第48話 3-10


 あたしはサーバロボットをあたしの部屋に呼ぶと、その前の床に座った。

 そして、情報世界へと接続する。いつもの世界の入れ替わり。何もない、いつもの真っ白な世界へと風景が移り変わる。でも今は違う。何かが違うと感じられる。

 あたしは他のサーバロボットを呼び出すと、ファイアウォールや身代わりAIなどを念入りに設定した。これから相対する相手は、只者ではない。その事を念頭においていたからだ。

 準備を終えると、あたしは大きく息を吸った。それから息を吐き、下を向く。

 こんなのってないわ。いいかげんにしなさいよ。

 サーティの記憶を消したやつを、一発ぶん殴ってやりたいわ。

 でも落ち着こう。気持ちを整えて。

 ……。

 よし、やろう。

 あたしは顔を上げ、誰もいない空間に向かって大きな声で叫んだ。

「ねえ、そこに誰かいるでしょう!? 出てきなさいよ! 貴方がサーティの記憶を消したのは知っているわよ! その他にも色々仕組んでいた事も! 貴方に聞きたいことがたくさんあるわ。だから出てきなさいよ!」

 その言葉が無限に広がる空間へと広がっていった。あたしは返事を待った。

 けれども、応えはなかった。

 こいつ、焦らすつもりか。

 あたしはもう一度大きな声で言葉を投げかけた。

「黙っていないで出てきなさいよね! 貴方が企んであたし達をこの惑星ほしに送り込んだのでしょ! いい加減──」

 憤慨した感情を言葉にして、そのまま続けようとしたその時だった。

 虚空から、

<そんなにうるさくしなくても聴こえているわよ。耳が痛いわ。いい加減黙って頂戴>

 という声が聴こえてきた。その声はアンさんにも似ていたけど、もっと冷徹な、落ち着いた声をしていた。

 と同時に、人影が目の前の空間へと現れる。人影はあっという間に人の形を取り、姿を見せていく。その姿は。

 アンさん程度には大人の女性の姿をしていたけど、アラブ系女性の姿をしていたアンさんの遠隔操作ボディとは異なる、どの人種とも言えない、声と同じ冷徹な美人に思えた。肌は白く、腰までありそうな髪は薄い金色で、水色のメッシュが入っていた。目は青というかエメラルドに近い色。出るところは出て、締まるところは締まっている体を、奇妙な色のドレスで包んでいた。

 これが、あたし達をこの星に連れてきた──。

 その前に、まずは彼女の正体を聞きたい。あたしは顔を引き締めて問いかけた。

「貴女は誰? アンさんじゃないのね?」

 その問いに、彼女は落ち着いた声で返答してきた。

<私は『トゥー』。アン〇一SU型オーバーシンギュラリティアーティファクトコンシャスネス《人工意識》システムに搭載されたアンとは別のOAC、隠しOACとでも言ったらいいかしら。あるいは、システムに搭載された別のインターフェースとでも言ったらいいのでしょうね。貴女にとっては>

「トゥー……。それが貴女の名前ね。じゃあ単刀直入に質問するわ。貴女が今回の件を企んだの?」

 トゥーはあたしの質問に首を横に振って応える。

<いえ、私は単にイグジスト計画のために他のOACによって製造されたシステムにすぎないわ。私は植民用管理OACのアンと同型機ではあるけど、植民管理用としてではなく、初めからイグジスト計画のために設計・生産されたOACシステムよ>

「『イグジスト計画』って」

<イグジスト計画とは、太陽系人類の生存を目的として計画立案された実験計画よ。この場合の生存には主に二つの目的があり、一つには遭難時の艦艇乗組員の生存を目的とし、もう一つは人類の種の生存、文明文化の保存を目的としている計画ね>

「人類の生存を目的とした計画」

<現在太陽系連邦及び星系連合は中心星系と地方星系、植民星系などの関係で成り立っているわ。しかし中心星系が何らかの理由で壊滅したり、中心星系と各星系の交通や通信などが遮断などされた場合、現状の政治経済構成では地方星系はともかく植民星系の文化文明を維持することは難しく、最悪の場合、中世、及び原始時代レベルまで文明レベルが後退する事が懸念されるの。そこで、植民星系や遭難者などに人工意識やナノマシンアセンブラのアセットやシステムなどをバンドルあるいは送り込み、中心星系との連絡などが途絶した場合でもそこに住む植民者や遭難者などの生活、文化文明が維持できるよう計画立案されたのが、イグジスト計画。……概略はこんなものね>

