第36話 七人の賢者

「どうやら、あなた方にお願いしたのは間違いだったようです。手荒い真似はしないようにと申しておいたはず。聞けば全員を縄で縛っていたそうですね」

「逃亡の機会を与えれば、捕らえる際に傷を負わせる可能性もある。少々乱暴だが、そのほうが安全に運べるのです」

 雪花の前に、根来寺から戻った法心が現れたのは、あたりが赤く染まる夕暮れ時のことであった。森の中を、時折心地よい涼風に乗って、ひぐらしの鳴き声が聞こえてくる。

 法心は、二人の手下を従えて雪花の前に立っていた。頭には柿色の頭巾を被り、鋭い目だけを覗かせている。雪花と猪三郎は平たい岩の上に並んで腰掛け、その顔を退屈そうに見上げていた。

「あの中には、ご依頼主のお孫さまもいらっしゃいましたのよ。このことをご存知になれば、さぞお怒りになるでしょう」

 法心は頭を下げながらも

「それは存じ上げませんでした。しかし、そのようなお方が、なぜ貴方様の獲物たちと一緒に行動を?」

 と問いかける。

「余計な詮索は不要です」

 雪花の琥珀色の目が怪しく光り、危険を感じた法心は、すぐに目を逸らした。

「これ以上、お話することはありません。どうか、お引取りを」

「お待ち下さい。どうか我々に今一度機会を下さらぬか」

「相手には強力な助っ人がおります。この件から身を退くよう、交渉に成功したというのに、今回の失態でそれも不意になりました」

「貴方ほどのお方が恐れるとは、かなりの強者と見える。ですが、こちらにも強力な助っ人がおりますぞ。以前お話した、あなたと同じ術が使える者・・・」

 もう一度、雪花に視線を向けた法心は、彼女の眉が少し上がったのを見逃さなかった。

「興味がおありのようですな」

 法心の顔を見据えたまま、雪花は黙していた。その瞳に吸い込まれそうな感覚を覚え、心の内を見透かされた気分になりながらも、法心は平常心を保ち続け、顔を背けようとはしない。

「どうでしょうか、一度その御仁に会っていただくというのは」

「その方のお名前は?」

「我々は七宝殿とお呼びしておりますが」

「しっぽう・・・ 七人の賢者」

 法心は雪花の言葉が理解できなかった。その意味を解き明かす事に気を取られ、しばらく言葉を返さなかった法心に、雪花は

「分かりました。それでは、その御方にお会いすることにいたしましょう」

 と答えた。その顔が薄っすらと笑っていることに気づいて、法心は妙な胸騒ぎを覚えた。


 薄闇に包まれた空は青紫色に染まり、星が金剛石のように瞬いていた。色を失った森の中の獣道を、法心が先頭に立って一列に歩いている。法心の後ろには雪花が続き、二人の手下がその後を追った。猪三郎の姿はない。雪花ただ一人だけで、あの不気味な行者と会うつもりなのだ。

「あなたが先ほどおっしゃった七人の賢者とは、何のことですか?」

 岩だらけの急な斜面を前に、雪花に手を差し出しながら法心は尋ねた。

「遠い遠い昔の話ですわ、七宝様と私にまつわる」

 法心の差し出す手を無視して雪花は器用に坂を登る。

「貴方様は、七宝殿をご存知なのですか?」

「面識はありません。ですが、七宝様が何者か、私は存じています」

 法心は、雪花の言葉に興味を抱いた。あの行者の正体については、何も分からないのだ。非常に気まぐれな性格で、今は味方となっているが、いつ裏切られても不思議ではない。仕える者を持たず、主義や主張があるわけでもない。無闇に人を傷つける悪者ではない反面、徳を積んだ善人と呼べるわけでもない。ただ、人が驚く姿を楽しんでいるだけなのだろう、と法心は考えている。

「教えて頂きたいものですな、あの御方が何者なのか」

 その問いに対して、雪花が答える気配はなかった。

 突然、周囲に木々のない、広い空き地らしき場所に出た。その中央あたり、僧が一人立っている。傘に隠れて顔を見ることはできなかった。すでに陽の光はなく、何もかもが暗闇に沈む中、二つの篝火が僧を赤く照らしている。雪花は、かなり離れた場所で足を止めた。

