社長と一配信者
リンカーコネクト本部。社長室。
そこは、社長のデスク以外は、本が一冊も置かれていない本棚があるだけの、殺風景な部屋だった。
高そうな美術品が飾られていたり、高級な毛皮のカーペットが敷かれていたり、といったことはない。
そういった部屋の主の趣味趣向を感じさせるモノは、もう一つの個人部屋に置かれていた。
ただ、それを知る者は限られていたが。
「まったく。ハァ~、まったく!」
いつもと違う雰囲気が漂う社長室。
大抵の場合は静かで、怒声や溜め息が響くことはない。
そして、社長以外は秘書しか入れない部屋なのだ。
その部屋に呼び出されるということは、関係者にしてみれば、何か尋常でない事が起こったことを意味していた。
「ハァァ~……!」
「……す、すいません」
ユウヤに負けた涼葉は、その日、
「すいませんでは困るんだよぉ……!」
室日社長の静かな怒りによって、涼葉は体をこわばらせていた。
室日ジョン……高級なシルクの黒シャツを身にまとい、細いながらもしっかりとした体格、濃い灰色の髪と彫りの深い顔立ちをした壮年の男。
彼こそリンカーコネクトの創設者であり、全てを取り仕切る現社長にして会長であった。
「ただでさえ君の人気は下降して、今じゃ視聴者五万人どころか、四万人に満たない時もあるんだよぉ? どうするのぉ?」
それは涼葉にとって、耳の痛い話だった。
リンカーコネクト内では、視聴者の数字は、かなり重要視される。
数字の多い少ないによって当然、待遇の差もかなりでてくるのだ。
「君はさぁ、リンカーコネクト四天王の強さを持ってるって売りだしてんの。それがだよぉ? どこの誰ともわからん男にだよぉ? あっさり負けるぅ? 何なんだそれはぁ?」
「し、しかし、彼の強さは……」
涼葉は反論しようとするが、室日社長は全く意に介さない。
「あのねぇ。相手が強かったとか、そんなのは関係ないんだよぉ? ファンはそんなの見ちゃあいない。負けたってことが問題なんだ。しかも有名配信者でも何でもない、全く無名の男に!」
「すいません……」
涼葉は消え入りそうな声で、もう一度謝罪の言葉を述べた。
「そんなことになったらリンカーコネクトのイメージに傷がつくって、わかんないのかねぇ!」
苛立ちからか、羽ペンの先で机を叩くのを止められない。
トントンと音が響き続ける。
先ほどから何回も何回も叩くので、ペンの先は目に見えるほど潰れていた。
もはや、使用することはできないだろう。
「ファーブレ工房にも頭下げに行かなきゃならんし! まったく……クビにされても文句は言えないな、こんなことじゃ」
「え……!」
室日社長のその言葉に、涼葉は驚愕した。
ファーブレ工房製の大剣が簡単に折れてしまったところを、多くの人々に見せてしまったことは、やはり問題だった。
ファーブレ工房は王家ご用達でもある、王都で最も有名な工房だ。
そこの品が簡単に壊れたとなれば、信用問題になる。
手入れを疎かにしていたという苦しい言い訳とかでは通用しない。
この点について室日社長は、相手が他の有名な工房の剣を持っていたと、ファーブレ工房に説明しようとしていた。
たまたま強い人物が相手だったのだ、と。
ただ、その相手が無名なのだ。
はたして納得してくれるだろうか、確信がなかった。
「ああ、ウソ嘘。クビなんてしないさ。たとえ視聴者が一万人切っても、まだうちの下位グループよりは数字があるからねぇ」
リンカーコネクトに所属している配信者は70人ほどいる。
だが、その内の半分は二軍としての扱いだった。
基本的に視聴者が一万人を超えるかどうかで、一軍扱いされるかが決まる。
もちろん、視聴者数以外の要素も加味されるが。
一万人以下だと二軍グループとみなされるが、実際のところ、五千人すら越えない配信者の方が多かった。
とはいっても、彼女たちの待遇は(一軍と比べたりしなければ)特に悪いわけではない。
