第55話 奇跡の力

 お蘭は小刀を手に、お菊の隣で三対一の闘いを見守っていた。お菊は刀を取り上げられていたので、何もできず立ち尽くすだけだ。

「私たちに何かできないかしら」

 お菊が、お蘭に話しかける。お蘭は、視線を変えることなく、お菊に対して

「足手まといになるだけだわ」

 と答える。不安げな顔で蒼龍たちのほうへ目を向けたお菊であったが、少し経ってから再びお蘭の顔を見た。

「お蘭さんには、湧水の術がありますわ。姿を隠して御三方を助けられないかしら」

「でも、どうやって・・・」

 そう尋ねられると、お菊も答えることができない。二人とも困り果てた顔で見つめ合っていると、何かが破裂する音が聞こえた。銀虫の空飛ぶ拳が火を吹いた瞬間である。両者ともただ呆然と眺めているしか手段がなかった。

 しかし、蒼龍が仰向けに倒れたのを見て、たまらず二人が駆け出した。

「お止めください!」

 銀虫と蒼龍の間に飛び込んで、その身で蒼龍を守ろうとしたのはお蘭であった。さらにその上に覆いかぶさり、お菊が闘いを止めようと叫んだ。さすがに依頼主の孫を傷つけることはできず、銀虫は慌てて手を引っ込めた。

「どかぬか! その男は我らの敵だぞ」

「伊吹様はお亡くなりになりました。あなた方の望みは達成されたのです。これ以上の争いは意味がありません」

 銀虫は目を大きく見開き、お菊に尋ねる。

「何があった?」

「・・・私がこの手で、伊吹様の命を奪いました」

 さしもの銀虫も唖然としながらお菊に目を凝らしていた。

「お前、それが目的だったのか?」

 質問に答えず、うつむいたままのお菊を見て、銀虫は体を震わせた。

「何のために俺たちは争ってきたのか・・・ こんなくだらぬことで、兄者は命を落としたのだぞ」

 胸に刺さったままの刀を自分で抜き取る。血に濡れた刃をお菊に向けた。

「ここで全員、血祭りにしてくれる」

 その刃がお菊に届く前に、銀虫の右腕は地面に落ちた。お松が、銀虫の右肩から脇の下あたりにかけて、見事に斬り落としてしまったのだ。いくら銀虫が驚異の治癒能力を持っていたとしても、切り離されてしまっては修復は不可能だ。

 銀虫は、片足で立ち上がり、逃げようとするが、左腕がまだ三之丞の体に巻き付いたままだった。とどめを刺そうとお松が近づく。驚くべきことに、銀虫は体を回転させて、片足でお松を蹴り上げたではないか。意表を突かれたお松の手にその足が当たり、刀を落としてしまった。

 銀虫は飛び跳ねながら三之丞の下へ移動し、左の腕で彼の体を転がし始める。三之丞は気を失っているのか、もはや抵抗しなくなっていた。

 蒼龍とお松が刀を拾い、銀虫に向かったと同時に、左手が自由になった銀虫が二人を迎え討つために片腕を構えた。右肩の傷はすでに塞がっていた。

「まだだ、俺は倒れぬ」

 銀虫は、片足だけで飛び上がった。蒼龍たちの頭上高く越え、立ち尽くしていたお蘭の背後に着地すると、素早く彼女の首に腕を回した。

「動くな! この女の命はないぞ」

「卑怯な!」

 瞬時に立場が逆転した。蒼龍もお松も微動だにできない。銀虫の近くにいたお菊が慌てて駆け寄ろうとするが、彼の鋭い視線に立ち止まってしまった。

「この女はもらっていく。逃げるまでの大事な人質というわけだ。無事に逃げることができたら、この身は返してやるよ。生きているかどうかは分からぬがな」

 真っ赤に焼けた顔に笑みを浮かべ、銀虫はゆっくりと後ずさり始めた。といっても、片足しかない彼は、蛙のように跳ねながらの後退しかできない。お蘭が逃れようと抵抗するので、銀虫は怒りの形相で

「じっとしていろ」

 と命じる。ずるずると引きずられるお蘭を目にしながら、蒼龍は一歩も踏み出すことができなかった。

「蒼龍殿、このままでは・・・」

 悲痛な叫び声を上げるお松にも、どうすることもできない。銀虫が、二人から目を離そうとしないからだ。

 お菊は、銀虫から付かず離れず、お蘭を奪還する機会を窺っていた。しかし、銀虫は彼女の存在など気にしていなかった。このまま付いてくるのなら、まとめて始末してしまおうと考えているらしい。お蘭は、すでに抵抗をやめて、大人しく従うようになった。もう諦めてしまったのだろうと、銀虫は余裕の表情で後退を続ける。