「いかがされた? あちらにお見えになるのが、七宝殿ですぞ」

 雪花は、訝しげに問いかける法心に対して小声で答える。その目は、七宝の顔に向けたままだ。

「法心様、あなた方は私めを罠に掛けるおつもりか?」

 法心は頭を振った。

「まさか、そんなことは致しませぬ」

「では、周囲に潜んでいる数多くの方々は何のためですか?」

 すぐに答えようとしない法心に対して、雪花は言葉を続ける。

「それならば、私も相応の処置を致しますが、よろしいか?」

「お待ちなさい」

 柔らかな声が朗々と周囲に響く。僧は傘を脱ぎ捨て、きれいに禿げ上がった丸い頭をさらけ出した。その穏やかな表情には似つかわしくない威圧的な眼が雪花をじっと見据える。

「軽率に命を奪うものではありません。それが、貴方にとって取るに足らない虫けらの如き存在であっても」

「この世は、奪ったほうが勝ち。奪われる前に手を打っておく。ただそれだけの事」

 いつもの雪花からは想像できない言葉を放ち、相手の強烈な目力を正面から受ける。

「確かに、奪われてからでは遅すぎるからのう。貴方のおっしゃることも、もっともな話」

 軽快に笑う僧に対して、雪花は険しい顔を崩さなかった。普段はお目にかかれない表情であった。

「法心殿、ここは部下を後退させたほうがいいのではないかな。この御方の強力な術、あなたも目にしているのであろう」

 七宝に促され、法心は少し迷っていたようだが、握りしめた手をゆっくりと挙げ、頭上でぱっと開いた。あたりにガサガサと木の枝が擦れ合う音が響く。雪花の後ろにいた二人の手下も瞬時に消えてしまった。

「雪花殿、拙者はあなたを罠に掛けようと思ったわけではござらぬ。有事に備えて、いつも部下を周囲に配置している故、今回もそうしたまでのこと。お許し下され」

 雪花は何も答えなかった。ただ、七宝の顔を睨んでいるだけ。対する相手も雪花から目を離さなかった。二人の戦いは、すでに始まっているように見える。

「お目にかかれて光栄ですぞ、死を知らぬ御方よ。拙僧は珍品に目がなくてな。あなたにも興味を抱いたというわけよ」

 人を珍品呼ばわりするのも失礼なことであるが、雪花はそんな挑発に乗ることもなく淡々と話を始めた。

「七宝を受け継ぐ者は根絶やしにする。それが私の生き続ける理由。お前も例外ではない。四つの宝はすでに死んだ。残るは黄金と白銀。お前が持つのは黄金の宝か?」

 薄ら笑いを浮かべていた七宝の表情が一変する。

「我が秘術は門外不出。お主、やはり同族か」

「私のことなど、どうでもよい。死すべき者が知る必要はない」

 普段の姿からは想像もできない圧倒的な殺気を身にまとい、雪花は両の手を強く握りしめる。法心が、あまりの気迫に後ずさる程の凄まじさであった。

 対する七宝も負けてはいなかった。黄金の錫杖を地面に打ち付け、軽やかな響きに合わせるように片手で印を結ぶ。

「お主の正体、暴いてみせよう」

 空気が明らかに変わった。何かに押し付けられるような、重苦しい圧を感じる。それは、法心ほどの屈強な男が立っていられなくなるほどだ。苦しそうに喘ぎ、膝をつく法心とは対照的に、雪花はその場に仁王立ちしたままであった。その足が地面に沈み込むほどの力で押さえ込まれても、それに屈することなく七宝を睨みつけていた。

 今度は七宝に変化が生じた。雪花と目が合った瞬間、意識が遠のくように感じたのだ。単に気を失うというだけではなく、どこか冷たい世界に引き込まれるような恐怖を覚え、慌てて目を逸らそうとする。しかし、雪花の瞳に吸い寄せられるがまま、視線を外すことができない。

 七宝は雪花の体を力で押さえつけようとする。対する雪花は七宝を死の世界へ引きずり込もうとする。両者はその攻撃に耐えつつ、手を緩めようとはしなかった。

 二人の姿を見るものはいない。法心は、踏み潰された蛙のように、地面に這いつくばり息絶えていた。七宝の術に、その身が耐えられなかったのだ。


 頭を下げたまま動かないお初に、お蘭は両手を差し伸べ、もう一度抱き寄せようとしたが、その手は途中で動かなくなった。できることなら、お初をずっと手もとに置いておきたい。しかし、元の世界に戻ると彼女から聞いた今、二人は別れる宿命なのだと叫んでいる別の自分が心の中に存在するのだ。言うべきことは分かっているのに、なかなかそれができない。お蘭は苦悩していた。

