第5話

「――――うっ」


 触れたかと思った瞬間、力の抜けた氷椿が倒れ込んできた。


「大丈夫!?」

 視界に現れたのは、息を切らせた勇紗だった。

 氷椿さんには眠ってもらっただけ、と勇紗が氷椿を床へ横たえる。

 どうやら間一髪のところで気絶させてくれたようだ。


 氷椿を受け止めたまま呆然と早まる心臓の音を聞いていた。


 普段冷たい表情のくせに、ふとした時に見せる表情だとかに弱い自分がいる。

 心臓に悪いので急には止めていただきたい。


「優ちゃん?」


 声を掛けられて、勇紗に見られていることに気付いた。


「こ、これは違うのよ! この子たちはちょっと今調子が悪くて――」

「優ちゃん、危ない!」


 勇紗は咄嗟に竹刀を取ると逢魔を抱きかえ、向かい来る蔦を左右に弾いた。

 胞子が効かないとわかったからか準備期間が終わったのかはわからないが、急に蔦がこちらのに向かって攻撃を始めたのだ。


 大人しかった先程までの様子とは異なり、左右に生えた二本の蔦を打ち付けてくる。

 それを物ともせずに竹刀で薙ぎ払う勇紗。


 ――――強い。


 勇紗の後ろ姿を見ながら、息を呑んだ。


「はあぁぁッ!」


 勇紗の纏っている空気が、変わる。

 光を纏った刀身が一直線に煌めいた。

 とくん、と心臓が跳ねる。


 あれは勇者と同じ技。彼女はやっぱり――――。


 まるで眩しいものを見たかのように目を眇める。

 勇紗の一閃を受けた敵は、奇妙な呻き声を上げると本体部分を縮めて動きを止めた。


「立てる?」


 柔らかそうな金色の髪を揺らして、こちらを振り返る勇者に目を逸らせなくなる。

 心配そうに覗き込む瞳。


 勇者ではないと疑ったことはないが、間違いないのだと改めて実感させられていた。

 差し出してくる手を掴めずにいると不安そうに睫が揺れる。


「怪我、した?」


 首を傾げながらのぞき込む勇紗に慌てて頭を振り、ゆっくりと手を握った。


 最初から勇者とわかっているのだ。

 今更、何を動揺する必要があるのだろうか。


「お兄さんを連れて離れていて」


 わたくしは魔王。

 だから勇者の力を借りなくても大丈夫。


 そう自分に言い聞かせる。

 勇紗から体を離そうとすると、強い力で逆に手を取られた。


「ダメだよ」

「――――――ッ」

「何をしてくるかわからないし。それに皆も心配だから」

「後はわたくしが何とかするわ」

「私も残るよ」


 言い放つ勇紗の顔を見て目を見開いた。

 先程から、心臓が締め付けられていたのは昔を思い出したからだ。


 あの時、魔王城での最後の時。

 勇者と対峙した時と同じ表情。

 強い意志でこちらを射貫く、それでいて少し不安を含んだ瞳。


 気が付くと、勇紗に向かって大丈夫と口にしていた。


「わたくし一人で十分よ」

「でもッ」


 どうしてこんな気持ちが湧き上がってくるのか、わからない。

 わからないけれど、なぜかあなたには普通の世界で笑っていて欲しいと思う。


 勇者だとわかっていても。

 否、勇者だからかもしれない。


 握られていた手を強く握り返し、正面から勇紗を見つめた。


「お兄さんの具合、悪そうだから離れてて」


 ゴホゴホと咳き込んだ兄の姿を見て、勇紗はぐっと言葉を飲み込んだ。

 勇者の血縁者のおかげか氷椿たちのような効果は出ていない様子だったが、勇紗は先程から倒れ込んだアルベルトに付きっきりでいた。


「オレノイモウトハセカイイチダ!!」

「お兄ちゃん!?」


 急に叫びだしたアルベルトは、そのまま譫言を繰り返しながら廊下へ走り去っていく。

 変な言葉を発していたようだが、あの植物の所為で奇行に走ってしまったのだろう。


「行って」


 一人だけ奇行に走っているのは勇者と血縁関係にある所為か、魅了と同様に他の生徒とは術の効き具合が違うのかもしれない。


 勇紗は頷くと、握ったままでいた左手を持ち上げた。


「貴女にご加護を」


 静かに呟くと逢魔の指先に唇を寄せ、まるで祈るように長い睫を伏せた。

 その姿に目を奪われて身動ぐことができずにいる。


「優ちゃん、気を付けてね。すぐに戻ってくるから」


 心配そうにこちらを振り返る勇紗の姿を呆然と見送ると、大きく息を吐き出した。


 毎回、あの勇者はこちらの心臓を止めようとしているんじゃないだろうか。


「勇者、やるわね」


 今はそんなことを気にしている場合ではないと、動きを止めている植物へ視線を向けた。


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