第38話 2-20


 遠いどこかで、けたたましく甲高い音が鳴り響いていた。

 非常警報のアラームだ。

 もしかして、虫たちが襲ってきたの?

 そんなことを思いながら、ぼんやりと体を起こす。

 自然と、今一番近い少女の名が口に出る。

「サーティ?」

 一つ呼びかけてみたけれども、声はない。周りを見ても、彼女の姿はない。

 どこへ行っちゃったんだろう。そんなことを思っていると。

 壁を挟んで大きな足音が近づいてきて、自動ドアが何かを告げるように急に開いた。

 開き切る前に、悲鳴のような言葉が飛び込んできた。

「大変です! チヒロさんっ! サーティさんが! サーティさんが!」

 開ききったドアの向こう側に、この世の終わりを見たような、青ざめた表情のマリアちゃんが立っていて、廊下、というかリビングの方を指さしては、そちらの方とこっちを交互に見ていた。

「どうしたの?」

「サーティさんが乗っ取られちゃったんです! 何者かに!」

 乗っ取られたって。

 人間が乗っ取られることなんて、電脳ハックでもやられたの? でも、そんな事する勢力や人はここにはいないはずなのに。

 ベッドから降り、パジャマを着てスリッパを履いて、急いで部屋を出る。

 先導するマリアちゃんの後を追って、リビングへと向かう。

 サーティ、一体何があったの。

 不安に胸がいっぱいになりながらリビングへと足を踏み入れた。

 リビング中に、家中にアラームが鳴り響き、天井の照明が真っ赤になっていた。ホログラフィックスクリーンが大きな文字で『侵入者警報!』と表示されていた。

 そのホログラフィックスクリーンを背景に、一人のパジャマ姿の少女が、こちらを睨みつけていた。

 サーティ、だった。

 でもいつものサーティとは雰囲気が違っていた。明るい陽気な天然少女といういつものサーティではなく、荒々しい凶気を身にまとった何者かがそこにいた。

 ふと、彼女の上部に表示されていたネーム表示を見る。そこにはサーティ・ワン、という名前ではなく、

<マルム・ヘンダーソン>

 という聞いたことのない名前がそこにはいた。

 それを見た途端、あたしは反射的に、悲鳴のように叫んでいた。

「あなた誰!?」

 と。

 アタシの問いに、相手はあたしを得意満面な表情で見つめこう言った。

「あたし? あたしだよ。サーティ・ワンだよ」

 あたしは即座に嘘と見抜き、強い言葉で返す。

「嘘! 貴方はサーティじゃない! マルム・ヘンダーソンって誰よ!」

 あたしが叫ぶと同時に、あたしの視界にARスクリーンが展開され、ある人物の情報を映し出した。

 あたしはその人物情報に一目通した。

 そして、背筋に冷たいものが一つ走った。

 なに、これ、!

「ウォルラ人のスパイやってたって……!」

 思わず声に出してしまう。

 あたしの嗚咽に近い叫びに、目の前のそいつはニヤニヤと笑い猫のような気持ち悪い笑みを浮かべながら応える。

「そうさ、あたいはウォルラ人に情報売ってたしがない裏切り者さ。ドジ踏んで捕まって、軍法会議で意識上書き刑を受けてこの頭ん中に閉じ込められていたけど、あたいの体を支配していたクソ人工意識がやってくれたお陰で、こうやってシャバに出てくることができた。感謝するよ、本当に」

 彼女はニヤニヤ笑いを絶やさずにこちらの方を見ては両の腕を振り回した。それは準備運動をするようにも見えた。

 それから彼女は自慢げに、傲慢げにといったような表情であたしを見つめると、こう問いかけてきた。

「さて、あんたはどうするつもり? あたいをサーティと認めて、あたいと暮らす? もうサーティはここにはいないんだぜ?」

 あたしはその問いに即座に応えていた。叫んでいた。泣いていた。

「嫌よ! あなたはサーティじゃない! たとえ体が貴方のものだとしても、あなたはサーティじゃない! あたしはサーティじゃなきゃ嫌なの!」

 たとえそれがテンプレの反応であろうと、よくある人間の反応であろうと、その思いは間違いじゃない。間違いじゃない。でも。

 あたしはその一方で疑問、いや、疑念を感じていた。冷たいもう一人のあたしがあたしを見つめていた。

 サーティが人工意識だとして、そのACを人間だと思って恋していたあたしは一体何? 道化?

