第6話

 倒れ込んだ男と一緒に飲んでいた男が荷物に伸ばしかけたままの俺の手を引かせる。イルザが立ち上がって倒れた男に近づくのを老人が止める。

「お、おいお嬢ちゃんあんたも近づくな。コイツは魔物熱だ! 見ろ、手に緑の湿疹しっしんができてる」

「魔物熱?」

 イルザは老人に問いかけた。

「なんだ、知らないのか? この辺りじゃ時々流行る。よっぽど田舎から出てきたんだな」

 田舎者扱いされたイルザがキレないか心配だったが、顔をしかめるだけで何も言わなかった。彼女はぶつぶつと何かを言いながら自分の荷物から本を一冊引っ張り出して読み始める。俺とヴィルは顔を見合わせて首を傾げ、倒れ込んだ男を見た。

 まくられた袖から伸びるたくましい腕にぽつぽつと発疹が浮かんでいる。しかも膿んだところが破れて緑色の汁が垂れている。見ているだけで気持ち悪い。パンパンに腫れた発疹も緑色だ。

 ここにいる人間は魔物熱が何なのかよく知っているようで、緊迫した様子で男を見ている。

「修道女様が来てくれたぞ! 安心しろ、回復魔導付きだとよ!」

 酒場の扉が乱暴に開かれて、修道女を呼びに行った槍使いが戻ってきた。後ろから走ってくる修道女を見て皆があからさまにホッとため息をつく。

 修道女は壺を抱えて走ってきたかと思うと、それを床に乱暴に置いた。

「窓は全て開けてください。店主さん、解毒薬を皆様に」

 修道女は迷いなく倒れ込んでいる男に近づくと、吐瀉物の臭いなど気にも留めず男を抱えた。小柄な女の子だ。多分俺と同い年か少し下くらい。小ぶりな鼻やすっきりした目元を見るに、きっと東方人であることが予想できる。見たことはないが本で読んだことがあった。

『聖なる光よ、この者に安寧あんねいを与え給え。苦しみを取り除き給え。蝕まれた身を清め給え。我は神の使徒、あなたに仕え忠誠を尽くす者』

 小ぶりな呪文語が浮かび、次々と男の体に飲み込まれていく。男が咳き込んだ。聖女は店主が持ってきた椀を壺の中に入れると男に中身を飲ませる。彼女は懐からきれいな布を取り出すと水に浸し、男の発疹から流れる膿をきれいに拭き取り、薬草を揉んで腕に貼り付けた。

「これで大丈夫です。店主さん、お掃除をよろしくお願いします」

 流石神に仕えるだけあって、ものすごい献身だった。自分も病気にかかるかもしれないのに、あんな風に病気の人間を抱きかかえるなんて。

 俺が感動で震えていると、イルザが俺の肩に手を置いて身を乗り出してきた。重たいって文句を言おうと思ったが、軽すぎて吹き飛ばしそうで怖くて振り返れない。

「ねぇあなた、この街の修道女?」

 修道女はイルザを見て、はい、と頷いた。優しい笑顔だが急いで汚れ物をまとめる手に迷いはない。彼女は修道服の背に手を掛け、一番上のそれだけ器用に脱いだ。中には完璧に着込まれた修道服が出てくる。

「ここの魔物熱は毒か呪詛じゅそみたいに見えるんだけど、司祭様はご存知?」

 イルザが優しげな声で問いかける。修道女の表情が曇った。

「……昔から街で流行っている病気ですよ。この街の誰かが病を広げているということですか?」

「とんでもない! 魔物の使う毒にも呪詛にも似た症状のものがあるんです。最近、遺跡の奥に魔物退治屋は入っていますか? こういった魔物は街に近くて人気のないところに好んで住みます」

 イルザの心から心配しているのだと言いたげな声と表情に修道女はまたしても表情を変えた。酒場にいる男たちは首を傾げる。多分、ここにいるのは駆け出しの魔物退治屋ばかりで、単にどこかへいく中継地点として使っているのだろう。装備も真新しいし、王都の高級店に入っていく魔物退治屋たちとは服装も雰囲気も違う。

「遺跡って大した魔物が出ないから誰も入らないぞ、嬢ちゃん」

「ああ、酒精オバケと飛び袋くらいかな」

「あんなところ奥まで入ったって一緒だぞ、ははは」

 男たちは顔を見合わせて笑い声を上げる。自分たちよりも物を知らない魔物退治屋がいて面白いのか、俺たちはすっかり注目の的だ。笑われたイルザはにっこり微笑んで男たちの言葉への返事に代えた。

「修道女様、決して嘘ではありませんよ。遺跡の奥に長らく誰も入っていないというのは、この者たちの言うことを考えるとおそらく事実でしょう」

「え、ええ……ですが」 

「私達が問題の毒、及び呪詛を使う魔物を退治してきましょうか? もちろん多少の報酬はいただきますが」

 イルザの言葉に修道女が目を輝かせた。もっとも、信じてくれているのは彼女だけで、男たちはイルザを小馬鹿にする笑みを浮かべている。

「報酬は内容によりますが、教会にできることですか?」

「ええ、もちろん」

 蠱惑的こわくてきな笑みを湛えたまま、イルザは修道女と顔がくっつきそうになるほど近づいた。俺たち男はその美しい光景に固唾を呑む。ちょっとばかりいやらしすぎないか。男ばかりの酒場だ、女旱おんなひでりの奴もいたのだろう。何人かが前かがみになるのを冷ややかな目で見守るものの、俺たちもあまり人のことは言えない立場だ。隣のオッサンが平常状態のヴィルのズボンに食い入り、ヴィルが苦笑いをした。

 そんな男たちのことなどには構いもせず、女二人は自分たちの世界に入り込んでしまった。

「あなたが欲しいの。一緒に来てよ。そしたら呪詛くらいいくらでも消してあげる」

 修道女はしばらく悩み、それから消え入るような小さな声で「……申し訳ありません、お助けしないといけない方がまだ沢山いらっしゃいますので」と返事をした。俺はあまりに刺激的な光景に鼻血を垂らし、服を洗う羽目になった。

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