第4話

 遠くで生徒たちの声が微かに聞こえる廊下を、二つの足音が静かに響く。

 最終下校時間が迫る中、きっとどの部活も慌ただしく片付けに追われているのだろう。

 階段に差し掛かった時、勇紗が声を上げた。


「見て、夕焼けが綺麗だよ!」


 階段の踊り場は大きなガラス張りになっており、そこから見える橙に染まった街並みを指さしてはしゃいでいる。


 その横顔の方が綺麗だと率直に思った。


 夕陽に視線を向ける勇紗の瞳は碧い宝石のように輝き、懐かしそうに、少し寂しそうな顔で遠くを見つめている。


 正直、見惚れた。目を奪われて逸らせない。

 普段と違う表情は今、何を考えているのか知りたいと思う。

 階段の途中から、踊り場にいる彼女を眩しそうに目を細めた。


「危ない!」


 勇紗に目を捕られていた所為で、人の気配に気が付くのが遅れてしまう。

 後ろを振り返ると、視界は白とカラフルな色に塗りつぶされる。

 それが大量のノートとプリントだと気が付いた時には、こちらに向かってまるでスローモーションのように降り注いで来ていた。


「――――ッ!」


 いつもだったら、こんなの簡単に避けられるはずだった。

 だが、バランスを崩した逢魔は足を踏み外すと、階段から落ちていく。


「優ちゃん!」


 適当に受け身でも取るかと思っていたその時、急に落下が停止した。

 続いて、甘い石鹸と花が朝露に濡れている時のような柔らかな匂いがフワリと鼻腔を擽る。


「びっ……くりしたぁ」


 微かに上がった息がやけに近くで聞こえる。

 どうやら、勇紗が一方の手で逢魔の腰を掴むと、反対の手で手すりを握り落下を防いでくれたようだった。

 しかも、降ってくるノートまで逢魔には当たっていない。


「ケガ、してない?」


 少し首を傾ければ触れてしまいそうなくらい顔が近い。

 鼓動が聞こえてしまわないか、それだけが気掛かりで返事が出来ない。


「すみません! 大丈夫ですか?」


 掛かった声にはっとして、慌てて勇紗から離れた。


「――――こちらは大丈夫です」


 どうやら教師が上の階から生徒から集めたノートを持ってくる際に、足を滑らせてしまったらしい。

 平謝りされた後、散らばったノートとプリントを三人で拾って元通りにした。

 教師は、もう一度謝罪して病院に行った方がと言ってきたので、丁重に断りを入れると足早に階段を降りた。


 昇降口を抜けて外へ出ると、少し肌寒くなった風が吹き抜けていく。

 そろそろマフラーが必要な季節になってきたな、と逢魔は首を竦めた。


「あの、さっきはありがとう」

「ううん。無事でよかった」


 外の空気に触れて、ようやく落ち着いたようだ。

 深呼吸をすると、勇紗に向き直った。


「……部活はどうだったの?」

「部員の人も優しかったし、楽しかったよ」

「それはよかった。あなたならすぐに上手くなるわ」

「優ちゃんも剣道やってたんだって?」

「少しの間だけね」

「部長がまた顔を覗かせにでも来て欲しいって言ってたよ」

「そうね、考えておくわ」

「うん」

「………………」


 何となく会話が続け辛い。

 歩調を緩めて、少し前を歩く勇紗の髪が規則的に左右に揺れる姿をぼんやりと眺める。

 魔王だった頃は、勇者と並んで歩くことを想像したことすらなかった。


「あなたは前世を信じる?」

「え?」


 思わず口を出ていた。


「あ、例えばの話よ」

「うーん、そうだなぁ」


 勇紗は少し考えるように顎に手を置くと立ち止まった。


「信じる、かな。前世の記憶がもしあるとするなら、その時に会ってた人をこの世界でも探してみたいな」

「その人が……例えば敵対していた人でも会いたいと思う?」

「うん、会って話してみたいと思うなぁ」

「そう」


 自分のことを言われた訳ではないのに、少しほっとしている自分がいる。

 そんな自分に気が付いて何を聞いているんだと発言した時の自分を呪っていると、勇紗が顔を覗き込んできた。


「優ちゃん、この後暇?」

「え、ええ」

「こないだ、おいしそうなケーキ屋さんがあったから食べに行かない?」


 ケーキという単語を聞いて返事をする前に数回頷いていた。

 魔王ではあるが、昔から甘いものにはものすごく弱い。


「よかった」


 嬉しそうに笑う勇紗を見ると、記憶のことなんてどうでもよくなってくる。

 持っていないのだったら、それはそれで自分の邪魔はされないし、もしこの勇紗が勇者の記憶を持っているとしても、魔王だと気付かれなければいい話だ。

 それに今はそんなことよりも、ケーキが待っている。


 スキップでもしそうなくらいに上機嫌な魔王だったが、そう簡単にはいかなかった。何の因果か、逢魔が甘いものを食べる時には必ず一悶着あるのだ。


 今回の場合は、美少女二人が並んであるいているのだから、軟派な奴から声が掛からないはずがなかった。


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