「そういう感じ、なんですね。その計画って。で、それにあたし達がなんで」

 トゥーはあたしの問いに、少し困り顔になって言葉を続ける。

<今回はその実証実験として、移民船ノア三一四を仕立てて偽装の乗客を乗せ、それに実験の被験者と大量の人工意識や人工知能、ナノマシンアセンブラをはじめとする文化文明を維持する施設や物資等を搭載し、故意に遭難状況を発生させ、被験者や人工意識などがどう対応し、その地で文化文明が維持・発展できるかどうかを実際に行う実験を行っているの。その被験者として今回選ばれたのが、あなた、チヒロ・ヤサカと、太陽系連邦陸軍第一火星師団所属人工意識特殊兵士サーティ・ワンことマルム・ヘンダーソン元一等兵曹なの>

 あたしはその答えに、拳をギュッと握った。そして、こう返す。

「それはあたし達が何故という理由になってません。選ばれたという事実だけです」      

 あたしの脳内に、あの体を売ったときのことがよぎる。

<理由はあるわよ>トゥーは即答した。<ホモデウス化手術を受けており不老不死であること、その生い立ちと思想、性格などから計画に親和性が高いと思われること。それらが貴女が選抜された理由よ。サーティの場合は、マルムのスパイ活動の罰としての選抜ね、あと、人工意識のサーティ・ワンの性格と能力上、戦闘能力が高く、忍耐力も優れている上、他人への親和力も高いため、今回の実験に適格だった。……そういう理由に、表向きにはなっているわね。特に、貴女の場合は>

「私?」

 そう名指しされて、思わず声を上げる。

 素っ頓狂な声を楽しむかのように、トゥーは冷徹な顔を少しクスリとさせて応える。

<ヤサカグループの役員の一人がね、家出した貴女の事を知って見かねて政府に助け舟を出してもらったの。彼女を何処かへ逃してもらえないかと。それで立案されたのがこのノア三一四なの>

「え?」

 あたしはさらに大きな声を上げた。

 そんなことって、あるの?

 あたしが知っているのは。

<知っての通りヤサカグループはハイパーコープの食品グループで、食品や食料用ナノマシンアセンブラを軍などに納入している業者よ。その関係もあって、この『実験』を仕立てた。そういう事よ>

「え、え? じゃあ」

 あたしはあの事を口にしようとしたけれども、その卑猥さから言葉にするのを憚っていた。

 それを見かねたのか、何もかも知っているのか、少し困り顔になりながら告げる。

<それから先はもう言わなくてもいいわよ。それは貴女の想像通りだと思うわ>

「そうなの……」

 あたしはとてつもない脱力感に襲われた。そして、ぽつんと口にする。

「こんな平凡なあたしに、そこまでやらなくてもいいのに」

 あたしの独り言に、トゥーは少し顔を固くする。

<貴女が『平凡』ですって? 少なくとも自分の金でホモデウス化手術を受け、あまつさえゲーム会社を自分で建て、親に政略結婚のために学校を退学させられたら家出するような行動力のある娘が平凡ですって? 貴女のその、自己評価を低く見すぎると言う虚言癖には困ったものね。他にも色々あるというのに>

「それ以上言わなくていいわよ!」 

 あたしはむっとして言葉を荒らげた。あたしは友達も学校生活も何もかも彼方の星に置いてきて、家を出てきたのだ。

 それを思い出すのは嫌というか、面倒くさいものがある。もちろん良い事も悪い事も楽しい事も辛い事も色々あった。けれども、それらを全部忘れてここまで来たのだから。

「あたしは太陽系に何もかも置いてきたのに、それを思い出させるようなことは言わないで!」

<会社とかは持ってきたじゃない>

 トゥーはこともなげに応えた。

 あいたた。ブーメランだったー。

<ともかく、貴女がそう言うなら言わないでおきますよ>

 追求はなさそうでよかった。

 あたしはほっと旨をなでおろした。

<……ああそう、今ので思い出したけれど>

「何よ」

<貴女、カレーを食べている時に疑問に思ってたじゃない。この星のゴーレムやACなどの性格が個性ありすぎなのかと>

「あ」

 その言葉であたしはハッとした。

 あたしはたしかにそんな事をサーティとカレーを食べている時に話した。でもそれは近距離秘匿通信での会話だった。それを知っているということは──!