 銀虫は、左側に残る古い道らしき空地から森の中へ入るつもりだった。腰のあたりまで生い茂る草むらの中に分け入り、一斉に飛び立つ虫たちには目もくれず、蒼龍たちを睨んだまま、木陰に身を隠す。おそらく、蒼龍やお松のほうからは、銀虫の姿は見えなくなってしまっただろう。このまま逃げられると銀虫は確信していた。

 しかし、予期せぬことが起こった。暗がりに身を潜めた瞬間、お蘭の姿が目の前から消えたのだ。体に触れている感触はあるのに、見ることができない。まるで空気を捕らえているような感覚に、銀虫がどれだけ驚いたか、想像に難くない。呆気にとられた顔で立ち尽くしてしまった銀虫に、お菊が決死の体当たりをする。完全に不意を突かれ、銀虫はよろめき、倒れそうになった。左腕の締め付けが緩み、捕らえていた獲物が逃げてしまったことに気づき、態勢を立て直した銀虫は慌ててお蘭の姿を探すが、当然どこにも見当たらない。お蘭は、湧水の術で相手を惑わせたのだ。

「生意気な真似を・・・」

 お菊に対して怒りの目を向けた銀虫であったが、今度は見えざる刺客と対決することになり、お菊を襲う余裕などなくなった。背後から突然、何かがぶつかり、予期していなかった銀虫は思い切り前方へ吹き飛ばされた。

「何事だ?」

 うつ伏せに倒れた銀虫が、片手片足だけで器用に素早く飛び上がり、周囲を見渡しても、お菊以外に人影はない。湧水の術は、気配すら消し去ってしまうのか、人が潜む様子すら全く感じられない。

 しかし、お蘭の術はまだ完璧ではなかった。彼女の下半身が目に入った瞬間、銀虫は叫んだ。

「そこか!」

 電光石火の素早い動きで銀虫はお蘭の居場所に突進した。しかし、それは軽率な行為であった。お蘭は両手に持った刀を銀虫のいる方向へまっすぐ伸ばしたまま立っていたのだ。このとき、お蘭は怖くて目を閉じていたので、これは咄嗟の行動だったのであろう。銀虫は、自らその刃に胸を突き刺すことになった。胸を貫かれたのは、これで何度目であろうか。銀虫の口から真っ赤な血が噴き出した。

 二人は、暗がりから離れ、再び陽の当たる場所に身を晒していた。蒼龍がこの機会を見逃すはずがない。その瞬時の判断力と、稲妻のように走る姿は、隣にいたお松を大いに驚かせた。

 喉に溜まった血溜まりのせいで、銀虫は息ができなくなり、遠のく意識をなんとか保ちながら、それでもまだ、お蘭に対して攻撃を続けようと左手を前に突き出した。お蘭の姿は、時々見えたり、また消えたりしている。それは幻覚のせいだと銀虫は考えていた。もう自分の命は長くないと、彼は悟っていたのかも知れない。一人でも多く道連れを増やすつもりなのだろうか。もはや、人質の命など、どうでもよかった。

 自分の刀が相手の体を貫いた感触に、お蘭はたまらず目を開けていた。銀虫の機械の手が自分に向けられていることに気がつき、慌てて座り込んだのと、その拳が再び発射されたのはほぼ同時であった。拳はお蘭の黒髪を巻き上げながら、遥か遠くに消えてしまう。

 銀虫は、首のあたりに違和感を感じた。その後すぐに自分の視界が天に向けられたので、自分が倒れてしまったのかと錯覚した。体を動かそうとしても、自由にならない。まばゆい光が消え、気がつけば蒼龍が自分の顔を見下ろしている。

「俺はどうなったのだ?」

 話そうとしても、声が出ない。唇を読んだのか、蒼龍が答えた。

「・・・首を刎ねた。もはやここまでだ」


 銀虫の目が霞んできた。子供の頃のことが、走馬灯のように蘇る。機械の手足は、体にくっつければ簡単に動くというような代物ではない。自在に動かせるようになるまで、銀虫は厳しい修行に耐えてきた。体が大きくなれば、義肢は合わなくなる。その度に交換しなければならないわけだから、並の体力、精神力では耐えられないであろう。

 故郷の村からは、役に立たない不要な者として生まれてすぐに殺されかけた。銀虫の驚くべき能力を知っていたのか、それとも単なる気まぐれか、天陰がその身を引き取った。だから、銀虫は、天陰に対して例えようがないくらいの恩義を感じていた。

 銀虫を養っていた一人のくノ一がいた。両親に捨てられた彼にとっては母のような、姉のような存在であった。そして、同時に初恋の相手でもある。年の離れた相手に対する淡い思いが叶うわけもなく、彼が十五の頃、その女性は任務に失敗して命を落とした。銀虫に向かって悲しげな微笑みを見せながら去っていったことを思い出す。危険な任務であったのだろう。自分の死期を予感していたのかも知れない。彼の左頬の入れ墨は、自分を養ってくれたくノ一に対する感謝の念が込められている。

