第2話 公爵令嬢、状況を把握する
誰も私の言うことを聞いてくれず、私は男子寮の男性救護室に連行されてしまった。運ばれたって言うよりも、腕を引かれて、背中を押されて、連行と言っても良いだろう。
いや、皆さん何にも話しを聞いてくれないのだもの。どう言う事、本当に!
救護室に入ると、背の高い黒髪の担当治療士が声をかけてきた。私は男性の救護室は入った事が無いので、初めてみるお顔だ。
「どうしました? アラン殿下。」
「あ、その」
なぜかこの治療士も私の事を殿下と呼んだので、私がレティシアだと言おうとしたのだけど、動揺していて上手く声が出なかった。
「殿下とレティシア様が階段から転げ落ちたのだ。レティシア様は気を失われていて、救護班に女性の救護室に運んで頂いた。殿下はお声をかけたら起き上がられたので大丈夫だと思ったのだが、頭を打たれたのか、どうやら混乱されているらしい。どうか診て頂きたい。」
ローラン様が私の肩に手を置きながら答えた。ローラン様を見るが、やっぱり目線は私の方がやや高い。不思議な感覚。
「なるほど、確かにいつもの快活な殿下の雰囲気では無いですね。アラン殿下、診察のため、少々魔法を掛けますがよろしいですか?」
「は、はい」
じっと目を見つめて話す治療士の方の勢いに促され、思わず返事をしてしまったが、何だか変なこの違和感の原因が分かるかも知れない。
治療士の方が手をかざしてきた。温かい魔法が身体の表面を包んでいく。
「うーん。外傷など、これと言った問題はないようですね。一応、治癒魔法はかけておきましたが。殿下、ご気分はどうですか?」
治癒魔法は、かけると外傷など何かしら身体にトラブルがある場所に魔力が滞留し、組織の修復に作用する。彼は、その魔力の滞留を感じられなかったのだろう。
では、問題無いのなら、何故彼は私の事をいまだに殿下と呼ぶのか。
私が不思議に思い治療士の顔を見ていると、救護室の扉が勢いよく開いた。
「おう、アラン! レティシア様と階段を転げ落ちたんだって?大丈夫か?」
私やアランの幼馴染のマクシム様だった。マクシム様は騎士団長の令息で、子供の頃から剣の練習など鍛え込まれていて、筋骨隆々でアランよりも背の高い、明るい茶髪の青年だ。
「マクシム様。私は大丈夫なのですけど、この方々が私を殿下と・・・」
私が続けようとすると、マクシム様はとても驚いた様子で、口と目を大きく開けて私の顔を見つめた。
「おいおいおいおい! アラン、どうしたんだ? お前らしくない。マクシム『様』だぁ? 『私』だぁ? 何だ? お前らしくないぞ?」
マクシム様は説明を求めようとローラン様を見た。
「治療士に治癒魔法をかけてもらったのだが、殿下に異常は認められないそうなのだ。 ・・・だが、そう。ちょっとおかしいんだ。」
ローラン様が眼鏡の位置を直しながら答えた。
「おかしいって何なのです。私を殿下と呼ぶあなた方の方が・・・」
あなた方の方がおかしいと言おうとして、私は言葉を続ける事が出来なかった。カルテを書きに机に向かった治療士の方をチラッと見た時に、部屋の奥の壁に大きな鏡が置いてあるのが見えたのだが、そこに大きな違和感を感じたのだ。
鏡に私が映っていない・・・ アランが私を見ている。その周りには怪訝な顔をしたローラン様とマクシム様。それに救護班の方たち。
えっ?
思わず口元に手を当てた所、アランも私と同じような動作をした。鏡に映るアランから目を離せない。ちょっと女性っぽい仕草。
・・・違う。アランならそんな風に手を口に添えて驚くような事はしない。
恐る恐る鏡の中のアランに向かって手を振ってみる。
アランも私と同じように手を振った。
もう一度。
同じタイミング、同じ感じで鏡の中のアランもまた手を振る。
周囲の人々は何事かと驚いた表情で私を凝視している。
何度か繰り返してようやく自分でも分かってきた。ローラン様が私を起こして下さった時から、変な違和感があったのだ。目線の高さ、声の低さ、自分の手の色や硬さ、そして皆が私の事を『殿下』と呼ぶ事。
頭からサーッと血の気が引く。鏡の中のアランも顔色が悪い。
「おい! アラン、大丈夫か?」
「ベッドに横になりましょう、殿下」
マクシム様とローラン様が気遣わしげに私を覗き込む。
いや、アランを心配しているのだ。鏡を見て分かる。
「そうですね。少し腰をかけたいです。」
私は声をようやく振り絞ってそう言うと、近くのベッドに腰をかけた。救護室にベッドは何台かあるが、幸い今は使っている者はいない。ここにいるのは私達と救護班、治療士の方だけだ。
少し考える時間が欲しい。冷静になりたい。
「何か温かい飲み物を頂けますか。」
そうお願いすると、
「ここにはあまり良いものはありませんが。」と、治療士の方が私とローラン様、マクシム様の三人分の紅茶を用意して下さった。
「少し落ち着きましょう。」
ローラン様がおっしゃってくださった。
私は考える。
まず、どうやら私、レティシア・イヴォンヌ・ド・ジリー公爵令嬢は、婚約者のアラン・レオナール・ル・シェロン第一王子と入れ替わってしまったらしい。信じたくは無いが、鏡や周囲の様子を見るに、どうやらそういう事らしい。というか、それしか考えられない。
鏡を見た時、とても驚いたが、そこで大声をあげてみっともなく騒ぎ立てなかった私を褒めてあげたい。私がもし大声あげて騒いでいたら、本格的におかしいと王宮に連れて行かれ、沢山の医師らに囲まれ検査を受けさせられていただろう。
原因は、やはり階段を二人で転げ落ちた事だろうか。抱き合うように転げ落ちてしまったのだけど、それだけで入れ替わる事なんてあるだろうか?
