第2話


 公爵令嬢シビラとは、その後何回か会ったが、シビラは忘れたかのように何も言わなかったし、エルンストも自分がそのような馬鹿な真似はするまいと思っていたので、放置したまま忘れ去った。

 そして、エルンストは三年に、シビラはエルンストの弟のユリウスと共に新入生となった。

 姉フランセスはフェリクス公世子と結婚して、ミランドラ公国の公世子妃となった。



 その年、三年に編入生があった。

 男爵家の養女で名をアメリア・ブレナという。栗色の髪にアクアブルーの瞳、きりっとした顔の美少女であった。


 ピンクの髪の、細い庇護欲をそそるような少女ではない事に、エルンストもシビラも少し安心した。

 アメリアは健康的な少女だった。魔力があって、頭が良い事から、養父のブレナ男爵が勉学を勧めたという。



 生徒会の会長を務めていたエルンストは、頭がいいと評判のアメリアを生徒会に誘った。

「アメリア・ブレナ嬢。君に生徒会の役員になって欲しいと思って誘ったんだ」

 にっこり笑ったエルンストに、負けないくらいにっこり笑い返して、アメリアは答えた。

「お断りですわ。私、バイトで忙しいんです。貧乏学生ですの」

 なかなかハキハキものを言う。


「君みたいなハキと意見が言える人材は貴重だ。どうだい、生徒会でアルバイトをする気はないか」

 アメリアはちょっと睨みつけるようにエルンストを見た。それから溜息を吐いて言った。

「分かりました。バイト料を弾んで下さいね」

 そう言ってチロリと赤い舌を出した。



 アメリアに意見を求めると、庶民の視線からものを言うので、エルンストにはとても新鮮であった。

 生徒会の仕事もてきぱきとこなし、偉ぶることも無く、明るくて優しい。

 少し近付き過ぎるきらいがあるが、エルンストが近付くとするりと逃げる。

 健康的な身体。すんなりと伸びた手足。クルクルと変わる表情。


 エルンストがアメリアに仕事を頼むことが増える。

「ほら、また──」

「ご一緒ですわね」

 噂はゆっくりと広がって行った。



 シビラは大人しかった。エルンストに何か言うことも無かった。

 エルンストはシビラをないがしろにしているとは思っていない。


 ある日、生徒会の仕事が終わって王宮に帰って来ると、シビラが来ていた。弟のユリウスと一緒であった。仲良さそうに話していたが、エルンストを見ると二人はすっと離れた。

 シビラは王妃教育を受けていて、週の何日かは王宮に通っている。ユリウスも一緒に学ぶ日もあると聞いてはいた。


 シビラはエルンストに挨拶をすると、そのまま帰って行った。いつもの人形であった。

 そう言えば学校でも、二人が一緒の所を見かけたような気がする。


「この頃、よくシビラと一緒のようだが」

「ああ、仕方がないのです。余り者同士ですよ」

 この頃、急に背が伸び始めたユリウスは、穏やかに話す。咎める風ではなくてもそう言われると余計なことをと、少しきつい目でじろりと弟を見た。しかしユリウスはそれに気付かぬように、

「兄上は今日は生徒会は?」と聞いた。

「いつもの時間だと思うが」

 生徒会の事を聞かれると、痛くもない腹を探られそうで、エルンストはそのままスタスタと逃げた。



  * * *



「兄上には、そう申し上げておいた」

 翌日、図書館で一緒に勉強を始めた時、ユリウスはシビラに軽く昨日の事を話した。

 ユリウスはサラサラの真っ直ぐの金髪を後ろに緩く結わえて、緑の瞳をした優し気な少年であった。

「わたくしはそうですけど、ユリウス殿下は、わたくしに付き合っていらっしゃるだけですのに」

 ユリウスは緩く笑って「語学の勉強でもしますか」と言う。


 王太子の婚約者であっても、今の状況は危惧した通りになっていて、好奇の目に晒されるシビラには辛い。それでも滅多なことは口に出せないのだ。


「ユリウス殿下はお優しい方ですね。わたくしは、一人では耐えられなくて。申し訳ないですけれど、もう少し……」

 シビラは少し首を傾ける。

「構わないですよ」

 ユリウスの答えに、ほっと息を吐いた。

 シビラにとって学校に居る間は、ユリウスといる時だけが、気の休まるひと時であった。


「語学ですわね、どこか行きたい国はございますの?」

「姉上の嫁かれたミランドラ公国には興味があるのです。公は議会制を採用していて、貴族議員と平民の議員からなる二院制を取っているんですよ」

「まあ、新しい国の在り方ですのね」


「この国も遅かれ早かれそうなると思います。下手に押さえ付けると、平民の不満が募って反乱が起きると聞きました。王族も無事ではないと」

「まあ恐ろしい事……。最近の流行りの本も、最後は怖い事になりますけれど」

「そうですね。やはり王族には、それ相応の責任があると思います。もちろん貴族もです」


「じゃあ、わたくしたちは議会制になったら、愛に生きてもよろしいのでしょうか。それとも貴族としてあらねばならないのでしょうか」

「難しい所ですね。私は王族です。この生まれを捨てる事は出来ない。シビラ嬢はどうです」

 ユリウスの問いに、シビラは思いがけないことを言い出した。

「わたくし、エルンスト殿下に申し訳ない事をしてしまって、だからあの方に贖罪しなければいけないと、ずっと──」

「それはどのような」

 聞く前に、午後の授業を始める予鈴が鳴った。時間切れとなった。

 何だったのだろう。

 ふたりは図書室を出て教室に向かう。



 二階にある図書室から出ると下に中庭があって、それを囲むように回廊がある。一年二年三年の各校舎と教職員室に向かう渡り廊下があるのだ。


 中庭では近頃よく見かける光景が広がっていた。中庭にある噴水と木立の間を縫って、生徒会役員たちがさんざめいている。

 エルンストとアメリアの距離は近すぎる。アメリアはエルンストの肩や胸に手を置き、エルンストはアメリアの腰に手を回していた。

 何を話しているのか笑い合って、とても楽しそうであった。


 シビラはアメリアの視線に捕まらない様、ユリウスの影に隠れて渡り廊下を急いだ。しかし、アメリアは承知していて「シビラ様」と馴れ馴れしく名前で呼びかけた。


 シビラは困惑した。アメリアの視線、顔は笑っているけれど、その瞳は獲物を捕らえようとする猛禽の瞳だ。これは罠だ。どう答えてもシビラは罠に嵌まる。そして断罪が待っているのだ。シビラはすぐに、真っ直ぐにエルンストを見下ろして答えた。


「二階から失礼いたします、殿下。予鈴が鳴りましたわ。ごめん遊ばせ」

 シビラは優雅に頭を下げると、サッサと教室に向かう。

 ユリウスはその後を、影のように追いかける。ずっと姉や兄の影で、目立たない様生きてきたのだ。


「さあ、教室に戻るぞ」

 エルンストは苦笑して皆を教室に追いやった。アメリアがチラリとシビラの後ろ姿を睨んで、それでもエルンストに笑いかけた。


 教室に戻ると、仲良しの令嬢たちが騒ぐ。

「またあのようにくっ付いて」

「あれは近付き過ぎですわ」

「放っておいてはいけませんわ、シビラ様」

 シビラが婚約破棄されれば、利用価値は無くなるのだ。取り巻きの令嬢たちは必死である。


「わたくし、何とも思っていませんわ」

 シビラは首を傾けて人形のように答える。人形にならないといけない。何も見ない、何も聞こえない、何も考えない。

 ユリウスはシビラの様子を目の端に捕らえながら、何も出来ないでいた。

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