第56話 再会の約束

 無事に伊勢へ到着し、念願の神宮に参拝することができた五人は、近くにある街の中を散策していた。

「さすがは神様の住まう街ですわね。こんな時代でも、ここは華やかですわ」

 お菊が楽しそうに通りを歩く横で、お蘭も晴れやかな顔をしていた。

「何日いても楽しめそう。しばらくはここに滞在したいけど」

「いやいや、そんな訳にもいかぬよ。今回の件を依頼主に報告する必要がある」

 蒼龍の言葉を聞いたお菊の顔が暗くなった。結局、双方とも任務には失敗したわけである。その要因の多くが彼女にあるのだから、当然であろう。

「それは私たちが行います。蒼龍殿は気になさらないで下さい」

「お菊殿も心配なさるな。俺が一緒に行って話をしますから」

 お松は潮鳥屋の主人に、三之丞は西極屋の主人に、それぞれ説明することにしていた。お菊は、それに納得していないようだ。

「私一人で大丈夫です」

 お菊は三之丞に訴えたが、このやり取りは何度も行われたようで、三之丞は笑いながら

「俺は嘘は言いません。ものは言い様ですよ。きっと納得して下さるはず」

 と返す。

「それはともかく、顔を出さない訳にもいかぬ故、因幡までは一緒に参るつもりだ」

「お菊さん、また一緒に旅ができるわ」

 沈んだ表情のお菊に、お蘭が話しかける。お菊は微笑みながら、うなずいてみせた。

 結局、五日ほど伊勢に滞在し、彼らは旅の疲れを癒やした。その間は何もかも忘れ、楽しい日々を過ごすことができた。

 しかし、帰路は同じ道を、辛く悲しい闘いの続いた記憶をたどりながら歩いた。途中でお初のお墓があるお寺に立ち寄り、手厚い歓迎を受けた一行は、墓前で再び来ることを誓い、さらに南へ下る。お菊に配慮したのか、伊吹の墓は素通りした。

 ツヅラト峠で、雪花と闘った跡を目の当たりにする。黒く焦げた木々が至るところに残り、その中で全員無事だったのが奇跡だと感じた。源兵衛と猪三郎の墓に参る。お菊は、他の仲間たちが眠る墓の場所は知らない。それだけに、彼女は熱心に手を合わせていた。

 お雪の墓を初めて見たお蘭は、改めて彼女が亡くなったことを認識して、涙を浮かべながら祈りを捧げた。お松は墓に野花を添え、可憐に咲くその花々をじっと眺めていた。

 一之助、宗二、そして疾風と、他にも多くの者達が犠牲になった。お菊の側も同様である。何のための争いだったのか、どうしてこんな結末になったのか、皆が虚しさを覚えながらも、お蘭の呪いが解け、お初が救われたのがせめてもの救いと感じていた。

 こうして故郷に戻ったお松と三之丞は、自分たちの最後の任務を果たすため、途中で分かれた。お松は、蒼龍とお蘭を引き連れ、潮鳥屋の裏手にある勝手口をくぐった。

「お松、戻ったのか。お二人もご無事で何より。それで、他の者たちは?」

 部屋で待っていると、主人の茂吉が足早にやって来て、三人の前に座るなり笑顔で尋ねた。

「一之助、宗二、源兵衛、疾風、そしてお雪は途中で命を落としました。残った者は、蒼龍殿とお蘭殿、それに三之丞と私の四名です」

 茂吉が驚いたのも無理はない。まさか、そこまで熾烈な争いに発展するとは思っていなかったからだ。

「倅はどうした? 伊勢にたどり着いたのか?」

 少しの間をおいてから、お松は一気に話し始めた。

「若旦那は残念ながら、伊勢の直前で刺客に倒されました。蒼龍殿には最善を尽くして頂き、最後まで命を賭して若旦那の身を守って下さいましたが、我々の油断がこのような結果になりましたこと、誠に申し訳なく思っております」

