公爵令嬢は愛に生きたい

綾南みか

第1話


 アルシュテット国の王太子殿下エルンスト・アルシュテットは、何でもよく出来る方で、成績優秀で武術も魔法もこなす方であった。

 スラリとした若木のようなしなやかな身体に、黄金の巻き毛と青い瞳の、何処からどう見ても整って美しい顔立ち。それゆえ少し傲慢になりがちであった。


 現在十五歳で、王都の貴族が通うアルシュテット王立学園に入学したところだ。

 彼には五年前から婚約者があった。シビラ・ヴァランティ公爵令嬢という、銀髪紫瞳の作り物めいた顔の、エルンストよりふたつ年下の美少女である。


 王宮の庭園は、季節の花が咲き誇り、かぐわしい匂いで満ちていた。

 風もさやさやと、眠たくなるような午後のひとときである。

 エルンスト王子は学園に入学してしばらく忙しくて、久しぶりの婚約者とのお茶会であった。


 突然、目の前の人形が喋りだした。エルンストにはそのように見えた。

「わたくしは何があっても殿下にお仕えしますわ」

 王太子は自分の目の前にいる人形のごときシビラを見た。大層なことを言ったが、あまり表情も変えず人形は喋っている。


「たとえ、エルンスト殿下が真実のお相手を見つけられても、運命のお相手を見つけられても──」

「何処からそのような事を」

「本ですわ」

 目の前の人形は、表情も変えずに言う。

「それとも、そういう時は婚約破棄をして断罪なさりたい?」

 しかしその可愛らしい赤い唇から紡がれる言葉は不穏に満ちていて、王太子は急いで遮った。

「待て、シビラに、そのような相手がいるという訳ではないのか」

「わたくしにはいませんわ」

 では、近頃流行りの小説を読んで不安になったのか。


「わたくしは殿下をお支えするつもりですけれど、もし殿下が断罪なさりたいのでしたら、わたくしは────」

 その時だけ小首を傾けて、頼りなさげな迷子のような表情になって言葉を飲み込んだ。人形が少しだけ現実の少女になる。


「私にそのような者はいないし、そんなことをするつもりもないが」

 エルンストはこの人形のような婚約者が、なぜそんな事を言いだしたか考えてみる。急な環境の変化と忙しさにかまけて、婚約者をしばらく放置していたのがいけなかったのだろうか。


「分かった。この件については、後日、話し合おう。それまで誰にも口外せぬように」

「はい」

 シビラはこくりと人形の様に頷いた。



  * * *



 シビラが読んだ本の類はすぐに分かった。すぐ上の姉フランセスが何冊か持っていたのだ。

「パターンは大体決まっていますの。下位貴族の編入生が、王子の真実の愛のお相手になって学園で起こる騒動ですわ。たいてい王子には婚約者がおりまして、婚約破棄とか断罪とかありますわね」


「そんな本が流行っているのですか」

「あら、勉強不足ですわ。すでに実害もありますのよ」

「何と、どのような」

「わたくしの前の婚約が、白紙になったことはご存じでしょう?」


 この大陸にはたくさんの国がある。そしてフランセスは、近隣のミランドラ公国の大公の甥に嫁ぐ予定になっていた。

「はい、ミランドラ公国のジェルマン殿下ですね。ご病気だと伺いましたが」

「そう、あの方、男爵家の庶子といい仲になって謹慎しているのよ。向こうに居たら大変な事になっていたわ」

「本当にそんな事を?」


 王女フランセスは続ける。

「ミランドラ大公がお怒りになって、継承権剥奪の上、臣籍降下されるようですわ。公には、なってはおりませんけれど」


 フランセスは王立学園の三年生で、卒業したらひとつ年上のジェルマン公世子と結婚する予定だった。結局ジェルマンの一つ下の弟のフェリクスと結婚することになった。ミランドラ大公には子供がいないので、甥のフェリクスが公世子ということになる。

「その、自分の意志で、本当にそんな事をしたのでしょうか?」

 人騒がせな事だと思う。


「まあ、流行っていますので、そういう方もいらっしゃいますし、一服盛られた方もおいででしょう。でも、仕出かした事実は覆りませんわ。貴賤結婚は相続放棄と相場が決まっております」

 二つ上のフランセスは頭が良い。両親とこの姉には、頭が上がらないエルンストであった。エルンストは三人姉弟で、ふたつ下に弟のユリウスがいる。自己主張をしない大人しい弟だった。


「なぜシビラがあんなことを言ったのか、女性の考えをお聞かせください」

「そうね、一番怖いのは断罪ですからね。婚約者にないがしろにされた挙句、修道院とか国外追放、果ては処刑とか、たまりませんわ」

 そう言えば断罪と言った時、頼りなさげな表情になった。その時だけ、シビラの人形のような表情が崩れた。

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