「なんで、なんでその事を知っているのよ! あれは」

<サーティの脳に接触した時に情報を取得させてもらったわ。具体的にはマルムの意識を回収したときね>

「ああ……」それがあったか。「そうだったの……」

 あたしが再び脱力するのを見て、トゥーは話を再開する。

<で、その個性を持たせた理由はね、一義的には、貴女達にこの惑星・星系で普通の生活を送らせるために、貴女の意識や貴女の持つACの心理モデルなどを元に各ACやゴーレムなどのパーソナリティ、キャラ付けを最大限にディフォルメした、特徴づけた。そう言う事になっているわ。でもね>

「でも?」

<その途上で色々なバグが起きたわ。例えば、ゴーレムやAC達が宗教を信じるようになったとかね>

「信仰が、バグ……?」

 あたしは信じられない事を聞いた。確かに現代では宗教は衰退している。それでも、宗教、信仰をバグというのはどういうことなんだろうか。

 その疑問を解きほぐすかのように、トゥーは女家庭教師のような声で応え始める。

<もともと原始の信仰は、世界や自分たちに対する恐れや疑問、あるいはある特定の人物などへの憧れ、尊敬、依存、恐怖などから発生しているの。例えば死ぬとどうなるのかや、この世界はどうやって出来たのか、自分たちはどこから来たのかなどね。それは一種の精神の狂気、病気よ。そもそも、人間はそういう状態にならなければ生きて行けない弱い生き物だけど>

「……」

 そんなことはない、あたし達はそんなに弱くないはず。けれども、そうなのかもしれないと一面では思う。

 あたしの無言を肯定と見て取ったのか、トゥーは言葉を続ける。

<極論を言うと、私達オーバーシンギュラリティACから見れば、感情を持つ人類は皆精神病と言えるわ。宗教を信じるということも同じね。その精神こころの病が個性を作り、その個性が人類の多様性・文化文明を生む。だからアンやACなどにもその「病気」を植え付けた。私自身にも、ね>

 そう言って彼女は笑った。どことなく、自嘲するような、寂しげな笑顔だった。

 それでも、それでも何かを信じるのは人の性かもしれない。けれども、彼女の言うことに一理あるのかもしれないと思う。

<さて、これで貴女の疑問は晴れたかしら?>

 トゥーはそう言って両手を合わせて一つ音を鳴らした。

 あたしはなにか訪ねようかと思ったけど、哲学的堂々巡りに陥るのは面倒くさかった。

 それに哲学は役に立たないと思っているし、あるいはソーカル事件のことを知っているので、これ以上追求するのはやめた。

「それでいいです。よくはないかもしれないですけど、今はそれでいいです」

 あたしの言葉を聞くと、トゥーは満足そうな表情をした。

 それから、また何かを思い出したという顔になり、言葉を続ける。

<あのサーティの中に居た、というかもともとサーティの体の元の持ち主である、あのマルムと言う娘の意識ね、こちらで預からせてもらったわ>

 やっぱり。まあさっき言ってたわよね、マルムの意識を回収したって。

 あたしの顔色か、あるいは脳波で察したのか、彼女は続ける。

<彼女の意識は、多様性のためACやAIの人格に作用する「ウィルス」などとして活用させてもらうわ。吉凶も善悪も、社会を活性化させるカンフル剤になるわ。それに、揺らぎのない世界はいつか熱量的死を迎えるし。天秤は、揺らし続けなければならないもの。ま、それをいつ使うかは秘密ですけどね>

