時空超常奇譚3其ノ五. OTHERSⅡ/滅亡はそこにある

銀河自衛隊《ヒロカワマモル》

時空超常奇譚3其ノ五. OTHERSⅡ/滅亡はそこにある

OTHERSⅡ/滅亡はそこにある

 冬の訪れは思ったよりも早い。紅葉の終わりを待つ事もなく、平然と羊雲を連れてやって来る。外には、葉の中のカロチノイドによって鮮やかに黄葉した銀杏が突然の木枯らしに震えている。

 新東京大学非公認サークル超々常現象研究会の部室に、朝から究極に効かせた新品のエアコンとコンビニの肉まんを頬張る代表の七瀬奈那美と副代表の小泉亰子の姿があった。

「やっぱり、コンビニの肉まんは美味いな」

 小泉亰子が時計を見ながら焦った顔で七瀬奈那美言った。

「先輩、そんな事より今日はいつもより遅いですよ。水曜日は、朝から日本経済論のゼミがあるんじゃなかったでしたっけ?」

「あぁ、そうなんだけどさ。何となく、昨日からずっと誰かに話し掛けられているような変な感じがするんだよ」

「気持ち悪いんですか?」

「いや、そういう感覚じゃない……」

「ゼミに遅刻しますよ」

「取りあえず行って来る」

「行ってらっしゃい。先輩、お昼何にします?」

「何でもいいけど、出来ればコンビニの中華丼がいいな」

「了解です」

 午前中の講義が終わった。日本経済論のゼミから帰った七瀬は、非公認サークル超々常現象研究会の部室でヘタりながら、先日やっと直ったエアコンの風に髪を靡かせて猫のような声を出している。

「ふにゃぁ……疲れた」

「先輩、何かあったんですか?」

「いや、大した事じゃない。日本経済論のゼミで、私の超先進的宇宙概論を講義してやっただけだ」

「あらら、先輩また全力でやったんですか?」

「当たり前だ。私は常に全力だ」

「どうせ、いつも通り男の人達を本気で凹凹にしたんでしょうけど、そんな事だから男が出来ないんですよ。男の人達に花を持たせてあげなきゃ」

「煩いな。馬鹿な男が花なんか持っていたら、それこそ滑稽だぞ」

 七瀬はディベートは得意だ。但し、それは討論する為に構築された屁理屈とは違い、あくまで自らの経験に裏打ちされたド真ん中直球の正論でしかない。それが、例えば多元宇宙のパラレルワールドであっても、七瀬は自身の目で見たものを語っているに過ぎない。何故神やら妖怪やらが七瀬の周りに寄って来るのかは本人にもわからないが、ディベートで敗者となる事はあり得ない。

 七瀬はエアコンの風に浸りながら得意げに言った。秋とは言え、もう冬のように寒い日もある。

「駄目だこりゃ。私はこれから彼氏とデートですから出掛けます。お昼ご飯の中華丼は冷蔵庫にありますからチンしてください。それから3時ぐらいに遥香が来ます」

 もう一人の事務部員の前園遥香はバイトの地下アイドルで忙しいらしい。

「デートは、あの東大のノータリンか?」

「ノータリンは言い過ぎですよ」

 小泉亰子がちょっと嫌な顔をした。

「ふぁい、ゴミンちゃい。そうだエアコンを強にして、前園に序にガリガリ君買って来てくれってメールしといてくれ。寒い日のガリガリ君は最高なんだよ」

「はいはい、じゃぁ行ってきまぁす」

「いってらっさ・い……」

 二日酔いのせいか議論の疲れなのか、小泉が部屋を出ていくと同時に七瀬奈那美は深い微睡みの中に旅立った。

 意識ははっきりしているのだが、きっと既に夢の中なのだろうと思えるような白い雲の上にいる。柔らかな空間を見知らぬ人々が優雅に談笑しながら歩いている。経験はないが、幽体離脱のフワフワと身体が浮いた感触に身を委ねると、どこからか懐かしい声がした。

『奈那ちゃん、奈那ちゃん、元気?』

『ナナ坊、元気か?』

 それは、七瀬奈那美を元気付ける懐かしい義母と義父の姿だった。

『あっ、ばぁちゃん?ばぁちゃん、ばぁちゃん、じいちゃん』

 義母と義父が現れた途端に、何故か中学生の姿に戻り白い雲の上で優しい腕に抱かれている。

『ばぁちゃん、じいちゃん、これは夢それとも現実?』

『えぇと、説明するのは難しい。奈那ちゃんの意識に語り掛けているのよ』

 再び問い掛けた。

『これは、やっぱり夢なのか?』

『そうね、どちらかと言うと夢に近いかな。奈那ちゃん、今大学生なんだ。頑張ったんだね』

『うん、ちょっと勉強して大学に入った』

『寂しくはない?』

『ううん。結構面白いヤツ等が多いから大丈夫だよ』

『そう、良かった。ちょっと安心かな』『安心だな』

 義母と義父の懐かしく包み込むような優しい思い出が蘇って来る。涙が溢れた。

『あっそうだ、忘れてた。奈那ちゃん、良く聞いて。今からそっちに大変な事が起こるのよ』

『大変な事?』

『そう。いきなり戦争が始まって、核爆弾が池袋駅の北側で爆発する。皆一瞬で消えてしまうの。どこに逃げても駄目なんだけど、実は新宿都庁の下には物凄く大きな核シェルターがあってバリアで新宿エリアの人達は助かるから、今から都庁まで逃げなさい。時間がないから直ぐにね』『ナナ坊、またな』

 再び、微睡みの中で眠気を感じて目が覚めると、いつもの見慣れた部室にいた。

「先輩、先輩、大丈夫ですか?」

 前園遥香が七瀬の頭にガリガリ君を乗せながら、心配そうに声を掛けた。

「えっ、冷たぁ。あっ前園か、今のは夢か?」

「笑いながら、凄くうなされてましたよ。どんな夢見てはったんですか?」

 七瀬が魂の抜けたような顔をしている。

「それがさ、ばぁちゃんとじいちゃんが話し掛けて来たんだよ」

「何て、言ぅてたんですか?」

「『もう直ぐ核戦争が始まって、池袋駅北側に核爆弾が落ちるから、逃げなさい』って言ってた」

 夢かと思いながらも、やけにリアルに伝わって来る感触が不思議だ。

「あれは夢だよな……」

 暫く呆けていると、再び義母の声がした。

『奈那ちゃん、早くしないと手遅れになる』

「えっ?」

 どこからかわからない声に、前園が仰天した。

「何やろ、今の声。今のは誰?」

 いきなりの義母の声に、一瞬夢と現実が融合した。前園が不思議な声に辺りを見回して驚いている。

「前園、お前にもばあちゃんの声が聞こえたのか?」

「はい。『早くしないと手遅れになる』て、言ぅてはりました」

「という事は……夢じゃないのか?あっ、こんな事してる場合じゃない。前園、小泉と他の部員の皆にも知らせろ」

 前園は訳がわからずに、七瀬の絶対指令に戸惑った。

「えっ、先輩。私や小泉やったらわかりますけど、他の人達は『核戦争が始まる』て言ぅても誰も信じまへんよ」

「じゃぁ、『信じるヤツだけでいいから新宿都庁まで行け。そこに核シェルターがある筈だから』とだけ書き込みで伝えろ」

 前園がカチャカチャとパソコンのキーボードを打つ音がした。

「先輩、完了しました。小泉は繋がりまへん」

「仕方がない、行くぞ」

「ラジャー」

 二人は、脱兎の如く大学のキャンパスを抜けて駅に向かった。校内はまだ早いせいなのかいつもより学生は疎らだ。七瀬はキャンパスの中庭の中央で叫んだ。

「戦争が始まって、池袋に核爆弾が飛んで来るぞ」

 当然だが、七瀬の声を真に受ける学生など誰一人としていない。駅前で、タクシーに乗って偶々混雑のない明治通りを一気に南下し、都庁第一庁舎前広場に向かった。 同時に、小泉からの返信でスマホが鳴った。七瀬は叫んだ。時間がない。

