EX1

 学校に戻ってきた勇紗は、逢魔に連れられて保健室の前まで来ていた。


 大したケガではなかったので水で流すだけでよかったのだが、言うタイミングを逃してしまい現在に至っている。


 逢魔は失礼しますと言うと同時に、勢いよく扉を引いた。


「って誰もいないじゃない」


 あの校医サボってるんじゃないでしょうね、と口にしながらも奥へ進んで行く。


「さ、ここに座って」


 するりと外された手に寂しさを覚えつつも、促された先へ静かに座った。


「先生いないけどいいの?」

「いいのよ。引蛇ひきだ先生は私の……知り合いだから」


 引き出しをあさっていた逢魔はこちらに向き直ると、消毒液の染み込んだ脱脂綿をそっと押し当ててくる。


 じわりと広がる痛みで表皮が痺れたが、勇者をしていた時に比べたら大したことはない。もっとも、あの時は回復魔法リフィルや回復水リアクアがあったので長くは続かなかったが。


 それに、今は痛み以上に気掛かりなことがあってそれどころではない。

 手は汗ばんでいるし、きっと視線もどこか泳いでいることだろう。

 勇紗の緊張はかつてない程の最高頂に到達していた。

 それもそのはず、あの魔王が自分に膝を付いているのだ。


 かつて魔王だった人に膝を付かせているなんて、本当にいいのだろうか。


 なんだか後ろめたさと背徳心で、とてもじゃないが落ち着いていられない。


 思わず視線を落とすが、それを痛みに耐えていると勘違いしたのか、心配そうな面持ちでこちらを見上げてきた。


「痛くない?」

「う、うん」

「そう」


 ほっとしたように少しだけ口角を上げる姿があまりにも可愛くて、気が付けば手が勝手に逢魔の頭を撫でていた。


「…………なに? 埃でも付いてた?」

「え? うーん。付いてた、かな?」


 なんで疑問系なのかと訝しがる相手に、慌てて話題を変える。


「優ちゃん、手当するの慣れてるね」

「ええ。うちにしょっちゅうケガする馬鹿がいるからね」


 テキパキと大きめの絆創膏を貼る逢魔を見ると、魔王だったことなんて忘れてしまいそうになる。


 思えば、今こうして逢魔と話していることが奇跡に近い。

 こちら側に来てから、逢魔を探し出すのには時間を要した。

 何せ、彼女が転生出来ている保証もなかったものだから、どこにいるかなんて検討もつかなかった――――。



 魔王との決戦から半年が過ぎようとした頃だった。


 『sword soul』という剣を扱うスポーツの雑誌を見ている時だった。


 記事の片隅に『無差別級全国剣道大会で十六歳の少女が男性有段者を制す!』などと信じがたい見出しが飛び込んでくる。


 その横の小さな写真に目を移すと、優勝者であろう少女の試合姿が写されていた。

 よく顔は見えないが、直感で魔王だとわかった。


 伊海学園高等学校。

 そこからは家族の説得と手続きとで更に一年近くの時間がかかってしまったが、なんとか転校に漕ぎ着けることが出来た。


 後は、彼女がまだいるだろうかとか、同じクラスになるだろうかとかの心配はしていなかった。

 自分が他人よりも運が良いことは自覚している。

 だから、行けば会える予感があった。


 転校初日、その予感は的中し、すぐに彼女を見つけることが出来た。

 窓の外を見つめる横顔。

 その睫が揺れているのを見て、本当はすぐにでも抱きしめて謝りたかった。

 でもそれは彼女の今の生活を壊すと思ったし、何より自分が嫌われるのが怖くて出来なかった。


 指に触れてからは確信に変わる。

 きっと魔王もこちらの正体に気が付いただろう。

 てっきり敵愾心を顕わにしてくるかと思ったが、違った。

 時々、背後から見られている気配もわかったし、勇者の記憶を探られる時もあった。


 でも、無理に聞き出そうとする様子もないし、やっぱりこの魔王は自分が思った通りの人物だった。


 優しくて、可愛くて、誰よりも輝いていて。


 私の大好きな――――。


「優ちゃん」

「何?」


 勇紗は立ち上がると、スカートの皺を整える逢魔の傍に近づいた。


「ありがと」


 そして手当と再会出来たことに感謝を込めて、その白い頬に唇を寄せた。


 ちゅ。


「………………」

「優ちゃん?」


 動かないままでいる逢魔に、どうしたのだろうと小首を傾げた。


「あ、あなた何をしたかわかってるの!?」


 頬に手を当てながら、大きい眼をさらに見開いてこちらを睨み付けてくる。


「えーっと……お礼?」

「――――っそこに直りなさい」

「は、はい!」

「いくらあなたが帰国子女だと言っても、この国はそう言う文化がないの。わかる? 普通はむやみやたらにキスしないの。例えほっぺであったとしてもよ!」

「えっと、ごめんね?」

「――――――ッ!」


 物言いたげに口を開いているが、声には出ないようだった。


「もう、いいわ!」


 そう言うと、眦をつり上げて扉へ向かって行く。


「え、優ちゃん……」


 どうしよう。


 気に障ったのだろうかと、頭の中が真っ白になる。


 何か話さなければいけないのに、呆然と後ろ姿を視界に入れることしか出来ない。

 すると、逢魔はふいに扉の前で止まり、長い髪を揺らしながらこちらを振り返った。


「早く帰るわよ」


 勇紗は初め理解出来ずに、数秒瞼をしばたいて目の前の人物を見つめる。

 どうやら自分を待っていてくれるようだ。


 勇紗は笑みを浮かべると、逢魔の後を追いかけたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る