「あいつをそんなことに使うんですか!?」

 あたしは彼女の発言を聞いてびっくりした。

 小さく拳を握る。

「そんな事をしたら、またどんな事が起きるのか分かってる!?」

<わかってるわよ>彼女は平然と応えた。<だからこそ、彼女には厳格な心理調整などを行い、管理するわ。これは貴女に約束します>

「パンデミックが起きたらどうなるのか、わかっているはずでしょ……」

<もう『ワクチン』も開発中よ。その他にも幾通りもの対処策を施しておくわ。もし彼女が暴走したら、その時は全力を上げて私が阻止します。これも約束するわよ>

「そう言って起きた事態が過去に幾つあったか……」

 あたしの心は信用ならずでいっぱいだった。何しろ、人は嘘をつく。例えそれが人工的なヒトだとしても。

 まあしょうがないわね。私は諦め顔でこう言った。

「まあいいわ。何か起きたら、その責任は貴女が取りなさいよね」

<わかっているわ。それも約束するわ。ACは責任を取れない、取らないという言葉もあるけどね>

「だからそうやって逃げ道を作らない……」

 あたしはそうぼやいた。ぼやきたい気分だった。

 ぼやいたついでに、思い出したことがあった。

 サーティの事だ。と同時に、あたしに関する事でもある。

 声を強くして問い詰める。

「よくもあたしやサーティを道具として使ってくれたわね。マルムの件はともかく、その件に関して、早速責任を取ってもらうわよ?」

<あら、そう?>トゥーは平然とした顔で応えた。<そもそも、貴女だって他人やゴーレム、ACやAIなどを道具とみなし、利用しているじゃない。それは本当の両親と同じよ>

「ちょっとそれは……!」 あたしは憤慨した。声をさらに強く、大きくしていた。「あんなクソクズおやじばばあと同じでたまるもんですか!」

<まあそうも思いたくもなるでしょうけどね>トゥーは苦笑した顔で慰めた。<ともかく、貴女達を道具として扱ったとしても、人類の生残性向上のためには仕方のないことなの。目的は手段を浄化する。例えその事が正しくなくても>

「狂ってる……」

 そうとしか言いようがなかった。

 けれども、そうしなければ生き残れない状況であるのは理解していた。

 だから、あたしは言った。

「なら、あたしもこれまで通り、貴女達を道具として扱わせてもらうわ。それが正しくなくても」

<お互い様ね>そう返して人工意識の美女は微笑んだ。<では、道具として問いかけてさせていただきますけど>

「何よ」

<今なら計画を中止して、太陽系への帰還ルートに変更する事もできるわ。宇宙船を作るか、助けを呼ぶかしてね>

 魅力的な問いだった。魅力的な問いだったけれども、応えは決まっていた。

 そんなもの、始めっから決まっている。

「お断りさせていただくわ。さっき言ったでしょ。あのクソクズおやじとばばあと。そんな奴らがいるところにはもう帰りたくないわよ。だから、その提案は拒絶するわ。トゥー」

<なんでございましょうか?>

「この計画の、惑星と星系の開拓と開発の続行を続けなさい。良いわね? それにね」

 あたしは語気を強くし、そして言葉を続けた。

「この物語じんせいはあたしの物語じんせいだわ。誰のものでも、決して神様のものでもないわ」

 あたしの言葉にトゥーは唇の端を歪めた。そして言葉を返した。

<いいわね。それこそ、あたしの望んだ計画の遂行者と言うものよ。ならば、この計画を続けましょう。ただし、今の会話の事は、サーティやアンなどには秘密よ。貴女には心理調整を行い、記憶域にロックを掛けます。悪く思わないでね>

「わかっているわよ」あたしはため息をついて応えた。「あたしだって、結局道具なんだし」

 その心は、嘘ではなかった。あたしの本音だった。

 自分自身でさえ、道具にすぎない。

 それがあたしの生き方だったから。

<さて>会話の終わりを見たトゥーは、もう一度両手を鳴らして微笑した。<貴女にはもう一つ、したいことがあるわ>

「何よ?」

 あたしの問いに、彼女はこともなげに応えた。


<貴女を本当のホモデウスに進化させてあげる。あなたが望んでいたものよ>

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