第50話 決戦の場へ
お蘭は、昔から過ごしていた夢の世界に戻ってきた。
あたり一面に草原が広がり、それを貫く道が真っ直ぐ伸びている。以前と同じように、お蘭はその道を進んでいた。
物心ついたときから見慣れた景色。穏やかで、でも退屈で、恐怖はなく、感動もない夢の中。一時経てば忘れてしまいそうな場所であっても、久々に訪れたお蘭にとっては妙に懐かしく感じられた。
周囲には誰もいない。これも今までと同様だった。人どころか、獣や鳥もいない世界で、孤独に耐えながらさまよい歩いた日々。それは実世界でもあまり変わらなかったような気がした。呪いが、人との関わりを難しくさせていたのだ。夢の世界との唯一の違いといえば、いつもそばに蒼龍がついていてくれたところだろうか。お蘭にとって、蒼龍は小さな頃から特別な存在だった。その感情は、恋愛という一言だけでは表すことができない複雑なものであった。その男と夫婦になれたのだから、自分は幸せな人間だ。お蘭はそう思っていた。あの、巨大な門の前にいた老婆に会うまでは。
老婆の前で啖呵を切ったものの、あの後、お蘭は悩み、苦しんでいた。蒼龍が命を失う危険に晒されたことは一度だけではない。この旅の中でも、彼の背中を見送るしかない絶望に涙したことがある。いつか、別れの日が来るかも知れない。その時、自分はどうしたらいいのか分からなかった。そんな場面を想像したくはない。しかし、それでは逃げているだけになる。今、自分以外に何も存在しない世界の中で、お蘭はゆっくりと考えてみることにした。
「やっぱり、あなたなしでは生きてゆけないか・・・」
蒼龍のいない世界など想像できなかった。彼が死ぬときは、自分も命を絶つ覚悟を持たなければならない。そう考えると、少し気が楽になった。
「でも、あなたは許してくれないでしょうね」
お蘭は寂しげに微笑んだ。
ふと、お鈴の姿が頭に浮かぶ。彼女が最後に教えてくれた湧水の術。お蘭は、夢の中で使えるのだろうかと、試しに印を結んでみた。すると、自分の手が透けて、その向こう側が見えるようになったではないか。お蘭は目を丸くした。
「これが・・・ 湧水の術? すごい」
手を太陽にかざしてみる。光が通り抜け、彼女の目まで届いた。その眩しさに目を閉じながら
「現実の世界でも、これが使えればいいんだけどな」
と笑みを浮かべた。
前を向き、目を開く。一本の巨木が見えてきた。お蘭には見覚えのある光景であった。お初と出会った場所であることを思い出し、彼女は我知らず走り出した。長い時間を掛けてようやくたどり着いたその木の裏側へ移動してみる。しかし、お初の姿はなかった。
「お初ちゃんは、元の世界に帰ったんだもの。いるはずがないわよね」
お蘭は笑った。自然と涙が溢れてきた。乾いた風が、彼女の長い髪を揺らす。空はどこまでも青く、澄んでいた。ザワザワと木の葉が心地よい音を立てる以外、聞こえてくるものはない。
お初と同じように、お蘭も木にもたれて座ってみた。代わり映えのない風景を眺めながら、旅を始めた時のことを思い出す。現実での蒼龍との旅と、夢の中でのお初との冒険。どちらも、遠い昔のことのような気がした。
先祖の残した言葉が頭に浮かぶ。もし、雪花に一太刀与えることができたとしても、呪いから解放されたいと願わない限り、彼女が倒れることはない。果たして、姉が生き返ることをあきらめてくれるだろうか。どうすれば雪花に、不死の身を捨てる決心を固めさせることができるのか。いくら悩んでも答えは得られなかった。
「機会は今しかない。私が失敗すれば、お初ちゃんは消えてしまうのね」
強い意志とともに、お蘭は立ち上がった。再び、歩を進める彼女に別れを告げるように、巨木は葉を揺らし、爽やかな音を奏でた。
決戦の日がやって来た。朝もやの立ち込める薄暗い道を、六名は黙々と前に進む。
険しい顔をする皆の中で、お菊だけは少し寂しげな表情だった。
「お菊殿は、我々の成功を祈っていてくれ。それだけで、俺たちとしては心強くなる」
