第7話
なんで必死になって走っているのだろう。
風を切る音と自身の息を吐く音だけが、うるさいくらい頭の中に響いている。
魔法が使えれば一瞬であの子の元へ行けるのに、人間の身体はなんて不便なのかしらと気が付けば息を切らしながら笑っていた。
かつて魔王と勇者が闘った
そこでは何千年も前から人族と魔族が互いに殺し合い、憎しみ合っていた。
「それが嫌で停戦を持ちかけたこともあった……」
逢魔優こと第九十九代魔王ユウスティス・ブラディガルドは魔王の座に付きたかった訳ではなく、ただ頂天に立っていたいだけの魔族だった。
人間を憎んでもいないし国境の小競り合いにも興味はない。
ただ自分の強さを試したいが故に闘いが好きな単なる負けず嫌いであって、殺しが好きな訳ではなかったのだ。
「わたくしは仲間さえ殺されなければ、人間なんてどうでもよかったのだけれど」
勇者が現れたという噂が流れた直後、休戦交渉を持ちかけたこともあった。
その交渉の間一時の和平もあったが、結局約束が交わされることはなく争いが激化。
痺れを切らせた魔王は、争いが絶えないのならば一方的に従わせてしまおうと世界征服を企んというのが主な流れだ。
――――そして。
あれは人間たちの王都を目指す直前の頃だった。
勇者とその仲間たちは怒濤の勢いで魔族を圧倒すると魔王軍は壊滅状態に陥り、終に勇者たちは魔王の前に現れた。
「――――よく来た、勇者よ」
「………………」
王座から見やるが、銀の鎧を身に纏った勇者の表情は兜で覆われて分からない。
今まで数度闘ったが、その素顔は一度たりとも見たことがなかった。
それどころか、声も聞いたことがない。
密偵を放ってみても勇者の正体はなかなか掴めないでいた。
魔王は人差し指をクイッと下から上に持ち上げると、勇者と仲間の間に氷で出来た厚い壁が出現する。
仲間達は慌てて破壊しようとするが、勇者は一人黙していた。
少しは慌てるかと思ったのにつまらない。
「魔王様、奴らは私にお任せください」
隣に立つ銀髪の悪魔が、返事も聞かずに駆け下りて行く。
「そうね、これで終わりにしましょう」
勇者より高見にある座から悠然と立ち上がると、掌から凝縮した雷魔法を放ち、佇む勇者に先制攻撃を行った。
しかし、すぐさま反応した勇者は腕を翳すと、身に付けていた装飾品に魔法が吸い込まれていく。おそらく反魔法が織り込まれた物で無効化されたのだろう。
勇者は鞘から剣を抜き放つと、魔王もまた漆黒に彩られた剣で応戦した――――。
それから攻防がどの位続いただろうか。
勇者が薙いだ剣戟に、魔王の剣が吹き飛ばされていく。
魔力も武器も体力も尽きた魔王の喉元に、勇者は剣を突きつけた。
「くっ、殺しなさい!」
しかし、勇者は剣を下ろすと銀製の兜を外した。
てっきりいけ好かない美丈夫が勇者だと思っていたが、中から現れたのは花が綻んだように可憐な美少女だった。
「殺さないよ」
「…………生け捕りにして晒し者にでもするつもり?」
それも似合いの最後だと嘲るように笑うと、違うと勇者は叫んだ。
「あなたが好きなの」
いきなり何を言っているのだろうこの勇者は。一瞬、思考が停止する。
「……あなた、自分が何を言ってるかわかってるの? わたくしは魔王で、あなたの敵よ」
「君が世界征服を諦めて、出来れば一緒に逃げてほしい」
「――――ば、馬鹿じゃないの!」
わたくしとあなたは敵同士で、種族も違って、何より倒すべき相手で。
「ばかでもいいよ。でもこれは本心だから」
真剣な顔から嘘や諧謔の類いではないだろうことは窺える。
「…………無理よ」
ここで自分が折れては、死んでいったあの子たちに申し訳が立たない。
それにもう、自分には守る者も何もなくなってしまった。それを受けることに何の意味も見いだせない。
「――――ッ!?」
勇者が話を続けようとした瞬間、轟音と共に地面が激しく揺れた。
「早く逃げなさい」
崩壊が始まったのだ。
魔王城は魔王の魔力で作られた城だ。自身の魔力が尽きれば自ずとその役目を終える。
「君も一緒に!」
「わたくしはもう、疲れたわ」
先程よりも大きな揺れが起こる。天井は崩落し、床は地下深くまで倒壊を始めた。
魔王の真下に大きな亀裂が走る。
「はやく!」
魔王は二つに分かれた先へゆっくりと呑み込まれていく。
背中の翼も動かない。これでやっと終わった、そう思った時だった。
「あ、ぐ――――ッ」
魔王の左手を勇者が身を乗り出して掴んでいる。
「はやく、両手で掴んで」
「…………何を」
勇者が魔王を助けるだなんて聞いたことがない。
信じられないものを見たように、歯を食いしばる勇者を見上げた。
すると、ぽたりと頬になにかが落ちる。
血だ。
先程まで闘っていたのだ。
自分がこんなに消耗しているのだから、相手だって無傷な訳がなかった。
苦痛に歪んだ勇者の表情が不意に滲む。
何かと思えば、頬に伝うものが視界を揺らしているのだとわかった。
「ほんと、ばかなゆうしゃ」
掴んでいた手を思い切り振り払う。
勇者の瞳が揺らいだのがはっきりと見えた。
「……――――ッ!」
その時の勇者が何と言ったのかは聞こえなかったが、きっと罵倒の言葉だろう。
暗い底へ落ちていく。
意外と呆気ない最後だったなと全身の力を抜いた。
その時、てっきり死んだと思った。それでもいいとさえ考えていた。
――――だが予想に反して、魔王は再び目を覚ます。
一緒に闘った仲間とこの世界でまた出会えた。
そして勇者とも。
『あなたが好きなの』
あの時、魔王と言う地位にいた自分には、なんて答えるのが正解なのかわからなかった。
いや、実を言うと今もその答えはわかっていない。
あの時はどうすることも出来なかった。
しかし、あの時の勇者の瞳が忘れずにいた。
そして、再び出会った時の特別な感情は、他の誰でもない、勇者只一人に向けられた特別なものだ。それに。
「わたくしは世界征服する女よ。なんの遠慮がいるのかしら」
だから、勇紗の隣にいることに躊躇する必要なんてないし、堂々と一緒に帰ってやればいい。
今度きちんと生徒会のメンバーに紹介してやろう。
最初は反発されるかもしれないが、きっと仲良くなれるはずだ。
この気持ちはまだ、言葉にはできないけれど。
学校から程近い河川敷に向かって駆ける逢魔は、雲が晴れたような清々しい顔で笑っていた。
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