「小泉、もう直ぐ戦争が始まるぞ」

「えっ、戦争ですか?」

 いきなりの七瀬の慌てた声に、小泉は単純に驚いた。

「そうだ、核戦争だ。核爆弾が飛んで来るんだよ」

「核戦争、核爆弾ですか?」

 小泉の半信半疑な声がした。

「今、お前どこにいるんだ?」

「新宿、歌舞伎町の映画館の前です」

「新宿ならちょうどいい、今直ぐに都庁へ向かえ。都庁広場には核シェルターがあるらしいんだ。急げ、私と前園もそこに向かう」

「戦争、都庁、核シェルターですか?」

 小泉が不思議そうに謎のフレーズを繰り返した。

「戦争?都庁?核シェルター?お前の先輩ってバカじゃね?」

 隣で会話を聞いていた東大君彼氏が嘲笑いながら言った瞬間、小泉が怒り出した。

「何だとコラ、私の尊敬する先輩をバカって言ったのか?」

「だってさ、戦争なんか・」

 風の如き小泉のグーの右裏拳が「煩い」の言葉と同時に音速で飛んだ。呻き声とともに顔を手で覆い、うずくまる東大君の鼻から鮮血が吹き出している。

「小泉、走れぇ」

 切れていないスマホから、再び七瀬の声が飛んだ。

「はぁい。今、行きまぁす」

 反射的に走り出した小泉は、何故いきなり戦争なのだろう、何故核シェルターなのだろう、何故自分は走っているのだろうと、答えなど永遠に出そうもない疑問に首を捻った。

 七瀬と前園が辿り着いた東京都庁第一庁舎前の広場には、既に数人の怪しい男達が集まっていた。紺色のスーツにネクタイ姿のすきのない中年の男達が、身成の良い老人達を取り囲んでいる。大通り沿いに黒塗りの車が横付けされている。広場の横を人々が普段と変わった様子もなく忙しそうに通り過ぎて行く。

 七瀬と前園が男達に近づいた途端、異様な雰囲気、奇妙な圧迫感が伝わって来た。男の一人が威嚇するように二人を制止した。

「ここで立ち止まってはならない、立ち去りなさい」

 七瀬と前園は、老人達を一瞥し様子を見ながら無言でその場を離れ、柱の影に隠れた。他人の意識を読める前園が右手を翳して老人達の意識を覗いている。

「先輩、このジジイ達の頭の中には『・死にたくない・』しかないですね。こいつ等何者なんやろ?エラい変な感じやな」

 前園が眉を顰めた。

「きっと、どこかの偉いさん達とボディガードなんじゃないかな?」

「偉いさんて誰ですか?」

「さぁ、今の日本を裏で動かしているようなジジイ連中なんじゃないか?」

「て事は、やっぱり先輩のお義母さんの言ってた事がホンマに起こるて事ですか?」

「多分な」

 二人がそんな会話を交わしている間にも、大通り沿いに黒塗りの車が次々と横付けされている。周囲がますます近寄り難い雰囲気に包まれる中で、車の中から国会中継で見たような男達が一団になって現れ、老人達に深々と頭を下げた。続いてやってきた車から、今度は数十人の女と子供が降りた。

「先輩、やっぱりそういう事みたいですね。エラいさん達とその家族は優先的に避難出来るて事なんやないかな」

「世の中はそういうものさ」

 未だ完全な状況判断が出来ずに男達の行動を見据える前園が遠くで叫びながら近づく人影を見つけた。小泉が両手を振っている。

「先輩、小泉が来ました。あれれ、広場の周りに仰山の人がいますよ」

 注意深く周囲を見渡すと、あちこちに面識のない男女が広場を囲むように建物の影に隠れて立っているのが見える。

「先輩ぃ、遥香ぁ」

 小泉亰子が息を切らして走って来る。広場を横切ろうとする小泉を、当然だと言わんばかりに怪しい男達が制止した。

「ここは通行禁止だ。あちらを廻りなさい」

「何で?」

「いいから言う通りにしなさい」

「ふざけるな。お前等何様だ、コラ?」

 ガタイのいい大男達を相手に、一歩も引かない小柄な小泉亰子の勇姿に驚かされる。女優のような端正な顔の女子が、ヤクザ者かと見紛う怪しい男達を相手に今にも殴り掛かりそうな勢いだ。

「前園、小泉って凄いな」

「機嫌の悪い時の小泉は、唯のチンピラですわ」

「そうか。あいつが男と長く続かないのはそのせいなのか?」

「そうですね。アイツの本性を見た男は大概逃げますね」

 都庁の二本のタワーが聳える空を夕焼けが赤く染めて一日の終わりを告げている。どこまでも伸びている飛行機雲を切り裂いて、赤く染まる西の空に数個の不気味な光が見えた。それを見た黒塗りの車で集まった男達は、光を指差してざわつき始めた。男達はそれが何かを確実に知っている。その男達に向かって、七瀬は叫んだ。

「早く核シェルターを開けろ、間に合わなくなるぞ」

 男達は七瀬の声に「何事か」と振り返った後、平静を装うかのように不自然に前方を注視した。男達の前には、いつの間にか幾つかの四角い柱が地中から競り上がっている。柱に付いている扉が開くと、男達は我先にと中ヘ雪崩れ込んだ。

「あれだ、多分あれが核シェルターの入り口だ」

「先輩、どないします?あいつ等がウチ等を中に入れてくれるとは思えまへんよ」

「時間がない、どうするかな……」

 七瀬は一瞬躊躇った。

「あいつ等、全員ぶっ飛ばした方が早いですよ」

 そう言った小泉の頭上を、数十発の赤い核ロケットらしき物体が、今度は低空で光の尾を引きながら北方向に飛んで行った。

「何だ、あれは?」「何だ、あれは?」「UFOだ」「やった、写真撮ったぜぇ」

 忙しそうに通り過ぎていた人々は足を止め、天空を西から北へ飛び去る赤い飛行物体を見つつ嬉々として噂したが、これから日本に起こるだろう惨劇を知る者は誰一人いなかった。

「皆さん、こちらです」

 突然、広場に都庁地下駐車場の出入口から男の声が響き渡り、声に呼応するように周辺で様子を見ていた男女は一斉に駆け出した。

「わわわっ、凄い数や」

「何故こんなにいるの……」

 小泉と前園は、唐突に現れた数百人はいると思われる人々に気圧されて逡巡した。

「先輩どないします?」

「行きますか?」

 不安そうに七瀬を見つめる二人に、いつもの調子の声が帰って来た。

「行こう、多分ここにいても野垂れ死ぬだけだ」 

 その決断に、二人はまた不安気な顔をした。

「心配するな。お前等だけは私の命に替えてでも必ず救けてやる、必ずだ」

「先輩について行きます」

「当然やね」

 三人は走り出した。一斉に走る数百の人々の群れに呑み込まれるように、駐車場の一点を目指した。

 その時、遥か北方向から凄まじい爆発音が聞こえた。閃光が走り、天空を突き上げるようなドス黒い数本のキノコ雲らしきものが見えた。

 数百人の群れが駐車場の内部に駆け込んだ。その瞬間を見計らったように、後方のシャッターとガラスの扉が閉鎖され、全ての空間が暗闇に沈んだ。漆黒の闇の中で、外部で起きている事に関係していると思われる地震のような揺れが何度も繰り返し感じられる。小泉と前園の二人は、再び不安げな声を出した。

