第4話

 空き教室へ移動した二人はお互い竹刀を構えて対峙していた。

 一つに結んだ黒髪がさらりと揺れる。


「慣れていない竹刀でいいのかしら」

「フン、貴様ごときに心配される謂われはない」


 アルベルトは持っていたフェンシング用のサーブルではなく、こちらに併せて竹刀で闘うと言う。

 異種競技対抗も面白そうだと思ったのだが、ルールが違うので勝敗の付け方が面倒うなので、これはこれでいいか。


「それより観客が増えたようだが?」


 そうなのだ。

 生徒たちを帰したと思ったら、どこから聞き付けてきたのか、怒り心頭な氷椿ひょうぶと確実におもしろがっている印童までも外野にいるのだ。

 ちなみに氷椿ひょうぶれいは、昔は側近、今は生徒会副会長という仲だ。


「応援してるよぅ!」

「……会長、仕事」

「―――やば」


 玲は勇者の兄との決闘に怒ってる訳じゃなくて、生徒会の仕事しない方に怒ってるのか。

 うん、聞こえなかったことにしよう。


「一本勝負よ」

「いいだろう」


 正眼の構え――剣先は相手の喉元へ。

 勇紗の兄だからといって手を抜くつもりはない。


「始め!」


 勇紗の合図で二人は、ほぼ同時に飛び出した。


「ハァ!」


 竹刀が交差し、一手、二手と弾かれたように放たれる剣戟。

 相手が剣道の型ではない為か、もはや剣道の試合と言っていいのかわからないが。

 それでも、本気で打ち合って立っていられる相手に不足はない。

 より一層、激しい音を立てて鍔同士が競り合った。


「やるじゃない、聖ほどじゃないけど」

「当たり前だな。俺の妹は世界一だ」


 両者とも笑みを浮かべた瞬間、


「――――!?」


 突如として鳴り響く爆発音。

 思わず音のした方を見ると、廊下から煙が立ち込めていた。

 いつの間にか氷椿が傍に立ち、声を潜めて辺りを警戒している。


「魔王様、今のは……」

「――――これは、どういうこと?」


 微弱ながら、この世界ではいないはずの魔物の気配を感じる。


「わかりません。今まで魔力を感じたことなど一度もなかったはずですが」

「魔王ちゃん、あたしが様子を見てきます」


 印童が歩みを進めようとすると、廊下をドタドタと走る音が聞こえてくる。


「あーん! まおうさまぁ~!」


 教室の扉が勢いよく開け放たれ、内股で走ってきた引蛇が逢魔に駆け寄ってきた。


 その後ろからズルリと何かが這う音が響く。

 それは何かが地を這う音。

 動きは緩慢だが、明らかに害を成すものだと直感でわかる。

 遅れて姿を現したのは、巨大化した植物だった。


「あの花……」


 昼休みに引蛇から見せられた珍しい花を付けた植物と同じ模様の花びらが、目の前に飛び込んでくる。


「生徒たちが急に眠りだしたと思ったら、いきなり大きくなったのよ~!」

「さっき見た時には魔力なんて感じなかったのにねぇ」

「とにかく、今はあの植物をなんとかする方が先よ」


 花を窄めたかと思うと、その口から部屋中に白い胞子を散布した。

 部屋一面に煙のように広がっていくそれは、咄嗟に口と鼻を塞いでも入り込んできそうな程の量だった。


「ぐっ、なんだこれは! 異様な眠気が……」

「お兄ちゃん!」


 膝を付いたアルベルトを寸前のところで勇紗が支える。

 先程、引蛇が言っていた生徒たちが眠ったと言うのはこの所為か。


「魔王ちゃん、これヤバいかも……」

「なんなのぉ……?」


 印童と引蛇は苦しそうに胸を掴むと意識を失ったように床へ倒れ込んだ。


「二人とも!」


 どうしたのかと慌てて傍へ駆け寄ったが倒れたはずの二人は勢いよく上体を起こした。


「大丈夫だった――」


 大丈夫だったのかと、次の言葉を紡ぐ前に左右から同時に腕を掴まれる。


「ッまおうちゃん!」


 引き寄せられた腕の力があまりに強くて目を丸くする。


 荒くなった呼吸。焦点の合っていない瞳。


「ワタシがギュッてしてあ・げ・る」

「あたしのことは好きにしていいのよぉ」


 ダメだ。

 確実に正気ではないな、これは。


 迫ってくる二人はいつもの冗談交じりのものではない。

 原因はあの胞子だろうが、いつあの植物が襲い来るとも限らない状態なのは非常に不味い。


「離しなさい」


 身を捩って離れようととするが簡単には振り解けそうになかった。


「わたくしの命令が聞けないの?」


 とてもじゃないが話が通じる感じではない。

 魅了で上書きしてみるか。

 いや、魔力の少ないこの状態では、かけ直しは難しいか。


 ――――仕方がない。


 二人には悪いが強制的に従ってもらうとしよう。


「此に於いて拝聴せよ、我が闇の従属たちよ――」


 手の甲に紋章が浮かび上がり、それと同様のものが二人の額に現れる。

 それは前世より魂に刻まれた誓約。

 魔王とその限られた側近が交わした永劫の忠誠。

 何者もその誓いは破れはしない。


「眠れ」


 一瞬、赤い閃光が辺りを包む。

 逢魔の開かれた眼が意志を持ち、固まったままの印童と引蛇の全身を駆け巡る。


「魔王ちゃん、ごめんね」


 糸の切れたように床へ倒れ込んだ二人と同時に、逢魔も膝を付いた。


「――――ッ」


 頭が酷く痛む。

 元々、魅了耐性のある二人に契約とは言え術の上書きした為、この世界の魔力量では一時的に魔力不足――貧血のような状態に陥ったのだ。


 おそらく少し待てば回復するだろうが。


「まったく、魅了する側のあなたたちが掛かってどうするの」


 魔力のない状態ならば掛かるのは当然とも言えるが。

 生徒たちは寝てしまったというし、勇紗の兄であるアルベルトは苦しそうにしているのは勇者の血筋だからか。


 となると魔族だったものには睡眠ではなく、催淫作用があるのだろうか。


「玲、どう思う?」

「魔王様」

「玲?」


 この状況を一番把握出来ているであろう氷椿を振り返った。


「――――お慕いしております」


 普段見せないような、上気した顔を寄せてくる。


「まさか、あなたまで……」

「いつまでもお側に――――」


 頬に手が触れる。

 湿らせるように舐められる舌。

 普段からは想像も付かない姿に、心臓が跳ねる。


 これは、かなりまずい。


 先程の二人へ使用したばかりなので、この上更に術を掛け直すには時間が必要だ。


(ダメ、間に合わな……)


 玲の薄い唇が近づいてくる。

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