第29話 三途の川の渡し船

 お蘭が目覚めた時、まずは灰色の雲に覆われた空が視界に飛び込んできた。どうやら、仰向けに倒れていたらしい。上半身を起こすと、そこは見渡す限り何もない、赤茶色の地面だけが横たわる大地だった。落下していたときは花畑があったはずなのに、全く景色が変わっている。

「お初ちゃん?」

 立ち上がり、あたりに目を遣っても、お初の姿はない。どちらに進むべきかも分からず、お蘭は途方に暮れてしまった。

 冷たく乾いた風が頬を撫でる。その風に乗って、かすかに鈴の音が聞こえてきた。無意識のうち、お蘭は走り出す。巻き上げられた砂で目を開けていられない。それでも、お蘭は構わずに前へ進んだ。

 しばらくして、お蘭は立ち止まった。風は止み、目を開けることができるようになった。耳を澄ませて、音のする方向を探ろうとする。今度は、鈴の音ではなく地面を叩くような重い響きが耳に届いた。お蘭は再び駆け出した。

 地鳴りのような音は少しずつ大きくなっていく。それは規則正しく、そして休むことなく、やがて地面を伝わる振動として体にも感じるようになった。

 地平線から人影が浮かんできた。そこから音が発せられているらしい。お蘭は、お初がいるものと信じて無我夢中で走った。しかし、近づくに連れ、それはお初と全く異なる風貌であることに気がついた。

 それは遠くから見ると、真っ赤に燃え盛る炭のようだった。先程から聞こえてくるのは、それが歩くときの足音のようだ。姿がはっきり確認できるようになるに従い、お蘭は走る速度を緩めていった。相手は自分の背丈の二倍はあろうか。しかも、肩幅が広く、むき出しの腕や足はまるで樫の木で作られた彫刻のようだ。何かの動物の毛皮らしきものを身にまとい、その下の肌は、触れれば火傷するのではないかと思わせるほどに赤く輝いている。右手には、真っ黒で棘の付いた棍棒を握っていた。そして左肩に、淡い朱色の小袖を着た小さな子供を担いでいた。その子は肩の上にうつ伏せの状態で乗せられ、顔は分からないが、長い黒髪と着物の色からお初に間違いなかった。

「お待ち下さい」

 息を切らせながら、お蘭が叫ぶ。相手は立ち止まり、一呼吸おいてからゆっくりと振り返った。額の左右からは立派な角が生え、口から上向きに二本の牙が顔をのぞかせる。髪は顎髭とつながり、まるで獅子のたてがみのようだ。

 どこから見ても鬼としか思えなかった。初めて遭遇する鬼の姿に、お蘭は卒倒しそうになりながらも、お腹に力を入れ、足を踏ん張りながら口を開いた。

「お願いです、その子を返して下さい」

「お前はなぜ、こんなところにいるのだ? ここはお前が来る場所ではない。すぐに立ち去れ」

 震える声で訴えるお蘭の要求に、鬼は聞く耳を持たなかった。梵鐘を叩いたような声で命じた後、鬼は前を向いて歩き始める。お蘭はしばらく動けなかったものの、慌てて後を追いかけた。

 お蘭には、鬼に付いていく以外の手段が思い浮かばなかった。闘って勝てる相手ではない。説得ができるとも思えない。ただ、見失うことのないよう付いていくのが彼女のできる精一杯のことだった。

 お初は目を覚ます様子がない。鬼のほうも、お蘭が追いかけていることに気づいていないのか、それとも無視しているのか、黙々と前進を続ける。

 この奇妙な行進はしばらく続いた。お蘭にとっては、かなりの時間が経過したように感じた。硬い土で覆われた地面が砂利に取って代わり、大きな川のほとりに到着した時、鬼はようやく歩くのを止めた。

 川の流れは速く、ところどころで大きな渦を巻いている。その黒い水面に吸い込まれそうな感覚を覚え、お蘭は視線を川岸へと移した。広い河原には、何段にも積み重ねられた石の塔がたくさん並んでいる以外、見渡す限り何もない。