「先輩、どうなるんですか……」

「先輩……」

「わからない。でも、大丈夫だ」

「そうですね、先輩は妖怪と知り合いだから・」

「化け物の仲間やしぃ・」

 二人の声が微かに震えている。薄い闇の中で顔は見えないが、予想のつかない急な展開に戸惑う動揺が伝わって来る。

 いきなり、音もなく沢山のLEDの眩しい明かりが空間を照らした。三人は目を細めて両手で庇をつくり前方を見渡した。そこは当然の如く駐車場であり、かなり広いが天井が低く何もない空間。その中に数百人の老若男女がひしめいて立っている。

 その前方に台が設置され、壇上で数人の黒いフードに身を包んだ男女が両手を挙げた仕草で躍っている。中央にいるその内の一人、金色のCの文字をあしらった黒色のフードを纏った男が、そこに集う数百人の老若男女に呼び掛けた。

「皆さん、聞いてください。状況を理解出来ない方もおられるかも知れませんので、説明します」

 小劇場の三文芝居にも見える。男の言う話は、何が何やら訳がわからない。

「先程、ロシア軍とNATO軍による第三次世界大戦が勃発しました。皆さんが見た北方向へ飛んで行く光と爆発音、そしてキノコ雲は、ロシア軍の核弾道ミサイルです。既に、関東エリア池袋以北の地区が壊滅し、更に日本全土に核ミサイルが撃ち込まれている模様です」

 余りの突拍子もない話に、人々は驚嘆も絶望もなく反応は薄い。それは極平均的なリアクションだ。いきなりの「第三次世界大戦勃発」など驚きようがない。

「でも、安心してください。この駐車場は、核シェルターとしての機能を備えています。ここに集まった皆さんは、光の神の啓示を受けた我等の崇高な救世主であり指導者「チャオ」のネットワークトーキングと神の使いを示すピンクの旗によって、この事態を知った筈です。皆さんは選ばれた人間なのです」

 益々意味不明な男の語りが続く。

「まずは、こうして運良く核爆弾から逃れられた事を共に喜び、我等の指導者チャオに感謝し、祈りを捧げましょう」

 如何にもインチキ宗教臭を振り撒きながら、いつまでも壇上で異様なフードの男女が躍り続けている。

「先輩、救世主、指導者チャオって何者ですかね?」

「ウチ等のサイト☆チャオと名前が凄い似てますよね。案外、先輩が救世主やったりしたらオモロいですよね」

「私はそんな胡散臭いものは知らない。神の啓示なんか受けた事はないし、受けたいとも思わない。夢の中でばぁちゃんとじいちゃんと話はしたけど」

「それにしても『光の神の啓示を受けた救世主』とか『指導者チャオのネットワークトーキング』『神の使いを示すピンクの旗』って何ですかね?全然わからない」

「あれっ、あれれれ?」

 突然、前園が何かを思い出した。

「『光の神の啓示?』『神の使いチャオの神言?』『神の御旗はピンク色?』」

 そう言いつつ前園が七瀬を指差したが、七瀬奈那美と小泉亰子にはさっぱりその意味がわからない。前園遥香の息が荒い。

「神の啓示を受けた救世主は、先輩ですわ……絶対そうやわ」

「何だよ、いきなり」

「私が先輩から出掛けに「書き込め」って言われてチャオに書いたんやけど、戦争が始まるて言うても絶対誰も信じへんと思て、『これは、光の神の啓示を受けた神の使いチャオの神言』て書いて、『神の御旗はピンク色だ』て書いた……絶対あれやわ」

「じゃぁ、あの黒いフードの訳のわからない連中が言っている事は、全てお前の書き込みが原因ってのか?」

「間違いおまへん」

「本当かよ。そんな事で宗教が生まれたりするものなのか、まるでカップラーメンみたいじゃないか?」

「そう言われたら……けど多分、間違いないです」

 そう言ったままで前園は考え込んだ。

「どうした、凹んだのか?お前にしちゃ珍しいな」

「ウチが光の神の啓示やなんて書かへんかったら、こんな変な事にならんかったかも知れへんし……」

 七瀬は落ち込む前園遥香を笑い飛ばした。

「前園、確かに妙な事になってはいるけど、見方を変えればお前のハッタリでこれだけの人が救われたって事じゃないのか?」

「そうだよ、遥香。遥香こそ救世主だって事じゃん」

「えっ、そうなんかな」

 前園が照れた。黒と金色のCフードの男は、相変わらず意味不明な胡散臭い事を言い続けている。

「ここだけではなく、日本全国に約100箇所ある行政要人専用シェルターが同志を救出した筈です。我等の救世主チャオ様の光の神の啓示を伝える尊崇すべき教え、世界チャオズ・ネットワーク・グローブ略してCNG世界チャオズ教が発足したのです。私は、チャオ神の啓示を皆さんにお伝えする日本支部長であり伝導主長であるマサ・宇曽草です。皆さん一緒にチャオ神に祈りを捧げましょう」

「捧げましょう」「捧げましょう」

 フードの男女は、音楽のリズムに乗って男の言葉を復唱した。

「まるで世界宗教だな。前園のインチキメールから発足したとは思えない」

「ウチが書き込みしたのは3時間くらい前、その間に世界宗教が生まれたんかな?」

「こいつ等の話を鵜呑みにするなら、そういう事になるんだろな。その3時間内に、ここにいる人達だけじゃなく沢山の人が核爆弾から救われ、世界宗教が生まれて日本支部まで出来たって事だ。馬鹿気げてはいるけど、本当ならある意味凄いな」

 3時間のインスタント世界宗教の樹立、神と伝導者達の出現に、三人は唯々呆然と立ち竦むしかない。三人だけでなく、核戦争から運良く救われたらしい事への緊張感は、全ての人々の心を無造作に掻き乱した。だが、暫くして緊迫した空気が落ち着きを見せると、人々は密室に閉じ込められた閉塞感と現状を理解出来ない不安感にざわめき始めた。誰もどうする事も出来ず、伝導者と名乗る奇妙な者達のアジ演説を聞くしかない状況は、人々を苛つかせる。

「おい伝道者、今、外はどうなっているんだ?」

 一人の男が叫ぶと、伝導者は諭すように優しい、そして空々しい口調で言った。

「それは知らない方が良いでしょう。皆さんは、これから我等救世主チャオ様の下僕しもべとなって新しい理想国家チャオ神国の創世を実現させなければならないのです。私はチャオ神教の指導者として皆さんを導いて参りましょう」

「あれ、何だあいつは?いつの間にか指導者チャオが神になり、自分が指導者になってやがるぞ」

 自称チャオ神教の指導者の尊い言葉に、七瀬が怪訝な顔でツッコミを入れた。

「ボロが出るのが早過ぎますね」

「その内に「自分が神の使いだ」て言ぅんやないですかね?」

「きっと最後は「自分こそ神の化身だ」って言い出すに違いないだろう。尤も、人が作り出す宗教なんてそんなもんかも知れないけどな」

 宗教は信徒の絶対的な確信であり信心に支えられている。信徒にとっての神や使徒の言葉は全てが自らを救うアイテムでしかない。但し、そのシステムを構築するには時間と何よりも順番が必要となる。時間を掛けて救い主たる成果を信徒に与えなければ、そこに確信は生まれず信心は芽生えないのだ。いきなり隔離して、さぁ信じろと強制したところでそれは拷問であって反発以外に生み出されるものはない。宗教など生まれる筈もない。

 人々の精神的な不安が募っていく。次第に泣き出す者、叫ぶ者達が出始めると、伝導者から昇格した自称神の使いである指導者は、見透かしたように優しく、そして強く脈絡のない事を話し出した。