平均的な一般人の生活をしていれば、毎日の生活に不自由することはないのだ。
そういう意味で、視聴者が昔と比べ落ちたとはいえ、まだまだ涼葉の待遇は相当なもの。多くの配信者が羨むほどだ。
彼女クラスの配信者が生活に困ったりするなど、ありえないことなのだ。
……何もなければ。
「なによりも、だ」
室日社長は椅子の背もたれに体重をかける。
ギシッという音が部屋に響いた。
「君はうちから多額の借金がある。契約書にもあるように、全て返済するまでは辞めてもらうわけないんだよねぇ」
「……」
「失った剣だって、まだローンが残ってるんだよぉ?」
ファーブレ工房の大剣と鎧は、数百万
涼葉の場合、その購入費の半分以上は借金して買ったものだった。
今のところ、300万Cほど返済してはいたが、まだ同じくらいの借金が残っていた。
それに加えて、新しく大剣を新調しなければならない。
しかもそれは、ファーブレ工房製の高価な品でなければいけなかった。
というのも、リンカーコネクトはファーブレ工房と提携を結んでいて、四天王とされている四人は皆、ファーブレ工房製の武器防具を装備しなければならない決まりがあった。
安い武具を装備することは許されない。
涼葉は新しい大剣を購入するために、割引価格で購入できるとはいえ、数百万Cのお金が追加で必要になってしまったのだ。
「それに、アイテム費、遠征費、新居費その他もろもろ……ああ、君の親御さんの治療費とかも、うちが出しているねぇ?」
「! そ、それは……!」
室日社長の言葉が、涼葉の胸を抉った。
……正直なところ、涼葉にとって一番の問題が、父親と母親のことだった
一年以上、本社付属の
そしてこの費用も、かなりの額なのだ。
「ま、大変だろうけど。少なくともここにいれば、それの心配は要らないからさぁ」
(お父さん……お母さん……)
組んでいる両手に力が入る。
この世界に来た時のことを、まだ両親とともに暮らしていた時のことを思い出した。
配信者になった時、自分にはそこそこの力がある、これで元の世界のような人生から抜け出せたと、そう確信していた。
多くのファンに囲まれ、瞬く間に人気となり、毎日が楽しかった時のことが思い起こされた。
だが、悪いことは、そういった幸福の後にやってくるのだ。
お金に関しては、時間さえかければ何とかなるだろう。
しかし、両親のことに関しては違う。
先の見えないことが、涼葉の心に重くのしかかっていた……。
リーンリーン
呼び出し音が鳴る。
その音に涼葉はハッとした。
「入れ」
扉が開き入ってきたのは、秘書の女性。
ぴったりと体に合った白いシャツに、黒く丈の短いスカート。
長い金髪をバレッタで留め、左耳には赤色の宝石をあしらったイヤリングをつけている。
その高価なイヤリングは、社長からプレゼントされたものだと、もっぱらの噂だった。
「社長、よろしいですか? また、記者の方が取材にいらっしゃっていますが」
「ハァ~、面倒面倒。今日は断っちゃって。これからすぐ会議もあって忙しいから」
「かしこまりました」
彼女はそう言うと一礼し、涼葉には全くの無関心で社長室から出ていった。
「さてと……」
社長は立ち上がって、涼葉の横に立つ。
そして彼女の露出した肩に手を置き、
「まあ、話の続きは今日の夜、私の部屋でしよう。一人で来るんだよ。いいな?」
と、うすら笑いを浮かべながら言った。
「……はい」
涼葉はうつむいたまま、そう答えるしかなかった。
バタン
扉が閉まる。
社長が出て行った部屋は静寂に包まれ、外から風の音だけが、わずかに窓から聞こえてきた。
涼葉は、しばらく立ちつくしたまま、その場を動くことができなかった。
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