第3話

「そういえばアンタたちどっちか魔の目は持ってるの?」

 聞いてくれ、一通り荷物を揃える前に軍資金が無くなった。絶対に外せないという魔導耐性のついた防具なんて手袋でさえ人数分も手に入れられなかった。俺とヴィルの武器、二人分の旅に出るための服、そして薬草で残りが三ルクス。これでは一晩の宿代にもならないだろう。野宿決定だ。しかも旅の必需品である解毒草も買えなかった。

 俺たちは森の中の生家で防具になりそうなものをいくつか見繕って持ち出し、城門の兵士に町の外に出してもらった。外は見渡す限りの草原で、かなり遠くにうっすらと街の影が見える。王都最寄りの村、ネーベルだ。

 青々と茂る草原はきらきらと輝いて目に眩しい。森のそれとは違った若々しさのある土の臭いが新鮮だ。

「魔の目って何?」

 俺の素朴な疑問にイルザがため息をつく。

『火球』

 イルザがそう唱えると、彼女の前に金色に輝く古代呪文語が現れて小さく輪になった。その中にぽつんと火玉が浮かぶ。俺たちの母親(俺にとっては養母だが)も魔導適正があって時々これと同じことをしていた。目的はもっぱら竈に火を入れることだ。

「何が見えた?」

「何って火だろ?」

 ヴィルが怪訝けげんな顔をしてイルザに答える。

「金色の古代呪文語の中に火が出てきただけだろ。そのくらい母さんが使うの散々見て……」

「アンタ、魔法使えるようになるよ」

 いきなり指さされ、俺は躊躇して後退りする。怪しい占い師だっていきなりこんなこと言わないだろうという胡散臭さだ。俺がビビったのを見てイルザが悪辣あくっらつな笑顔を浮かべる。

「喜べば? 左右違う色の目の魔導師って最高峰の魔導に行き着くらしいよ。しかも国王陛下も第一王子殿下も魔導適正なし。いいじゃん、見返せるよ」

 ちなみに俺の目の色は右が紫で左が青だ。王様と王子様の目が青色だったところを見るに、紫は死んだ母親の色だろう。今朝手鏡で見たときに知ったのだが、ぱっと見同じ色に見えるし鏡を見ることなんてまずないから、どうでもいい話だ。

「今日会ったばかりの王様や王子様に見返せるとかどうとか、考えるわけないだろ」

「いや、見返せると思っときな。精神病むよ」

 病んだヤツでも居たのだろうか。

 イルザは懐から何かを取り出して口に放り込む。多分菓子の類だ。でなかったら怪しい薬だろう。魔界戦線と呼ばれる戦場はめちゃくちゃ過酷だと聞いたことがある。なにせ、俺たちの住む恵みの大陸と、魔族たちが住む魔界大陸の戦争の最前線だ。こびりついた血で、魔族と人間の見分けがつかないほどだというのだから、病んでもおかしくはない。

 俺たちは人数も少ないので迂回できるだろうが、もう少しまともな装備でないと魔物に襲われて終わりだろう。

「ところで『栄華のしずく』って本当にあんの?」

「栄華のしずくって名前のきれいな宝石が獲れる鉱山地域を取り合ってるに一票」

「それな」

 俺たち兄弟はすることがなく、暇つぶしに話を始めた。家事の最中も木苺摘みの小銭稼ぎの最中もおしゃべりで乗り切ってきた。暇つぶしのためのおしゃべりのために母さんに王宮で本を借りてきてもらう始末で、俺たちはありとあらゆる本を読んでいた。今にして思えば、母さんは俺たちに読み書き計算まで教えてくれていた。この旅のためだったのかもしれない。

「おいおい、それじゃ賭けにならないだろ」

「えーじゃあなんかめっちゃ役に立つ水が出る地域を奪い合ってるに一票」

「役に立つ水ってなんだよ」

「そんなの知らないけど。想像もつかないものが役に立つかもしれないじゃん。南方の死の泉地帯だってあの泉売っぱらって大金持ちになるかも」

「近寄るだけで臭くて人が死にまくってるのに、誰が買い取りに行くんだ……」

「話の途中で悪いが毒ネズミの群れだ! 前衛出ろ!」

 イルザに怒鳴りつけられて俺たちは揃って飛び上がった。前を見れば確かに毒ネズミの一家が俺たちに向かって唸り声を上げている。なんかでかい。実家に出たときは手のひらサイズだった、こっちは犬くらいでかい。

「なんかでかくねぇ!?」

「待って待って私は後衛! 逃げるな前に出ろ!」

「だってネズミって大きさじゃねぇよ!」

「れっきとしたネズミだよ! 魔界に行けばあと一回りはでかいの! 私の後ろに隠れるな!」

 俺とイルザは揉めに揉め、俺は半泣きになりながら前衛に放り出された。襲いかかってくるネズミを見る限り、本当に毒ネズミなのだろう。灰色の被毛と紫に染まった爪が特徴的な魔物だ。俺はこっそり降りた貧民街で何度も退治して小遣いを貰っていた。普通は煙で建物ごといぶして出てきたところを捕まえて尻尾を抜くんだが、あんな縄みたいな尻尾抜ける気がしない。

 飛びかかってくるネズミの前になべぶたを構える。これで一旦ネズミを押しのけてから棍棒で殴ろう。

「いってえええぇぇぇ!」

「嘘だろお前飛びかかってくる犬にその安物のなべぶた構えるか!?」

「だっていけると思ったんだもん!」

 もう十年は使っているなべぶたがネズミによって割られ、俺はあえなくネズミに腕を引っかかれた。がっつり抉られた腕から血が流れるが、裂傷れっしょうよりも酷いのが毒だ。あっと言う間に血管を巡って皮膚の色を毒々しい赤紫色に変化させる。

 そういえば解毒草はもったいなくて買えなかったなぁ、なんて馬鹿みたいなことを考える俺の腕をイルザが掴む。

「なに」

「ちょっと大人しくしてて」

 彼女はそう言って俺の腕に躊躇なく吸い付いた。可愛い女の子の唇が俺の腕に! 鼻血吹きそう。腕から血がダラダラ出ているので余計なところに回らなくて助かったというべきか。

 イルザは素早く荷物から薬草を引っ張り出すと、手で揉み込んで俺の傷口にそれを器用に貼り付けた。安物の薬草はそれだけで少し破れてしまう。薬草の上から布を巻いてもらい、なんとか傷口を塞いでもらった。

「とりあえず止血できたよ! 私の詠唱が終わったらすぐに西に向かって全力疾走!」

 ヴィルがその言葉に頷いて一際大きなネズミを棍棒で横薙よこなぎにする。腹を殴られたネズミは甲高い声を上げて地面に転がった。一人になった前衛はもう回りきらない。革製の篭手こてをネズミに齧られながらもヴィルは足元のネズミを足蹴にする。

『地を這うは地獄の業火……』

 ぽつぽつと古代呪文語が空中に浮かび帯となる。呪文語たちの整然とした様子が美しい詠唱だ。ほう、とヴィルが感心したようなため息をつく。

「かっこいい詠唱だな」

「以下省略! 野焼き!! 走れ!」

「だっさ!」

 詠唱省略という超高度な技に見合わないダサすぎるネーミングだ。俺の叫び声など聞こえないと言いたげに、イルザは一目散に逃げ出した。さすが戦場帰り、逃げ足も早い。俺はさっきからなんだか足が縺れてうまく走れない。

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