「皆さん、チャオ神は「この核シェルターに避難せよ」と仰せられた。皆さんは神の御言葉を決して疑ってはならないのです」

 透かさず、別の黒フードの女が調子を合わせるような声で言った。

「しかし、観念だけでは愚かな民に神の御言葉は届かない」

「そうだ」「そうだ」

 今度は別の踊り続ける女達が調子を合わせる。

「でも、私は祈る。神の御加護がありますように、神の遣いの御指導に従い皆が下僕となって生きれるように」

「そうだ」「そうだ」

 素人芝居のように左右に立つ黒いフードの女達が合いの手を入れ、再び中央に立つ金色のCの文字の男が台詞を吐く。

「おぅ、神よ。私は、神の使いとして愚かな民を命を賭して導いていきます。まずは、愚かな民に偉大なる神のみしるしをお与えください」

「あっ、先輩。早くも自分が神の使いになっちまいましたよ」

「次は何やろ?」

「どうでもいいけど、愚かな民ってのが気に入らないな。次は「我こそは神の化身」って言うんだろな」

みしるしって何ですかね?」

 またもや三文芝居が始まった。

「唯今、崇高なる神は我等の罪を御許しになり、その証として我等にみしるしを御与えになられました」

「何という有難い事だ。神よ、感謝します」「神よ、感謝します」

 小芝居が続く中で、人々に何かが配られた。神の徴には絵も文字も何も描かれてい

ない。たシンプルな黄色いピンバッジを見て三人は思わず苦笑した。

「何ですか、これは?」

「このオモチャみたいなのが神様の徴?」

「B級アイドルのオマケか祭りの夜店の景品だって、もう少しマトモじゃないか?」

「救世主様、我等をお守りください」「我等をお守りください」

 勝手に救世主になった男に、踊る男女が真顔で願った。救世主の口調が変わった。

「皆、見るが良い。これが現在の外部の姿、放射能の海じゃ」

 モニターの映像に、核爆弾の爆裂らしき光輪と雷光が踊る数本のキノコ雲が見える。薄気味の悪さMAXである事は否めない。

「これは、外部に設置した線量計のモニターじゃ」

 外部の線量計の数値がモニターに映った。

「見るが良い。線量計の針が完全に振り切れてい・あれれ、何だ?」

 モニターの線量計の針は平常の値を示し、何ら変わった様子はない。

「平常じゃないか?」「何だ、言ってる事と違うぞ」

 救世主になった男は動揺を隠しつつも、モニター画面を凝視した。核爆弾は確実に日本各地に着弾し、爆裂と放射線によってあらゆるエリアが壊滅した筈だ。

「そんな筈はない。何故だ……世界中で、日本全土で、池袋エリアで核爆弾が破裂したんじゃないのか?」

「救世主様、間違いありません。間違いなく核爆弾数十発が池袋北地区で爆裂して、この新宿エリアも一瞬で消滅した筈です」

 黒いフードの男女と救世主が慌てている。言っている事と映像が違う。人々は迷走する救世主の男の説明にざわつき始めた。

「外は放射能の海じゃないのか? 」「違うのか? 」「放射能の海じゃないのか? 」

「皆さん、落ち着いてください。外には放射線の嵐が吹き荒れています。迷ってはなりません。ここに居られる教祖様こそが、この事態から皆さんをお救いくださる方なのです」

「ワシこそが教祖じゃ」

「おいおい、とうとう教祖様かよ」

「芝居が下手ですね」「台詞棒読みやん」

 教祖が尊い御言葉を告げた。

「今より1羽の鳩を放射線の海に放つ。この鳩は決して帰る事はない」

 第三次世界大戦が勃発し、核爆弾が日本全土で爆裂した。そうのたまう教祖様の御言葉に半信半疑の人々の見つめる中で、1羽の灰色鳩がまるでノアの方舟の伝説のように放射線の大海へと放たれた。

 確かに、映像の中では線量計の針に異常は見られなかった。とは言え、池袋方面と思われる空に立ち上った数本のキノコ雲の不気味さが人々を心底震え上がらせている。そのインパクトは、『放たれた鳩が放射線の海で野垂打ち回って死に至り、決して戻る事はない』そんな成り行きが現実となるだろう事を当然の感覚で予想させる。

 荒れ狂う放射線の海に放たれた鳩は帰っては来ない……そんな予想を粉々に叩き割るのに大した時間はいらなかった。暫くすると、決して帰る筈のない鳩は、何の変化もなく何食わぬ顔で他の鳩数十羽を連れて帰って来た。人々の懐疑はバルーンのように急激に膨張した。

「鳩が戻る事はないんじゃないのか?」「どうなっているんだ?」「核爆弾で街が壊滅したんじゃないのか?」「外は放射線の嵐じゃないのか?」「そうだ、説明しろ」「どうなっているんだ、説明しろ」「説明しろ」「説明しろ」「説明しろ」

 焦る自称教祖は、いきなり神となって叫び始めた。

「神の名において命ずる、我等に従え。我こそ神なり」

「そうだ、従わねば神の怒りが降り注ぐぞ」「従わねば神の怒りが降り注ぐぞ」

 黒いフードの男女はオロオロし、事態を繕おうとした。だが、当然の如く外の状況を知りたがる人々の極度に高まる欲求を諌める事は出来ない。誰かが鬱憤を吐き出すように叫んだ。

「扉を開けろ」「そうだ、扉を開けろ」「扉を開けろ」「扉を開けろ」

 その叫びに人々は同調し、一人が走り出すと数百人が叫声を上げて一斉に扉に向かって走り出した。

「開けろ」「開・け・ろ」「開・け・ろ」「開・け・ろ」「開・け・ろ」

 そう叫び集団化した人々の波に、自称神が転んで這いつくばった。数百人の男女が転んだ自称神を踏みつけながら進んで行く。更に、人々は立ちはだかる黒いフードの男女を押し退けて、扉とシャッターを開けようと群がった。踏みつけられた神が叫んでいる。

「愚民共め、扉を開けるな。駄目だ、駄目だ、放射能で全員死ぬぞ」

 自称神の叫び声が人々の怒号の中に搔き消された。

「開けろ」「そうだ、開けろ」「開けろ」「開けろ」「開けろ」「開けろ」

 厚いガラスの扉がシェルターと外界とを遮断している。こうなると、もう止める事は出来ない。

「俺が開けてやる」

 そう言って、大柄の勇壮な男がどこからか持って来た鉄パイプで力任せにガラスを叩いた。ガラス扉の一枚が粉々に壊れ、集まった男達の気持ちが一つになった。

「次はシャッターだ」「皆でこの鉄の扉を開けよう」「皆で開けよう」

 シャッターの下部に男達の指が掛かり、息を合わせる掛け声とともに、鈍い音がした。鉄の扉は右端からヒン曲がり、無理矢理に開け放たれた。

 人々の歓声に、神が叫んだ。

「違う、間違っている。お前達は理想国家の創造者となるのだ、理想国家だ、私が絶対的国王となり、お前達が私の為にアリのように働く、それこそ理想国家なのだ」

 踏み潰された神は、泣きながら叫び続けた。曲がったシャッターをすり抜けた人々は、理想国家となる筈だった抑圧された駐車場空間から次々と外に出ていった。

 七瀬、小泉、前園の三人が人々の列に付いて外へ出ると、先に出た人々は声もなく空を仰いでいた。そこには天空に広がるピンク色の天蓋と、それを支える甲冑を身に纏い黒光りする山のように巨大な鋼鉄のヒト型戦士が立ち、空は薄いピンク色に輝いていた。

 人々は不思議な光景に事態を把握出来ない。七瀬達三人も首を傾げるしかない。

「何だ、このピンク色の空は?」

「何だろう?」「どないなっとんのやろ?」

 空に溶けるピンクの天蓋を支える巨大な戦士。そして、それを呆然と見上げる人々がいる。人々にはその状況を理解する事も、叫び捲る事さえ出来ない。その中から、七瀬奈那美の声がした。

