第1話

「ルイス・アインホルン殿。魔王からの『栄華のひとしずく』奪還作戦の隊長として任命する」

 広々としたお城の、壁にも天井にも絵が描かれた大広間に呼びつけられた俺は、ぽかんと口を開けて壇上の男を見上げていた。この国で一番偉い人が、一番最初に命令する人。ヴェルトヒェン王国の宰相閣下だ。玉座に座っているのは険しい顔をした王様で、その隣に用意された椅子に座っているのは第一王子殿下だ。

 お城の裏の森で、使用人の子として育てられた俺には破格すぎる対応。本当なら膝をついて厳かに承る場面なのだろう。たとえ、王宮に出す木苺の選定中に兵士が家に押しかけてきて、カゴいっぱいの木苺をダメにされていたとしても、だ。

 それだというのに。

 俺はぽかんと王子様を見上げたまま馬鹿面を晒していた。王様に会うからと母さんが貸してくれた小さな鏡に映ったのと全く同じ顔が俺を見下ろしている。生まれてこの方自分の顔なんてものには興味はなかったが、鏡に映る自分と王子様の顔が同じなのであれば話は別だ。

「貴殿はこの、ベルホルト第一王子の双子の弟として生まれ、また双子の弟であるがゆえに本来であれば既にこの世を去っているはずであった。しかしながら、神託がおりたため秘密裏に育てられていた」

 ちなみにここには兵士も貴族と思しきオッサンたちもいる。せっかく秘密裏にしていただろうに、これでは秘密ではなくなるだろう。俺はぐるりと広間を見渡し、信じられなくて王子様をまた見上げた。俺たちを見守る大人たちは厳かな顔をしている。制服みたいに揃いも揃って豪勢な刺繍の入った上着を着てくりんくりんの白髪をまとめ上げているオッサンたちと、甲冑を着た兵士たちが当然のような顔をして並んでいるのが面白い。

「……マジっすか?」

 やっと出てきた言葉に、俺の後ろで付き添ってくれている兄貴が小突いてくる。見慣れた金髪碧眼の兄貴とさっき鏡で確認した自分の顔は、まるで似ても似つかない。

 おごそかな表情をした王子が不思議そうに首を傾げ、側仕えの貴族が耳打ちする。ベルホルト王子が納得したように頷いた。

「事実である」

「マジかぁ……」

 マジで言うことがそれしかない。

 壇上の偉い人たちは表情を変えないが、後ろの兄貴は呆れ返って溜息をついた。

 しかし考えてもみれば、俺が無教養なのは俺のせいではなく、来たるべきまさに今日のために勉強させておかなかった父親が悪い。そう、お国のせいだ。

 実父である国王は俺を見下ろし、物憂げな表情をしている。今更思い出に浸っているのだろうか。いや、流石に神託が降りていなければ殺していたはずの息子のことを考えているわけではないだろう。

み子であるとはいえ、大切な息子であることには変わりない。特別に魔導師の手配をしておいた」

 王様が合図をすると広間の扉が開かれた。

 大人が並んで入ってきても十分な大きさのある扉の向こうに、すらりと背の高い女の子が立っている。彼女は合図をされると絨毯の上を歩いてこっちへ向かってきた。

 大きな空色の吊り目が印象的な、気の強そうな赤毛の女の子だ。十七、八といったところだろうか。貴族受けしそうな司教風の真っ白なブラウスをほっそりとした黒いパンツにしまっている。足元の黒いブーツはこれでもかというほどかかとが高く、歩く度にコツコツと威嚇するような音を立てている。容姿と相まって世のお姉様方の人気を独占しそうだ。

「魔導師のイルザ。あの魔界戦線からの帰還兵だ。存分に頼るがいい」

 魔界戦線といえば、今まさにこのヴェルトヒェンが戦っている魔界との最前線だ。血で血を洗う戦いで、戦に出た兵士が生き延びる確率は半分を切るという。しかも敵に狙われやすい魔導師だ。生きて戻っただけですごい。

 俺とヴィルヘルムがぽかんと惚けているのを見て、王様が指を鳴らした。

 どこからか貴族のオッサンがふかふかの赤いクッションを持ってきた。その上に乗っているのは麻袋だ。手にとるように身振り手振りで勧められ、俺は麻袋を手に取った。ずっしりとしている。途端に貴族側からおお、とどよめきに似た歓声が上がる。

 俺は勧められるがままにその麻袋を荷物にしまった。受け取っちゃったらこの話を断れないんじゃないかとも思ったが、どのみち王様からの命令なので断れない。ありがたくもらっておくことにする。

 荷物を懐にしまって顔を上げると、きれいな身なりをした使用人が銀のトレイの上に細長いグラスを置いて差し出してきていた。中には淡い赤色の液体が入っている。

「おひとつどうぞ」

「あ、ども……」

 中に入っているのはぶどう酒だろうか。イルザが手に取るのを見て俺も手に取る。

 見れば広間の全員がこの馬鹿みたいに高そうなグラスを掲げている。

「それでは、この者たちが無事に帰還することを記念して、乾杯!」

「乾杯ー!」

 大人たちがグラスの中身を一斉に飲み干すのを見て、俺も慌ててグラスを傾けた。甘酸っぱい。舌の上で広がる香りからして……。

「まさかこれ木苺のジュース?」

 魔導師のイルザが顔を顰めるが、その言葉をかき消すように皆が一斉にグラスを床に叩きつけた。あまりのことに呆然としている俺と兄貴の隣で、イルザが溜息をついてグラスを放り投げた。当然グラスは割れた。俺と兄貴は大人たちにじろじろと見守られながらグラスを守っている。

「グラスを割りなさい。それでげんを担いでいます」

 王子が俺たちに声をかける。からかわれているわけではないだろう。

「もったいねぇ……いくらするんだよ、これ」

 兄貴のヴィルヘルムが小声で文句を言い、俺も同意して頷く。近くに立っていた貴族にはその言葉が聞こえたらしく鼻で笑われた。

 どうやらグラスを割らないと儀式は終わらないらしい。俺たちは本当に渋々、惜しみながら透明のグラスを地面に放った。普通の杯なら転がって済むところだが、無事に割れてしまう。それを見守っていた大人たちが一斉に拍手をする。

「このグラスのように魔王を打倒したまえ! 行け!!」

 目的が最初言ってたやつから変わってるぞ。

 追い立てるような拍手の中、胸を張って出ていくのはイルザ一人だ。俺たち兄弟は顔を見合わせて、この実に贅沢な送迎会から逃亡することに決めた。


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