第5話 王子、目覚める

 長い夢を見ていたと思う。


 夢の中では俺はまだ幼くて、レティシアと手を繋いで王宮内の庭園を歩いていた。青い空が澄み渡り、ようやく暖かくなり始めた春の優しい風が頬をなでる。隣を一緒に歩く可愛らしいレティシアが、その頃、俺は好きでたまらなかった。


 王宮内でプライベートに開かれたお茶会へ、両親に付いてやってきたレティシアに、俺は一目惚れしてしまった。後で聞いた所によると、これは家同士の婚約の顔合わせだったようだ。以来、事ある毎に俺はレティシアを誘い出し、王宮をあちこちと案内したり、散歩したりして過ごした。


 供を連れて王宮の近くの森や池に散歩に出かけた事もある。そんな時、レティシアはいつも可愛らしい笑顔を向けてくれて、それが俺だけに向けられている事に至上の喜びを感じたものだった。


 しかし、いつの頃からか、レティシアは俺に会うたびに「勉強しましょう」「学びましょう」「魔法の基礎訓練をしましょう」と小言を言うようになり、俺は次第に彼女に会うのが億劫に感じるようになってしまった。


 それを意識してからは、何という言うか心が離れているように感じ、彼女に対する熱も冷めていくようだった。


 彼女には、いつだったか勉学はいずれ仕えるようになる側近に補佐させれば良いと言った事がある。その時、彼女は驚いた様子で、でもとても悲しそうな顔をしていて、俺はそれを見てとても恥ずかしい事を言ってしまった、彼女を悲しませてしまって取り返しの付かない事をしてしまったと思った。彼女の笑顔を陰らせているのは、その顔が一番嬉しかったはずの俺なのだと思った。


 しかし、そう嘯いてみたものの、本当は俺だって勉強は出来た方が良い事ぐらい分かっていた。勉学に励み、細かい事柄を予め知っている事は、政治を動かす際に良い判断材料となる。側近に全てを頼っていては、単なる傀儡と一緒だ。良い政治は出来ない。しかし、そうは思っていても、どんなに勉強しても彼女の方が先に進んで勉強していて、追い越せない。差をつけられてしまっているという思いが強くなっていった。


 魔法の訓練だってそうだ。レティシアは基礎訓練が得意だった。魔力を循環させ、多くも少なくも、丁度都合良く魔力を練り、放出させる事が出来た。俺はこうした基礎訓練よりも的を攻撃したり狩りをするような、より実践的な訓練の方が好きだった。だが、これだって基礎訓練が大事なのは分かっていた。


 大雑把な魔力を練って攻撃していては、すぐに魔力切れを起こしてしまう。いくら俺の魔力が多くても、その使用にロスが多くてはいずれ魔力が尽きて倒れてしまうだろう。それを回避する為には、基礎訓練で養うような繊細な魔力コントロールが必要なのだ。必要な時に必要なだけの魔力を練り放出する。これは長距離を走る時などと一緒だ。スピードのコントロールが悪いと早くバテてしまう。


 そうは思ってみても、これもレティシアが一歩も二歩も先を行く。彼女は必要な魔力を瞬時に計算し、必要な分だけ魔力を練る事が出来た。俺はそんなレティシアに劣等感を刺激され、彼女を次第に疎ましく感じるようになってしまっていた。


 そんな俺が剣術など、身体を動かす訓練を好むようになったのは仕方がない事だと思う。元々身体を動かす事が好きではあったが、激しく身体を動かす剣術は、女であるレティシアには到底出来ない事だった。彼女に劣等感を刺激される事無く伸び伸びと身体を動かせる剣術は、俺の大事なストレス解消になっていった。


 そんな劣等感に苛まれ、彼女と距離を置きたいと思っていた頃だ。学園でアリス・ボワイエ男爵令嬢と話しをする機会が多くなった。彼女は明るく物怖じしない性格で、愛らしい笑顔でいつも俺を立てて接してくれた。


 だからだろうか。レティシアとは反対な雰囲気の彼女にどこか惹かれていたのかも知れない。次第に学園内やお茶会などで彼女を回りに侍らせる事が多くなった。彼女を侍らせている事で、小言を言ってくるレティシアを牽制する意味合いもあったと思う。劣等感を刺激するレティシアは、私にそんな暗い感情を引き起こした。


