第22話 2−4


 現実に戻るのはいつだって不快だ。

 

 あたしはゆっくりと両目を開いた。

 情報世界のあたしの部屋と同じ色・模様の壁紙にしたシェルターの自室の天井がうっすらと瞳に飛び込んできた。

 次第にピントが合っていき、部屋の光景が鮮明になっていく。いつもと変わらない部屋だった。

 起きてしまった。

 これからケーキを食べるはずだったのに。

 畜生、畜生。あたしの体め。いいところで。

 とその時、お気に入りの曲に設定したコール音が耳元で鳴り響いた。

 あ、カレンちゃん達からだ。出なきゃ。

 上半身を起き上がらせる。この星に来てから作ってもらった、蒼のパジャマを着ているあたしは、目の前に浮かんでいる通話アイコンを押した。

「もしもしもしもし? チヒロちゃーん?」

 カレンちゃんの元気な声が耳に飛び込んできた。

 同時にウィンドウが開き、カレンちゃんの明るい表情を映し出す。

「あ、もしもしカレンちゃん。ごめん、いいところで接続限界が来ちゃった」

「いいよいいよっ。また今度ということででっ。明日も学校あるしねー」

「うん。今度は現実店舗で食べようよ。生体型のボディを使ってさ」

「いいねいいねっ。でも、あの体作るの面倒だしだしー」

「まあね、お金かかっちゃうしね。じゃあ、また明日」

「うん、また明日明日〜。ばいばいー」

「ばいばーい」

 元気に手を振るカレンちゃんに混じって周りのみんなの声が聞こえた後で、通話ウインドウは小さな電子音を立てて閉じられた。

 振っていた手を止め、ちょっとばかりため息をつく。

 やっぱり人間とACって、違うよね。いくらホモデウスになったとしても。

 それに、ACはどこまで行っても結局は人間の道具だとあたしは思う。

 ACや人型ロボットは人類を継ぐものになる。既に、管理型オーバーシンギュラリティACという形で人類を支配しているではないか。そう断言する人も多い。

 でも、所詮道具は道具なのだ。道具を大事にすることはあっても、道具に恋したり、道具を愛したりすることはできない。あたしはそう考えている。

 そして人間も自分も、その道具に過ぎないのだと。

 だから、太陽系を出る時にあたしはあたしの体を使った。ノア三一四に乗るために。

 その事に後悔はない。だって、あたしの体は道具なのだから。

 でも……。人は完全には道具になれない。そうとも思う。

 なれるものなら、道具になりたい。機械になりたい。ホモデウスでも、まだ足りない。

 道具を超えた道具に、なりたい。

 さて、起きて食事を取ろうかな。グライシアでは深夜、太陽系時間では夕方を迎えている頃だ。

 キッチンでお母さんかアヤネちゃんが、夕食を作っているに違いない。

 うん、ご飯を食べよう。そしてお風呂に入って寝て、明日に備えよう。

 じゃ、起きますか。

 あたしは布団をはねのけて、ベッドから降りた。スリッパを履く。

 部屋を出てリビングへ向かうと、そこにはサーバロボット達がいた。けど。

「あれ、増えてる?」

 サーバロボットの数が三体から九体に増えていた。

 その時、キッチンの方からいつもの優しく温かい声が飛んできた。

「あら、起きたのチヒロ?」

 お母さんだ。室内着にエプロンを着ている姿のホログラム……、ではなく、実際に物理肉体を持っている。生体型のボディを作ってもらって、そこにACをインストールしたのだ。

 アンに頼んで、みんなの体を作ってもらったのだ。

 そんな事はともかく、この新しいサーバロボット達の事だ。

「うん、起きたよ。でもこのサーバロボット……」

「アンさんからのプレゼントですって。これからの生活などに便利だと思うから、使ってみてって」

「学校にいる間に届いたの?」

「そうよ」

「じゃあ後でありがとうって言っておくわ」

「そうね。お礼は大事だからね」

 あたしは近づいてきた新しいサーバロボットの一体の頭部を優しくなでた。

「よろしくね。新入りさん達」

 でも、なんでこんな時に。なにか、あるのかな。

 何もなければいいけど。

 あたしの中に、嬉しさと疑い、問いが入り交じるのであった。


                         *


 帰ってきたお父さんやお姉ちゃん達と一緒に夕食を食べて、それからお風呂に入って、上がってからちょっとばかし(?)ゲームとかサーティと明日の相談とかをして、それから眠りについたのは地球時間の午前一時ぐらいの事だった。

 そして、夢を見た。

 いつものクソ両親が出てくる夢じゃなかった。

 

 その夢とは……。


「良かったよ」

 裸のあたしはベッドの上でぼんやりしながらその男の声を聞いていた。

 股間にわずかな痛みと心地よい違和感が残っている。

 あたしは一度起き上がり、声を振り絞って尋ねる。

 Yシャツを着ている途中の男の背中が見えた。

 あいつが、あたしと……。

「あの、お願いは……」

「もちろん叶えてあげよう。今度出発するニューオーストラリア行きのノア三一四。その空いている船室の席を用意してあげるよ。いいね?」

「はい……。ありがとうございます」

 ベッドから立ち、背中を向けたままの男に向かってあたしは言うと再び横になろうとした。

 しかしその時、呼び止める声がした。

「あのさ、また太陽系に帰る用事があったら、またお願いできるかな? 今度はもっと代金は弾むからさ」

 そう言って男は振り返った。

 男の顔は、なかった。

 ぬっとしたのっぺらぼうなのか。モザイクのようなものに遮られているのか。

 わからなかったけど、男の顔は見えなかった。

 男の顔のない顔を見た途端、あたしの口から、

「夢……?」

 という言葉が何故かこぼれた。

 その時、世界は暗転した。


 あたしは次の瞬間には、両目を開けていた。

 そしてゆっくりと上半身を起こす。

 いつものシェルターの部屋だった。

 はっきりとした覚醒の感覚。

 気持ちいい目の覚め方というのは、こういうものかもしれない。

 けれど。

 あたしは今見た夢が夢でないことを自覚していた。

 あれは、自分が実際に体験したことだ。

 ノア三一四に乗るために、面接官に体を売って、移民船に乗せてもらったのは事実で、その行為の様子も事実なわけで。

 気がつくと、股間は濡れ、わずかに気持ちいい感覚も残っていた。

 覚えているんだ、体が。

 あたしは気恥ずかしさを覚えながら、ベッドを降りた。

 パンティ、取り替えよう。

 脳内の時計アプリで、時刻を確認する。

 地球時間で、朝の六時だ。グライシア時間でも、朝の六時。

 よし。今日は休日だ。あれこれやってご飯を食べて、着替えたらサーティとデートだ。楽しみだな。

 まっ、その前にまずはパンティ取り替えなきゃ。

 あたしは部屋に備え付けのタンスの下着入れを開けると、代わりに履くパンティを探し始めた。

 でも、下着を探しながらあたしは思う。


 あの「現実」が本当に現実なのか、誰が保証してくれるのだろうか。


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