第4話

 ネズミたちはまさしく野焼きのように地面を這う炎に怯えて近づいてこようとしないが、もたもたしていたらまた回り込まれるだろう。

「ほら急げ!」

 後ろから追ってきたヴィルが俺を抱えて走り出す。目が回ってきて吐きそうだ。多分毒が回ってる。

「おエッ、吐きそう……」

「待て待て待て! 俺一着しか服持ってないんだ、我慢しろ!」

「下着ばっかり三枚も買うからだろ!」

「毎日洗いたいだろうが! 乾かなかったらどうするんだよ!」

 勇ましい容姿をしたヴィルがこんなみみっちいことを言うなんて失望する。下着なんて最悪裏返せば二日くらい着られる。いつだったか俺の下着が乾かなかった時に母さんが言っていたのだから間違いない。

 ようやくネズミが見えない場所まで逃げられたのか、俺は乱暴に地面に降ろされた。

 俺はさっきから世界が回りつつも色んな色に変化してヤバい状態だ。王宮に飾られている極彩色の絵はきれいだと思ったが、世界中極彩色は健康にも精神にも異常をきたす。

「これ大丈夫なのか?」

「知らん。今まであんなきれいな森で暮らしてりゃ、まぁ仕方ないね。井戸も家族だけで使ってたでしょ」

「流石に兵士も使ってたけど、王城は下水がしっかりしてたからな」

 ぐにゃぐにゃとした極彩色の化け物が三匹も俺を覗き込んでいる。しかも化け物たちは氷のような風を吹かせるのか俺は震えが止まらない。咳き込んだら朝食べたものが出てきた。視界が回る。目を閉じてみたが目が回り続けている。むしろどんどんひどくなってきている気さえする。

「おがぐ……」

「ダメだ。せん妄の症状が出てる。死ぬかも」

「ええっ!? 俺の唯一の兄弟なんだよ、なんとかしてくれよ!」

「回復魔導師もいない、金もない。無理」

「そんな……」

 俺の世界が……。

「うう……化け物が……はっ!」

 爽やかな青空に意識が戻って、俺は慌てて起き上がった。心配そうな顔のヴィルと、少し安心した様子のイルザが俺の顔を覗き込んでいる。

「ああ、意識がもどったね。水飲んで。毒ネズミの毒じゃそうそう死ねないから安心して」

「う、うう……なんか目が回る……」

「よしよし、いい子。これにこりず前線に出るんだよ。何回も毒にかかってるうちに強くなるからね」

 嫌な対処法だな。しかし若い女の子の膝枕はやわっこくて気持ちがいい。もう少し具合が悪いふりをして大人しくしておこう。

「……あーなんか足が疲れたなー。金髪」

「ヴィルな」

「ヴィル、代わって」

 俺は飛び起きた。

「あ、なんか大丈夫かも! うん、元気元気! 毒抜けたみたい! イルザありがと!」

「あれー? いいのに、もう少し寝ててェ」

「いやいや、早く街に行きたいし!」

 俺がちらりとヴィルを見ると、ヴィルは落ち込んだ様子でイルザを見ている。そして頭を掻きながらものすごく気まずそうな顔をして彼女から視線を反らせた。

「そのー……弟がすまん」

「いやぁいいよね思春期。お金が入ったらお姉さんが責任を持って娼館に連れて行ってあげるからね」

 あ、バレてた。

 俺はなんともいたたまれなくなって静かに立ち上がった。ものすごく気まずくてありえないほど恥ずかしい。俺はとぼとぼと先頭を歩く。イルザが笑いをこらえている声が聞こえる。ヴィルに至っては恥ずかしすぎて半泣きなのか、鼻をすする音が聞こえた。