 鬼は、肩に乗せていたお初の体を地面に落とした。その乱暴な仕打ちに驚いたお蘭が急いでお初に近づこうとするのを、鬼は前に立ちはだかって制止する。

「立ち去れと命じたはずだ」

「お初ちゃんを返して、お願い」

「この子の居場所はここ以外にない。そして、お前の住むべき場所はここではない。二人が一緒に行動するなど言語道断」

 鬼はそう言って一歩踏み出した。地面が震え、お蘭の体にも振動が伝わる。お蘭は腰が砕けそうになりながらも、逃げようとはしなかった。ここでお初から離れてしまえば、二度と会えなくなるような気がしていたのだ。

「立ち去らないのなら、この場で食らってやろうか」

 さらに一歩、鬼が近づく。恐怖で足がすくみ、乾いた喉からは叫び声を上げることすらできない。立ち尽くすお蘭を、鬼は目を細め睨んでいた。その顔は、笑っている表情なのかもしれない。鬼が笑うのかどうかは分からないが。

 その鬼の横を横切る小さな姿があった。お初が目を覚まし、お蘭の姿を見つけるや、駆け寄ろうとしたのである。

「お蘭お姉ちゃん!」

 お初の声を聞き、お蘭は膝をついてお初のほうへ手を伸ばした。その腕の中にお初が飛び込む。お蘭はお初を抱きかかえたまま、さっと立ち上がり、逃げようとした。鬼はなぜか後を追うことをしない。走り去るお蘭の姿をじっと眺めているだけであった。

 石の塔を崩すのも構わずお蘭は鬼から逃げようと走り続けた。お初はしがみついたまま目を閉じている。無我夢中だったので、鬼が追いかけてこないことに気づいたのは、かなりの距離を走った後だ。鬼の姿がどこにもないことを知り、お蘭は崩れるように座り込んだ。

「お蘭お姉ちゃん、大丈夫?」

 下を向いたお蘭の顔を覗き込みながらお初は尋ねた。目を大きく開いて不安そうな顔をするお初に、お蘭は笑顔を見せる。

「大丈夫よ。お初ちゃんは怪我とかしてない?」

 お初は大きくうなずいてから川のほうへ目を遣った。

「ここを渡らなきゃ」

 激流が岩にぶつかり、波頭は絶えず変化する白い紋様を川面に描き出す。渡ることなど到底できそうもない。しかし、お初は流れの穏やかな場所がないか、真剣な眼差しで探していた。

「歩きながら探してみましょうか」

 お蘭が話しかけても、お初は口を閉ざしたまま川から目を離そうとしない。その視線の先を目で追ったお蘭は、水の上を滑るように進む何かに気がついた。それは川の流れに翻弄されることもなく、ゆっくりとこちらに近づいてくる。よく見ると、巨木をくり抜いて造られた丸太船の上に、何者かが立って櫓を漕いでいた。

「誰かが船の上にいるよ」

 お初が目を凝らしながら叫んだ。真っ黒な布を頭から被り、身体を完全に覆い隠しているので、顔はおろか、男女の判別すらできない。布の隙間からわずかに覗く瞳は猫の目のように銀色に光って、こちらの様子を窺っているのが分かる。

 やがて船は川岸に到着した。舟守が頭巾をゆっくり取ると、その中から豊かな黒髪が姿を現し、肩のあたりまで垂れ下がる。つり上がった目を持つその顔に、女性というより少年のような印象をお蘭は受けた。