 あたしはACを、人工知能を、ゴーレムを道具だと思っているのに。

 それ、でも。

 あたしは絞り出すように目の前の女に向かって叫んだ。

「返してよ。サーティを、返してよ!」

「返さねえよ」冷ややかな答えが彼女から返ってきた。「せっかく手に入れた自由だ。手放すもんか。それを邪魔するっていうんなら」

 そう言って彼女は両の拳を固める。

「力づくでも、通させてもらうぜ」

 彼女はあたしを見定めた。その鋭い目つき。本気だ。このままだと殴りかかってくるだろう。

 どうしよう。このままじゃ。

 そう思ったとき、マリアちゃんから極近距離秘匿通信が届いた。

<ヤサカさんっ、サーティさんから微量の意識信号が!>

<えっ?>

 あたしは言われるがままサーティの身体に目をやり、ARウィンドウを開く。

 その中に表示されたプロパティや情報などを見て、ある項目に気がついた。

 あ、これって。

 これなら、サーティを救えるかも!

 早速作業を始める。

 あたしはそれを悟られないように、サーティの身体を持つものに向かって言った。

「出ようとしても無理よ。シェルターの玄関はロックされているし、たとえ出たとしてもどこへ行こうというの? ゴーレムちゃん達からは逃れられないわよ」

「ふん、あたいの頭の中にはツールが有る。それでロックなんて簡単だし、体内のナノマシンを使えばしばらく食わず飲まずでも平気だし。その間に森にでも逃れて、生活していくわよ」

「居住圏外には原住生物がうようよしているわよ。それでどう生きて行くつもり?」

「基地から武器を奪ってそれで戦えばいいさ。あるいは、都市に潜伏するのもいいかもな」

「貴方はどこまでも楽観的ね。その楽観主義で、あたしの大事な人の体が無くなってしまっては困るのよ」

「あたいの体はあたいのものよ。誰にも譲りはしないわ」

「あたしにとっては」そこであたしは言葉を切った。そして、力を込めて言った。「その体はサーティのものよ。貴方のものではないわ」

「それってお前の主観だろ! あたいにとってはこの体はあたいのだ!」

 その時、耳元に作業完了を告げるピーブ音が鳴った。

 よし。実行。

 うまくいって。

 あたしは死刑判決を下す裁判官のように彼女に向って告げた。

「それも貴方の主観ですよね?」

「こ、の、!」

 激昂した彼女が殴りかかろうと勢いよく飛びかかったその時、その格好でバランスを崩した。

「なっ……!?」

 そのまま彼女は無様にリビングの白い床に倒れ込んだ。

 うまくいった!

 倒れ込み、指一本動かなくなったまま彼女は呻くように言った。

「な、何をした……?」

 あたしは彼女を見下ろしながら返す。

「何をしたかって? 教えてあげないわ」

 そう言ってさらに作業を進めた。

 彼女は何も口を発さなくなった。呼吸以外のことは何もできなくなった。

 そばにいるマリアちゃんが極近距離秘匿通信でホッとした声で言ってきた。

<この人を簡単に制圧できて良かったですね>

<サーティとの身体情報接続がこんな時に使えるとは思わなかったわ。接続を残しておいて良かった>

<怪我の功名ですね>

<セックスは怪我じゃないけどね>

 そう。

 先程あたしとサーティが情報空間でセックスした時に使った身体情報接続を使用し、あの女の意識とサーティの身体をハックし、その二つを分離したのだ。

 事後は眠ってしまっていて接続を残しておいたままだったけど、こんな事に役に立つなんて。

 サーティには悪いけど、接続鍵とかはこれからも何かのために残しておこう。うん。

 さて。

 倒れ込んだサーティの体を一つ見て、あたしは思い悩んだ。

 彼女を封じ込めたのはいいんだけど、もしもこのままサーティを復活させたとしても、あの女の意識は残るわけで。

 どうしようか。

 その時。

 身体情報接続を通して接続していたサーティの脳内に、外部から何者かのアクセスがあった。

 何!?

 外部からの接続!?

 と思っていると、サーティの脳情報にある、あの女の意識情報が外部ネットに向って吸い出されていく。

 え、え、あの女の意識が外に逃げていく?

 あたしが移動を中止しようとしてみても、より上位の権限だと表示されて操作できない。

 呆然としている間に、あの女の意識はあっという間にサーティの脳から吸い出され、消えてしまった。

「き、消えちゃった」

「私の方でも確認しました。マルム・ヘンダーソンの意識は、サーティさんの脳から消失しています」

 あたしたちは呆然としながらしばらくMRウィンドウを見つめていたけれども。

 あっ、そういえばサーティの意識は!?