「あれ、えぇぇと、あれ、誰だっけな。お前は確か……」

 七瀬は巨大なヒト型戦士を知っている……そんな気がした。いや、確実に知っていると思う。他人の空似と言っても、魔神の空似などある筈はない。記憶の深遠のその先から何かの記憶が湧き上がって来る。

「あ、そうだ。お前は、魔神デイダラ……じゃなかったっけ?」

「魔神デイダラ?」「魔神?」

 その言葉に、小泉亰子と前園遥香も透かさず反応し、何かを思い出すように記憶を辿った。天空からはやる声がした。

『何と、光護崇高神殿ではないか。会えて良かった。約束通りにパラレル時空間からこの世界を救う為にやって来たぞ』

「やっぱり、お前はデイダラか。悪いけど、私は妖怪村の時空間、名前は何だったかな、そうだ「狸の孔」を超えると同時に記憶の殆どが欠落してしまっているみたいなんだ、今何となく思い出したけど」

『それは良かった。「全く覚えていない」では態々来た甲斐がない』

 魔神デイダラが嬉しそうに弾んだ声を出した。

 かつて、七瀬奈那美と小泉亰子、前園遥香は、サークルの部室に来た妖怪座敷童子にパラレル時空間である物ノ怪世界へと案内された。そこで、この宇宙の破壊を目論む「赤い神」と戦って撃破した後、物ノ怪世界の長老妬唆之裡伽火とさのりかひから「赤い神は、いつの日かα宇宙の人間世界を破壊しにやって来る」と言われた経緯がある。その「赤い神」が、いつかこの人間世界を破壊する為に侵攻して来る事は間違いないだろう。

「デイダラよ、全く状況が掴めないんだけど、戦争は始まったのか?」

『「赤い神」との戦いは唐突に始まり、邪な光がこの世界に飛んで来た。それは既に規定された事だ』

「規定された事?」

『そうだ。過日言った通り、我等物ノ怪世界と人間世界は今パラレルの関係になっている。物ノ怪世界で長老妬唆之裡伽火とさのりかひの子星羽せいはが起こした大戦は、この人間世界でも確実に勃発する。それが規定された事であり、その起こるべき戦いが始まったという事だ。光の虫が飛び来るこの戦いによって、世界が消滅する可能性がある』

「光の虫とは核ミサイルの事か、飛んで来た虫はどうなった?」

『残念だが、池袋という北エリアで爆発した。更には日本の全てのエリアでも破裂し続けている』

「じゃあ、池袋にあった私の大学は?」

『大学?とは何かを理解出来ない、池袋エリアにはもう何もない。いや、もっと正確に言うならば、この新宿周辺エリア以外には何もない……日本全部』

 何もないとはどういう意味なのか、混乱する。

「デイダラ、ちょっと待て。都庁地下にある核シェルターの他、日本中の100箇所以上の核シェルターで沢山の人々が助かったって聞いたけど……」

 デイダラの声がない。

「やっぱり、嘘っぱちなのか……」

 悔しがる七瀬の隣から、小泉亰子が話に加わった。

「魔神さん、ここに放射能がないのは何故ですか?」

『それは、空がピンク色だからだ』

「ピンク色だから?」

「放射能が消えたんか?」

『いや、消えてはいない。このピンク色のバリアが全てを遮断しているのだ。バリアの外は100グレイを超える放射線の嵐、人間は極く短時間の内に中枢神経障害で死んでしまうだろう』

「それを、このピンク色のバリアで阻止しているんですね」「魔神、凄いやんか」

『それ程でもない』

 小泉と前園の称賛に、天空を支える魔神が照れた。オカルト以外には動じる事のない七瀬が不安を口にした。

「デイダラ、これからこの世界はどうなるんだ?」

 魔神は冷静に現状を説明した。

『光護崇高神殿、今この世界はパラレル時空間の中にあるのだ』

「パラレルって何だ?」

『別々の時空間が繋がった状態なのだ』

「その事態にどんな問題があるんだ?」

『最後の決戦がやって来る』

 魔神が語気を荒げた。

「最後の決戦?」

『そうだ。赤い神がマインドコントロールしている妬唆之裡伽火とさのりかひの子セイハは、ロシア軍を操って人間世界を制覇する事を企んでいる。最後の決戦でセイハとロシア軍は命懸けで攻めて来るだろう』

「でも、デイダラ。お前は天蓋を支えるこの状況で戦えるのか?このピンクの天蓋が破壊されたら高濃度の放射線で人類は終わりだぞ」

『天蓋は支えなくとも短時間であれば問題はない。恐らく次に来るのは赤い神の軍団とセイハ自身だろう。その時が最後の決戦となる』

「お前一人で勝てるのか?」

『いや、それは無理だ。過日の如く、光護崇高神殿や小泉殿、前園殿にも戦ってもらわねばならない』

「でも、私達に戦う力なんかない」

『大丈夫だ。これは長老妬唆之裡伽火とさのりかひから預かった特別な機械石の『小狐玉こぎつねだま』だ。持続性が限られているのが欠点だが、この世界でも潜在的力を引き出す事が出来る』

 そう言うと、魔神デイダラが三つの黄金色に輝く小さな玉を投げた。黄金色の玉は三人の掌に現れた。パチンコ玉程の小さな玉を握ると全身に力が湧いて来る。

 小泉と前園は、黄金の玉を受け取ってはしゃぎ出した。魔神は、騒ぐ二人を他所に大仕事に取り掛かった。最後の決戦が来る。

「ではいくぞ・天蓋自立・放射嵐包含玉・出現・」

 魔神が唱える呪文に合わせてピンク色の天蓋の中に黄色い光が出現し、空が黄色い光の海と化した。デイダラ自身が金色に、七瀬奈那美がオレンジ色に輝き始めた。

「力が湧いて来たぞ。取りあえず、私があの馬鹿息子をぶっ飛ばしてやるか」

 七瀬は嬉しそうに出番を告げ、人差し指に意識を集中した。人差し指にオレンジ色の光が点った。

「これで準備完了だ」

 オレンジ色の光に包まれた七瀬と金色の魔神デイダラは、風の如く一瞬でピンク色のバリアから外へと移動し、新宿南上空で空を覆う赤いロシア軍ヘリコプターの群れを捉えた。銀色の鬼、星羽が姿を見せた。

「『核爆弾で消滅した筈の日本に妙なものがある』と聞いて来てみたが、デイダラとキサマだったとはな。ニンゲンや魔神如きに用はない、とっとと失せろ」

『セイハよ、私の話を聞け。目を覚ますのだ』

 魔神が銀色の鬼に告げた。

「黙れデイダラ。魔神風情がこの俺に説教するなど百年早いわ。お前など、この世界を消す序に俺の『癇癪玉かんしゃくだま』で消し去ってやるわ」

 銀色の鬼は七瀬の姿に驚き、赤い軍用ヘリの群れを背に苛立ちを表した。

「キサマ、何故この世界で力を使えるのだ。まぁ良い、どうせ親父のケモノ玉でも得たのだろうが、所詮防護しか出来ぬキサマの力など何の役にも立たぬわ」

 物ノ怪世界の戦争で、この宇宙に侵入した「赤い神」とともに一度は叩き潰した銀色の鬼が人間世界に逃げて来て、凝りもせずに再び核爆弾を撒き散らすだけの戦略も戦術もない低俗な戦争を仕掛けている。何とも呆れるしかない。

