第47話 3-9
あたしはその後家に帰り、食事とお風呂に入ってから部屋でアンさんと通信をした。
サーティの容態はアンさんにも伝わっているようで、
「あの様子なら地球時間で二日も経てば覚醒するんじゃないかしら。敵も撤退したし、今はゆっくり休んでおきなさい」
そう言われた。
それから布団に入りながら会社の情報世界に入って、カランちゃんから、グランファンタジアのサーバを全開放して、ACの住民を避難させたときの安定性などについて報告を受けた。
結論から言えばサーバはとても安定していて、
「これなら本サービスを始めても大丈夫ですね」
という報告を受けたので、じゃあ、行っちゃっていいわ。そうGOサインを出した。
その後でカランちゃんが、
「ボーナスの件、頼みましたよ。えへへっ」
と揉み手をしながら頼んできたのであたしは、
「わかってるわよ」
払い除けるように応えた。
まあ彼女たちの働きぶりは称賛に値するわ。ボーナスは出しておかないとね。そんな事を思いながら会議などを行い、あたしは会社世界から出た。
その後は手術の様子を見ながら横になった。手術が終わるまでずっと見ていようかと思っていたけれども。
何時間たっただろうか。だんだん眠気が襲ってきて。
起きていようかとこらえていたけど、疲れがひどくて。
サーティ、大丈夫かな。
それが最後の思いだった。
*
遠く何処かで聞こえるような、でも耳元で鳴り響いている音で、目が覚めた。
それは通話の着信音だった。
通話の相手は、メアリーさんだった。
あっ。もしかして。
ガバッと起き上がって右耳を軽く叩き、通話に出る。
「もしもし」
「おはようヤサカさん。早速だけど」
「はい」
「サーティ、手術が終わってつい先程目を覚ましたわよ」
「本当ですか!?」
その吉報に、あたしはつい声を大きくしていた。居ても立っても居られず、彼女がいる病室へと駆け出したくなった。
けれどもそんなあたしを落ち着かせるように、メアリーさんは優しい声で言い聞かせる。
「ああそんなに声を大きくしないで。今病室にいるから、カメラをそちらにつなげるわね」
彼女がそう言うなり、空中にホログラフィックスクリーンが出現した。その画面の中には、病院の治療用のバイオベッドが映し出されていた。
そのジェル状のベッドに包まれるようにして、金髪の少女、サーティが寝ていた。
彼女は覚醒したばかりなのか、起きているのか寝ているのかわからないような表情だった。でも、生きているという事実にあたしはホッとした。
あたしは画面の向こうの眠り姫に優しく声をかけた。
「サーティ」
あたしの呼びかけに、彼女は耳が遠い人のようにしばらくぼうっとしていたが、やがて薄目を開き、
「……チヒロ?」
と弱々しく返事をした。それでも、彼女が生きているという実感に、胸がいっぱいになった。いつの間にか、あたしの両目から涙が流れていたことに気がついた。
あたしは言葉を続けた。
「サーティ、大丈夫? 貴女が戦闘であたしをかばって死にかけた時、どうしようかと思ってた……。良かった、目覚めて……」
あたしが両目をこすりながら少し笑った時だった。
「え」
サーティが弱々しいながらも、びっくりした声でそう返してきた。
あたしの腕が止まった。
そして、彼女はこう続けた。
「アタシ、今日の朝から後のことを覚えてないの。チヒロ、今日デートの約束だったでしょ? なんでアタシ、こんなところにいるのかな?」
彼女の言葉であたしは凍りついた。まさに、なにもかも動きを止めた。
そんなことって。普通、エトランゼやホモデウスの記憶は、脳が破壊されなければたとえ死んでも死ぬ直前までの記憶を覚えている状態で復活するはずだ。たとえ脳が破壊されたとしても、メッシュクラウドにつながっていればリアルタイムでバックアップされているから、同じように死ぬ直前までの記憶で復活できる。その筈だ。
それが、あのデート前の記憶しか残っていないなんて。
あたしはなかなか言葉にできなくて、でもようやく言葉を絞り出して、尋ねた。
「サーティ、昨日の事何も覚えていないの? 映画を観に行った事とか、喫茶店に行った事とか、カレーを一緒に作った事とか」
「何も」
即決で言葉が返ってきた。その声色には嘘はなかった。
あたしは更に問いを投げかけようとして、何か言おうとしたけど、彼女と風呂に入った事、彼女とセックスした事、そして彼女がマルムに乗っ取られた事は、サーティの家族がいる前ではとても言えなくて、
「何も? 何も? 何も?」
畳み掛けるように、そう言うしかなかった。
その声があまりにも大きかったのか、
「お見舞い客の方、あまり大きな声を出さないでください。患者の容態が」
女性看護師ACの声が割り込んできた。
あたしはその注意に、
「すいません」
そう応えるしかなかった。
あたしはしばらく黙っていたけれども、画面の外にいるメアリーさんに向かって、
「今日はこれでいいです。ありがとう、ございました」
そうお礼を言って、終話ボタンを押した。
「あらもう──」
メアリーさんが何か言いかける前に、ホログラフィックスクリーンは断ち切るように閉じられた。
画面が消えたあとで、あたしは呆然としていた。
サーティはあの日のことを何も覚えていない。バックアップがあるはずなのに。それすらないなんて、何かがおかしい。おそらく、自分が人工意識である事、自分の正体がマルム・ヘンダーソンと言う事も忘れているだろう。無論、彼女に自分が乗っ取られていたという事も。
おそらくは、これには何者かが関わっている。サーティの記憶を消せる権限を持った誰かが。
それは──。
あたしはベッドから降りると、サーバロボットを呼び出した。
涙はもう乾いていた。
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