 もはや、視界には蒼龍たちの姿はない。暗くて何もない中で一人立っていると、突然、光を身にまとった一人の女性が天から下りてきた。それが自分の養親であるくノ一だと分かったとき、銀虫の顔から憎しみの表情は消え失せ、まるで少年時代に戻ったような、幼い、穏やかな顔つきに変化していった。女性にその身を抱き締められる、暖かく柔らかい感触に包まれながら、不死身の体を持つ男、銀虫はついに永い眠りについた。

「お蘭、大丈夫か?」

 姿を現したお蘭は、両手で頭を抱えてしゃがみこんでいた。銀虫の体は刀に貫かれたまま、首を失ってもなお、その場に立ち尽くしている。その刀を蒼龍が引き抜くと同時に、銀虫の体は倒れた。首から噴き出していた血しぶきは、すでに止まっていた。死んでなお、その体は修復を試みようとしているのか。

「恐ろしい相手だった。しかし、これで本当に最後だな」

 そうつぶやきながら、蒼龍はお蘭の手をゆっくりと引いて立ち上がらせた。お菊も駆け寄って、お蘭が無事なことを喜んだ。

「三之丞、しっかりして!」

 お松の叫び声が聞こえ、三人は急いで走り出した。

 お松が三之丞の体を抱えながら、必死になって話しかけている。それに対して、三之丞は何も返さなかった。

「脈はあるか?」

 お松が慌てて三之丞の胸に耳をあてがう。

「大丈夫、生きています。あれくらいで死ぬような弱い男ではないはず」

 左の脇腹より少し上側、着物が血に染まっていた。少なからずダメージを受けているようだ。

「肋骨が折れているかも知れない。あまり動かすことはできないな」

「でも、峠を越えなければ医者に見せることはできないわ」

 お松が悲痛な声で訴える。蒼龍は少し考えてから、お蘭のほうへ目を向けた。

「お蘭、お前、夢の中でお初の病気を治すことができたと以前話していただろ? 現実の世界でも、その力を試すことはできないか?」

 その言葉に、お蘭は目を丸くした。

「そんな、どうやって・・・」

「夢の中で、どんな事をしたのか、思い出してみるんだ。湧水の術が夢の中で使えたのなら、逆に病気や怪我を治すことが現実の世界でできるのかも知れぬ。肋骨が心の臓に刺さっていたら、このままでは三之丞殿は助からない。俺は、お蘭の持つ力に賭けてみたいんだ」

 無茶な要求をする蒼龍の顔は真剣そのものだった。お松も、すがる思いでお蘭の顔を見つめていた。お蘭はうなずき、夢の中での出来事を思い出そうと努めた。

「確か、あのときは無意識のうちに、お初ちゃんの顔に触れて・・・」

 意識を失っている三之丞に、頬に痣のあるお初の姿を重ねる。その痛々しい姿を見て、お蘭は思わず顔に触れたのだ。その時、不思議なことに痣が消えてなくなった。同じように、お蘭は三之丞の傷のあたりへ右手を伸ばした。

 奇跡が起こった。お蘭の右手が傷口に触れた瞬間、三之丞が苦痛に顔を歪め、うめき声を上げた。その表情はすぐに和らぎ、やがて目を開けてから

「皆、どうしたのですか? 俺は・・・」

 とつぶやいた。なんと、傷が治ってしまったのだ。お蘭は本当に、傷を治癒できる能力を持っていた。これには、提案した本人である蒼龍も唖然とした。

「これは驚いた」

 お松は三之丞の首に手を回し、抱きつきながら泣いていた。三之丞は、どう対処していいのか分からず、呆然としている。その様子を見ていたお菊は、少し妬いているようだ。

「お松さん、落ち着いてください。俺はどうなっていたのですか?」

「あの男の攻撃を身に受けて、倒れていたのだよ。危ないところだった」

 蒼龍が説明しても、三之丞は納得できない。

「でも、俺はなんともないですが」

「お蘭の力で傷が治ったのだ。脇腹を見てみなさい」

 自分の胸あたりが真っ赤に染まっているのを見て三之丞はびっくりした。まさか、自分が危険な状態にあったとは信じられないのだ。

「しかし、今はどこも痛くない。これが、七宝の力なのですか・・・」

 三之丞は感心したようにお蘭の顔を見つめてから、深々と頭を下げた。お蘭は、照れくさそうに頭を振った。

「そんな、私は大したことはしておりません」

「謙遜することはありませんわ、お蘭さん。素晴らしいことではありませんか。人を癒やす力があるなんて」

 お菊が顔をほころばせるのを見て、お蘭も思わず笑顔がこぼれた。

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