第51話 予期せぬ結末

 雪花は、近づいてきた蒼龍に対して何か術をかけるつもりなのか、左の手のひらを彼のほうへ向けた。しかし、蒼龍は間合いに入る直前で体を横へ移動させる。意表を突かれて雪花は少し驚いたものの、持っていた小刀で素早く斬りつけた。

 刃が、蒼龍の左肩をかすめた。それを物ともせず、蒼龍は雪花の背後にまわり、羽交い締めにした。

「斬るのは無理でも、捕らえることはできるのだな」

 蒼龍は笑顔を見せる。だが、その表情はすぐに驚きへと変わった。雪花の体から発せられた猛烈な圧力が再び彼を襲ったのである。蒼龍は、今度は後ろへ吹き飛ばされた。

 ようやく、お蘭がやって来て、雪花の胸に致命の一撃を加えようとした。しかし、攻撃が遅すぎた。雪花は、お蘭の突きを器用に弾き返す。

 お蘭は防御する側になった。雪花は剣術にも長けていたようだ。お蘭の腕では、全く歯が立ちそうにない。後退するしかないお蘭は、木の根につまずき転んでしまった。雪花が、お蘭の胸を串刺しにしようと右手を振り上げた。

 雪花の動きが止まった。自分の顔を見つめる瞳の色が青く変わったことに、お蘭は気がついた。雪花の表情は虚ろで、どこか悲しげだった。何か話そうとしているのか、口を半開きにしている。唇がかすかに震えていた。

 突然、頭に響くほどの大きな金属音が鳴り、雪花がその方向へ目を向けた。

 源兵衛の刀は、真っ二つに折れてしまった。銀虫の両足は金属でできている。刀では斬ることができなかったのか。いや、銀虫の右足もまた、膝から下が失くなっていた。両者、相打ちだったようだ。

 片足を失い、銀虫はその場で倒れてしまった。とどめを刺そうと源兵衛が前に踏み出したとき、雪花が間に割り込んできた。その目は再び、燃えるような赤色に染まっている。

 源兵衛は慌てて視線を外した。だが、それは失敗だった。雪花は、お蘭の身代わりとして源兵衛を選んだのだろうか。持っていた刀を彼の胸に突き立てたのだ。

「源兵衛様!」

 立ち上がり、二人の様子を見ていたお蘭は、源兵衛が胸を押さえながら倒れた瞬間、大きな声で叫んだ。雪花は、地面に横たわる源兵衛を呆然と眺めている。

 源兵衛の下へ向かおうとするお蘭を制止する者がいた。蒼龍が、いつの間にか、お蘭のそばまでやって来て、肩を掴んだのだ。

「逃げるんだ、お蘭。どうも様子がおかしい」

「でも・・・」

「お菊殿を連れて、早く!」

 少し離れた場所に、お菊が一人で立ち尽くすのが目に入った。

「俺は、なんとか全員を助け出してから後を追いかける」

「伊吹様は?」

「気絶している。少し眠っていてもらったよ」

 蒼龍は少し微笑んでから、すぐ真顔になって同じ言葉を繰り返した。

「早く、逃げるんだ!」

 蒼龍の一喝で、お蘭は走り出した。お菊の手を引き、無我夢中で山を駆け下りる。

「お蘭さん、お願い、止まって!」

 お菊の叫び声が耳に入り、お蘭は立ち止まった。二人とも息が整うまで話すことができなかった。

「大丈夫ですか、お蘭さん?」

 お蘭が崩れるように座り込んだので、お菊は驚いて声を掛けた。持っていた小刀を手放し、お蘭は泣き出した。


 助けると明言したものの、蒼龍にはそのための妙案など何もなかった。今はただ、雪花の様子を静かに観察することしかできない。彼女は動かなくなった源兵衛から、その近くに横たわっているお松と三之丞へ目を向けた。手には、源兵衛の血で濡れた刀を携えたままだ。