 茂吉は絶句してしまった。大事な跡取りが、自分の息子が死んでしまった訳だから、それも仕方ないことであろう。

「俺にも油断があったのだ。すまない」

 蒼龍の声が耳に届いたのかどうか、定かではない。茂吉は涙を流し、膝においた両手の拳を握り締めた。

「許せない。誰が倅を・・・」

「相手方は全滅したよ。一人残らず倒した」

 実際には、お菊が残っている。しかも、伊吹を殺したのはお菊であった。しかし、そのことには当然、誰も触れなかった。

「それだけでは私の気は晴れません。どうか、西極屋の主と孫娘を倒して下さらぬか」

 茂吉はとんでもない事を蒼龍に頼み込んだ。お松もお蘭も、蒼龍は断るものだと思っていたが、その考えは見事に裏切られた。

「・・・よかろう」

「あなた!」

 仰天したお蘭が蒼龍の袖を引いた。蒼龍は涼しい顔をしてお蘭に目を遣る。

「本当ですか? お金ならいくらでも差し上げます。どうか倅の敵を・・・」

「あんたは、西極屋の主と同じだな」

 茂吉の顔を見据えて蒼龍が発した言葉は、彼の口を閉ざすのに十分な効果があった。

「憎しみは、心を蝕んでいく。ここで立ち止まれば戻ることもできる。もし、我慢ができないなら、これから先は修羅の道。その覚悟はおありか?」

 それ以上、誰も口を開こうとはしなかった。どこかで風鈴の涼やかな音が鳴っている。茂吉は、蒼龍のえぐるような視線に耐えられず、下を向いてしまった。

「これからは、互いに助け合う手段を模索したほうがよくないか? 潰し合いで得られるものなどない。死んでいった者たちのことを考えてくれ」

 自分の発した恐ろしい言葉に気づいたのか、茂吉は何度もうなずいてみせた。


 西極屋に到着したお菊と三之丞は、店のほうから中に入った。お菊の姿を見た番頭が、慌てて彼女のほうへ駆け寄る。

「お嬢様、よくぞご無事で・・・ 実は、お嬢様が旅立たれてから三日後に、一長様が倒れなさって、今は寝たきりの状態。お疲れのところ心苦しいのですが、どうか今すぐお会い頂けませぬか?」

 この話にお菊は驚き、三之丞とともに一長のいる部屋へ向かった。案内している番頭は、見知らぬ男性がいることを不審に思いながらも、お菊が何も言わないので、特に指摘はしなかった。

「旦那様、お嬢様がお戻りになられました」

 戸を開けて中を見れば、あの盲目の老人が横たわっていた。その様子は、すでに屍のようであった。

「お祖父様!」

 お菊が、横たわる老人の傍らに座り込み、呼びかける。目を開けた一長は、かすれた声を上げた。

「お菊・・・ 戻ってきたのか・・・」

 その息は、腐乱した肉の匂いがする。すでに、その体は壊れ始めているのだろうか。かつての覇気は全く感じられず、すっかり弱り果てた姿に、お菊はそれ以上、何も言葉にできなかった。

「鬼坊たちはどうした? 潮鳥屋の倅は捕らえたのか?」

「鬼坊をはじめ、全員、命を落としました」

 お菊の代わりに、後ろで控えていた三之丞が答える。

「誰じゃ?」

「潮鳥屋の用心棒で三之丞と申す」

 このとき初めて、番頭は失態を演じたことに気がつき、飛び上がった。一長の全身が震える。

「どうして潮鳥屋の用心棒がここにいるのじゃ!」

 瞬時に、一長の体が息を吹き返した気がした。腹の奥から絞り出される力強い声に、三之丞の顔は少し強張った。

「お祖父様、この方々は、私を無事に因幡まで送り届けて下さったのよ」

「我々は旅の間に、お互い多くの者を失いました。お菊殿以外は全員が倒れ、我々の側も半数がいなくなったのです。残ったお菊殿は、最後に伊吹と差しで勝負することを望まれました」