お菊の様子に気づいた蒼龍が声を掛けた。
「ごめんなさい。私も剣術を習っていれば、お手伝いできるのに」
「人にはそれぞれ役割というものがある。あなたが必要となる時は必ずありますよ。それまでは、どうか安全を確保していてくだされ」
源兵衛も励ましの言葉を投げかける。お菊は、一度うなずいてから
「皆さん、どうかご無事で。あまり無理をなさらないでね」
と気遣った。
石板に掘られた小さな地蔵を見つけた。峠までの中間地点にそれはあると、村人から聞いていた。
「お菊殿は、ここで待っていてくれないか」
先頭を歩いていた蒼龍が立ち止まり、お菊に声を掛けた。
「休憩するには少々狭いな」
源兵衛が周囲を見渡す。
「すまないが、辛抱してくれ。この先も、広い場所があるのか分からないんだ」
笑いながら返した後、蒼龍は真顔になり、お菊に告げる。
「もし、夕暮れになっても誰一人戻らなかったら、その時は失敗だったと思ってくれ。すぐに山を下りたほうがよかろう。あとは、お蘭が生きていることを信じて、助ける手段を考えてほしい」
お菊は首を横に振った。
「そんなこと、想像したくありませぬ。必ず戻ってきてくださると信じています」
蒼龍の顔が少し和らいだ。
「ありがとう。しかし、今度の対決は先が読めぬ。吉と出ればよし、凶と出れば・・・」
視線を下に落とし、間をおいた後に、蒼龍は再びお菊に目を凝らした。
「このことを知っているのはお菊殿だけになる。あなたの力が必要になるのだ」
目を大きく開いて、蒼龍の顔を見つめていたお菊は、ゆっくりとうなずきながら
「もしもの時は・・・ 承知しました」
とかすれた声で答えた。目が涙で潤み、まだ何か言いたげに口を開いている。すると、蒼龍の横にお蘭が現れ、お菊の手を強く握りしめた。
「必ず戻るから、約束するから、そんなに悲しい顔をしないで」
お蘭の言葉を聞いて、お菊は突然、お蘭に抱きついた。お蘭も、お菊の背中に手を回し、そのまま長い間、二人は動かなかった。他の四人は、その姿をじっと見守るだけだった。
「ところで、湧水の術とやらは会得できたのかい?」
皆が緊張した面持ちで進む中で、蒼龍は何気なくお蘭に尋ねた。どうして今、そんな事を聞くのかと少し驚きながらも、お蘭は
「夢の中では使えたんだけど」
と答えながら手を動かしてみた。
「お蘭殿、姿が消えてしまったぞ!」
源兵衛が素っ頓狂な声を上げた。他の者も立ち止まり、お蘭がいるはずの場所を眺めている。術は成功したように見えたが、完璧ではなかった。
「お蘭、時々、姿が見えてしまうな」
蒼龍の指摘通り、完璧に姿が見えないというわけではなく、頭や足の部分が現れたり、場合によっては全体が見えてしまうこともある。
「もし、完全に習得しているのなら、使わない手はないんだが」
「まだ、訓練が必要なのかしら」
お蘭が落胆したのを見て、蒼龍は
「でも、使えるようになったのは上達した証拠さ。もっと練習すれば、完璧になるだろう」
と声を掛けるが、お蘭は笑顔を向ける蒼龍に反論した。
「今、完全でなければ意味がないわ」
狭く、何度も折れ曲がる登り坂の道を歩き続け、ついに峠へ到着した蒼龍たちが見たものは、道の中央で立ち尽くす雪花の姿だった。
「今まで、ここで待っていたのか。御苦労なことだな」
「退屈はしませんでしたわよ。素敵なお人形が手に入りましたもの」
雪花の隣には伊吹がいた。虚ろな顔で、自分たちに全く気づいていないように感じる。背後には巨体の猪三郎、そして、その横に赤い髪をした銀虫がいた。
「お菊さんはどこに?」
「危険ゆえ、連れてこなかった。お前たちには不本意だろうがな」
「あら、そんなことはございませんわ」
雪花が妖艶な笑みを浮かべる。猪三郎の背後から誰かが姿を見せた。それは、お菊であった。男に腕を掴まれ逃げることができない。苦しそうにもがく様子に、蒼龍たちは唖然とした。
それと同時に、頭上から何かが降ってきた。それらは源兵衛とお松、そして三之丞の背後に落ち、首筋に刃を向ける。完全に不意をつかれ、蒼龍や源兵衛すら何もできなかった。そもそも、気配すら全くなかったのである。
