第37話 2-19


 さらに深夜。というかグライシアではまだ昼だけど。

 横で眠りについているチヒロを起こさないように、アタシは静かにベッドから降りた。

 脱いであったパジャマを着る。

 彼女、すやすや眠っているわね。ふふっ、あれだけ激しくしたから、疲れて完全に寝ちゃったようね。

 アタシにとっては都合がいいんだけどね。

 さて。

 仕事を、始めますか。

 アタシは抜き足差し足忍び足でリビングへと向かった。

 リビングに来ると、自動的に明かりがついた。今どきの家はそういう設定になっている、家自体でちょっとした発電所ほどの電力を自家発電できるから、電気は使いたい放題だしね。

 リビングのホログラフィックスクリーンに相対できる位置のソファに座り、軍用端末のログイン画面を呼び出す。

 ここからが本番よ。

 脳内の偽装用ツールを通して接続し、高級将校ACに偽装した偽アカウントでログインする。

 ログイン、完了。よし、アンや軍用ACのマルスライトには気づかれてないみたいね。

 次に偽装用ツールを通して接続用ターミナルを使用し、軍用検索AIに接続する。

 この時、音声やVRではなく、あえて文字検索で接続する。そうすることで匿名で検索できるからだ。

 ホログラフィックスクリーンに文字列が表示される。

『こんばんわ。どのような質問でしょうか?』

 さて。いくわよ。

 アタシはホログラムキーボードを呼び出し、こう入力した。

『ノア三一四の目的は?』

 すると、検索AIはこう返してきた。

『ノア三一四の目的は、惑星ニューオーストラリアへの入植者及び入植用貨物の輸送』

 当たり前の回答ね。アタシが求めるのは、これより深い本当の答えよ。

 アタシはさらに質問を入力する。

『ノア三一四の貨物は、通常の入植のものを遥かに超える貨物とAI、ACなどを搭載している。この矛盾について答えよ』

 その質問に、しばらく間が空いた。

 なにかある。

 アタシは息を呑んだ。

 その瞬間、テキスト画面に、突然警告が表示された。

『これ以上の回答は機密事項のため、認証を必要とする。認証を開始』

 来た。

 アタシは偽装用ツールを操作し、高級将校ACのアカウント情報を使って、認証システムに接続する。

 認証プログレスバーが表示され、伸びていく。

 一〇%、三〇%、五〇%、七〇%、九〇%……。

 永遠とも言える時間を待つ。そして。

『一〇〇%。認証終了』

 と表示され、画面の色が白から黒に変わった。

 ふうっ。無事突破できたようね。

 そう思いながら画面を見ると、軍用機密文書ファイルが表示された。

 その文書の文頭には、

『イグジスト計画概要』

 と書かれていた。

「イグジスト計画」?

 アタシは首を捻った。これがノア三一四の本当の航行計画?

 とりあえずファイルの内容を読んでみる。

 えーとなになに、イグジスト計画とは、太陽系人類の生存を目的として計画立案された実験計画である。この場合の生存には主に二つの目的があり、一つには遭難時の艦艇乗組員の生存を目的とし、もう一つは人類の種の生存、文明文化の保存を目的としている、か。

 一つは今のアタシ達の状況どおりね。でも、もう一つって。

 アタシは疑念を強めながら続きを読む。

 えーと。


 現在太陽系連邦及び星系連合は中心星系と地方星系、植民星系などの関係で成り立っているが、もし中心星系が何らかの理由で壊滅したり、中心星系と各星系の交通や通信などが遮断などされた場合、現状の政治経済構成では地方星系はともかく植民星系の文化文明を維持することは難しく、最悪の場合、中世、及び原始時代レベルまで文明レベルが後退する事が懸念される。

 そこで、植民星系や遭難者などに人工意識やナノマシンアセンブラのアセットなどを送り込み、中心星系との連絡などが途絶した場合でもそこに住む植民者や遭難者などの文化文明が維持できるよう計画立案されたのが、「イグジスト計画」である。


 と……。

 ふむふむ。計画自体はまっとうなものね。でもなんで隠す必要が。

 さらに続きを読む。


 今回はその実験の一つとして、移民船ノア三一四に偽装の乗客を乗せ、それに実験の被験者と大量の人工意識や人工知能、ナノマシンアセンブラをはじめとする文化文明を維持する施設や物資等を搭載し、故意に遭難状況を発生させ、被験者や人工意識などがどう対応し、その地で文化文明が維持・発展できるかどうかを実際に行う実験を行う。

 その被験者として、今回選抜されたのが地球-月間ラグランジュ5コロニー「さんふらわぁ」居住日系人高校生チヒロ・ヤサカと、太陽系連邦陸軍第一火星師団所属人工意識特殊兵士サーティ・ワンことマルム・ヘンダーソン元一等兵曹である。


 へ? なにそれ? それアタシ? マルムって?