「向こうへ渡りたいんだね?」

 女性とも子供とも取れる声で船守はお蘭たちに尋ねた。二人がためらいながらもうなずくのを確認して、今度は

「銭は持っているかい?」

 と問いかける。当然ながら、どちらもそんなものは持ち合わせていない。

「なんだい、鐚銭もないんかい。じゃあ、無理だね」

 揃って頭を横に振るのを目にして、舟守は追い返すように手で払った。

「あの・・・ この先には何があるのですか?」

 お蘭の問いかけに、船守は呆れ顔で

「そんな事も知らずに川を渡るつもりだったの?」

 と言った。

「私たちは果ての世界というところを目指しているのです」

「『果て』なんてものはないさ。全ては繰り返されるだけ。その運命から逃れることはできない」

 船守は、お蘭からお初に視線を移した。

「お初、戻ってきたんだね」

 お初は、顔に笑みを浮かべる船守の顔をまじまじと見つめた。

「どうして私の名前を知っているの?」

「名前だけじゃない、お前のことは全て知っているさ。どんな人生だったのか、どうして死んだのか、それに、死んでからどうなったのかもね」

 お初は、船守の言っていることが理解できず、お蘭のほうへ顔を向けた。

「お前はここを離れるべきではない。これ以上進むべきではない。呪いから逃れることなど、できないのだから」

「私のことは関係ありません。私たちはお初ちゃんのお姉さんを探しているだけです。あなたに、それを止める謂れなどありませんわ」

 お蘭にそう言われた船守は一瞬、真顔になった。しかし、すぐに笑顔になって言葉を続ける。

「その子は真実を言ってはいない。姉を探しているなど嘘だ」

「嘘じゃない!」

 お初が大きな声で叫ぶ。険しい目で睨みつけるお初に、船守はこう言った。

「姉のことを、お前は少しでも覚えているのか?」

 お蘭がその場にしゃがんで、心配そうにお初の顔を覗き込む。お初は、船守の顔を凝視したまま涙をこぼしていた。やがて目をぎゅっと閉じ、体を震わせて泣き出すお初の姿を目にして、お蘭は思わず叫んだ。

「ひどい、こんな小さな子に」

 船守は何も言わず、黙ってお蘭の顔を眺めていた。笑みは消え、どこか憐れむような表情にもとれた。二人はしばらくの間、睨み合っていたが、やがて船守は頭巾を頭に被り、後ろを向いた。

「川をよく観察してみるんだな、お蘭さん。あなたには責めるべき罪など何もない。そういう者にとって、この三途の川を渡るのに何の苦労もいらないよ」

 そう言い残し、船守は去っていった。


 空はどこまでも青く、真綿のような雲が漂っている。登り坂から覗く海は穏やかで、緑に覆われた島が、手に届くかと思えるほど間近に見えた。

「お菊殿、足のほうは大丈夫かい?」

 三之丞に声を掛けられ、お菊はうなずきながら

「お陰様で、もうすっかりよくなりました」

 と笑顔で答えた。

「すごいものだな、源兵衛殿の薬は。どんな病もたちまち治してしまう」

「薬も万能ではない。頼りにならぬことも多いぞ。過信は禁物だ」

 おだてる伊吹を源兵衛はたしなめるものの、気分はよいらしく満面の笑みを浮かべていた。

 しばらく続いた坂が平坦になり、海は木々に覆い隠されてしまう。もう少し進めば下り坂になるというところで、馬の蹄の音が聞こえてきた。それも複数だ。

「誰でしょうか?」

 お松が小さな声で源兵衛に話しかける。

「皆、用心しろ」

 運悪く、ならず者にでも遭えば、無事に通り過ぎることのできる保証はない。一同は、緊張した面持ちで、しかし相手を刺激することのないよう、できるだけ平静を装いながら歩き続けた。

 やがて、甲冑を身に着けた侍が姿を現した。馬に乗り、ゆっくりとこちらに近づいてくる。その背後にも馬上の兵士が続く。さらに槍を持った歩兵を十人程従えていた。もし、闘いになれば、圧倒的にこちらのほうが不利だ。

