公爵令嬢の私と第一王子の俺、階段から落ちたら入れ替わってました。

此小路ゆきな

第1話 王子と公爵令嬢、入れ替わる

 一体何が起こったのだろう。



 目の前に『私』が横たわっている。いや、気を失って倒れていると言った方が正しいのか。


 白い肌。腰まである輝き透き通るような銀色の髪。卵形の顔。長いまつ毛。今は眼こそ開けてないが、開ければ瞳は碧眼のはずだ。ここシェロン王立中央学園の可愛らしい濃紺のワンピースの制服を着ているが、これはあまり私を特徴づける物では無いと思う。


 それでも。どこからどう見てもその横たわる少女は、『私』、レティシア・イヴォンヌ・ド・ジリー公爵令嬢であった。




 事の発端は、私が学園の階段を上るアラン第一王子を見つけ、話しをしようと駆け寄った事だった。アランは私の幼い頃からの婚約者だ。彼とはお互い気軽に話しを出来る仲で、普段は敬称もつけずお互いを呼んでいた。ただ、成長してからはすれ違いも多かったと思う。会話も大分減っていた。というか、寧ろ私は疎んじられていたのではないかと思う。


 次期国王になる予定の彼を支えるため、幼い頃から王宮での厳しい王妃教育や貴族の子女らが通うこの学園での勉学を頑張っていた私だったが、元来生真面目な性格なのが良かったのか悪かったのか。成績は良いものの、それがアランのお気に召さなかったらしい。彼はどちらかというと体を動かす方が好きで、勉学の方はあまり熱心にならず、将来側近が出来ればそちらに諸々の補佐をさせれば良いと言う程だった。しかし、それでも婚約者の私、つまり未来の王妃の方が自分より優秀だと世間体が悪いと考えたのだろう。常日頃から繰り返し勉強しましょうという私には、いつも鬱陶しげな視線を送って来ていた。


 アランには、最近彼がご執心のアリス・ボワイエ男爵令嬢の事で少し話しをしたかった。アリスさんは、肩下まである薄明るい茶の髪を軽く内側に巻いて、大きく人懐っこい眼をした可愛らしい少女だ。明るく物怖じしない性格で、男性にも気軽に話しかけるので、アランを始めとした男性陣に人気があった。ただ、この学園や時に開かれるお茶会などで、王子であるアランがあまりにもその令嬢を優遇し、自分の周りに侍らせているので、婚約者である私としては少々お小言を言いたかっただけなのだ。


 しかし、どういう訳か、逆に私が彼女に日常的に嫌がらせをしているのではと難癖をつけられ、びっくりするような剣幕で私に迫ってきた。


 身に覚えのない言いがかりと、アランのあまりの形相にたじろいだ私は、思わずそこが階段の踊り場である事を忘れ、一歩後退りしてしまった。ステップを踏み外した私は、必然、後ろへと放り出されたのだった。


 倒れる私を見て流石に不味いと思ったのか、王子が手を差し伸べてくれたのだが、すでに体制を崩して階段を落ち掛けている私を、王子の咄嗟の力だけで引き戻す事は出来なかった。


 結果、私と王子は階段を転がり落ちてしまった。


 落ちる際、私を庇うように身体を抱いてくれたのは、きっと疎ましく思ってはいても婚約者なのだという私に対する王子の良心が働いたのだろう。もしかしたら、私だから助けようとしたというのではなく、女性を助けるという男性としてのただの矜持だったのかも知れない。


 とにかく、私と王子はお互いに抱き合うように階段を転がり落ちた。グルグルと回転する視界にたまらず目を閉じる。石で出来た階段はもっと痛いかと思っていたのだけど、落ちている最中は、彼に庇われているせいかそれ程痛みを感じず、不思議と冷静でいられた。



 でも。



 本当に。



 一体何が起こったのだろう。



 階下まで転がり落ちた私が横たわったままゆっくり目を開けると、すぐ目の前に『私』がいたのだ。


『私』は目を閉じたままぐったりしていて、気を失っている様子だった。先にも言ったように、どこからどう見てもそれは正真正銘の『私』で、それはどうにも間違いようが無い事だった。


「大変だ! アラン殿下とレティシア様が階段から転げ落ちたぞ!」

「救急班を呼べ! 急げ!」


 周りが騒がしい。


 どれ位、目の前に横たわる『私』を眺めていたのだろう。誰かが私の肩に触れた。


「殿下! 大丈夫ですか?」


 は?殿下?何を言っているのか。


 私が声の方に顔を向けると、アランのご学友のローラン様だった。ローラン様は宰相の令息で、目にかかりそうな黒髪と眼鏡をかけているが切長の目、すらりとした細身の背の高い青年だ。彼とも幼い頃からの知り合いなのだが、少しとっつきにくい雰囲気で私はそれ程親しく話しをした事は無いと思う。それでも、アランの婚約者である私の事はよく知っているはずだ。


