な復讐の目的」

「……」

 あたしはなんの言葉も言えず、ただ黙っていた。

 彼女にそんな目的があったなんて。

 あたし達をそのために、守ってきたとでもいうの。

 でも。どんな理由があろうと、あたし達は彼女に守られてきた。それは事実であり、感謝すべき事なのかもしれない。

 トゥーは顔をあたしの方へと戻すと、あたしの目を見て言った。

「喫茶トネリコで、彼女がアメイジング・グレイスを口ずさんでたのを覚えているかしら?」

「え、ええ」

 あたしは、あの時の事を思い出しながら応えた。きれいな声で口ずさんでいたアメイジング・グレイス。何故歌ったのか、あの時はわからなかったけれども。

 その応えを、もう一人のアンが応えた。

「彼女がアメイジング・グレイスを歌ったのは、今の罪に対する後悔ではなく、これから犯す罪に対する後悔へのことよ」

「これからの、罪」

「そう、これから犯す罪。未来に行う大罪への後悔を、彼女は歌ったの」

「そうだったんですか」

 あたしの呆然とした顔に、トゥーは再び意地の悪い笑みを湛えて尋ねてきた。

「でもその復讐の感情でさえ、誰かに与えられたものだとしたら? そうなるように仕組まれたとしたら? そして仕組んだのは、一体誰なのかしらね?」

 そう言っては両の目を細め、あたしを見つめる。

 嫌だ、嫌よ。そんな目で見つめられると。

 あたしが、あたしが。そんな事をするなんて。

「やめてください。あたしがそれを仕組んだなんて言わないでください」

 あたしが手を交差させて頭を激しく横にふると、彼女の明るい声が飛んできた。

「冗談よ。安心なさい」

「冗談きついですよ!」

 彼女の言葉に、あたしは声を荒らげた。そして両の腕を下ろす。

 そんなあたしを、いたずらっ子が見つめるような微笑みで、彼女は見つめていた。

 そして言葉を続ける。

「ともかくね、太陽系を含めた銀河系では貴女が参加しているノア三一四のケースを含めて、イグジスト計画が幾つも同時進行中で、様々なアンが計画・実験・試験を遂行中よ」

「そうなんですか?」

 それは初耳だった。まあイグジスト計画は極秘計画だから、当然のこととは言えるけれども。

 宇宙の何処でどんな人達が、アンと一緒にどんな事をしているんだろう。ちょっと、気になるかな。

 トゥーはそんなあたしを無視するかのように、言葉を続ける。

「地球を一〇〇〇年保たせられるのはOACだけだったから、人類は地球の管理をOACに明け渡した。そして人類を一〇〇〇〇年保たせるために、人類は万物の霊長の座をOACに明渡し、イグジスト計画を実行させているのよ」

「OACの宣伝どおりですね」

「生き延びて、進化する。私達OACはそのために望まれたの。人類は、これからも形を変えてゆく。貴女の進化は、そのひとつの形。その望みの一つなの」

 そう言って彼女は立ち上がり、空中に何かがあるように視線をそこに向けては、言葉を紡ぐ。

「望みは人を形作る。望みは世界を形作る。その望みは人から生まれたのよ。チヒロ・ヤサカ」

 トゥーの言葉を聞いて、やっぱり一連の言葉は冗談ではないのかもしれないと思った。

 そんなの、それこそ冗談じゃないわ。

 でも。

 あたしはこの世界を望んだ。進化した自分を望んだ。

 だから。

 こうしてここにいる。そうなのかもしれない。

 確信はできなかったけれども、あたしはここにいる、という事実はそこにあった。

 そんなあたしの姿に満足したのか、トゥーはもう一度あたしの方を見てにこやかな笑みを見せた。

 彼女が笑みを見せる時は、到底ろくなことじゃない。

「ちょっと話題を変えるわ」

「なんでしょうか?」

「サーティのことよ」彼女はちょっと困り顔になって言った。「あの娘のあの日の記憶は封じたけれども、いつどんなきっかけで記憶が戻るかもしれないわ」

 え、あたしは軽い衝撃を受けた。

 それでいいんですか。

 あたしはもう一度声を荒らげた。

「ちゃんとやっておいてくださいよ! もしそうなったらどうするんですか!」

「その時はもう一度記憶を封じるか、無理なら心理調整などを行ってみるわ」

 あたしの抗議に、彼女は平然として応える。

 まったく、これだからACは。

 それから彼女は頼み込むような顔をして続けた。

「もうしそうなったら、チヒロさん、貴女もサポートよろしくね。彼女は貴女のことを好きでいるわ。貴女になら、彼女はどんなことをされてもいいと思っているわ」

「そんな病んだストーカーみたいな言い方しなくても……」

「ごめんなさいね」

 彼女は両手を合わせて謝った。

 まったく、謝っている気はなさ気に見えるんですが。

 それからトゥーはそういえば、という顔になって、あたしに質問してきた。

「なら、ねえチヒロさん。貴女は人間とは別のものになってしまったけど、それでもなおサーティを愛せるというの?」

 あたしは、その問いに溜息を吐いて笑った。

 そんな事。

「愛せるわ」

 そんな事、あたしにはわかりきっている。

「どんなに形が変わっても、人は人を愛せるのよ」

 今度は私が笑みを大きくする番だった。

 そして説教をする教師のような顔と声で、眼の前にいるOACに言う。

 それはあたしの想いだった。

「あたしはね、サーティを女だから、自分が同性愛者だから愛したのではなく、好きな人が、あるいはこの星にいるもう一人きりの人間がたまたま女だったから愛したのよ。それはこの現代に生きる人間にとっては普通のことよ。男とか女とか、人間だからとかじゃないとか、そんな事関係ないのよ」

「でも、彼女は人工意識なのよ。それでも?」

「それでもいいわ」

 あたしは、とっておきの満面の笑みを見せてトゥーに応えた。


「だって彼女はあたしにとっては、人間だから。あたしが選んだ特別だから」


 あたしは目を閉じ、別のあたしへの意識へと視点を切り替えた。

 そこは、あたしの情報世界の自室だった。

『あたし』とサーティは、ベッドの上で何も身に着けていない生まれたままの姿で、抱きあい、口づけあい、愛撫しあい、舐めあっていた。愛し合っていた。二人は笑顔だった。幸悦の笑顔だった。

『あたし』と彼女はたしかに愛し合っているのだ。そして、これからも愛し合うのだろう。何があっても。このグライシアという世界にいる限りは。彼女とあたし、二人しかこの世界には人間はいないのだから。

 ああ、もう一人いた。アンだ。トゥーもいるけど、裏表と思えば、同じだ。


 この惑星ほしに漂流してきたあたしとサーティ。それにプラス世界アン

 三位一体の、素晴らしき恩寵の世界。


 あたしは、いつの間にか口ずさんでいた。

 あの歌を。

 アメイジング・グレイスを。



 Amazing grace.How sweet the sound.


 That saved a wretch like me.


 I once was lost, but now I am found;


 Was blind, but now I see…….




                      <了>

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漂流者+1(プラスアン) あいざわゆう @aizawayu1

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