第3話

川本所長が管理職の器でないことは、すぐに判ったことだが、幸い、サバサバした性格で、私を信頼してくれており、私も出来るだけ川本を立てて、まあまあ良好な関係で一年が経過した。

ただ、川本の、理事長に媚びる姿勢が露骨なのには嫌悪感を感じていた。利用者からの預り金を勝手に法人への寄付金にするなどのあるまじき行為には、忙しさに紛れて目をつむっていたが。

他の職員も、表面上川本を立てながらも、実質的な所長は私斎藤、という眼で見ていた。とりわけ國枝は川本を軽んじていた。ある時は川本が自宅に帰そうと相談を進めていた宿泊利用者を、独断で施設に入所させた。またある時は、川本と面談する予定であった利用者の家族が夜に来所した際、態度が気に入らないからと追い返したり、やり放題であった。

昼間、國枝不在の職員会議で、川本は國枝を「駆け込み宿のガン」と言い切った。

そんなある五月晴れの日曜日。

國枝は、競馬場の階段で躓き転倒して歩けなくなり、タクシーで駆け込み宿隣の敬愛病院に運ばれた。院長の永井が診察し、右大腿骨骨折でそのまま入院となった。

休日で、友達とテニスをして帰った私は、川本からの電話でそのことを知った。急遽宿直をして欲しいと頼まれ、すぐ駆け込み宿に向かった。

宿には、川本と二人の寮母がおり、今後の勤務体制について話し合いが行われた。他施設からの応援は望めず、國枝が退院するまで約一ヶ月、四人で交代に当直勤務を組むことになった。

若い亜紀子は、とりわけ夜間の相談や緊急時の対応に不安げであったが、他に方策はなかった。

しかも、川本の提案は五時まで日勤してそのまま当直に入り、翌日も五時まで勤務という過酷なものであった。何事もなければ夕食朝食の世話と見廻りだけで済むが、夜間の駆け込みや電話相談も少なくない。ろくろく眠れぬまま日勤も通常通りこなさなければならないこともあり得る。法学部出身の私であったが、労働基準法の知識に乏しく、強硬に異議を唱えることが出来なかった。

※この勤務体制が、私の発症の一因だ。

一ヶ月の辛抱と、皆渋々川本の案を受け入れた。私は、就職四年目で事務はもとより、相談の知識と経験も積み、昨年の所長不在時すら乗りきった自信が過信となり、宿直手当がつくな、というくらいの軽い気持ちであった。

当直初日、夜中に酔っ払った女性から、話を聴いて欲しい、という長い電話があったが、そつなく対応したものの、再び寝付くまで時間がかかった。

これが、悪夢の日々への第一歩だった。


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