 お初から目を背け、眼下に広がる銀色の世界に目を遣る。お蘭は驚き、立ち上がった。数え切れないほどの異形の化け物が、びっしりと地面を覆っていたのだ。それらの目標が自分たちであることが直感で分かった。

「お初ちゃん、ここは危険よ。急いで登りましょう」

 お初の手を握り、お蘭は登頂を再開した。

 幸い、我先にと周囲の相手を蹴落としながら登ろうとする化け物たちは、なかなか先へ進むことができないようだった。できるだけ離れようと、二人は一心不乱に頂上を目指す。

「あれ、何だろう?」

 お初が不安そうに尋ねるので、下ばかりを気にしていたお蘭はお初に顔を向けてから、その視線の先を追った。頭上は暗黒の霧ばかりだと思っていたが、それよりもなお暗い無数の何かが空中を飛び交っている。

「相手にしないほうがよさそうね。近づいてこなければいいんだけど」

 上に下にと目を配らなければならず、お蘭は忙しく首を動かしながらも、足を止めることはなかった。下りることはできない。もう、頂上を目指すしかないのだ。

 黒い穴のように見えた空中の何かは、近づくに連れて、前に白い霧の中で遭遇した者たちに形がそっくりであることが分かった。唯一の違いは、その色である。全身が黒一色で覆われていた。顔につけている面も真っ黒で、まるでそこには何もないかのようだ。一体がふらふらとお蘭たちに向かって近づいてくる。しかし、お蘭がひと睨みするや、すぐに離れていってしまった。

「気をつけないと、また体を乗っ取られるかもしれない」

「どうしよう、お蘭お姉ちゃん」

 心配そうに目を遣るお初に、お蘭は

「手で払えばすぐに逃げていくから心配しないで」

 と笑顔を見せた。

 しかし、斜面がだんだんと急になり、両手を使わないと登れなくなる二人に対して、異形の者達は距離を縮め始める。前回と同じような状況になりはしないかと、お蘭も心配になってきた。

「見て、あれが頂上じゃないかしら?」

 折り重なる岩の隙間から、上空で鋼色の雲が渦を巻いている様子が目に入った。その渦の真下に頂上はあるらしい。あまりにも禍々しい景色に二人は尻込みしてしまった。

「あの場所に行かなきゃならないのね」

 震える声で、お蘭は自分に言い聞かせるように口を開いた。お初はすっかり怯えてしまい、目を向けたまま動けない。お蘭は、お初の肩にそっと手を置いて、自分のほうへ体を向けさせる。お初の視線の先には、お蘭の優しく微笑む顔があった。

「お初ちゃん、もう引き返すことはできない。このまま進むしかないわ。私は最後までお初ちゃんと一緒だから、絶対に離れたりしないから、一緒に頑張ろう」

 お蘭の言葉を聞いた瞬間、お初の目から涙が流れた。思わずお蘭の胸に飛び込んできたお初を、お蘭はしっかりと抱きしめる。

「お蘭お姉ちゃん、私のこと、忘れないで下さい」

「決して忘れたりしない。大好きよ、お初ちゃん」

 子供を持つことのできなかったお蘭は、いつしかお初のことを自分の娘のように思い、愛情を持って接するようになっていた。お初も、お蘭に対して母親の面影を目にしたのかも知れない。二人が接した時間は決して長いものではなかったが、今では本当の親子のように、固い絆で結ばれていたのだ。今、別れの時が近づいたことを肌で感じ、どちらも辛く、そして悲しい気持ちでいっぱいになった。

 でも、別れを惜しむ二人のことを、化け物たちは待ってくれない。近づいてきた黒い亡霊に気づいたお蘭は力強くお初に声を掛けた。

「さあ、頂上はもうすぐよ。行きましょう、お初ちゃん」


 永遠に続くかと思われた雪花と七宝の闘いが、終焉を迎えようとしていた。雪花の顔は苦痛に歪み、もはや立っているのがやっとの状態である。対する七宝はすでに雪花の呪縛から逃れ、ただ術に集中していた。