 ある時、そんなアリスから、レティシアから嫌がらせのような言葉を何度か受けたと打ち明けられた。品行方正、何をするにも完璧で真っ直ぐなレティシアがそんな事をする訳はないなと思いつつも、俺はレティシアに事の真相を聞いてみたいとその機会を伺っていた。


 丁度、階段を上っていた私にタイミング良くレティシアが声をかけてきた。レティシアもアリスの事で話しがあったらしい。しかし、アリスへの嫌がらせについて言及した俺の真剣な顔に臆したのか、彼女は後退り階段のステップを踏み外したのだ。咄嗟に手を差し伸べたが、彼女を引き戻す事は出来ず、一緒に転げ落ちてしまった。視界が暗転する。


 夢はそこでまた子どもの頃に戻った。庭園を歩く幼い俺とレティシア。その満面の笑顔を見て、ああ、俺はこの笑顔が本当に好きだった・・・と繰り返しまた思うのだった。




 何度この夢を繰り返し見ただろう。




 ふと人の声が聞こえた気がした。誰なのか?


 目を開け声を出そうと思ったが、まだ、身体が眠っているというか、夢の中で微睡んでいるようで上手くそれが出来ない。仕方がないので耳をすまして声の主が誰なのかよく聞いてみる。


 男一人と女二人。声は三人だが男が何故か女言葉だ。何か深刻そうに話しているようだが、細かい事はよく分からない。


 それにしても、どこかで聞いたような声だ。どこで聞いたのか。


 男がアランがどうこうと話しているように聞こえた。俺の事を呼び捨てにするなんて不敬だな。いい度胸だ。どんな奴だろう。顔を見てみたい。


 そう思っていると段々と意識が覚醒してきた。


 目を開けるとどうやら俺はベッドに寝かせられているらしい事が分かった。ここは救護室か?カーテンで区切られていて外の様子はうかがい知れない。そう言えば、レティシアと階段を転げ落ちたのだった。きっと皆が救護室に運んでくれたのだろう。


それにしても、ここはいつもの学園の救護室か? 天井がいつもより明るいようでどこか違和感を感じる。剣術の訓練で怪我をした際などに、治癒魔法をかけてもらうためにここを訪れるが、その時には感じない花のような良い香りもする。


 ベッドの中で身体を動かしてみた。身体はむしろ少し軽く感じるようで体調は良い。痛みも無く、どうやら怪我は無いようで安心した。きっと寝ている間に治癒魔法をかけてくれたのだろう。しかし逆に何故か胸には布団の圧迫感を感じたが。


「誰かいるか」


 人を呼ぼうと思い声を出したのだが、何だこれは。声がおかしい。いつもより高い声。まるで女性のようだ。咳払いをしてみたが、どうにも甲高い可愛い感じにしかならない。不安に感じ、上半身を起こしてみたが、何故か長いサラサラと流れるような銀髪が視界に入り顔にかかってきた。俺の髪は明るい金髪で、色も違えば長さも違う。


「何だこれは!」


 起きてみてさらに驚いた。おかしいのは声や髪だけではない。俺に胸がある。女性のそれのようだ。それに濃紺の服・・・これは学園の女子制服か?


 俺にそんな趣味は無い。どういう事だ? おかしな状況に次第に不安を感じ、何故か動悸もしてきた。


「誰かいるか? これはどういう事だ。説明をしてくれ!」


 少しヒステリックに叫んでしまったが、それが聞こえたのだろう。3人が話しを止めた。


「どうやらやっぱり中身はアランだったようね」


 そう男の声がして、カーテンの向こうから近づいてくる足音がした。


「アランね? カーテンを開けても良いかしら?」


「俺を呼び捨てにするお前は誰だ! 顔を見せろ!」


 俺がいると思っているにも関わらずこの国の王子を呼び捨てにするなど不敬な奴だ。俺は心が広いからちょっとやそっとじゃ不敬罪などとつまらない事は言わないが、舐められて黙っているような男では無い。一体、この声の主はどんな奴だろうか。


「開けるわよ!」


 声とほとんど同時にカーテンが開けられた。この不敵な奴の顔を見てやろうと睨み見てやったのだが、そこにいた男を見て俺は心臓が止まるかと思った。




 ・・・俺だ!




 あまりの驚きに俺は口をハクハクと動かす事しか出来なかった。

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