「いい加減に目を覚ませよ、馬鹿息子」

「何だとキサマ。俺は、物ノ怪世界だけではなく人間世界をも治める事になる王なのだぞ。許さん、攻撃だ」

 赤いヘリの群れから一斉に核ロケット弾が放たれた。待っていたように七瀬の力であるオレンジ色の壁が立ち塞がり、壁の前でロケット弾か爆裂して消えた。

 その攻撃を銀色の鬼星羽セイハが鼻で笑った。

「馬鹿の一つ覚えの防御しか使えんキサマなど、親父がいなければ何も出来はしない。キサマが力尽きた時に、全ての世界が俺のものになるのだ」

 七瀬が口端を上げる。

「残念だな。人間には、お前の知らない学習能力ってものがあるんだよ」

 防御で立ち塞がるオレンジ色の壁は、星羽の予想に反して歪曲し、端部から小さな玉が千切れて音を立てて飛び始めた。

「何、攻撃だと?」

 銃弾の嵐の如く飛んていくオレンジ色の玉はそれぞれに赤いヘリコプターの群れを直撃し、瞬時にローターを停止させた。ヘリが次々と地上に落ちていく。

 同時に、魔神デイダラからも金色の光の矢が飛び、赤いヘリコプターの群れを撃ち落としていく。

「生意気な……」

 赤いヘリは西の空から続々と現れた。オレンジ色の壁は赤いヘリ群を感知した途端に一段と勢いを増し、マシンガンのように連続して玉を放った。魔神デイダラも銃弾を撃ち捲っているが、次々と現れる赤いヘリ群の終わりが見えない。キリのないこの持久戦が不利なのは自明の理だ。流石の七瀬にも疲れが見える。

 その時、地上から声がした。出番のない小泉と前園が嬉々として叫んでいる。

「先輩、ウチ等の出番やわ」「私達に任せてください」

「大丈夫なのか?」

「金色のタマを貰ったから、大丈夫です」

「金色のタマで、やったるで」

 水を得た魚になった二人の勇者が高らかに叫ぶ声がする。「頼もしいな」と七瀬は目を細めた。前園遥香が叫ぶ。

「我が正義の鉄の志をもって。出でよ、全ての邪な者達を貫くロケットランチャー」

 前園の手に巨大な青いロケット砲が現れた。続けて小泉亰子が叫ぶ。

「我が心魂の叫びを聞け。出でよ、全ての邪な者達を消し去るロケットランチャー」

 小泉の手に巨大な黄色いロケット砲が現れた。

 二基のロケットランチャーから、臆する気配も一瞬の躊躇もなく発出された数え切れない青と黄色のロケット弾は、ピンク色のバリアの壁を摺り抜けデイダラの金色の光、七瀬のオレンジ色の弾とともに、飛び来る赤いヘリの群れを無差別に迎撃した。西の空を埋め尽くしていたヘリの群れが消えていく。

「我等の正義の意思は、邪悪な企みを貫いた。我等の勝利だ」

「この世の安穏は保たれた。我等の勝利だ」

 二人の勇者が満面の勝ち鬨の声を上げ、笑みを見せた。

 銀色の鬼の攻撃が止んだタイミングで、七瀬はデイダラにわだかまっていた幾つかの疑問を投げた。

「デイダラよ、訊きたい事がある。物ノ怪世界の長老である妬唆之裡伽火とさのりかひは、何故私を呼んだんだ?」

『それは……』

「理解出来ない事はまだある。そもそも、破壊神のお前が長老を守護するというのは理屈に合っていない。お前達は、まだ何かを隠しているだろう?」

 七瀬の発した疑問に、魔神デイダラはまるで予期していたかように語り始めた。

『わかった。今となっては隠しても意味がない、全てを話そう』

「そもそも、長老妬唆之裡伽火とさのりかひとは何者なんだ?」

『妬唆之裡伽火は、光の神の使いであると同時に破壊神でもある。ワシはその一部に過ぎない。物ノ怪世界を護り、いつの日にか破壊するのは妬唆之裡伽火自身なのだ。だが、それは今ではない。いつかその時が来ると、妬唆之裡伽火とさのりかひは破壊神となる。これは、光の神の使いとしての当然の所業だ』

「何を言ってるのかさっぱりわからないが、その光の神の使いの爺さんが何を企んでいる?」

『いや、妬唆之裡伽火とさのりかひは物ノ怪世界を護る事以外何も考えてはいない。光護崇高神殿を物ノ怪世界に呼んだのも、単純に光護の力を必要としたからに他ならない。光護の力、即ち『絶対防御の力』と『光のマザーたる崇高神殿自身』が必要だったのだ』

 過日、物ノ怪世界へ案内された際に散々聞かされた「光のマザー」というフレーズにも、身に覚えのない七瀬は未だに納得していない。七瀬は、またかと言いた気に舌打ちした。

『地球とは、このαアルファ宇宙に光の神が創りし『光の星』だ。そして、我等の惑星オニガホシも同様にπパイ宇宙に光の神が創りし『光の星』だ』

「違う宇宙の光の星?」

『そうだ。多元宇宙には、星の如く宇宙が存在する』

「お前達の世界は、別宇宙なのか……」

『このα宇宙も我等のπ宇宙も多元宇宙に同時に存在し、それぞれの宇宙には光の星が存在する。そして、その光の星には1000年に一人『光の子』が生まれ、更に5000年に一人『光の運命の子』が誕生する。『光の運命の子』には、宇宙の未来を変える力があると言い伝えられている。妬唆之裡伽火は光の子だ』

「その光の子やら光の運命の子と私に、一体どんな関係があるって言うんだ?」

『光護崇高神殿は、5000年に一人誕生する運命の子を宿す『光のマザー』であり、光護の力を持っている』

「幾ら聞いても何を言っているのかわからないが、その光のマザーだという私が何故物ノ怪世界に必要なんだ?」

『そもそも、我等のπ宇宙、物ノ怪世界には秩序が存せず永く争いの中にあったのだが、光の子である妬唆之裡伽火とさのりかひは敢然と立ち向かい、圧倒的な正義の意志で物ノ怪世界を統一した』

 魔神デイダラの話は終わらない。

『遂に平和に統一された物ノ怪世界だったが、その直後『一つ目の不都合』が突然に起こった』

「一つ目の不都合?」

『ある時、異宇宙から全ての宇宙を消滅させる事を目途として暴れ廻る赤い侵入者、古より言い伝えられた「赤い神」が、宇宙孔からある宇宙へと侵入した。そしてその宇宙から、今度は時空間孔を通じて我がπ宇宙へ「赤い神」が侵入したのだ。無数の分身を有する圧倒的な人海的優位のヤツ等は、π宇宙物ノ怪世界を蹂躙した』

 魔神デイダラの話が本題へと進んでいく。

『「赤い神」を殲滅する力は『光の運命の子』にしか宿らない。そこで妬唆之裡伽火とさのりかひは考えた。「赤い神」を殲滅して物ノ怪世界の消滅を止める為には、自らをクローン化する事で『光の運命の子』を創れば良いのだと』

「そんなに上手くいくものなのか?」

『紆余曲折はありつつも、幾度目かのクローン化の末に『光の運命の子』たるセイハが誕生した。だが、そこで『二つ目の不都合』が生じた』

 不都合が続いていく。深い経緯の成り行きを聞くしかない。

妬唆之裡伽火とさのりかひを超える力を持った運命の子であるセイハが、赤い神の強力なマインドコントロールに堕ちたのだ。物ノ怪世界は震撼した。何故なら、例え光の子である長老妬唆之裡伽火とさのりかひと言えども、光の運命の子たるセイハを倒す事は出来ないからだ。物ノ怪世界は途方に暮れた』

