7ページ目 □ 儚旅人 □
───ハァハァ、ハァ……。年老いた研究者は汗だくになりながら荒く呼吸し、今しがた荷物を下ろしたばかりの台車をまた引いて研究室に戻る。完成、というにはまだ程遠い状態であった。だが、これ以上の時間をかけるわけにもいかない。老いた男は椅子にどっぷりと座り、一点を見つめてひとり物思いにふける。人類の英知を結集させた、最新鋭の科学装置。ひと仕事を終え、急速冷却機能によりヴヴッと低く唸っている。
老人は重い腰を上げて、壁掛けの電話で一人の友人に連絡する。かつては一緒に研究を行ない、切磋琢磨し合った仲だ。簡単な挨拶を交わし、友人が尋ねる。
「キミから連絡が来たということは、アレが完成した、ということかい?」
老人は答える。
「……そうだ。是非ともお前に使って欲しい」
「そうしたいのはやまやまだが、僕はこんな状態だ。もう歩くことさえままならない」
「では今夜、お前を迎えに行こう」
友人はブフォッと咳き込みながら言う。
「ずいぶんと気が早いね。まぁ、かまわないよ。というか、僕も早くその完成品を見てみたい」
夜になり、老人はボウボウに生えた髭を剃り、クリーニングに出したばかりの白衣に着替えて友人のいる病院に忍び込む。彼の病室まで行くのは容易かった。久しぶりの再会も早々に、周囲の機器の電源を切ってから、友人に繋がっている沢山のチューブやケーブルを引き剝がして車椅子に乗せる。そのまま研究所に急ぐ。
研究室にある巨大な装置を見て、友人が目を輝かせる。
「これが……、タイムマシンか」
「そうだ、過去に遡ることができる」
「では、早速試してみたい」
老人は頷く。
「ただし、その時間に滞在できるのは1日くらいが限界だ」
「それでもかまわない。妻が亡くなったあの日に、僕を戻してくれ。日にちは…」という友人の言葉を遮るように言う。
「いや、私も覚えているよ」
老人は友人を固定して頭に装置を被せ、装置を起動させた。
───僕は、10年前の世界にいた。あの日、彼女が外に散歩しに行こうと誘ってくれたが、僕は体調が優れなくて一日中ベッドの上で休んでいた。それが彼女との最後の日になると知っていれば、無理にでも一緒に行ったのに。
僕は彼女の優しい声で目を覚ます。久しぶりに彼女の顔を見て、僕は涙した。少し驚く彼女が、しゃがれた声で僕に言う。
「今日は、天気がいいわ。少し、外に出ない?」
僕は激しく痛む頭を気にしないように努めて、笑顔を作って答える。
「いいね。いつだか一緒に行った、あの湖まで行こうか」
彼女との思い出の場所に行き、2人は一日中語り合った───。
研究室の装置がヴヴヴッと音を立てている。老人は、笑顔の友人の最期を見届け、台車に載せた。痩せ細り、ずいぶんと軽くなってしまった友人。研究所に附属している焼却場に彼を運ぶ。
装置は、タイムマシンではなかった。
人間の脳に直接働きかけ、その人間の夢を脳内で実現させる装置であった。脳への負担が大きく、それに耐えられた人間はいなかった。その致命的な欠陥だけはいくら時間をかけても直すことができなかった。こんなものを造るために、私は自分の人生を捧げ、大勢の人を巻き込み、大勢の人の夢を奪ってしまったのだ。近いうちに警察が私を捕まえにくるだろう───。
警察官が、ゴチャゴチャした装置を頭に付けて呼吸をせずに眠っている老人を見る。老人の顔は、どこか穏やかで、幸せそうであった。
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