三人を捕らえられ、蒼龍は身動きが取れなくなった。ただ、雪花の顔を睨むことしかできない。
「さて、蒼龍様、私たちはここで失礼させていただいてもいいのですが、それでは納得なさらぬ方がいます。今から、その方と対決していただきます」
猪三郎が、一歩前に踏み出した。雪花は、手で素早くいくつもの複雑な印を結び、それから猪三郎の背中をポンと叩いた。
猪三郎の体から突然、猛烈な闘気が溢れ出したのを蒼龍は感じた。巨体がさらに大きくなったような気がする。蒼龍は無意識のうちに刀を抜いていた。
急に猪三郎の体が消えた。気づいたときには蒼龍の目の前にあの巨体が迫っていた。人間とは思えない、驚くべき速さだ。しかし、蒼龍もまた超人のごとく反応し、その突撃を避ける。相手は、すでに刀を手に取り、蒼龍を突き殺すつもりだったようだ。
「まさか、今の攻撃を避けるとはな」
猪三郎が驚きの声を上げたのは、本当に蒼龍が攻撃を避けたからなのか、それとも予想以上の速さを自分が得たせいなのか。
「なにか術でも掛けたのか?」
「鬼の咆哮・・・ 力と速さを何倍にも高めてくれます」
蒼龍の質問に、背後から雪花が答えた。猪三郎は愉快そうに笑いながら、刀の切先を蒼龍へ向ける。しかし、蒼龍は臆することなく、巨大な相手を睨みつけた。
「その顔、気に入らぬ・・・ 簡単には殺さぬぞ。まずは利き腕を落としてやろう」
刀を振り上げ、猪三郎は一気に間合いを詰める。右肩への剣閃を、蒼龍は紙一重で避けた。相手はすぐに胴斬りを仕掛ける。今度は後ろへ飛び退いたが、左腕を切先がかすめた。
「あなた!」
お蘭が近くにいることを知り、蒼龍は叫んだ。
「後ろに下がるんだ。巻き込まれるぞ」
「避けてばかりでは、お前の大事な女房も死ぬことになるな」
猪三郎がなおも斬りつけようとしたとき、甲高い声が響いた。
「お蘭さんを傷つけてはなりませぬ」
雪花の一言で、猪三郎の動きがピタリと止まった。背中を見せ、二人から離れていく。ある程度の距離を取り、蒼龍のほうへ再び体を向けた。
「来い、蒼龍、尼子の怪物よ。殺された者たちの無念、ここでお前にぶつけてやる」
蒼龍は、ゆっくりと前へ進んだ。あと数歩で間合いに入るというところで止まり、猪三郎に言葉を投げる。
「お前には、俺を倒すことなどできぬよ」
大胆不敵にも、蒼龍はそう言って余裕の笑みを見せた。猪三郎の顔は赤鬼のようになった。
「おのれ・・・」
怒りが頂点に達した猪三郎は、一気に前へ踏み込んだ。すると、蒼龍もほぼ同時に走り出すではないか。二人が交差したのは、ほんの一瞬の間のことだ。お互い背中を向けた状態で静止し、そのまま動かなくなった。
お蘭は、息を殺して二人の動向を見守っていた。風が止まり、空気さえも固まったように感じた。ふと、雪花の顔が目に入った。退屈そうな表情で、決闘の様子をぼんやり眺めている。
先に動いたのは猪三郎のほうだ。振り向きざま、刀を振り上げ、二歩だけ前に進んだ。蒼龍は、背中を向けたままの状態だ。その目は、雪花を睨んでいる。
「仲間を見捨てたな」
雪花は、蒼龍の言葉を聞いて眉を上げた。
「本人が望んだことですわ」
猪三郎の動きは完全に止まっていた。ゆらゆらと体が揺れ始める。
「術を掛けられていなければ、まともに闘えた」
「でも、勝つことはできないでしょ?」
地響きを立てて、猪三郎の体は仰向けに倒れた。同時に、胸のあたりから大量の血が噴き出す。
「此奴の目、あらぬ方向を見ていた。自分の速さに目が追いついていなかった。盲目の状態で闘うようなものだ」
「本人がそれに気づいていれば、もっと賢く立ち振る舞うことができたでしょうに」
蒼龍は、雪花に向けていた目を、自分が倒した相手に移した。猪三郎は、目を見開いたまま、息絶えていた。
「お蘭、来なさい」
その呼び声に、お蘭はすぐ反応し、慌てて蒼龍の下へ駆け寄った。雪花の顔が険しくなる。
「お蘭さんを盾にするおつもりか?」
