第3話

「ここが剣道部よ」


 次の日の放課後、勇紗が剣道部に入りたいと言うので剣道場へ来ていた。

 聞いた話では、転校してくる前はイギリスでフェンシングを習っていたらしい。

 剣の形もルールも違うが、同じ武術というカテゴリーならば良いのだろうか。


「逢魔会長! お久しぶりです」


 こちらに気が付いた剣道部の部長が駆け寄って来たので、隣にいる勇紗を紹介する。


「転校生の勇紗聖さん。入部希望者よ」

「勇紗です。よろしくお願いします」


 勇紗は金の髪を揺らして丁寧にお辞儀をした。


「少しだけ借りてもいいかしら?」


 部長が持っていた竹刀を受け取り、勇紗の前へ柄を向けた。


「握ってみて」

「うん」

「剣道は両手で構えるの。右手を軸にして左手を下に――そう」


 実は一年の頃には剣道部と掛け持ちしていたので、剣道には多少の心得がある。

 魔王時代は剣の型など考えずに振り回していたが、剣道も理にかなっていてなかなか奥が深い。


「そのまま真っ直ぐ振り上げて、前に押し出すようにして」


 勇紗は正眼に構え、勢いよく竹刀を振り下ろした。

 空を切る鋭い音と共に、一滴の水が波紋を広げるように場が澄んだ気がした。


 目が離せない。


 稽古をしていた部員たちも、いつの間にか手を止めて勇紗に魅入っている。

 これが勇者の力なのだろうか。


「優ちゃん、どうかな?」


 すごくいいと思う。

 

 そう口にしかけた時だった。


「会長、探しましたよ」

「うっ! 玲」


 このショートボブに切られた髪を持つ眼鏡の少女は氷椿 ひょうぶ れい

 魔王時代の秘書のような役割をしていた人物であり、現在では副会長をしてくれている。


「昨日サボってくれたおかげで、やっていただきたいことが山積みなのですが」


 すっかり忘れていた。

 そう言えば昨日も氷椿に押し付けて帰ったのだった。

 少しだけ待ってくれと言っても、額に青筋を浮かべている様子じゃ聞いてくれなさそうだ。

 こう見えてもこちらの世界にきた後はずっと自分のことを探していたらしい。

 普段の行いとは裏腹に健気な奴だと一人で頷いた。


「何一人で納得してるんですか。早く行きますよ」

「え、でも」


 怒らせると怖いのは確かだが、伺うように勇紗を横目で見た。


「私は大丈夫だから行ってきて」


 そんな逢魔の気持ちを推し量ったように、勇紗は微笑んだ。


「でも…………」

「見学させてもらうだけだから、ね?」

「――――わかったわ。部長、後は任せます」

「はい!」


 部長の返事に頷き、手を振っている勇紗をちらりと見やると道場を出て行く。

 氷椿も失礼しましたと言ってその後に続いた。


「……魔王様、今のが勇者ですか?」


 二人きりになると氷椿が声を潜めて話しかけてくる。


「あら、耳が早いわね」

「夜に鬼場が大爆笑しながら電話してきましたから」


 勇紗のことを話しただけなのに、笑うところなんてどこにあったのだろうと思案していると、悟ったようにこちらを横目で窺ってくる。


「勇者の話がしつこいくらい長くて、それがウザ過ぎて逆にウケる。だそうです」


 鬼場、後でお仕置き決定。

 魔王に向かってなんて言い草だ。

 それも氷椿から逢魔の耳に入るのを分かっていて言っているのだからタチが悪い。

 大体、勇紗について話した時に涙ぐんでいたのは感動したのだと思っていたが、笑っていたのか、それともあれは欠伸だったのか。


 しかし鬼場に引き換え、氷椿は勇者の話を聞いても冷静だなと考えている間に目的の場所へ到着する。

 生徒会室の扉を開くと中には生徒会役員は一人もいなかった。


「なによ、誰も来てないじゃない」

「他の者はもう帰しました。残っている仕事は会長の分ですから」


 椅子を促すと、机上に乗り切らない程の書類の山を寄越した。


「一日でこんなに溜まる?」

「就任したてですから。それにこの後、文化祭が控えてますので」

「いいでしょう。ただし、わたくしは剣道部が終わると同時に帰りますからね」

「わかりました」


 承認のサイン、部からの提案の見直し、草案のまとめ、予算の振り分けと、おそらく氷椿が振り分けてくれていたからこの程度で済んでいるのだろうが、とにかく量が多い。


「魔王時代もこれくらい必死になって政務をしてくれていたら、私は楽だったのですが」


 と隣で小言を溢す氷椿には聞こえないフリをしながら、黙々と手を動かす。

 日も暮れ始めた頃、廊下が騒がしくなってきた。

 運の良いことに剣道場から帰宅するには、この生徒会室を通らなくてはならない。


「ねぇ、玲」

「はい」

「あなたは勇者のことどう思ってるの?」

「……そう言う魔王様はどうなんですか」

「質問を質問で返すのはずるいわ」

「私は魔王様に従うだけですよ」

「本音は?」

「一発くらいは殴らせていただきたいとは思ってます」

「あなたも以外と武闘派よね」

「ただ彼女が勇者の記憶があるにせよ、もう勇者じゃありませんからね」


 そして貴女も。

 自分にとっては今でも尊敬する魔王であっても、この世界では世界征服を目論むただの女子高校生だと氷椿は静かに呟いた。


「だから魔王様も、勇紗のことは好きにすればいいんじゃないですか?」


 きっと逢魔が知りたがっているのは氷椿の勇者への気持ちよりも、逢魔が勇紗の対応に困っているからこんな質問をしたのだろう。

 まったく世話が焼けると氷椿は眼鏡を押し上げた。


「………………」


 言われて気付いた。

 自分はあの少女のことをどうしたいのだろう。

 勇者の生まれ変わりだから気になって、記憶があるのか知りたくて、気が付けば追いかけている。


 もし記憶があったとしたら、自分はどうするのだろう。

 今は復讐したいという気持ちは少しもないが、怒りが沸いてまた敵対してしまうのだろうか。


『勇紗、かえるよー?』


 剣道部部長の声が廊下に響く。


「――――帰るわ」


立ち上がりながら発した言葉に、氷椿は紙を捲りながら溜め息を付いた。


「仕方がないですね」

「……玲、ありがとう」


 礼を言う逢魔に氷椿は早く行けとばかりに手を払う。

 逢魔はそんな雑な扱いにも氷椿らしさが感じられて思わず笑みを浮かべると、剣道部員たちが通り過ぎたであろう廊下へ静かに出た。


「あれ、優ちゃん?」


 しまった。もう見つかった。


 本当は昨日のようにこっそり後ろから付いて行くつもりだったのだが、まさか丁度生徒会室の前を通る所だとは思わなかった。てっきり部長と一緒に帰ったと思って油断した。


「生徒会、終わったの? じゃ、一緒に帰ろ?」

「…………いいわよ」


 こうなったら仕方がない。

 腹を括ろう。

 にこりと笑った勇紗に、先程氷椿と話したことが頭を巡る。


『好きにすれば良いんじゃないですか』


 自分はどうしたいんだろうと、答えがでないまま自問自答する。

 歩き出した彼女に続いた逢魔は、少し汗ばんだ手で鞄を握りしめた。

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