第9話
男はぴくりとも動かず、どうやら逢魔の蹴りで気を失ってしまったようだ。
勇紗はぽかんと口を開けて、一連の出来事を見ていた。
(えーと、今、何が起こってるんだろ)
なぜ逢魔がここにいるのだとか、逢魔の蹴りが綺麗に決まってすごいだとかを率直に思ったものの、連れて行かれずによかったと正直に思った。
ついでに、あの細い身体のどこにこんな力があるのだろうと勇紗は不思議に思ったが、自分も説明できない力が働くことがあるのでそれと同じかと妙に納得した。
「――――大丈夫だった?」
その場から動けずにいると、煩わしそうにスカートの埃を払い終わった逢魔が傍まで来てそっと手を差し伸べてくる。
心なしか、少し心配そうだ。
「う、うん。でも何もない所で私が勝手に転んだだけなの」
「なんですって!?」
無実の人間を蹴飛ばしてしまったのか、いやでも聖が嫌がってたのは事実だし、と逢魔が狼狽えている姿に不謹慎だが可愛いなと思ってしまう。
「それより優ちゃん、どうしてここに?」
「え?」
何の考えもなしに飛び出してしまったことに、逢魔は視線を泳がせている。
どこから話を聞かれていたのだろうかと思ったが、この様子では大丈夫そうだ。
「た、たまたまよ」
目を泳がせて言う姿に思わず笑みを浮かべる。
本当に心配して来てくれたんだと、じんわり胸が温かくなった。
「……でもね、優ちゃん、暴力はダメだよ」
そう言って、逢魔の鼻先をちょこんとつついた。
実は逢魔に吹き飛ばされたのは兄だったのだが、体は人一倍丈夫なので心配ないだろう。
(一応、後で謝っておこう)
「あ、あれは仕方がなく」
「うん、助けに来てくれたんだよね。ありがとう」
自分の為に来てくれたのが、本当に嬉しかった。
本当は兄に告げずに勝手に転校したことがバレて実家のある英国から兄が迎えにきていたのだが、もう少し秘密でいさせてもらおう。
やる事があるからと説得してみても聞く耳を持たなかったので、これはこれで助かったのかもしれない。
と言っても、簡単には諦めてくれないだろうなと小さく溜め息を付いた。
「怪我してるから、とりあえず学校に戻りましょ」
勇紗の手を取ると、ゆっくりと来た道をまた戻り始めた。
前を歩く逢魔の綺麗な黒髪が風に靡いてサラサラと音を立てるのに、つい手で触れてみたくなる。
触れたら君は怒るだろうか、機会があったら怒られない方法を考えてみよう。
こうして手を握っていると、魔王だった時の姿が重なる。
最後の時、哀しそうに笑った魔王の顔がずっと忘れられなかった。
本当は仲間想いで好奇心旺盛で甘い物が好きで、よく笑う顔を知っていたから、最後にそんな風に笑うなんて思いもしなかった。
だからもし再び会ったなら、悪いことをするなら絶対に止めて、そして必ず笑顔にしてみせると誓った。
今度こそ、この手を離さないと勇紗はギュッと握りしめた。
「どうしたの? 傷が痛む?」
立ち止まってこちらを気遣う逢魔に、勇紗は首を勢いよく横に振った。
「ううん。優ちゃんのこと好きだなぁって」
「な! ななな何を馬鹿なこと言ってるの!?」
逢魔は少しつり目がちの瞳を丸く開くと、耳まで染まったのを隠すようにそっぽを向く。
おかげでこちらが赤くなっているのには気が付かないでいてくれるようだと、勇紗は胸を撫で下ろした。
「冗談言ってないで、早く行くわよ」
「うん」
ごめんね。
本当は記憶があることをすぐにでも打ち明けてしまいたいけど、きっと驚くだろうから。
だから、もう少しだけこのままでいさせて。
異世界で勇者と魔王だった二人は、繋いだ手をどちらともなく握りしめると、夕暮れの中を歩き出した。
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