「その逆だよ。俺が盾になる。お前を倒せるのはお蘭しかおらぬでな」
「私を? お蘭さんが? お戯れは困りますわ。あなた方と争う必要はもうありませんから、これで失礼いたしますわね」
雪花が立ち去ろうとするのを制したのはお蘭だった。
「お待ち下さい雪花さん。いや、お初ちゃん。この刀を見てちょうだい」
お蘭は、懐から刀を取り出した。七宝の中の一つ『白菊』だ。それを目にした雪花の顔色が変わった。
「私は七宝の一人、白銀の血を継ぐ者。あなたにとっては敵になるはず」
お蘭の突然の告白に驚いたのは雪花だけではない。蒼龍もまた、慌てふためいた。
「どうしてそれを?」
「こうでもしないと逃げられてしまいます」
大胆なお蘭の行動に当惑しつつ、その覚悟を改めて知った蒼龍は笑みを浮かべながら
「さすがは賢者の血を継ぐ者だな」
とつぶやいた。
蒼龍とお蘭が再び雪花に視線を移したとき、彼女の目は紅に染まっていた。蒼龍は急いでお蘭の目をふさぐ。
「奴の目を見るな。術を掛けられるぞ」
雪花は、このとき明らかに混乱していた。自分の守りたい者が、憎むべき七宝の子孫だったのだから、当然のことであろう。
「それは、冗談ですわね、お蘭さん」
「嘘ではありませぬ。私は正真正銘、あなたが最も憎む七宝の子孫です。あなたが、どうして私たちを憎んでいるのか、それも把握しております」
「どうやって・・・」
「あなたの姉のお鈴さんにも、その夫の時三郎様にもお会いしました。反魂の式を使い、あなたが呪われる身となったこと、そして、私がその対の呪いを身に受けていることも存じております」
「私が呪われている? 反魂の式とは一体、何なのですか?」
雪花の言葉に、二人の顔が強張った。
「あなたは、お鈴さんを生き返らせるために反魂の式で自らに呪いを掛けたのよ。それからずっと、転生を繰り返しながら、あなたはこの世に存在していた」
「お鈴・・・ 姉? 生き返らせる・・・」
雪花の顔が苦痛にゆがむ。耳をふさぎ、頭を激しく横に振り始めた。
「何も覚えていないのか?」
蒼龍が叫んだ。
「記憶を失っているのだわ。呪いのことも、姉の名前も、自分の名前さえも・・・」
腕が力なく垂れ下がり、うつむいた状態の雪花は動きを止めた。その周りに黒い影が湧き出し、彼女の体は淡く光っているように見える。やがて、おぼつかない足取りで、雪花は呆気にとられる蒼龍たちに近づいていった。
「お前が憎い・・・ お前は姉を奪った・・・ 憎い・・・ 殺す・・・ お前は死ね」
不気味な妖気にお蘭だけでなく蒼龍さえも恐怖を覚えた。明らかに、今までとは様子が異なっていた。
他の者たちにも異変が及んだ。銀虫と伊吹が突然、崩れるように倒れてしまった。雪花の制御から解放されたようだ。源兵衛たちを取り押さえていた根来衆も、元の死体へ戻った。
「どうしたことだ・・・」
源兵衛は唸り声を上げた後、慌てて蒼龍を助けるために駆け寄ろうとする。お松や三之丞も後に続いた。
同じく束縛から逃れたお菊は、倒れた伊吹に近づき、体を揺らしながら声を掛けた。
「伊吹様、しっかりして」
まだ、雪花の術から完全には逃れていないのか、伊吹が気づく気配はなかった。少しでも今の場所から離れようと、伊吹の大きな体を引きずりながら、お菊は後方へと移動を始める。その音に、雪花が勘づいた。背後に目を移し、何か術を掛けようとお菊のほうへ手を伸ばす。
「行くぞ、お蘭」
蒼龍が、横で立ち尽くしていたお蘭に声を掛けた。お蘭は、少し驚きながらも、すぐに真剣な顔でうなずく。蒼龍もうなずいて、雪花に目を遣り、一呼吸おいてから一気に走り始めた。
お菊は、雪花が自分を狙っていることに気づいていなかった。伊吹の体を引っ張ることに夢中だ。すると突然、伊吹が起き上がり、お菊の腕を掴んだ。彼は再び、雪花の呪縛に捕らえられたのだ。悲鳴を上げながら、お菊は伊吹の手を振り払おうと体を揺り動かした。しかし、伊吹の力に抗うことはできない。
