第10話

 途端に嫌な匂いが立ち上ってきた。酒精オバケだ。大型のコウモリと思しき魔物も引き連れている。苛立いらだったイルザが歯噛みする。

「あーもう、急いでるのに!」

「ねぇこれ毒ないかな!? 大丈夫かな!?」

「言ってる場合か? 早く魔法使え!」

 しきりに毒の心配をしていたらヴィルに怒鳴りつけられた。仕方ない、俺の火球でやるしかないが……。いつまでかかるんだろう?

「一気にやる? 復唱して」

 イルザは俺のしたがっていることに気がついたのか、呪文を詠唱しだした。俺も続いて復唱する。

『炎の精霊イフリータよ、』

 コウモリは俺たちのしようとしていることに気がついたのか、素早く飛びかかってきた。爪が毛先を掠める。魔物たちは魔導師と戦ったことがあるのか、縦横無尽に動き回り始めた。

『悪しき魂を燃え上がる炎で浄化し給え。浄罪の業火フェーゲフォイアー

 急に詠唱の殺意が高くなったが、威力も抜群だ。空中に火球がいくつも浮かび上がり、それが敵の一番多いところに一気に飛びかかっていく。誰かの髪を炎がかすめたのか焦げ臭いが、コウモリが三体、壺を一つ割ることができた。特に何もしていないというのに、猛烈に疲れた。それでもまだコウモリが一体と壺が三つも残っている。

「うわしんど!」

「下がってな! いくつも一気に操るからそうなる。イフリータ役を決めるといい。見てて! 『業火』」

 あろうことかイルザは詠唱をすべて破棄したくせに、俺が作ったよりずっと多くの火球を作った。一回り大きな火球のまわりに小さな火球が集まっている。腕の動きに合わせようとする魔物を見て、イルザは指先一つで火球に攻撃を命令する。火球たちは勢いよく魔物たちにぶつかると、逃げ出そうとする壺でさえも捉えて燃やし尽くした。戦いというよりも処刑に近いと感じる。

「すげぇ……これが魔界戦線帰りか……」

 振り返ったイルザが怖くて、俺たち兄弟は身を寄せ合った。こんなのおやつにもならないと言いたげなイルザは、俺たちを見てあごで指示を出す。

「ほら、行くよ」

「は、はい」

 俺たちは彼女に言われるがままに地下道を走った。イルザは吹っ切れたのか、途中通る魔物に攻撃する隙さえ与えずに次から次に撃破していく。しかも俺に教えているつもりなのか、早口で呪文を詠唱してくれている。

『風の精霊、アスファよ。悪しき魂を平伏へいふくさせよ、頭を垂れさせよ、女神の御前に整然なる道を作れ!』

『水の精霊、バハラよ。悠久の流れを我が身に分け与えよ!』

『雷の精霊、』

「待って待って待ってそんなにいくつも急に覚えられない!」

「覚え悪いな、魔導師向いてないよ!」

「魔法使えるようになるって言ったのお前なんだけど!」

 俺の必死の抗議にイルザは深々とため息をついた。

「アスファは遊び好き過ぎてきょうが乗らないとやってくれないから、女神を引き合いに出してる。バハラは真面目だからそれなりの詠唱でもやってくれる。雷の精霊は気が早い上に戦闘狂だから強い敵がいると唆すのがいいよ。だから使うなら人間好きのイフリータかバハラがおすすめ。わかった?」

「要は水と火ってこと? わかった!」

 イルザが詠唱を止めた途端、魔物たちが襲いかかってくるのを必死で食い止めていたヴィルが短く悲鳴を上げる。大事な棍棒がボロボロだ。

「魔法の講義終わった!? 頼むから手伝って!」

「任せろ! 『水の精霊バハラよ。悠久の流れを我が身に分け与えよ』」

「こんな土壇場で初見の魔法使えるわけ……」

 手のひらに浮かんだ水はみるみるうちに大きくなり、俺の顔の大きさを超えた。多分イルザが想定していない大きさになったのだろう。顔が引きつっている。誇らしくなって水を見ると、ぐらぐらと揺れて一瞬だけ女の子の顔が浮かんだ。今度はすっきりした顔の大人しそうな美人だ。こんなことを考えている場合ではないかもしれないが、かなり好みだ。

「かわい……」

 なんか水がぬるくなった。

 俺はそれを寄ってくる小銭入れに向かって勢いよく投げた。

「あっ、ああー……」

 しかし小銭入れに到達する前に崩れて流れていってしまう。それをイルザが指先で拾い直し、小銭入れの群れの下の方に一気に差し込んだ。穴が開いたのか、小銭入れたちが崩れ落ちる。

「なぁ、イルザ! 俺の弟はもしかして優秀な方なんじゃないか!?」

「魔力でゴリ押し集中力が死んでる、一番嫌われるタイプの魔導師!」

 俺はイルザの特に意味のない暴言に手のひらに作った水球を取り落とした。美人の精霊が心配してくれているような幻覚が見えたが、もうそれどころじゃない。

 見てろよ、バッチリ魔法を使いこなして平伏させてやる!

「『バハラ! 俺のめっちゃ好みの可愛いバハラ! できるだけでっかい水を頼む!』」

「古代呪文語でスラング使うってどういう神経してるのアンタ……」

「知ったこっちゃないね! 『水球ヴアッサー•クーゲル!」

 手に浮かんだ水は、実際にそこにあれば両腕でも抱えきれないくらいの大きさになったし、生暖かいお湯だ。俺はそれを追ってくるコウモリの群れに思い切りぶつけた。

 得意になって振り返る俺を見て、イルザが頭を抱える。

「ああー……魔力でゴリ推しのクソガキ……黒歴史掘り起こさないで……」

 多分、いや絶対イルザも同じタイプの魔導師だろ。俺がヴィルを見ると、ヴィルは俺の肩をそっと叩いてそれ以上言わないように目で合図してきた。正直言ってやりたかったが、言ったら最後消し炭にされる予感がしたので大人しくしていることにする。

 回廊を抜けたのだろう。目の前に大きな扉を見つけて俺たちは立ち止まった。

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