「二人には手を出すな」

 蒼龍が大声で叫ぶと、雪花は視線を向けた。黄金色に輝く瞳を見ないよう、蒼龍は目を伏せる。

「お蘭さんを・・・ 連れて来なさい」

「なぜ?」

 雪花は、一呼吸置いてから再び話を始めた。

「彼女は七宝の一人。生かしておくわけには参りませぬ」

「これまで大切に扱っていた者を、今度は殺そうとするのかい?」

 雪花は何も答えない。蒼龍は彼女に揺さぶりをかけてみた。

「お蘭とお前は同じ呪いを受けている」

「私は呪われてなどいない」

「お蘭が死ねば、お前も死ぬ。そして、また生まれ変わるんだ。すべてを失って」

「それ以上言うな!」

 沈黙が続いた。聞こえるのは風の音ばかり。その風に雪花の長い黒髪が揺れた。

「この二人を助けたいのなら、お蘭さんを連れて来るのです」

「わざわざ殺されるためにか?」

「逆らうのなら、この場で全員の命を奪ってしまうまで」

「待て! お前の指示に従う」

 蒼龍は早口で答えた。いずれ、お蘭と雪花は再び対戦しなければならない。決着がつくまで、逃げることは叶わないと判断したのだ。

「一つだけ教えてくれ」

「何ですか?」

「どうして、お前は今までお蘭を守ろうとしたのだ?」

 雪花はすぐには答えようとしないので、蒼龍は話を続けた。

「呪いが関係ないのなら、お蘭を助ける理由など何もない。お前が嘘をついているのか・・・」

「嘘をついて、何の得があるの?」

「そうだな、何の得もない。だから、お蘭を大切に思う気持ちが、お前にはまだ残っていると俺は信じているんだ」

「そんな気持ちなど全くありませんわ。あるのは憎しみだけ。今まで、お蘭さんを守っていたのも単なる気まぐれに過ぎません。七宝の一人だと分かれば、容赦いたしませぬ」

 蒼龍が、伏せていた目を雪花に向けた。心を見透かされたように感じたのか、雪花の視線が泳いだ。

「早く行って!」

「伊吹殿は連れて行ってもいいか?」

 蒼龍が背後で倒れている伊吹に目を向ける。雪花は鋭い口調で返した。

「それはなりませぬ」


 蒼龍が去った後、お松と三之丞は術を解かれたものの、片足の銀虫によって監視され、逃げることはできなかった。今は、源兵衛の亡骸に寄り添い、大人しく座っていることだけだ。雪花は、二人には背を向けて、峠から見える山々を眺めている。伊吹は気を失ったまま放置されていた。

「お松さん、大丈夫ですか?」

 お松は、涙で濡れた目を、もはや動かなくなった源兵衛に向けていた。その姿を、三之丞は心配そうに見守っていた。

「源兵衛さんまで死んでしまうなんて」

 三之丞は、他に何も言葉を掛けることができない。助けることのできなかった自分の不甲斐なさと、ためらいなく源兵衛に致命の一撃を加えた雪花への怒りが相まって、その視線は自然に彼女へと向けられる。それに気づいたのか、雪花は振り向いて彼の顔を見た。

「私が憎いですか?」

 雪花は、二人に近づき声を掛けた。お松は、雪花を睨みつける。

「あなた方は、私たちの仲間の命を奪ってきた。同じことではありませぬか?」

 そう指摘され、二人はしばらく何も言い返せなかった。それでも、三之丞は怒りに任せて反論する。

「元はといえば、そちらが仕掛けてきたことだ。殺されたのも、こちらが先だぞ」

「きっかけは伊吹様ではありませぬか? お菊さんが失恋したことが、そもそもの始まりだったのですから」

「それだけのことで・・・」

 お松が声を震わせ叫ぶのを、雪花は遮った。

「争いごとのきっかけなんて、取るに足らないものばかり。でも、あなたにとっては些細な事でも、本人は死ぬほど辛い思いをしているのよ」

 それは二人にも分かっているだけに、否定することはできない。お松は言い争いを止めて源兵衛の亡骸に再び目を向けた。その様子を見て三之丞が再び慰めの声を掛ける。そして、雪花は二人を黙って眺めていた。何か不審に思ったのか、三之丞が彼女のほうへ顔を向ける。