 お菊は驚いて三之丞の顔を見た。三之丞は手振りで何も言わないよう指示しながら話を続ける。

「お菊殿は正々堂々と勝負なされ、そして相手を見事に討ちとったのです。我々には、それに対して何も申すことはありません」

 全くのでたらめではあるが、嘘であるとも言えない。三之丞は、どのように伊吹が倒されたのか見てはいないのだから。

「お菊が人を殺めたと?」

「そうではありませぬ。これは言わば敵討ちのようなもの。そう考えれば、何ともあっぱれなことではござらぬか」

 一長には信じられないことであった。大事な孫娘が、人を殺してしまったのである。非情な裏稼業の元締めといえども、やはり人の子だ。鬼にはなりきれなかった。

「本当なのか、お菊?」

 三之丞がうなずくのを見たお菊は、小さな声で「はい」と答えた。しばらくの間、沈黙が続く。

「お前を旅に出したのは、間違いだったかも知れぬ。じゃが、お前はそれで納得できたのだな」

 お菊は、本当のことを伝えるべきなのか迷った。伊吹に対する復讐のため、というような単純な話ではない。お菊には未練があった。愛する伊吹が自分の元へ戻らないのなら、心中する気だった。

「元々は愛し合っていた二人です。その質問にお答えになるのは難しいこと。いつの日か、お話になるでしょう。こうして無事に戻られたのですから、まずは旅の疲れを癒やして頂くのがよろしいかと思います。それから・・・」

 お菊が話を始める前に、三之丞が横槍を入れた。口を挟む暇もなく、三之丞は話を続ける。

「お菊殿が伊吹を討ち取ったこと、我々は決して口外いたしませぬ。それについてはご安心くだされ。主人の茂吉にも、話はせぬつもりです」

「どうして敵の肩ばかり持つのじゃ?」

「このご時世、互いに争っていては自滅するばかり、この旅を通して痛感いたしました。これからは、協力し合うことこそ重要ではないかと拝察した次第です」

 落ち着き払った相手の声に、一長もそれ以上のことは言えなかった。彼が「分かった」とだけ答えたのを確認して、二人は部屋を後にした。

 こうして、お菊が本心を打ち明けるのは先送りにされた訳だが、結局それを一長に伝えることは叶わなかった。それからしばらく経ったある日、一長は静かに息を引き取ったのだ。


 お松と三之丞は、潮鳥屋に残ることができた。相手は全滅、味方も半数以上を失うほどの壮絶な死闘を繰り広げてきた二人を追い出すのは、茂吉にとっても忍びなかったのだろう。しかし、お松は出家することを決意していた。その話を聞いた主は、頼れる剣客を失うことを大層残念に思い、何とか踏みとどまらせようと説得を試みたが、お松の心は揺るがなかった。

「いつか、旅の準備ができたら再び訪れることにしよう」

 何日か潮鳥屋に滞在した後、蒼龍とお蘭は故郷の出雲へ、そしてお松は再び熊野へ出発することになった。

「こうして別れの日が訪れると寂しいものです」

 三之丞は、蒼龍たちの姿を眺めながら感慨深げな表情で見送りに出ていた。隣にはお菊も一緒にいる。

「お蘭さん、また、一緒に旅をしましょうね」

 微笑みを浮かべるお菊の表情は少し悲しげで、お蘭も別れが辛いのか、彼女の手を取り

「絶対、また会いに来るから。それまで待っていて下さい」

 と別れを惜しむ。

「お松殿、お雪さんのお墓をよろしく頼みます。いつか必ず参りますから」

 蒼龍の力強い言葉を聞いたお松は、彼の顔をじっと見つめながら大きくうなずいた。

「では、そろそろ参ろうか」

 蒼龍とお蘭は北の方向へ、お松は南へと歩を進める。後に残った二人は、右へ左へと交互に目を配り、旅立つ者たちを見送った。やがて、蒼龍たちは通りを曲がり、お松は山の影に隠れて見えなくなった。