「俺たち女の子とまともに話したことがなくて……時々おやつをもらいに娼館には行ってたみたいなんだけど、まぁそれだけでさ……本当に申し訳ない」

「いいって……くくっ、膝枕一つであんなありがたそうな顔されたの初めてだよ」

「面目ない」

「俺に聞こえないところでやってくれない!?」

 耳まで熱い。

 俺は振り返ることも出来ず、前を向いたまま二人に懇願した。多分俺の真っ赤に染まった首筋を見た二人は、とうとう揃って声を上げて笑いだした。

「あっはっは! 人と関わらずに過ごしてきた王子って聞いてたからどんなのかと思ったら可愛いじゃない!」

「そうだろそうだろ! こんな可愛い弟がネズミの毒で死ぬかもしれないってそりゃないだろ!」

「可愛くない弟でもネズミ程度の毒で死なれちゃたまったもんじゃないよ」

「あ、はい」

 俺の肩をイルザの手が叩いた。文句を言おうとしたところでシッ、と小さく窘められて息を飲む。彼女が小さく指差す先に草むらに埋もれるようにしてくつろぐネズミが一匹見える。少し離れたところに群れもある。

「あれ、袋叩きにするよ」

「エッ」

 ネズミ一匹に人間三人とは随分大掛かりだ。まぁさっき俺は死にかけたんだけど。

「金髪が前衛でネズミが飛びかかってきたら篭手で受け止めるか横薙ぎにする。王子がネズミを横からぶん殴る。私は他のネズミが気づいたら近づけないように魔法を使うから」

「それならネズミの集団を火で軒並みやってくれよ。確かネズミの爪って素材として売れただろ?」

 そう何度もあんな色鮮やかな世界を見せられちゃたまったものではない。俺はヴィルの言葉に勢いよく頷いた。俺たちが半べそをかきながら戦うよりもイルザが戦ったほうが早いだろうし。

 ヴィルの言葉をイルザが鼻で笑う。

「魔物退治屋になる決心がついたんならそうすれば? 嫌なら私に従いな」

 なんて気の強い女だ。

 文句の一つも言ってやりたいが、母さんによくしつけられた俺たちはごく自然にイルザの言葉に従って、ヴィルを先頭にネズミの方へ近づいていく。餌に夢中で群れからはぐれたネズミは、一瞬群れの方を見てから俺たちを見て身を縮めて警戒している。

「私が合図したら一気に飛びかかって。仲間外れにされた個体は弱いけど、騒ぎ過ぎたら群れに襲われるからできるだけ一撃で倒すよ」

「わ、わかった……」

 俺は棍棒を強く握りしめる。なんだかさっきから体が熱い。興奮しているのだろうか。ヴィルも似たような状態らしく、うっすらと首筋に汗をかいている。涼し気な顔をしているのはイルザだけだ。彼女にとってはネズミなんて、戦う必要さえない小物だろう。

「行って」

 その言葉を皮切りにヴィルがネズミに飛びかかった。突然飛びかかられたネズミは鳴く間もなく地面に叩きつけられる。飛び上がるネズミの頭に向かって棍棒を振り下ろす。

「あっ、逃げられた!」

「大丈夫! もう一度!」

「わかった……!」

 ヴィルの勢いが凄まじい。動きは早くないが一撃が重そうで、たった二撃でネズミが弱り始めた。俺も頑張って棍棒をネズミに当てるが、ヴィルほどの威力が出ていないのは分かる。彼が二度殴る間に、俺は三度ネズミを掠めた。

 とうとうネズミは断末魔の叫びを上げて地面に倒れ込んだ。すかさずイルザが近づいて短刀で爪を切り取り、首を切ってやる。

「街につくまで私がネズミを見繕みつくろう。うまく倒せるようになったら群れにも手をだすから効率的に殺してね」

 血みどろの指先を見て顔を顰める俺たちにイルザがため息をつく。そしてボロ布で指先を拭ってなんてことはないように歩き始めた。

「ネズミなんて小遣い程度に稼げりゃいいんだから、いちいち怖がらないでね」

 いちいち腹立つことしか言えないのかコイツ。

 文句の一つも行ってやりたかったが、魔界戦線で活躍していただろうイルザからすれば不本意な配置換えだったことだろう。彼女は最低限の魔法しか使わず、この後延々俺たちをこき使った。

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