「まだ何か用かい?」

 雪花は、ゆっくりと首を横に振り、静かにその場を立ち去った。


「お松さんと三之丞様は?」

 お菊の問いかけに対して、蒼龍は

「すまない」

 と言うことしかできなかった。お菊の横で、お蘭は座り込み、地面に目を落としている。

「ごめんなさい。私のせいです」

 小さな震える声で、お蘭はつぶやいた。

「お前は、よく頑張ったよ。あの女、単に妖術が使えるというだけではない。長く生きてきたからなのか、闘いにも相当慣れている。もう一度、作戦を立て直さねばなるまい」

 蒼龍は、源兵衛の事についてはあえて触れなかった。お蘭の言葉が、彼の死を指していることは明白だったからである。彼女に寄り添っていたお菊も優しく声を掛ける。

「お蘭さん、お松さんと三之丞様を助ける方法を一緒に考えましょう。あなただけに重荷を背負わせることなんてさせない。私も、できる限り協力するから」

 ゆっくりと顔を上げ、お菊の顔を見つめるお蘭の目には、涙が溢れていた。

「私のせいで、源兵衛様は命を落とされた。あの時、私が刺されていれば、誰も悲しまずに済んだのに」

 お蘭の言葉を聞いて、蒼龍はいきなり、お蘭の両肩を強く掴んだ。

「俺はどうなるんだ? 俺が悲しまないと、お前は思っているのか?」

 目を見開いたお蘭を見つめる蒼龍の表情は険しく、そして悲しみに満ちていた。

「源兵衛殿は命を落とし、お前は助かった。時を戻すことはもうできない。受け入れるしかないんだ。お前がいくら悲しんでも、自分を責めても、源兵衛殿は帰ってこない」

 あまりにも激しい口調に、お菊が思わず声を上げた。

「蒼龍様、お蘭さんをこれ以上叱らないであげて」

 お蘭の顔を睨んだまま、蒼龍は口を閉ざしてしまった。下を向き、泣きじゃくるお蘭に、お菊は当惑しながらも

「お蘭さんは何も悪くないわ。御自分を責める必要などありません」

 と話しかけた。蒼龍は、静かに二人から遠ざかり、背中を向けたまま空を見上げた。あとは、お蘭のすすり泣く声が聞こえるのみであった。


 血のように赤く染まる地面には、二つの死体が今も横たわっている。太陽が、低く垂れ込めた雲を錆色に染めていた。もうすぐ、その陽も沈む。しかし、蒼龍もお蘭も現れない。

 雪花は、相変わらず山を眺めているだけで、お松と三之丞には何の関心も示さなかった。

「暗くなる前に、遺体を埋めてあげたいんだけど」

 お松が尋ねる。雪花は振り返り

「勝手にしなさい」

 と答えただけだった。

 峠には岩場が多く、少し離れた場所まで遺体を運ばなければならなかった。それに対して、雪花は特に何も言わない。二人は、源兵衛だけでなく、猪三郎の遺体も地面に埋めた。作業が終わった頃には、あたり一面、闇に包まれていた。雪花の姿は見えない。銀虫は近くにいるのだろうが、暗すぎてどこにいるのか分からない。

「火を起こすけど、いいわね」

 お松の声に反応はなかった。仕方なく、その場に立ち尽くしていると、突然、炎が舞い上がった。雪花が妖術でも使ったのだろう。少し驚きながらも、二人は焚き火の近くに座り、揺らめく炎を黙って眺めていた。