分からない・・・ が、兎にも角にも、今は私がアランになっている。それだけは確からしい。
元に戻るにはどうしたら良いのだろうか。また二人で階段を転げ落ちる?いや、今回は奇跡的に怪我は無かったが、次にまた同じ事をしたら今度は本当に頭を打って大事になってしまうかも知れない。それにそんな事をしても確実に元に戻れるという保証もないのだ。何か手は無いのだろうか?
そう考えていて、私は『私』の事を思い出した。『レティシアの身体』はどうなった? 女性の救護班に担架で運ばれて行った時、まだぐったりとして意識が無いようだった。頭でも打ったのだろうか? 怪我はしていないだろうか? そして、意識が戻った時、それはやはり中身はアランなのだろうか?
「私の、レティシアの身体は・・・」
「レティシア様は、女性の救護室に運ばれました。あちらの治療士が診察にあたっています。心配されなくても大丈夫ですよ。」
私の呟きに、ローラン様が優しげな声で答えてくださった。
「ははっ。アランもこんな時はやっぱりレティシアの事が心配なんだなぁ。最近は、彼女の事をちょっと口うるさくて嫌だなんて言ってたけど。」
マクシム様が笑ってそうおっしゃったけど、私、やっぱりアランに口うるさいって思われてたんだ。何というか・・・がっかり。まぁ、幼い頃からの婚約者で、元々は家同士の結びつきだから、愛情とかそういうのは二人の間に無いと思う。でも、子供の頃はアランも私の事を好きだったみたいだし、今でも少しの友情くらいはあっても良いと思ったんだけどな。
「そうですね。最近アラン殿下はアリス・ボワイエ男爵令嬢ばかり気にしていましたけど、咄嗟の時にはちゃんと自分の婚約者を助けようと動く、その気持ちに私としてはちょっと安心しました。
最近はレティシア様と上手くいっていないようで心配していましたが。やはり、将来殿下の奥方になる方というと、王妃になられるという事ですから、アリス嬢ではちょっと品格が足りないと思います。レティシア様くらいしっかりされてないと。」
ローラン様には、暗に私のことを褒められたようだ。少し照れる。それに、幼少の頃から厳しい王妃教育を頑張って来たのだ。それを褒められているようで嬉しい。
「そうだなぁ。アリス嬢は可愛い感じで、話しやすいし、俺らみたいなのは彼女と付き合ったら楽しそうっていうのはある。だが、未来の王妃様って考えると、ちょっと違うかなって俺も思うなぁ。そういう意味ではレティシア様は最高だと思うけど。」
どうやらマクシム様にも、私は高評価らしい。自分の事を立て続けに褒められて、どうにもこそばゆい。
「アランもレティシア様が小言を言って五月蝿いとか、そんなに嫌がらないで、もうちょっと優しくしてあげたらどうだ? どうせ、勉強しろとかそんな事くらいしか言われないんだろう?」
そう言われてハッとした。
私は今、何故かアランになっている。という事は、元の身体に戻れるまで、私はアランの振りをしないといけないということだ。そうしないと、頭のおかしくなったアランとして、それこそ病院送りになってしまうかも知れない。そうなったら、元に戻るチャンスも遅くなってしまう。長く続けば、アラン自体の処遇としても、下手をすれば頭のおかしい王子として廃嫡になってしまう可能性もあるだろう。そうなれば、どこかに秘密裏に隠居させられて、元に戻る可能性も無くなってしまいそうだ。
だから、私は元に戻れるまでアランとして生活しないといけない。そういう、どこか薄氷を渡るような状況にあるという事には気がついていた。
でも、だからって・・・
私が・・・『私』を嫌がる・・・?
・・・
・・・
・・・
そんな事する訳ないじゃない!
そりゃもう当然じゃない!
優しくするに決まっているでしょう! 『私』なんだし。
最近はアランって、私にはちょっと冷たい対応だったんだから。そんな真似まで出来っこない!
って言うか、アランには王子としてもうちょっとしっかりして欲しいから色々言っていたのよね。
・・・だから、元に戻るまで、私がしっかりやってしまうって言うのも手・・・だよね。
・・・
・・・
ふーん・・・ それは何だかちょっと楽しいかも。思わず顔がニヤけてしまった。
自分がアランになっていると気がついてから、初めて私は少しだけ楽しいかもと思えたのだった。
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