 延々と続くその話は、納得がいくか否かではなく、納得する以外にない。

『そして、更に『三つ目の不都合』が起こった』

 何やら不都合が多い。一つの不都合が解決しないまま次の不都合が重なっていく。最悪のパターンだ。

『本来、多元宇宙の中に無数に存在する宇宙同士は繋がる事はない。ところが、時空間孔からπ宇宙に侵入した「赤い神」は、更に今度はα宇宙へ時空間の孔を繋げようとした。それにより、π宇宙とα宇宙の時空間が部分的に破壊されてパラレルに繋がってしまったのだ。その繋がった時空間こそが、π宇宙のオニガホシとα宇宙の地球だ。その時、π宇宙の邪な意思を持つ化け物達はこぞってα宇宙の人間世界へと逃げた。人間世界に化け物が増えたのはその為だ』

「なる程、私の周りに神や妖怪を自称する化け物が増えた理由は分かったが、宇宙が繋がってどんな不都合があるんだ?」

『異宇宙の星が繋がりを持つと時空間因果法則によって星同士に「部分不偏」が生まれ、更にそれぞれが核宇宙にまで拡大する事で「全体不偏」が生まれる』

「どういう意味だ?」

『簡単に言うなら、繋がった星同士が一つになり、星の不偏がそれぞれの宇宙にまで拡大して繋がる事で繋がった宇宙が一つになるのだ。これを「パラレル不偏」と言って、どちらかの星を破壊すればどちらの星も、そして宇宙をも破壊する事が出来る事を意味する』

「そうなのか……」

 相変わらず、納得する以外にない。

『しかし、『赤い神の侵入』『セイハのマインドコントロール』『パラレル不偏』という突発的な三つの危急事態を解決する可能性が見出だされた』

「可能性とは何だ?」

『光の星には絶対防御の光護の力を持つ光の神の使いが必ずいる筈だ。調査の結果、光護の一人『光のマザー』が存在する事がわかった。光護の力は、自らを護ると同時に宇宙を護る力でもあるから、光護の力を持つ地球の『光のマザー』を呼んで連帯してヤツ等を叩き潰せれば良し。そうでなくとも護る事が出来れば、同時に物ノ怪世界を護る事になる。それが崇高神殿を必要とした理由だ。その為、妬唆之裡伽火とさのりかひは座敷童子他の物ノ怪達に崇高神殿の捜索を命じたのだ』

「妬唆之裡伽火が光の子なら、絶対防御の光護の力を持っているんじゃないのか?」

『残念だが、光護の力は代替わりによって子へと受け継がれて消滅する。クローン化によって妬唆之裡伽火の光護の力は消滅した』

 何となく納得がいくようないかないような話だ。魔神が曰くありげな話を続ける。

『我等は、取りあえず物ノ怪世界の存続を崇高神殿を護る事で達成したが、パラレル不偏にある事を知っているセイハが、このα宇宙、人間世界に飛ぶ事は必然だった。何故なら、この人間世界を潰せば同時に全ての宇宙を消滅させる事が出来るからだ』

 何となくわかったような、全くわからないような、雲を掴む話が続いていく。

「それで、妬唆之裡伽火とさのりかひの爺さんはこの状況をどうやって解決しようとしているんだ?」

『人間世界でも、同じように崇高神殿を護りながら「赤い神」とセイハを叩くのだ』

「それじゃぁ、同じ事の繰り返じゃないのか?」

『それで良いのだ。それが出来ればセイハは再び物ノ怪世界を攻撃し、それを迎撃すれば再々度人間世界へとやって来る。物ノ怪世界と人間世界で奴等との戦いを継起する事で「赤い神」の弱点も見えて来るに違いないのだ。それに、いつの日か必ずこのα宇宙にも宇宙の孔から「赤い神」が侵攻して来ると考えられる』

 状況だけは何となく理解出来た気もするが、一連の話には今一つ納得がいかない。その内容は聞く程に呆れるばかりで筋が通っていないし、何一つ解決にはなっていない。解決策を見出したと言いながら解決には程遠い。

 敵と戦いを繰り返す事で勝利の糸口が見つかるのではないか、それが解決への方策だと言うのだから話にならず、余りにも浅虚せんきょと言わざるを得ない。糸口が見つかる前に、宇宙の、世界の消滅が見えてしまう。仮に、いつの日かα宇宙にヤツ等が侵攻して来る事があったとしても、それはそれでその時に考えれば良いのだ。

 そもそも、あれやこれやと御託を並べてはいるが、結局のところ「赤い神」と言う訳のわからない存在の口車に乗せられた星羽せいは妬唆之裡伽火とさのりかひとのイザコザにα宇宙と地球の人間世界が巻き込まれ、直接関係のないとばっちりを喰っただけの事ではないのだろうか。

「もういい。もうどうでもいいから、あの馬鹿息子を連れて物ノ怪世界にとっとと帰れ。そうでなければ、私が潰してやる」

『駄目だ、崇高神殿。セイハを甘く見てはならない、セイハの攻撃は黄色い光の槍だけではない。次は青い『しびれ玉』が来る。そして、最後に来る赤い『癇癪玉かんしゃくだま』は、時空間を破壊しこの世界を消滅させる威力がある。セイハを刺激してはならない』

「やりたけりゃ、勝手にやればいいさ」

 そう言いながらも、七瀬は「何かが変だ」と感じている。引っ掛かるのは何だろうか、考える程に何なのかわからない違和感が膨れ上がる。

 七瀬奈那美は物ノ怪世界に誘われ、異宇宙から物ノ怪世界に侵入した宇宙の破壊を目論んでいるという「赤い神」を光の神の力で撃破した。そして、宇宙法則の不偏を知っている敵は今度は人間世界へと侵攻している。今、その敵を出来る限り刺激せずに叩こうとしている。更にはその繰り返しで勝利の糸口を見つけるのだと言う。

 どう考えても話の流れに無理がある。光の神の使いともあろう妬唆之裡伽火とさのりかひが、そんな見通しのない稚拙な事を考えるだろうか。恐らく、それはない、違和感はそこだ。

「愚かな地球人よ、そろそろ目を覚ませ」

 金色の光に姿を変えた魔神デイダラ、オレンジ色の光を纏う七瀬奈那美、青と黄色のロケット砲を構える小泉亰子と前園遥香。錚々たる面子と対峙する銀色の鬼星羽セイハが意味ありげに言った。赤いヘリが疎らに天空を舞っている。

 銀色の鬼の言葉は何やら意味深だが、戯れ事に構っている場合ではない。ここからが最後の決戦になる。無数の敵と星羽の攻撃が来るだろう。

「馬鹿息子、「赤い神」はどうした?」

「馬鹿め、キサマ等相手に「赤い神」の出番など必要ない」

 再び、星羽が奇妙な事を言った。

「それにしても、キサマは心底間抜けだな」

「どういう意味だ?」

「親父やデイダラから何を言われているのかは知らないが、こうしている間にもは進行中なのだぞ」

 作戦とは何か。星羽の言っている事の意味が伝わって来ない。

「何故親父がこの世界に来ないのか、キサマにはわかるまいな?」

妬唆之裡伽火とさのりかひが来ない理由は、物ノ怪世界の統治ではないのか?」

「愚か過ぎて話にならぬな。その理由である作戦は、既に最後の仕上げ段階だ」

「何を言っているのか、わからない。作戦とは何だ?」

「愚かなキサマに教えてやろう。作戦とはな、『オニガホシと地球のパラレル時空間を創り出して断ち切る事』だ」

「創り出して断ち切る?」

「第一段階として、物ノ怪世界の最大の神器『狸の穴』を使ってπ宇宙オニガホシの物ノ怪世界とα宇宙地球の人間世界を連結したのは親父だ。そして、第二段階として『狸の穴』から反対派の化け物を人間世界へと逃がして有用性を確かめた」

 話の流れに辻褄が合っている。

「更に、作戦最終段階で『狸の穴』から俺と「赤い神」を人間世界に移動させて戦わせるのだ。だが、その本当の目的は別にある。戦いの間に『狸の穴』を破壊し連結したβ宇宙とα宇宙のパラレル時空間を消滅させる事だ」