 兵士たちが足を止めた。伊吹たちは知らぬ振りをして歩き続ける。

「失礼、少々お尋ねしたいのだが」

 馬上から声を掛けられ、一行は仕方なく立ち止まった。

「何でしょうか?」

 源兵衛が兵士のほうへ顔を向ける。兵士は日焼けして肌が黒く、白目がやけに際立っていた。鋭い眼光で一同に素早く目を配ってから、兵士は話を始めた。

「お主たちのように旅をしている者を探していましてな。どちらまで行かれるおつもりか?」

「伊勢へ、知り合いのところまで行く予定ですが」

「はて、それなら大和を経由したほうが早かろう」

「大阪で戦があると聞いて、迂回することにしたのです」

 兵士はうなずいてから

「なるほど・・・」

 とつぶやいた。蝉の声が周囲に響く以外、誰もが口を閉ざした状態で時間だけが流れる。兵士が再び話し始めた。

「どこから参られたのですかな?」

「因幡です」

 兵士が少し驚いた表情を見せた。

「そんな遠くから・・・ いや、名前は存じ上げておるが、参ったことはありませんでな」

 それで納得したのか、兵士は何度も首を縦に振った。

「もう一つ、お聞かせ下され。他に旅の者を見かけませんでしたか?」

「この後で二人連れに会うだろうが、彼らは我々の仲間です。訳あって、別々に行動しているが。それから、怪しげな集団もいたな。六人いただろうか。一人は女性だった」

 兵士は、それだけ聞くと満足したらしく、礼を言って去っていった。

「一体、何のために問いかけたのかな?」

 兵士たちが立ち去った後、伊吹は源兵衛に話しかけた。源兵衛はため息をついた後

「間者にでも間違えられたのだろう。まあ、悪い奴らでなかったのは幸いだな」

 と答え、額に手を当てた。


 蒼龍とお蘭は、山の中で道端の地面に座り、一休みしていた。

「身体のほうは大丈夫か?」

「ええ、まだまだ歩けますわ」

 額の汗を拭いながら笑顔で答えるお蘭の顔色を窺い、蒼龍はうなずいた。

「よし、じゃあ、そろそろ進むとしようか」

 二人が立ち上がろうとしたとき、遠くから馬の駆ける音がした。今まで歩いてきた方向に目を向けていると、その音はたちまち大きくなる。相手はかなり急いでいるらしい。

 道は右手に曲がっていて姿はまだ確認できないが、もうかなり近づいていた。お蘭は少し怖くなり、蒼龍の背後に身を隠す。やがて砂煙を上げながら馬を走らす侍の姿が目に映った。

 乗り手は蒼龍たちを一瞥したものの、相手にする暇もないらしく通り過ぎてしまった。その後ろから、さらに数騎の馬がついて行く。

「何かしら?」

 砂塵とともに去っていく侍たちを眺めつつ、お蘭が袖で口を覆った。蒼龍は目を閉じ、舞い散る砂埃を手で払うのに必死だ。しばらくの間はその場に立ち止まり、周りが落ち着くのを待つしかなかった。

「危なかったな。道を歩いていたら、巻き込まれていたかも知れぬ」

 そう言って目を開いた蒼龍は、光り輝く何かが地面に落ちているのに気づいた。近づいて拾ってみると、それは拳くらいの大きさはある氷の欠片だった。

「はて、夏になるというのに氷とは面妖な」

 手に持った氷は、角が多少は丸くなっているものの、まだ原型を保っているようだった。目を凝らしていても一向に溶ける気配がない。

「どうして、こんなものが落ちているのかしら?」

 気になったお蘭が、氷と蒼龍の顔を交互に見ながら尋ねた。

「さっきの連中が持っていたのだろうな。何のためかは知らぬが」

 冷気が皮膚を通して腕全体に広がるのを感じ、蒼龍は急いで氷を地面に落とした。腕を擦りながら掌を見ると、全体が赤くなっている。

「ただの氷ではない。このまま捨てておこう」

 二人は長い間、地面に落ちた氷を呆然と眺めていた。


「もう少し調べてみたほうがよかったのではありませぬか?」

 背後から問いかけた兵士は、先頭の男とは対象的に色白で、切れ長の目が印象的な線の細い美男子であった。

「嘘はついていないようだったからな。わざわざ伊勢へ行くなどと、怪しまれるような返答をするはずがないし、根来の連中が、因幡から来たなんて言うとは思えぬ」

 彼らは湯川に仕える兵士である。根来衆は当時、織田家と良好な関係を築いていた。反織田の立場を取る湯川にとって、根来衆とは敵対関係にあったのだ。彼らの任務は、根来の間者が領地内に忍び込んでいないか探ることだった。色黒の男は後ろを振り向き

「次に二人連れが見つかればはっきりする。賭けてもいいぞ」

 と言い足して不敵に笑った。

「いいでしょう」

 それに応じた側も硬い表情を緩める。

 それからしばらくして、一人の男が向こうからやって来た。どうやら行者のようだが、笠のせいで顔は隠れている。色白の男が

「拙者の勝ちですな」

 と言って笑った。

「少しお尋ねしたいのだが」

 先頭の兵士は、それには応じず僧に話しかける。

「何でしょうかな?」

 笠の下から声がした。それは耳に心地よく響き、頭の中に直接語りかけてくるように感じる。兵士はその不思議な感覚に戸惑いながらも

「この辺りで二人連れの旅の者を見かけませんでしたか?」

 と尋ねた。

「昨日、伊勢まで参られるというご夫婦にお会いしましたが」

 それを聞いた兵士はニヤリと笑い、背後に目を移した。色白の男は真顔でその表情を眺め、大きなため息をつく。

「失礼ながら、御坊はどこへ行かれる?」

「わしは修行中の身なれば、ただ神仏のお導きに従い進むだけ。定まった行き先などはありませぬ」

「そうですか・・・ いや、神仏ではなく、どこぞの殿様の導きでこの地を訪れるものは少なくありませんからな。誰に仕えているか、申してはもらえぬか」

 兵士の鋭い目が、僧の姿をじっと見据えている。僧が笠を持ち上げ、その視線を真っ向から受け止めた。僧が何倍にも大きく膨れ上がったように感じて、相手が只者ではないことを兵士が悟った。