お菊を捕らえたことを確認し、蒼龍のいる方向へ目を移す。すぐ近くに蒼龍の姿があるのを知り、雪花はかなり驚いたようだ。蒼龍は、彼女の頭上に刀を振り上げた。反射的に懐刀を手にした雪花は、それを受け止めようとする。今までは避けようともしなかったのに、今回はいつもの余裕が全くないらしい。好機だ。
「お蘭、今だ!」
無防備になった雪花の胸に、蒼龍の左横から飛び出したお蘭の刃が迫る。返り血が、蒼龍の顔に飛び散った。
雪花は、苦痛の表情を浮かべた。お蘭の刃は、雪花に怪我を負わせたのだ。しかし、それは心臓から外れてしまった。雪花はとっさに、体をひねって避けていた。
「この私に傷を?」
顔を歪ませ、お蘭の顔を睨む雪花に対し、お蘭は呆然と自分の刀に付いた血を眺めていた。蒼龍が叫ぶ。
「お蘭、攻撃を続けるんだ」
雪花の刀を、蒼龍は見事に弾き飛ばした。しかし、お蘭の反応が遅れた。雪花のほうが早く態勢を整え、気合を入れて叫んだ。
凄まじい衝撃を受けて、蒼龍とお蘭は後ろへ吹き飛んでしまった。為すすべもなく後ろで決戦の様子を見ていた三之丞が、とっさにお蘭の体を受け止めた。仰向けに倒れながらも、三之丞はお蘭の体を離さなかった。
「三之丞様、大丈夫ですか?」
三之丞が盾となってくれたおかげで、お蘭は無事であった。しかし、三之丞の体は地面に強く打ちつけられ、すぐには立ち上がれない。
蒼龍は、体を一回転させながら地面に片手を突いて、器用に着地していた。恐るべき身体能力ではあるが、もう少しで崖から落ちるところであった。雪花からは、かなり遠ざかり、ちょうど真ん中あたりにお蘭たちがいる状態だ。
雪花が手を素早く動かし始めた。妖術を使うつもりだ。
「気をつけろ!」
蒼龍が叫ぶと同時に、雪花が手を振り下ろす。源兵衛とお松は、三之丞のもとに駆けつけていた。
「俺のことはいい、早く、お蘭殿を安全な場所へ」
源兵衛が素早くお蘭を抱え、雪花から遠ざかる。お松は三之丞を助けようと手を差し伸べるが、間に合わなかった。
突然、空から白く輝く雪の塊が落ちてくる。それがお松と三之丞の体に触れた瞬間、二人とも身動きが取れなくなった。
雪のように見えたものの正体は、非常に細い糸で編んだ網だった。しかし、二人がどんなに暴れても断ち切ることができないほど丈夫だ。
お菊にお松、そして、三之丞まで捕らえられてしまった。残るは蒼龍、お蘭、源兵衛の三人のみ。
「大丈夫か、お蘭?」
地面に下り立ったお蘭は、駆けつけた蒼龍に軽くうなずいてから、雪花のいる場へ目を向けた。彼女は、地面に落ちた自分の刀を拾い上げている。銀虫が意識を取り戻し、立ち上がって前に進み始めた。
「あの男はわしが相手をする。二人は雪花を倒してくれ」
そう言い残し、源兵衛は銀虫に向かって走り出した。
「俺たちも行くぞ」
蒼龍も前に飛び出す。その後ろを懸命にお蘭は追ったが、二人の差はあっという間に広がってしまった。自分に向かってくる相手を、雪花はすでにその真っ赤な目で捉え、身じろぎもせず待ち構える。
銀虫は、もはや蜘蛛の糸に巻き取られたような状態のお松と三之丞を標的にしているらしい。その前に、源兵衛が立ちはだかった。
「久しぶりだな」
源兵衛の言葉に、銀虫は反応しない。まだ、雪花に操られているようだ。すぐ横を蒼龍が通り過ぎたのに、全く関心を示さず、源兵衛の顔をじっと見つめている。刀を構えた源兵衛は、その様子を意にも介さず、話を続けた。
「体を傷つけただけでは倒すことは不可能」
銀虫が、だらりと垂れていた両腕を構える。
「ならば、切断してみたらどうかと考えたのだよ」
上段に構える源兵衛に対し、銀虫は一気に前へ踏み出し、無防備な源兵衛の胴を右足で蹴ろうとした。だが、その動きを源兵衛は読んでいた。飛んできた足めがけて、刀を真っ直ぐに振り下ろす。
あたりに、耳を塞ぎたくなるような甲高い音が響いた。何かが、両者の間から舞い上がる。それは、折れてしまった源兵衛の刀の切先であった。
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