第36話 2-18


 気がつけば、身体情報接続は切れていた。

 アタシはベッドで横になっているのを知った。

 肌にパジャマや下着がびっちりと張り付いているのがわかった。

 ゆっくりと、横を見る。

 チヒロの寝顔がそこに、なかった。

 どこに?

 アタシはハッとなって起き上がり、反対側を向いて部屋中を見渡した。

 いつの間にか、チヒロのサーバロボットが部屋に鎮座していて、それに向き合うようにチヒロの背中がそこにあった。

 小さく安堵のため息を吐く。

 彼女に声をかけようとして、気がつく。彼女、情報世界に入ってる。

 近距離通信で声をかける。

<チヒロ、何しているの~?>

<あっ、サーティ。今、会社で仕事中>

<会社?>

<グランファンタジアとかを作ったり運営しているあたしの会社。TritonWorksというの。会社というかアトリエなのかもしれないけど。来てみる?>

 アタシは問われて一も二もなく首を縦に振った。

<うん、行きたいな~>

<じゃ、招待するよ>

 その瞬間、情報世界接続表示が現れ、いつものように世界が入れ替わった。

 そこは、どこかのオフィスの一室だった。周りの壁には本やおもちゃ、絵など色々なものが置かれ、部屋の中央、やや壁よりに、大きな机が置かれ、そこにホログラフィックスクリーンがいくつも浮かんでいた。

 その机に付随する大きくゆったりとした椅子から、人が立ち上がった。チヒロだった。ちょっと大人めの紺色のスーツを着ている。

「サーティ。ここがあたしの会社、TritonWorksよ。ここはあたしの社長室兼アトリエと言ったところね」

「へぇ~。ここでいつもゲーム作ったり絵を描いたりしているわけ?」

「ええ。でも最近は色々と忙しいからあまりここにいることもないけど。ちょっと外に出てみる?」

 チヒロは部屋の奥の方を見た。見ると、自動ドアがあり、付近には大きなガラス窓があって、その向こうにオフィスのような場所が見えた。あそこがゲームを作る場所なのだろうか。

 どんなところでゲームが創られているのか、楽しみね。

「ええ、行ってみたいな~」

「じゃ、行きましょうか」

 彼女は立ち上がり、アタシのそばまで歩き、一度立ち止まる。それから、手を差し出した。

 アタシは自然と手をつないだ。そして彼女の顔を見る。笑顔だった。

 アタシ達は横並びで歩き出すと、白い自動扉へと向かった。


                         *


「チヒロの会社すごいわね~。あれだけのACとか電脳制作機材とか仮想世界とか抱えてて。本当に大会社じゃない。どうやってあそこまで育てたの?」

 チヒロに会社のあちこちを案内された後。

 アタシ達は会社(という仮想世界)の社内大食堂の一つのテーブルで一休みしていた。

 落ち着いた食堂・カフェテラスのあちらこちらでは、社員たちが食事を摂ったり、休憩したり、ホログラフィックスクリーンを展開して仕事していたりしていた。

 奥の方から情報世界の太陽光が優しく広い食堂を照らしている。

 テーブルには飲み物が置かれているけど、これは情報だから飲んでも意味ないわね。

 チヒロはちょっと複雑そうな表情になって少し下を向くと、

「あたしのくそ親達はね、あれこれ言ってうるさかったけど金だけはよくくれたの。そのお金をACに資産運用させてどんどん資産を増やして、その金で色々買ったのよ。サーバロボットも、たくさんのACも。それで会社を作って、ゲームをいくつか作って、それでまた稼いで、それでまた投資して。それで大きくしていったのよ」

 そう言って照れ隠しに飲み物を飲んだ。

「すごいじゃない~。自分のお金を自分のために使って儲けるなんて、普通の人にはできるものじゃないわよ~。えらいえらいっ」

 アタシが彼女の頭を撫でると、チヒロは顔を真っ赤にする。

「ちょっと、撫でなくてもいいのに。子供じゃないし」

「まだ子供じゃ~ん。アタシも貴女も」

「そ、そうだけど」

「でもね」あたしは頭から手を離しながら目を細めて言葉を続ける。「なりたいもの、やりたいことがあってそれを貫き通すというのは、大人子供関係なく、偉いことだと思うわ。アタシは」