 しかし、緊急時とは言え、なんの断りも無く女性の身体に触れるなんて。ちょっと、マナー違反なのではないだろうか。


 そう思って見るのだが、ローラン様の目はとても真剣で。


「殿下! そんな顔をしてどうされました。頭は打ちませんでしたか?」


「ローラン様、何をおっしゃっているのです。私は大丈夫です。それに女性の身体に何の断りもなく触れるのは少々マナーに欠けるのではーー」


 ゆっくり体を起こしながら答えたのだけど。


 あれ?私の声、なんかおかしい。何だか声が低く感じる。喋りながら、変だと思い、喉を触った。・・・喉が硬い? 出っ張りがある。何これ?


 ローラン様を見たら、目を見開き、驚いた様子で私を見ていた。


「殿下! どうしました?そんな仰々しい喋り方で。」


 答えようとした所で、自分の手を見てギョッとした。


 何だか手が大きいし、骨ばってる感じがする。私って色白だったつもりだけど、いつの間に少し日に焼けたの・・・? 思わず目の前に倒れている『私』の手や肌と見比べる。


「ボーッとして、大丈夫ですか? 殿下!」


 変わらずローラン様が話しかけてくる。


 冷や汗をかいてきた。嫌な予感がする。喉がカラカラになって、出そうと思っても声が出ない。


「レティシア様! 大丈夫ですか? 今、救護班が来ますからね!」


 目の前では倒れて気を失っている『私』に侍女のリリーが駆け寄ってきて声を掛けている。レティシアは私なのに・・・


「救護班はまだか! 早くレティシア様を担架で救護室までお連れしろ!」


 だからレティシアは私だって!


 そう声に出そうと思うのだが、何だか喉がヒリヒリとして言葉にならない。おかしな事態に冷や汗が止まらない。


「さあ、殿下も救護室まで行きましょう! 顔色が悪い」


 ローラン様が私の腕を掴んで立ち上がらせてくれた。


 目線がいつもより高い。腕を取ってくれるローラン様よりも少し高いくらいだ。普段はローラン様を見上げているのに・・・


「歩けそうですか? 殿下。」


 いや、だから私は・・・ 声が出ない。足が震える。


「さぁ、王子。行きますよ。」


 ローラン様が私を支えながら歩き出す。


「私は・・・レティシア・・・」


 やっとの事で声を出せたが、混乱して上手く話せない。


「レティシア様は救護班が運んでくれます。ああ、丁度、救護班が来たようです。

 おーい! 救護班はレティシア様を担架にお乗せして救護室までお運びしてくれ。アラン王子はこちらだ。殿下も具合が悪そうだ。」


 ローラン様が私を救護室に連れて行こうとするけど、違う、そっちは男子寮だ。救護室は男性用と女性用が別々で、それぞれの寮にあるのは分かっている。分かっているけど、私はレティシアなのだ。そっちじゃない。


 目の前で『私』の身体が担架に乗せられる。


「レティシア様は気を失っておられます! 頭を打たれたのかも知れません! 静かにお運びして! 申し訳ありませんが男性の救護班の方も担架を運ぶのをお手伝い下さい!」


 女性の救護班の方々が、『私』の身体を救護室の方に運んでいく。


「待って待って! ちょっと! 私の身体!」


『私』が勝手に運ばれて行かれそうなのを見て、慌てて大声が出たが、誰も気に留めてくれない。


「さぁ、殿下はこちらです。」


 ローラン様が私の腕を引っ張り、男子寮にある救護室に連れて行こうとする。


「待って! 私の身体、あっちなのに!」


「殿下も混乱されておられるようだ。急げ! 歩けるから大丈夫かと思ったが、担架の方が良かったかも知れん! 頭でも打たれたのだろうか。」


 男性の救護班の方々に囲まれ、男性寮の方に誘導された。あれ?抗えない。


「ちょ、ちょっとー! 私の身体ー!」


「殿下、こちらですよ。」


 ちょっと! 引っ張らないで!

 ああ! 無慈悲な! 私を分かってくれる人はいないのか。


 かくして、私、レティシア・イヴォンヌ・ド・ジリー公爵令嬢は生まれて初めて男子寮というものに入り、その救護室まで連行されたのだった。

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