第49話 3-11
あたしはその言葉を聞いた時、驚きでただ、
「なっ……!」
と返す言葉しか出せなかった。両目は大きく見開かれたと思う。情報空間の周囲の色が変わった。
しばらくの後、あたしは自分の思っていたことをようやく口にする。
「どういうことよ、それって……!」
<あら、貴女がいつも思っていたことじゃない>トゥーはにべもなく応えた。<情報空間にいつもいたい、生理的現象でネットから追い出されるのはいつも嫌だって思っていたじゃない>
その言葉であたしははっとした。こいつ、あたしの。
「貴女あたしの思考を読んでいたわね! 人権侵害よまったく!」
<被験者のロギングは私の任務の一つでしたし。それに、この世の中ではプライバシーは死滅したも等しいことよ>
「その世の中だとしても、無断でやるというのはないですよ」
それからあたしは一つため息を吐いた。そして、髪を一つ掻き揚げる。
「まあでもそう思っていたのは事実よ。で『本当のホモデウス』ってどういう意味よ? まずそこから説明してもらいたいわね」
大体の事は想像がついている。でも施術する本人の口から詳しい説明をしてもらわないことにわね。インフォームド・コンセントよ。
<貴女にだって想像はついていることでしょうけれど>トゥーもそれを前提に応えてきた。<簡単な概略を言えば、脳にナノマシンを使った手術を施して、貴女の意識を幾つも分散できるようにして、ネット上に置いてずっといられるようにしたり、ゴーレムの体にインストールしたりできるようになるわよ。もちろん、貴女のオリジナルの体の意識もそのままにね>
「で、その手術方法って」
<簡単よ。貴女の脳内にあるナノマシンを利用して、貴女の脳の作りを少しだけ変えるの。それと同時に脳を貴女のサーバロボット達に接続して、脳とのリンクを行い意識のコピーを行う。そしてコピーを幾つも行えるようにして、ネットへの行き来を自由にする。簡単に言えば、貴女の意識を人工意識と同様にする。それだけのことよ>
そこまで聴いてあたしは大きなため息を吐いた。もう一度長い髪の毛を弄くる。
「つまりはあたしをサーティと同様にするってことですね」
<仕様からすれば貴女の方が高級なんですけどね。一つの体に一つの意識を前提にした彼女の人工意識と比べれば、幾つもの意識が同期しながら多数のボディやアバターを動かせるようになる貴女とでは、プログラミングの難易度は段違いだわ>
「そういえば」あたしは思いついた疑問を口にした。「そうなった場合、あたしの意識はどうなるのでしょうか。同時に入出力を行うことで混乱しないのでしょうか?」
<初めのうちは混乱するでしょうね>トゥーは苦笑した。でも、平気よという顔になって言葉を続ける。<でも、それも時が経てば慣れるはずよ。貴女は望めば、それぞれの意識に『フォーカス』を切り替えられるわ。例えるならコンピューターで、ウィンドウやタブを切り替えるようなものね。同時にやがて、貴女のそれぞれの意識が全体とを構成していって、一つに思えてくるでしょう。それは人間の進化であり、死であるわよ>
「死って、どういうことですか」
あたしは応えを知っている生徒のように反射的に尋ねた。
トゥーはもう一度苦笑すると、その応えを返してきた。
<貴女、昔っから人間はいらない、人間は嫌い、身体はいらない、機械になりたい、と思っていたわよね。それはね、捻くれた死への願望と言うものよ。孤独になるということ、永遠になるということ、全体になるということは、同時に、死であること言うことなの。貴女は、死を望んでいたのよ。永遠に生きる死というものを>
そんな事、思ってないわよ。
でも、もしかしたらそう思っていたのかも。心の何処かでは。
そんな事を思いながら反射的に賢しい言葉を、眼の前の奇妙なドレスを着た女性のアバターに返す。
「進化の行き着く先は死、とも言いますしね」
<でも、人は死を治療可能なものにしたのよ。テクノロジーの発達によって。進化が死と区分されて独自の
そう言ってトゥーは微笑み、それから真面目な顔になって尋ねてきた。
<さて、四方山話はこれで終わりとして、そろそろ始めましょうか。超ホモデウス化手術を>
言い終わると彼女は契約書をVRスクリーンで表示した。手術の同意書だ。
あたしは契約書を読んだ。まあ、不利なことは書かれていなさそうだった。
そこで考える。この手術をやるべきか否か?
とは言っても。
これはあたしの望んだことなのだ。今更断るのもおかしなことである。
あたしは少し考えるふりをしてから、
「わかりました」
言ってYesのボタンを押した。
超人工意識の女性はそれを見てホッとした表情を見せた。そして、物語の始まりを告げる語り手のようにこう告げた。
<じゃあ、始めましょうか>
瞬間、情報世界のあたしの頭に、何か雲のようなものが覆いかぶさってきた。
雲がこのグライシア-Ccに存在するネットそのものだということに気づくのに、そう長くはかからなかった。
ああ、あたしはこのネットそのものになるんだ。
周りすべてが暗闇と化し、薄れゆく意識の中で、あたしはそう思った。
そして、意識は途絶えた。
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