「根来・・・」

 口元に笑みをたたえ、僧が発したその言葉に、兵士全員が凍りついたように身を固くした。僧の不気味な笑いは、彼らが根来と敵対関係にあることを知りながら、敢えてその名を口にしたことを示していた。

「と答えたら、わしを殺すおつもりか」

「お主、我らを愚弄するか!」

 そう叫んだ時、遠くから馬に乗った数人の侍たちが近づいてくるのが男の視界に入った。馬の速度はだんだんと遅くなり、少し離れた場所で立ち止まる。そして、そのうちの一頭が、僧と兵士たちの間に割り込んできた。

「弥太郎か・・・ 何かあったのか?」

 色黒の男が先に口を開いた。どうやら二人は知り合いらしい。

「以前から問題になっていた盗賊どもだがな」

 弥太郎と呼ばれた相手は浅緑色の小袖だけの姿で甲冑は身に着けていない。頭はきれいに禿げ上がり、磨いたように光っている。

「滅法強い隻眼の剣士がいるという噂の、あれか?」

「ああ、見つかったよ」

「捕らえたのか? 鉄砲まで持っていると聞いたが、凄いじゃないか」

 その言葉を聞いた弥太郎はうつむき、禿げた頭をすっと撫で上げた。

「いや、死体で発見された」

「その剣士の? 仲間割れか?」

「違う、ほとんどが殺されたらしい。亡骸は百体ほどあっただろうか」

 色黒の男は驚いて

「一体、誰が?」

 と尋ねる。

「分からぬ。半数は川のほとりで斬り殺されていた。首をへし折られた者もいたな。ひどい有様だったが、もう半分はもっと奇怪な死に方をしていてな」

「どんな?」

「氷漬けにされていた」

 色黒の男は表情を変えず、弥太郎の顔を睨んでいた。相手の言っている意味が理解できないという様子であった。

「からかっておるのか?」

「信じられないだろうが・・・ 数十人の男どもが氷の中に閉じ込められていた」

「どうやって?」

「こちらが聞きたいよ。これだけ日が照っているというのに、ほとんど溶けていないようだった。試しに斬ってみたが・・・」

「結果は?」

 弥太郎が刀を抜いて、その刃を相手に示した。中央辺りから切先までが失くなっていた。

「刀が折れた。氷の方もわずかに欠けてな・・・」

 そう言いながら、袖に手を入れて中を探っていたが、しばらくして

「欠片を拾ってきたのだが、落としてしまったようだ」

 とつぶやいた。

「溶けてしまったのだろう」

「最初は俺もそう思っていた。途中、何度も確認したが、溶ける気配はなかったよ」

 自分の顔に疑いの目を向ける相手に対して、弥太郎はため息をついた。

「十兵衛よ、俺がお前に嘘を言って何の得になる? 信じられないなら、その目で確かめるのだな。拝の峠を超えた先の集落だ」

 男の名は十兵衛というらしい。相手の顔を見据えたまま、静かに問いかける。

「お前、それを知らせに行くつもりか?」

「殿は泊城にご滞在と聞いて、急ぎご報告に参る途中だ」

「しかし・・・」

「お前も怪しげな術を使う者の噂は聞いたことがあるだろう。根も葉もない嘘だと思っていたが、あれを見れば信じざるを得ない。そんな奴が領土内に侵入していれば、ましてや、それが根来の手の者であったら・・・」

 十兵衛はそれ以上、何も言えなくなった。しばし沈黙が続いた後、背後から声がした。

「十兵衛殿、あの僧がおりませぬぞ」

 白面の男の声を聞き、十兵衛はさっきまで僧のいた場所に目を移した。僧は忽然と姿を消していた。

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