第6話 王子、状況を把握する(させられる)

 目の前に『俺』がいる。『俺』はどこか困ったような、それでいて冷静に観察するような目をして俺を見下ろしていた。俺にはこんなにそっくりな双子の兄弟などいない。


「あなた、アランで間違いないわよね?」


 『俺』の目で見つめられ、『俺』の声で語りかけられる。どこかで聞いた事があるような声だと思ったら、自分の声だったのだ。そうなのだが、こいつは何故か女言葉で話してくる。ぞっとして背中がゾワゾワと寒気を催す。


 これは夢か? 夢だとしたら悪夢だ。俺は声が出せなかった。でも、どうにか質問にはうなずく事が出来た。


「よく聞いて、アラン。あなた、私と一緒に・・・ああ、そうそう、レティシアと一緒に階段を転げ落ちたのは覚えている?」


 そうだ、俺はレティシアが落ちるのを支えきれずに一緒に転げ落ちてしまった。それは覚えている。


「私はあなたが守ってくれたから大して身体を打ったりもせず、階段下まで落ちても気を失う事は無かったの。でも・・・気が付いたら、どうやらあなたになってた。」


 思わずゴクリと唾を飲み込んだ。何を言ってる? 俺になってた? どういう事だ。


「そして、あなたはどうやら私になったみたい。ほら、鏡を見て。」


 そう言って『俺』は手鏡を渡してきた。恐る恐る覗いてみて驚いた。鏡にはいつもより青白い顔をしたレティシアが映っていた。


「ひっ」


 恐怖で思わず声が出てしまった。何が・・・何が起こっている? 心臓がバクバクと音を立てる。鏡の中のレティシアと目が合ったまま離せない。


 鏡を持つ手と反対の手で頬を触ってみると、彼女も同じように頬を触った。触った感触もすべすべして柔らかく、決して俺の肌では無い。次いで、長い流れるような銀髪に手が触れたので軽く引っ張ってみた。頭皮がそのまま引っ張られ、地毛である事が分かった。同じ事を鏡の中の彼女もしていた。自分の手を見てみた。白くて細い指だ。俺の手では無い。下を向くと胸元には女性らしい胸の膨らみが見える。


 呆然とする・・・動悸もひどく、考えがまとまらない。


 まさか、本当に・・・?


「どうして・・・」 声も俺の声では無い。女の声だ。


「落ち着いて聞いて、アラン。さっきも言った通り、どういう訳だか、階段を落ちたら私達入れ替わっていたの。私はあなたの顔をしてあなたの声で話しているかも知れないけど、中身はレティシアなの。あなたも同じ。レティシアの顔をしてレティシアの声で話すけど、中身はアランなのよ。」


『俺』の顔をした男が、そんな事を言ってくるが、落ち着ける訳がない。でも、突拍子も無い事を言う『俺』の目はとても優しい目をしていて、こちらを急かす事なく見つめているのが分かった。


 その目を見つめ、そして鏡に目を移し、そこに映るレティシアの心細げな目を見ていると、何故だか少し信じても良いような気がしてきた。


「本当の事なのか? お前はレティーなのか・・・?」


 俺は先程見ていた幼い頃の夢のせいか、気がつくとその頃よく使っていた愛称で呼んでいた。


「あら。懐かしい呼び方で呼んでいただけて嬉しいわ、アラン。この所のあなたはアリスさんにばかりご執心だったから。そんな風に呼んで下さるのは久しぶりね。」


 目の前の『俺』はレティーの昔の愛称の事を知っているようだった。優しく俺を見つめるその碧い瞳は、ほんの少し喜色を加え、より一層深みを増したように感じた。口元に少し笑みを加えたその笑顔は、俺の顔なのにどことなくレティーの雰囲気を感じさせる何かがある気がした。


「ねぇ、アラン。子供の頃、あなたは私の事をレティーと呼んで、それはそれは私の事を好きって言ってくれたわ。事ある毎に私を王宮に呼んで、王宮内や庭園など、色々な所を案内してくれたわ。それにそう、あなたは王妃様のバラ園で、お付きの者に分からないようにこっそり頬にキスをしてくれたわね。元々は家同士の婚約だったけれど、その時、私は嬉しかったのよ?」


「な! なんでそれを!」


 子供の頃の事を蒸し返されて一気に顔が熱くなった。


「どうして・・・どうしてそんな事を知っている。」


 そうは言ってみるが、俺とレティーしか知らない子供の頃の事なのだ。少し冷静になってみると、そうとしか思えなくなってきた。


「・・・やっぱり本当にお前は・・・レティーなのか・・・? そして今の俺はレティーになっているのか・・・?」


 そして、再び自分の手を見て、この小さくて白くて綺麗な手はレティーの手なのかとつぶやいた。


 そして、再び『俺』の方を向き尋ねた。


「元には・・・戻れないのか?」


「それは分からないわ。ここの治療師兼医師をされているロズリーヌ様にも聞いてみたのだけど、そんな事例は聞いた事も無いのですって。」


 レティーの後ろにいた白衣を着た女性が一歩前へ出て臣下の礼をして、またレティーの後ろに戻った。この者がそのロズリーヌ嬢なのだろう。今は私もベッド上なので、形だけの挨拶を返す。