 思わずゴクリと息を呑む。

 どういうこと、よ。

 添付されていた人物ファイルを見る。


 チヒロ・ヤサカ。十七歳。地球-月間ラグランジュ5コロニー「さんふらわぁ」生まれ。食料系ハイパーコーポヤサカグループオーナーの長女(人工子宮で遺伝子コーディネイトにより誕生)。さんふらわぁの秋津洲学園高等学校に通学していたが親の事情により退学。その直後家出。

 家出中に所有のサーバロボットのコンパニオンACがイグジスト計画の被験者として彼女を応募し、選考の末選抜される。

 ホモデウス化手術を受けており、不老不死であること、その生い立ちと思想、性格などから計画に親和性が高いと思われる理由などから選抜に至る。


 それはいい。それはいいとして、問題はこっちだ。


 マルム・ヘンダーソン。二四歳。地球旧アメリカ合衆国・ニューヨーク州ニューヨークハーレム生まれ。離婚した母親と二人暮らし。貧困と地球の反文明思想から逃れるために宇宙へ上がり、太陽系連邦陸軍に志願。第一火星師団に配属される。

 しかしながら極秘のうちにウォルラ人のスパイと接触を続け、情報を漏洩。戦争に多大な損害を与える。漏洩発覚後、軍警察により逮捕。

 軍法会議の結果、意識上書刑により人工意識兵士サーティ・ワンの意識を上書きし、イグジスト計画の被験者としてこれに当たらせる。

 サーティ・ワンの性格上、戦闘能力が高く、忍耐力も優れている上、他人への親和力も高いため、今回の実験に的確なため、被験者として投入する。


「えっ!?」

 アタシって、人間じゃないの!?

 その声と思考を放つと、アタシは呆然とした。

 そのまま手をキーボードから離し、腕をだらんと下ろし天を仰ぐ。

 アタシは。アタシは。アタシは!

 マリアやマム達と同じ人工意識だったの!?

 アタシの体は本来はこのマルム・ヘンダーソンって人のもので、あたしの体ではないってこと!?

 ……。

 は、は、は。

 これじゃ、チヒロに好きって言ってもらえないわよね。チヒロは人工意識を道具だと思っているんだし。

 アタシは、アタシは……!

 つっ! 頭が痛い!

 突然何なのこれ! こんな時に冗談じゃないわよ!

 そう思った瞬間、続けざまに何処かから不気味な、でも聞き慣れた声が耳元に響いてきた。

『……あたいの体を返せ』

 えっ、誰? 今の声? アタシの声?

「誰?」

 誰もいない空間に向かって問いかけの声を放つ。

 答えはどこか、いや、自分の頭の中から返ってきた。

『アタシだよ。マルム・ヘンダーソン。お前の体の本当の持ち主だ』

 マルム・ヘンダーソン。さっきのファイルの中にあった名前。

 そして、アタシの夢の中に度々出てきた名前。

 アタシは一人芝居のように立ち上がり、虚空に向かって叫ぶ。

「あなたがアタシの体のほんとうの持ち主として、一体何がしたいの!?」

 そう叫んだ刹那、今度は明瞭な声として、自分の口から言葉が流れ出てきた。

「決まってるだろ。あたいに体を返してもらうのさ!」

 瞬間。

 猛烈な、耐えられないほどの頭痛が襲った。

 倒れ込む。痛覚。転げ回る。リビングの照明がどこか遠くに見える。やけに眩しい。何もかもが遠くに思える。痛覚。何もかもがぼんやりしてきて見えなくなる。痛覚。何も聞こえなくなる。感じなくなる。

 その絶望の闇に捕らわれる前に一つ思ったのは。


 チヒロ。


 その愛おしい名前だけだった。

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