第6話 お姫様タイム 後編

お姫様になれる日が来るまでに大して日数はかからなかった。ディアナが恭一から誘いを受けたその日のうちに互いのスケジュール帳を見せ合いながら話し合った結果、1週間後の夜から翌日の昼にかけて会うことになったのだ。

ディアナは恭一から「パジャマは自分で用意して」と言われたので、フリル付きの襟が可愛らしいワンピース型のパジャマを取り寄せた。ついでに何を言われたわけでもないが、地肌が透けて見える程にはレースが薄い黒色のランジェリーを着て財布にはコンドームを携えることにした。

そうして恐ろしいような気恥ずかしいような思いをしながら迎えた当日に、気合の入ったブラセットを黒のニットと花柄フレアスカート、白のチェスターコートで覆ったディアナは、恭一の運転で連れてこられた場所にて眼前に広がる光景を前にして感嘆の声を漏らした。

鮮烈なチェリーピンクの壁と天井、ボルドーの絨毯。室内を温白色の灯りで照らすシャンデリア。奥にはポールタイプの天蓋からレースカーテンを垂らした純白の大きなベッドがどっしりと鎮座し、中心にはベビーピンクの2人掛けソファとサーモンピンクの大理石が嵌められた長方形のローテーブル。ディアナの前にあるのは彼女が幼い頃から思い描いてきたお姫様の部屋であった。

バスルームも豪華なもので、サーモンピンクの大理石で作られた型に楕円形の白いバスタブが嵌められ、映画やテレビ番組を見る為の小さなモニターが壁に埋め込まれていた。

夢ではないかと疑ってしまう程にはディアナの理想を詰め込んだお姫様のような空間にディアナは惚れ惚れとしたが、同時に恭一の誘いを受けた時に抱いた危うい予感が色濃くなっていた。ベッドは大きい代わりに枕が2つ並び、ソファと向かい合わせになった壁には60インチのTVモニターが掛けられ、コートを掛けておこうと開いたクローゼットには卑猥な形をした棒の写真が張り出されたコンビニBOX。ディアナが連れてこられたのはラブホテルであった。


「騙した?」


ディアナは大きく目を見開いて、ベッド脇のサイドチェストに設置されたタブレットをいじる恭一の、厚手の黒いマウンテンジャケットに覆われてもなお細さを窺わせる背中を見つめた。

恭一が相手なら同衾することになっても良いか、という気持ちが心のうちにあったのでディアナはわざわざ下着まで揃えてきたが、いざそれらしい事態が迫ると不安になるものである。緊張で顔を強張らせるディアナに対して恭一は普段と変わらぬ淡々とした様子で「騙してません」と返す。


「騙したよね?ここエロいことする所だよね?」


「騙してません〜ディアナさんが好きそうな少女趣味なお部屋に手軽に泊まろうとしたらラブホになっちゃったんです〜」


「どうだか〜」


パーソナルトレーナーとして長くディアナと関わってきただけあって、恭一は確実にディアナの好みを押さえていた。それでもラブホテルという場に連れてこられた以上ディアナは恭一を信用することができず、他に己の趣味を反映したようなホテルがあるのではないかとスマホを取り出し『お姫様 ホテル』で検索をかけた。しかし出てきたのは殆どが地方の山奥に存在するリゾートホテルで、都内のホテルが見つかったかと思えばどこも1泊5万円以上はかかる上にベッドに天蓋がついていなかった。


「嘘でしょ…5万もかかるなら天蓋付けてよ…」


「天蓋が付いてても一泊に5万は出せねえよ。とにかくそういうことなので、観念してここに泊まってもらいましょうかねえ、お姫様」


「手ェ出したら訴訟ね」


「良いとも」


自信満々に承諾する恭一を一旦信用するのとにして、ディアナはこのラブホテルで一夜を過ごすことを決めたのだった。




結果として、ディアナはラブホテルでお姫様のような時間を過ごすことができた。

まず昨今のラブホテルというのは食事が充実しており、ウェルカムサービスには温かい紅茶とレアチーズケーキも、夕食として注文したサーロインステーキも、朝食として運ばれてきたバターロールとコーンポタージュ、サラダのセットも、レストラン顔負けの美味さであった。

風呂には晩と早朝の2度入った。晩には乳白色の湯に薔薇の花弁を浮かべ、早朝には泡の立つマゼンタ色の湯を作り、のぼせるまで身を浸した。

部屋の中には娯楽もあった。備え付けのモニターでは映画やドラマを好きな時間に見ることができ、通信カラオケも備えられていた。備え付けのタブレットには簡単なパズルゲームもインストールされていた。

こうしてディアナがラブホテルでお姫様のような時間を楽しんでいる間、恭一は本当に手を出さなかった。ホテルスタッフが運んできた飯をディアナのもとまで運び、風呂も準備し、ディアナから求められれば風呂の中でもカメラを持って入りシャッターを切り、ディアナがベッドに入れば消灯して自身はソファの上で寝た。

ディアナの目には、恭一は終始召使い役に徹しているように見えた。




ディアナと恭一がホテルを出たのは朝日が昇り始めた頃だった。着替えて化粧まで済ませた後でもディアナは名残惜しさからベッドにしがみついてみたり、コンビニBOXで売られている大人の玩具を記念品として買おうとしてみたりして恭一から引き止められた。

仕方なく恭一の背後でマスクとサングラスをかけ外に出る準備をしていると、ふと自動精算機のモニターが目に入った。料金は1万5000円。ディアナは腹の底から悲鳴が上がりそうになるのを堪えて「払う払う!」と声をかけた。


「1万5000もするなんて聞いてないわ!ダメダメ!私の願い事なんだし私が払うわ!」


「気にしない気にしない」


「いやいやいやこんな他人の為に使って良い額じゃないわよ!」


2万円を持ってディアナが伸ばした右手は恭一の痩躯に阻まれ、そのうちに恭一の財布から出された2万円が自動精算機へと吸い込まれていった。


「勿体無いわよ…」


「営業の一環だと思ってくれよ。これからもご贔屓にしてくれたら良いから」


笑う恭一に背中を押されて、ディアナはお姫様の部屋を出た。ディアナの脳裏では恭一が他の客にも同じようなやり方で営業をしている様が浮かび、得も言われぬ不快感に襲われたのだった。

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