「観念しなされ。固沙成岩、塵すら逃さぬこの術を破ることはできぬ」

 雪花の真紅の目は七宝の顔を捉えている。しかし、二度と雪花の幻術に囚われないよう、七宝の目は固く閉じていた。

「お主は危険すぎる。とても飼い慣らすことなどできそうにないのう。かと言って、不死の身を滅することなど不可能。さて、どうするか」

 好き勝手なことを言い放つ七宝に対して、雪花は相手を睨みつけるのみで、何も口にしようとはしない。

「わしは、お主の心を支配するのが最善じゃと思う。お主もあの赤毛の男に使ったであろう」

 沈黙を守る相手に、七宝は目を閉じたまま、一歩ずつ近づいていった。半分ほどの距離になったくらいであろうか、急にあたりが寒くなるのを感じた七宝は歩みを止めた。

「まだ、そんな力が残っておったのか」

 持っていた金色の錫杖を地面に打ち付けた途端、七宝の体から強烈な熱が放射された。今度は冷気と高熱での闘いである。両者が激しく衝突し、大量の蒸気で七宝の体は見えなくなった。

 驚愕の表情でその様子を眺めていた雪花は、とうとうその場にがっくりと膝を落としてしまう。両手を地面につき、肩で息をする彼女に、七宝は手の届くところまで近づいていた。

「お主が冷気を操ることは聞いておったからのう。あらかじめ火蜥蜴を宿しておいたのは正解だったようじゃ」

 雪花は、岩のように重くなった頭を持ち上げ、僧の顔を見上げる。彼の目は、いまだに閉じたままだ。

「お主の言う通り、わしはこの黄金の錫杖を所有する者。そういうお前は瑠璃の所有者と見たが・・・」

 返答がないので、七宝は話を続ける。

「瑠璃の宝刀は遠い昔に失われ、跡を継ぐ者もいなかったと伝えられておる。かつては帝を守護する七つの宝と称された我らの御先祖様が、流浪の民と化したのも、この頃という話だが、詳しいことは分からぬ。わしは、その時代の出来事に興味があってな。昔から、同じ七宝の所有者を探していたのじゃよ」

 突然、雪花の体が小刻みに震えだした。見えない鎖で縛られたかのように体を強張らせ、乱れた黒髪が逆立ち始める。

「不死の者でも、これは苦痛ではないかな? 何もかも話してしまいなさい、お主の正体を。すぐ楽になる」

 歯を食いしばり、僧の顔を見上げる雪花は、しかし、目の焦点が合わず、見当違いの方向を見ている。血管が浮き出て青い筋となり、所々は破れて血が滴り落ちていた。美しい顔は、今や目も当てられない状態である。

 七宝の拷問はかなり長く続き、苦しげなうめき声を上げ始めた雪花は、それでも口を開こうとはしない。僧も彼女の忍耐強さには舌を巻き、ついに拷問を止めてしまった。

「大の男でもすぐに音を上げるほどの苦しみにこれだけ耐えるとは。それとも、本当に何も知らないのか?」

「冥土の土産に教えてあげよう」

 血に染まる顔のまま、雪花は突然声を出した。地面の土を固く握りしめ、憎々しげに相手の顔を睨んでいる姿からは、まだ勝負を諦めていない様子が窺えた。

「この期に及んで、まだわしに勝てると思っておるのか」

 七宝が、普段は見せないような怒りの形相に変わった。それを見てもなお、雪花は口元に笑みを浮かべている。

「瑠璃の所有者は、他の賢者たちの手によって命を奪われた。道半ばにして殺された恨みは、いかばかりのものか。私は決心したのだ。七宝の子孫を根絶やしにすると」

「お前はその末裔ということか」

「いや、血筋は途絶えた」

「では、どうしてお前が術を扱えるのだ? 同族でなければ決して身につけることができぬというのに・・・」

 僧の険しい顔が一変した。それは驚きと恐怖が入り混じった表情であった。彼は、ある仮説にたどり着いたのだ。しかし、それを簡単に信じることなどできない。

「気づいたようだな」

「いや、あり得ない・・・」

「私は不死である身。あり得ぬ話ではないだろう」

 七宝は、それ以上なにも言えなくなった。雪花もそれっきり、口を開くことはない。すでに陽の光は消え、あたりは紺色の世界に変化していた。視界を閉ざしていた七宝には知る由もないが、雪花の血まみれの顔は、何事もなかったかのように元の美しく白い肌へと戻っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る