第4話 ワイン
ゆるやかに湾曲を描いたワイングラスを揺らすたび、赤紫色の液体が硝子に膜を張るように薄く纏わりつく。その色味はルビーのようで、月崎ディアナはうっとりとしながら「綺麗だわ」と呟いた。
黒のシースルーワンピースを纏い、薄明かりに照らされたワインバーのカウンターに腰掛けワイングラスをスワリングしてみせる月崎ディアナの姿は気品に満ちており、店内にいた誰もがその美しさに見惚れた。
中でもディアナをこのバーへと誘った張本人である若手俳優の山口源五郎は、シックな空間と美しいディアナの組み合わせをまるで絵画を眺めるが如く楽しんでいるように見えた。
「これは僕の1番好きなワインでね。30年物のヴィンテージなんだ。飲んでみて」
「へぇ。私ヴィンテージワインなんて初めてだわ。どんなお味かしら」
"ヴィンテージワイン"という特別な響きはディアナの興味を掻き立てた。ディアナは電灯の明かりを受けて煌めくワイングラスを鼻へ近づけ、立ち上る匂いを嗅いだ。酸っぱい匂いがした。
(ワインっていまいち匂いの云々とかわかんないのよね〜フルーツっぽい匂いってことだけわかるから良いか〜)
何となく分かっていそうな顔をして、ディアナはワインを口に含んでみた。そして「ヴッ」と小さく呻いた。
長く熟成されたワインは元来の果実味にナッツやハーブを思わせる複雑な味が加わっていく。これこそがヴィンテージワインの楽しみであるが、ディアナの舌では重く複雑な渋みしか感じ取れなかった。
(渋〜!すげ〜渋〜!普通のワイン飲んでても渋〜としか思ってこなかったけどこれは輪をかけて渋〜!)
ディアナは心のうちで悶絶した。
元よりディアナという女はワインがそんなに好きではなかった。幼い頃に父親が飲んでいるのを見てその鮮やかな赤紫色から甘やかな葡萄の味を想像していたのに、いざ飲んでみると葡萄の甘みなど殆ど無く渋さとすっぱさしか感じられずショックを受けた思い出があるからだ。
「すごく香りが良いよね。葡萄の香りのうちにナッツのような香ばしさがあって」
「ええ、そうね。すごく良い香りだわ」
山口が展開するソムリエさながらの説明に口では合わせつつ、内心で「わかんねーよ」と毒づく。
「口に含んだ感じもすごく良い。30年経っても葡萄の果実感をそのままにしているのは流石というところだよ」
「本当。とても瑞々しさを感じるわ(お前葡萄食ったことねーんじゃねーのか)」
「でも後からキノコを思わせる風味が口に広がってくる」
「確かに(その例えで美味いと思わせる気あんのか)」
「これは間違いなく最高の出来だよ」
「間違いないわ(私がわかんないと思って適当なこと言ってない?)」
ディアナは得意の笑顔で取り繕い続けた。
ディアナの本心が山口にバレていたのか定かでないが、ディアナの目から見る限り山口は満足そうにしていた。
「また今度2人で飲もうよ。次はホテルラウンジなんてどうかな」
二度と行かん。そんな言葉が喉から飛び出しそうになるのを堪え、ディアナは「時間が合えばね」と返した。どうかこの男と時間が合うことの無いように、と切に願った。
数日後、ディアナは己が幼い頃に思い描いた味とピッタリ合致するワインを見つけた。グラドル仲間の家で口にしたこのワインはアルコールの重みが感じられながらも葡萄ジュースのような甘味が強く、ディアナは感動のあまりボトルの写真をスマホに収め、何かの記念日に買おうと意気込んだ。
ディアナを唸らせたこのワインは"スイートワイン"と呼ばれ、スーパーマーケットの酒コーナーにて720ミリリットル約500円で売られている。
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