「これで良かったのでしょうか?」

 お菊がつぶやいた。三之丞はうなずきながら、

「お蘭殿の病が消えたのですから、よろしいではありませんか」

 と返す。お菊は首を振りながら反論した。

「私は取り返しのつかないことをしました。本来なら罰せられるべきです」

 お菊の悲しげな表情を見て、三之丞は真剣な顔になった。

「俺も人を殺めたことがあります」

「それは生きていくためでしょ?」

「理由はどうあれ、結果に変わりはありません。それは許されることではないでしょう。この世の中が狂っているのかも知れませんな。人が殺し合う世界なんて」

 三之丞は地面に目を向けた。仲間のことを思い出したのだろうか。結局、残ったのは一人だけである。

「話が逸れましたな。ご自身でおっしゃっておられたではありませぬか。亡くなった方々を供養するのがあなたの御役目。そして、蒼龍殿のお言葉通り、あなたが幸せになることが皆の願い」

 お菊は、三之丞の顔をじっと見つめていた。自分の中の何かが揺れ動いた気がした。

「お菊殿が罰せられるべきなら、俺もまた同様。お気持ちが変わらないのでしたら、俺も一緒に付き合いますよ」

 そう言って微笑む三之丞に、お菊は柔らかな笑顔を向けた。


「いろいろと至らぬところもあったな」

 前方に視線を向けたまま、蒼龍はつぶやいた。

「この旅を始めて良かったのかしら?」

 そう尋ねるお蘭も、顔を向けたりはしなかった。

「旅を始めなかったら、お蘭の病は治らなかった」

「でも、こんなにたくさんの犠牲もなかったわ」

「争いは止められなかっただろうが・・・ 確かにここまで酷くはならなかったかな?」

 しばらくの間、話が止んだ。どちらも、思うところがあるのだろうか。

「一つだけ分からないことがあるの」

 突然、お蘭が再び口を開いた。蒼龍がお蘭に目を向ける。

「どんなこと?」

「結局、夢の中でお初ちゃんを呼んでいたのは誰なのかしら?」

 お蘭も蒼龍の顔を見た。蒼龍は、空を見上げながら

「未来の自分が呼んでいたのだろ?」

 と言葉を返す。

「どうやって?」

 再び会話が止まる。蝉の大合唱が、頭に染み入るように響いた。

「今だから言うけど、お蘭の夢の中は死後の世界だったと思うんだ。なら、天国にいる今のお初だったらできるんじゃないかな?」

「子供の頃のお初ちゃんも死後の世界にいたということ?」

「実際、病気で死にかけていたわけだからね。それで、果ての世界にたどり着けば助かるということかも知れない」

「じゃあ、私と出会うことも、病気を治してくれることも、呪われた自分を解放してくれることも分かっていたわけか」

 今度は、お蘭が空に目を遣った。

「でも、どうして自分が将来呪いを受けることを前もって教えなかったのかしら。そうすれば、呪われずに済んだかも知れない」

「姉を生き返らせるためだったら、事前に教えても反魂の式を使うことになっていたさ。自分のことは、自分が一番よく知っている。敢えてそれは伝えなかったのだろうな。代わりに、お前に倒してほしいと、苦しみから解放してほしいと願ったわけさ」

 お蘭は「うーん」と唸りながら額に手を当てた。

「ということは、お初ちゃんは、これから過去の自分に呼びかけようとするわけね。なんだか頭がこんがらがるわ」

「全くだ・・・」

 蒼龍は、目の前に続く長い道を眺めながら、他の話題に移った。

「さて、出雲に戻ったら、まずはどうするかな?」

 その言葉を聞いて、お蘭は人差し指を立てながら応えた。

「部屋のお片付けをしなくちゃ。長い間、家を空けていたから、きっと蜘蛛の巣だらけよ」

「それくらい、平気だよ。とりあえず、俺は休みたいな」

「嫌よ。綺麗にしないと落ち着かないわ」

 その時、蒼龍とお蘭は互いに顔を見合わせた。しばらくは見つめ合っていた二人だが、やがて幸せそうに笑い始めた。

 夏の風景が広がる山間の道を、夫婦二人で連れ添って歩く姿は、今までの激戦を思い起こさせる雰囲気は微塵も感じさせなかった。風が通り過ぎ、お蘭の髪を揺らす。天上には青く澄み渡った空が果てしなく広がっていた。

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死者の見る夢 @tadah_fussy

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