「階段からまた落ちると言うのはどうだ?」


 再びレティーに目を戻し尋ねた。


「原因はやっぱりそれだと思うから、また同じ事をすれば戻れるかも知れない。でも、今回はお互い大きな怪我は無かったようだけど、次に落ちたら頭を打ったり大怪我になるかも知れないわ。戻れる保証は無い以上、リスクの方が大きいのではなくて?」


「そうか・・・。確かに治癒魔法はかけてもらったのだろうが、今回怪我らしい怪我が無かったと言うのは、奇跡的なのかも知れないな。」


「本当にそう・・・。だから、まずはこのような入れ替わりになった事例がないかどうか調べたり、元に戻れる方法が無いかどうか調べる事が先決だと思うの。」


 そう言って、『俺』、いやレティーは俺の頭を優しく撫でた。


「はひっ?」


 思いがけないレティーの行動に、思わず変な声をあげてしまい、その手から逃げるように身をよじった。


 急に頭を撫でてきて、何なのだ、一体! 俺はレティーを睨み付けるが、何分自分自身を睨んでいるようで、何というか違和感がひどい。それに、このレティーの身体から出る声は、随分と可愛らしく聞こえてしまう。


 当のレティーはと言うと、そんな俺に臆する事なく、返って優しげな目をして俺を見つめ返した。


「それにしても・・・私って、外からはこんな風に見えていたのね。案外可愛らしく見えるものだわ。睨まれてもちょっとキュンとするなんて。」


「な、何を馬鹿な事を言っているんだ。」


「私、それなりに可愛かったと思うんだけどなぁ。どうして、アランはお気に召さなかった訳? まぁ、お互い元々は家同士の婚約だったのだから、良いのかも知れないけど。でも、幼い頃に好き好き言われて、私も淡い恋愛感情が育ちつつあったと思うから、そこは少し残念だったかな。お妃教育とか学園での勉学とか、元はアランのためにと思って頑張ったのだし・・・って。そうだ、本題に入らなくちゃ。」


 レティーが俺の髪を(というか、元はレティーの髪だ)撫でながら言うものだから、何だかくすぐったくて身を竦めてしまい、最後の方はよく聞き取れなかった。


「アラン、よく聞いて。あなたにはこれから元に戻るまでの間、私の振りをして頂かないといけないわ。逆に、私はアランの振りをします。周囲には絶対バレないようにやって行かなくてはいけないと思うの。」


「は? 俺がレティーの振り? 何故だ? そんな事出来る訳がないだろう。バレるに決まっている。」


「出来ないなんて言わない。やるの。私達はそれしかないのよ。」


 レティーは優しく諭すように言った。


「いい? よく考えて。あなたがその姿形で『俺はレティシアじゃない。実はアランなんだ!』なんて叫んでご覧なさい。一発で可哀想にレティシアは階段から落ちておかしくなってしまったなんて思われるわ。」


 まるで俺がそうしそうじゃないか。しかし、真剣な目に気押されて声は出せなかった。


「そうしたらきっと病院送りね。治る見込みなしとされれば、あなたとの婚約も辞退させられて、領地のどこかに治療という名の隠居をさせられる可能性が高いと思う。まぁ、体のいい幽閉ね。そうなったら、私達、元に戻るなんて事は出来ないと思うわ。」


 そう言って一呼吸置いた後、少しだけはにかむような様子をみせ、さらに言葉を続けた。


「・・・お父様やお母様なら私を愛して下さっているから、もしかしたらおそばにおいておいて下さるかも知れないわ・・・ でも、そういう頭のおかしな者でも、利用出来そうなら利用しようっていう輩が必ずやってくる。そういう人達から隠す意味でも本来は隠居させるのは効果的だと思うの。跡目争いとか余計な争いを起こさないようにする為にもね。」


 そんな・・・と言おうとして声が出なかった。確かに今の俺が頭がおかしいと思われたら、そうなってしまうかも知れない。この姿で隠居・幽閉させられて一生このまま・・・そう考えてブルっと寒気がした。


「もちろん、あなただけじゃないわ。私だって同じく危ない立場。頭のおかしい王子で治る見込み無しなんて思われたら、まず確実に廃嫡されるだろうし、やっぱりきっとおかしな連中に利用されないように隠居・幽閉コースだわ。最悪秘密裏に殺される事だってありうるかも知れない。」


 レティーが俺の目を真剣な目でじっと見つめて、一呼吸ついた。


「だからね。そこでさっきの話しに戻るのよ、アラン。・・・お願いだから私の振りをして。それこそ、家の者にも分からないくらいに完璧に。」


 俺は愕然として、そう言ってくる『俺』を黙って見ている事しか出来なかった。

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