 身体情報接続で彼女の脳に接続。様子を見る。

「サーティ、サーティ!」

 しゃがんで体を揺さぶってみるも、目覚める様子はない。

 このまま目覚めないのかな。どうしよう。

 その時だった。

<社長、私達のサーバロボット達を使って、サーティさんの意識を再構成することができます>

 カランちゃんだった。

 その声に、あたしは文字通り天使の助け舟に思えた。

 あたしは思わず叫んでいた。

「お願い!」

「私も再構成のお手伝いをいたしますっ。このシェルターのサーバやメッシュクラウドのリソースを使用しますっ」

 マリアちゃんがそばに来て、身体情報接続を通してサーティの脳に接続する。

 ARウィンドウにインジケータが現れ、タスクの進捗状況を表示する。

 同時にマリアちゃんが状況を読み上げる。

「只今サーティさんの意識を再構成中です。一〇%、二〇%、三〇%……」

 プログレスバーが右へと伸びてゆく。ゆっくりと。ゆっくりと。じりっ、じりっと伸びてゆくそれに、あたしはじれったさを覚えていた。永遠に終わらないようにも思えた。

 けれども、進捗度はゆっくりと、ゆっくりと、進んでいった。

「五〇%、六〇%、七〇%……」

 早く早く。早く終わってよ。サーティ、早く貴女にもう一度会いたい。

「八〇%、九〇%、九九%……」

 マリアちゃんの読み上げは九九%で止まり、そのまま沈黙が訪れた。

 どうしたんだろ。なにか障害でも起きたのかな。

 なにかしたくてもあたしにはどうすることもできない。道具に任せるしかないのだ。こういう状況では。それが悔しくもあり、歯がゆくもある。

 自分ではどうしようもなくて、届かなくて。何もできなくて。思うだけしかできなくて。

 それはまるで、恋にも似て。

 その時。マリアちゃんが、抑揚のない声で報告した。

「一〇〇%。後処理を開始します」

「終わった、の?」

 あたしは気の抜けた声で問いかけた。

 沈黙が再び訪れた。

 しばらくの後。マリアちゃんがこちらを向き、笑顔を見せて報告した。

「再構成、終了しましたっ。覚醒しますっ」

 その報告とともに、サーティの体が眠りから目覚めるようにもぞもぞと動き始めた。事実、眠りから覚めたんだけど。

 静かに目を開け、口から吐き出すように寝ぼけた声で、

「……チヒロ?」

 とまるで母親を求める子供のように呼びかけてきた。

 あたしは母親のように応えた。そしてしゃがむ。

「いるわ、いるわよ。ここに」

 その呼びかけに、サーティはまるで巨神が立ち上がるかのようにゆっくりと起き上がり、上半身を起こした。

 それから焦点の定まらない目でしばらくこちらを見てから、彼女は瞳の端に水の宝石を浮かべて、

「チヒロ……!」

 そう叫んでは、あたしにしがみついてきた。そして大きな声で泣き出した。宝石が液体となって頬を流れていく。

「サーティ……」

 あたしはただ抱きしめた。そうすることしかできなかった。

「あたし、あたしは……! 一体誰なの……!? うっぐ、えっぐ……!」

 彼女の気持ちは痛いほどわかった。いや、わからなくても当然なのかもしれない。

 自分が実は本当の自分ではなく、別人で。人間ではなく、人工意識だった。そんな人の心中なんて、当の本人でなく他人にわかるわけがない。

 だから、あたしは月並みだけど、こう声をかけるしかなかった。震える彼女の背中を撫でながら。

「サーティはサーティよ。それ以外の何者でもないわ。だから、しっかりして。貴女の中にいた彼女は出ていったわよ」

「でも、でもぉ……!」

 いつもの気丈なサーティからは想像もできないような気弱で元気のない彼女の姿に、あたしはイラつきさえ感じていた。

 そんなことで、なんで貴女はそんなふうになっちゃうのよ。またいつもの活発で傍若無人な貴女を見せてよ、ねぇ。

 あたしがさらに声をかけようとしたときだった。

 リビングのホログラフィックスクリーンが赤と黒に染まり、「非常警報」「ALERT!」という文字を浮かび上がらせ、大音量でけたたましいアラームが部屋中に鳴り響く。

「どうしたの!?」

 あたしが声を上げると、そばにいたマリアちゃんが恐ろしいものを見たような表情で報告してきた。

 恐ろしい、ことを。今一番起きてほしくないことを。


「大変ですっ! 原住生物の集団が、こちらに向って進撃中です! 現在防衛部隊が交戦中ですっ!」


 こんな時に、奴らが来るなんて。


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