「現れませんわね」

 いつの間にか、雪花が対面に座っていたのを知り、お松は少し飛び上がった。

「待っていても、すぐには来ない。今頃は、お前を倒す算段をしているのだろう」

 三之丞は、不敵な笑みを浮かべながら受け答えした。

「無駄な努力をなさるのですわね」

 雪花は、胸のあたりにパックリと開いた切り口をそっと押さえた。血が着物を赤く染めている。

「でも、傷を負ったのは初めてです。そんな力があるなんて・・・ さすがは白銀の血を受け継ぐ者」

 不意をついて雪花を倒すことはできなくなった。彼女も、お蘭には用心するようになるだろう。

「もう、治りましたけどね」

 出血が止まっているだけでなく、傷も完全に塞がっている。二人は何も言い返すことができなかった。

 それからは三人とも、会話することなく焚き火を取り囲んでいた。ふくろうの鳴く声が近くから聞こえてくる。その声に反応したのか、お松が立ち上がった。

「どうしたのですか、お松さん?」

 驚愕の表情が、炎に赤く照らされている。三之丞が慌てて叫んでも、お松はなかなか口を開かない。

「若旦那のことを忘れていたわ」

 三之丞が、お松から雪花へ視線を移した。雪花は無表情のまま

「私も忘れていました。まだ、地面に横たわっておりますね」

 と小さな声で言った。


 雪花たちと同じように、蒼龍たちも平らな場所を見つけて火を起こし、束の間の休息をとっていた。誰も話そうとせず、ぼんやり炎に目を向けているだけだ。今だけのことではない。蒼龍がお蘭に対して厳しい言葉を投げかけてから、二人は言葉を交わしていなかった。お菊はいろいろと二人に話しかけながら、なんとか仲直りさせようと努めたが、もう諦めたようだ。

「蒼龍様、なにかいい案はありませぬか?」

 お菊に尋ねられても、蒼龍は返す言葉がなく、深いため息をついた。それからしばらくして、お蘭に声を掛けた。

「お蘭、まだ拗ねてるのかい?」

「拗ねてなんかいません」

 お蘭は蒼龍に怒った顔を向けたが、その表情はすぐに曇り、再び目の前の焚き火に目を移した。

「もう、諦めるか、お蘭」

 蒼龍の一言は、お蘭をもう一度振り向かせるのに十分な効果があった。

「源兵衛殿は命を落とされた。他の仲間も危険な状態にある。今のところ、打つ手もない。だから、雪花を倒すのは止めるか」

「そんな・・・ 私は約束したのです。お初ちゃんを必ず救うと心に誓ったのです」

 お蘭の顔は真剣だ。蒼龍は、自分に向けられる彼女の目をじっと見つめた。

「お松殿や三之丞殿の命を失うことになっても、お前は耐えられるか?」

 彼女の視線が揺れ動く。蒼龍は目を閉じて

「この闘いは犠牲を伴う。それを覚悟することができなければ、相手に勝つのは無理だ」

 と厳しい口調で説いた。覚悟が足りぬと言われたのは、これで二度目だ。お蘭は、あの老婆から浴びせられた辛辣な言葉を思い出し、うつむいてしまった。

「私が雪花様を説得いたします。二人を解放するようにと」

 お菊が突然、申し出た。しかし、伊吹は頭数に入っていないようだ。

「あなたの言葉を素直に聞いてくれるとは思えぬが」

「何もせずに待っているなんて無理ですわ。私も、できる限りのお手伝いはさせて下さい」

「わざわざ捕まりに行くようなものです。お止め下さい、お菊さん」

 お蘭は、お菊の無謀な提案にかなり驚いたらしく、止めさせようとする。それに対して蒼龍は、とんでもないことを口にした。

「お菊殿に任せてみるのも手だな」

 二人は目を丸くした。

「あなた、本気でそんな事を考えていらっしゃるの?」

 お蘭は眉をひそめて叫んだが

「では、明日の朝にでも交渉に参りますわ」

 お菊は真面目な顔でうなずいた。

「ふむ、まだ陽が完全に昇らぬうちに行ったほうがいい」

「ちょっと待って・・・」

 お蘭の言葉を蒼龍が遮った。

「お蘭、お前はもう一度、雪花を倒すことが自分にできるのか、よく考えるんだ」

 真剣な眼差しを向ける蒼龍に対して、お蘭は何も言えなくなってしまった。

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