「何故、そんな事をする必要がある?」

「簡単な事だ。そうすれば、物ノ怪世界の全ての厄災を人間世界へ追いやる事が出来るのだ。そんな単純な手に引っ掛かるキサマ自身の愚かさを恨むがいい」

 それも辻褄が合う。魔神が慌てて否定した。

『崇高神殿、かたりだ。だまされては駄目だ、駄目だ』

「何が騙りなものか。デイダラよ、俺の話を騙りと言うなら既にキサマの半身が透けているのは何故だ、言ってみろ」

 いつの間にか、黒光りしていた甲冑を纏う魔神デイダラの身体が半分だけ消え掛けている。それが何を意味しているのか、七瀬にはわからない。

『それは……』

「言える訳はないな。魔神は『狸の穴』が破壊されれば消えてしまうのだから、反論など出来ぬよな。それに残念だが、その作戦を知る「赤い神」はこの世界、この宇宙には来ていない」

 悪の権化の如く言われて来た星羽の語りに筋が通っている。一連の成り行きを思い返し、それら全てが星羽とπ宇宙の赤い侵略者をα宇宙へ追いやる為の作戦、そう考えると全ての辻褄が合ってしまう。

「まぁ、キサマが親父のはかりごとに引っ掛かろうが、そんな事はどうでもいい。ニンゲン共に原子を破壊するプラズマ弾、俺の『痺れ玉』を喰らわしてやるだけだ。まずは、お前等からだ」

 銀色の鬼は、青白く雷光を躍らせるプラズマ砲の狙いを定め、あっという間に放った。その先に小泉亰子と前園遥香がいる。二人を狙った事は明白だ。

『マズい、天蓋バリアはセイハの痺れ玉には効果がない・』

 小泉亰子と前園遥香の二人に青白いプラズマ弾が直撃した。直撃したプラズマの光は、一瞬の内に二人の身体を吹き飛ばした。狙いを察知出来なかった七瀬奈那美は立ち尽くした。心臓が激しく鼓動を打った。

「小泉……前園……」

 唐突過ぎる出来事に思考が追いつかない。何が起きたのだろう、元気の塊のような二人の姿が視界から消えた。銀色の鬼が鼻で嘲笑っている。

虫螻蛄むしけら二匹が消えただけだ。どうした、怒りでスーパーマンにでもなるのか?馬鹿め、所詮お前如きが何をしたところで、この世界の未来は変わりはしないのだ」

 デイダラが叫んだ。

『崇高神殿、気を逸らしては駄目だ。小泉殿と前園殿の事は残念だが、この世界は現実であって現実ではない。再び再生され・』

「煩い、黙れ」

 七瀬奈那美がデイダラの言葉を遮った。胸が痛い。二人がいない状況に胸が張り裂けそうだ。義母と義父が何故この世界に現れたのかを、七瀬は理解した。戦争が勃発する理由は、思想、宗教、怨念、その他幾らでもあるに違いない。だが、だからと言って戦争は絶対に起こしてはならない。一度戦争が起これば人が死ぬ。どんな理由があったとしても、戦争で人が殺んで良い理由にはならない。そしてその可能性があるのなら、確実に命懸けで止めなければならないのだ。

「何が、光護崇高神だ。身内をぶち殺されて、何も出来ないではないか」

 銀色の鬼の嘲笑が止まらない。燃え上がる殺意が静かに膨らんでいく。

「……私は、オレンジの光で防護する事が出来る。でもそれだけじゃない。私の防護の力は、時空間を飛ぶ事も出来る。だから、こんな事が出来る」

 七瀬奈那美の左手が光の中に消えた。次の瞬間、その手が星羽の喉元を掴んだ。

「キサマ如きが、ニンゲン如きがこの俺を殺れるものか」

「残念だが、私はお前が思うような優しい人間じゃない。覚悟しろ」

 喉元を掴んだ指が食い込んでいく。

「こ、ん、な事で俺を殺れると思っているのか……こんな世界など俺の『癇癪玉かんしゃくだま』で一瞬の内に消してやる」

 星羽の頭上に、黒い光が輝き出した。デイダラの慌てる声がした。

『崇高神殿、あの光が『癇癪玉』だ。あれが破裂すると、この世界の時空間は混沌の中で消滅する』

 それが癇癪玉かんしゃくだまだろうが何であろうが、そんな事は最早どうでもいい。七瀬は星羽を決して許す事はない。

『セイハよ、それは決して使ってはならぬ秘術だ』

「黙れ、こんな宇宙など消してくれるわ。消えてなくなれ」

『セイハよ、やめろ。お前自身も消えるぞ』

 そう言う間にも、魔神デイダラの姿が消えていく。星羽の語りを信じるなら、移動時空間『狸の穴』を破壊し、パラレル時空間を消滅させる作戦が完了した事になる。 

 星羽の頭上の黒い光が瞬時に膨張し星羽諸共に爆裂した。同時に、夥しい数の小さな黒い粒子が天空へと舞い上がり、空は一面漆黒の海と化した。地鳴りが聞える。

 人々は、「何だ?」「空に穴が開いたぞ」「空が落ちて来るぞ」と叫ぶ。ピンク色の天蓋の外側、漆黒の天空の一部が剥がれ落ちた。更に次々と剥がれていく。

『もう駄目だ……』

 時空間が潰れていく。星羽の『癇癪玉』がこの世界の時間と空間を破壊した。消え掛けたデイダラが嘆く声がする。

『この世の終わりだ。天界と地上界、冥界の仕切りが壊れ、全ては混沌の中に溶けていくのだ』

「元に戻す方法はないのか?」

『この時空間が元に戻る事はないが、『光のマザー』である崇高神殿が消滅しない限り、この世界は再生される。再生された宇宙に私が存在する事はないだろうが……』

「そういうものなのか?」

 殆ど姿が消えた状態の魔人デイダラの最後の声がした。

『崇高神殿・セイハの言った事は全て本当だ・私に言える事は一つだけだ・崇高神殿自身が死ななければ、この世界は再生される。それで全てを許してくれ……』

 七瀬は自身に腹が立った。何一つ先を読む事が出来なかった。そのせいで二人の後輩が消え、今この世界が消えようとしている。魔人デイダラは、『光のマザー』たる七瀬が死ななければ世界は再生されると言った。その根拠も真偽もわからず、その為に何をどうすれば良いのかもわからない。

『崇高神殿・光護の力で自身を覆い・時の海を渡れ・さらばだ……』

 魔神デイダラが消えた後、世界は混沌に溶けた。人々の悲鳴と叫喚が無秩序に混ざり合い、意識が遠退いていくのがわかる。どこなのかわからない闇の中で螺旋に輪転しながら時が過ぎ去っていく。

 意識が戻った。そこがどこなのか、頭は混濁したままだ。目を凝らす七瀬奈那美は、新東京大学のサークル超々常現象研究会の部室にいた。

「先輩、大丈夫ですか?うなされてましたよ」

「どないしはったんですかぁ?」

 小泉亰子と前園遥香のいつもの元気な声がした。その姿を見た七瀬は、硬直したまま動けなくなった。あれは夢だったのか、それとも時空間が再生されたのだろうか。答える者はいない。朦朧とする意識の中に、心を刺す痛みが残っている。凍えそうな生々しい記憶が走馬灯となって蘇って来る。

「小泉、前園、生きていたのか……良かった。本当に良かった」

 いきなり七瀬が二人に抱きついて泣き出した。

「どうしたんですか?」

「どないしたんやろ?」

 七瀬奈那美は、新東京大学別館の部室でいつまでも々泣き続けていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

時空超常奇譚3其ノ五. OTHERSⅡ/滅亡はそこにある 銀河自衛隊《ヒロカワマモル》 @m195603100

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