「うん、ありがと。サーティ」

 そう言ってチヒロは御礼の言葉を述べた。

 そういう素直なところが貴女の良いところよ。チヒロ。

 彼女はそう言ったあとで言葉を続けた。

「あたしは何かを創りたくて、そういう人になろうと思ったの。でもクソ親達はそれを許してくれなかった。でも、許してくれなくてもなってやろうと思った。だからこうやって会社を作って、ゲームを作って、世界を作った」

「うん」

「家を飛び出したのも、無闇矢鱈じゃない。超光速通信ネットワークが繋がっているところなら、どこだってゲーム作りはできる。ゲームを売ることができる。事実、旧世紀のインターネット時代には、世界中でインディーズゲームがたくさん創られていたし。その究極がマインクラフトだわ」

「世界を作るゲーム、ね」

「昔は娯楽がありすぎて、じっくり遊んだり観たりするゲームや動画などが『タイパが悪い』と敬遠された時代もあったわ。その頃はまだ人には寿命があって、時間が限られていたから。でも今は違う。今は人類はホモデウス化して不老不死になり、ACという不老不死の存在がいる。いくらでも長い時間が必要な娯楽は、息を吹き返したのよ」

「なるほどね」

「あたしはそういうコンテンツを創るクリエイターになりたかった。ゲームだけじゃない。アニメとか、映画とか、そういうものを創りたかった。昔は一人で大掛かりなゲームやアニメを創るのは不可能に近かったけど、今ならACや情報世界があれば一人でも創れる。だからあたしはなりたかったのよ。そういう人に」

 そこまで話を聞いたアタシはもう一度目を細めて、それから指でチヒロのおでこを弾いた。

 彼女が驚いた顔を見せる。何、と。

 ふふっ、気がついているのかいないのか。本当、可愛い子ね、チヒロって。

 そして彼女に向かって言った。

「なれてるじゃない。そういう人に」あたしは微笑みを彼女に送った。「なりたかったじゃなく、なれてるじゃない。そういうところは誇ってもいいわよ。貴女は十分自分の力で生きている。立っている。だから貴女は十分大人よ。チヒロ」

 アタシはテーブルに置かれた彼女の手に自分の手を重ねた。彼女の手のぬくもりを感じた。

 仮想世界でのぬくもりだけど、そのぬくもりは、まごうことなく現実だ。

 アタシの仕草に、チヒロの頬が少し赤らむ。

「そんな事言われても、何も出ませんよ」

 そう言って横を向いてしまう。でも、目はこちらの方を向いている。

 繰り返すけど、チヒロはやっぱり可愛いと、こういう時本当に思う。

 ちょっと単純そうに見えるところも含めてだけど。

 そんな事を考えていると。

 小さく足に、何かがぶつかる感触が何度かした。

 不思議に思っていると、もう一度コツンコツンとなにかがぶつかってきた。

 あ、これ。

 チヒロの足先だ。

 こういう時、これって。

 アタシは彼女に向かって小さな声で問いかけた。

「チヒロ、もう一度したいの?」

 アタシの問いにチヒロは顔をこちらに向けると、小さく一度、コクっ、とうなずいた。

 良かった。OKサインだ。

 今度は、気絶するまで何度も逝かせてあげるわ。夜は長いし。

 ちょっと、この後でやっておきたいことがあるしね。

 そのためには、チヒロにはぐっすり眠ってもらわないと。

 アタシが乗せた手をぎゅっと握りしめると、彼女は少し慌てた様子でホログラフィックスクリーンを目の前に出すと、

「ち、ちょっと待ってて。スタッフの皆に指示を出さなきゃいけないから。それから一緒に行こう、ね」

 そう言って残った手でホログラフィックスクリーンを操作し始めたわ。

「良いわよ慌てなくて~。時間はゆっくりあるし、ねっ」

 そう言ってアタシはテーブルの上の手を優しく撫で始めた。

 テーブルの下で、こつん、とまた一つ足を蹴られた。


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