017 僻地の日常

 ――グランドホーン帝国僻地 シーギル地方


 視界一面に映る広大な平野。激しい音を立てながらその乾き切った大地を疾走する一機の重機士。

 本来なら一日に一回、決まった時間にそこを通過していくはずのもの。帝国の巡回だ。


 かつてこの地にあった専制君主国家。それは数年前に帝国に侵略され地図上から消えた。それ以来この地は帝国の国土となり、統治が行われている。

 亡国は圧政を敷いていたため民たちの不満が高かった所に、帝国との決戦のために重い税を課したことでその不満は爆発し、専制君主国家は外側からと内側からの圧力によって滅び去ったのだ。

 そのため帝国の統治に関しては民たちの受けもよく、帝国の支配地域の中では比較的安定した地方となっている。


 しかしながらこの地は未侵略国であるケイルディアと隣接している。

 帝国とケイルディアは戦争状態にあるが、三機の守護機士を要するケイルディアに対して攻勢に回ることは出来ていない。

 また、ケイルディア軍は自国の領土から出る事のない専守防衛を行っているため、にらみ合いは続き……いつしかそのにらみ合いすらも起こらなくなって久しい。


 比較的安定した地域。それがこの地、シーギル。



『その~愛を、うけ~とって~』


 鋼鉄に囲まれた狭い空間。人が一人入ることが出来る程度の密閉された空間の中をラブソングが流れている。その音楽の出どころは持ち込まれたラジオ。


「ふふ~んふふふ~ん、ふふ~んふふふ~ん」


 流れる音楽に合わせて一人の男が鼻歌を歌う。

 ここは重機士のコックピットの中。


「あ~、かったりい。さっさと終わらせて酒をのみてえぜ。なんもいねえっての。帝国に逆らうヤツがいるってのなら、そいつはバカだけだぜ」


 パイロットの男は独り言ちる。

 形だけの巡回。それも巡回時間はまちまち。いるはずもない反逆者を想定したもの。

 いや、想定というよりかは、体裁だけを整えているもの。

 この地方に反逆勢力など無いのだから。


 『キミのスウィート、マイ、ハート』


 バーニアを吹かせて最高速で巡回を終えたいところだが、この地で燃料を無駄に使うことは許されてはいない。

 そのため、何トンもある巨体を徒歩で動かさざるを得ず、できる限りさっさと終わらそうとして疾走しているのだ。


「俺も早く中央に戻りたいもんだぜ。こんな所にいても金も名誉も稼げやしねえ。ただ時間だけが過ぎて行くってもんだ」


 『センキュー、そう、ザ、ザザザー、ザザザザザ』


「なんだぁ? ラジオのやつ壊れちまったか?」


 急に雑音が混じって音楽を流さなくなったラジオを手に取ると、原因を突き止めようと持ち上げたりひっくり返したりしてみる。

 娯楽の少ない前線ではこのラジオは大切なエンタメ製品だ。


「ちっ、どこが壊れているのかわかりゃしねえ。しかたねえ、またじいさんに見てもらうか。がめついからなぁ。いくら取られちまうかなぁ」


 ――イィィィィィィィィン


 振動する金属と金属をわずかに接触させたような極高音程の音。コックピットの中の彼には聞こえないほどの小さな音。

 刹那の後、その音を感知するためのセンサー類は破壊された。


 ◆◆◆


 ――シーギル地方の町 ヴァナッカ


「やーん、大佐、いつもながらいい飲みっぷりー」


「そうだろ、そら、お前たちも飲め飲め、一緒に酔いつぶれようじゃないか」


 窓からの光がほとんど入らない建物の中。薄暗く、肩が触れ合うほどの距離にならなくては隣の人間の表情も分からない。そんな暗闇の中を天井から釣った球体が幾方向かに光を放ち、回転している。

 太陽が天高く上がっている真昼間の酒場のVIPルーム。無精ひげを生やした中年の男と、その左右に座って男をヨイショし続ける二人の女。

 男からの酒をうまくあしらい避けながら、女たちはさらに酒を消費させようとしている。


「いつみても美人だなミーシャは。どうだ、俺の愛人にならないか? 後悔はさせんぞ?」


「いや~ん、大佐のえっち。おさわりはダメですよ」


 肩に回された腕が、深くスリットの入ったドレスから零れ落ちそうな胸へ触れそうになる……というところで、女は大佐の手をそっとたしなめる。


「ちぇ~、じゃあ、ルーミーはどうだ? 退屈はさせないぜ?」


「ダメですよぉ、大佐の愛人ものになったってママに知られたらぁ、すんごく怒られちゃいますからぁ」


 水色のドレスを纏った肢体の股へと伸びる手を、こちらもうまくあしらっている。


「相変わらずお堅いねぇ。まあいいさ、遠からず俺の魅力でメロメロになるんだからな」


「うふふ、大佐の魅力、見せてくださいねぇ」


「そうそう、ささ、大佐、グラスが空ですよ。次は何を飲みましょうか」


「そうだなぁ、あれだ、この店で一番高い酒をもってこーい!」


「きゃーっ!」


 酒と女におぼれる男。ある意味ここは幸せの境地。男たちの夢とロマンの詰まっている場所。


 ――コンコンコン


 控えめだが主張するように扉がノックされ――


「大佐、お耳に入れたいことが。どうか作戦指令室にお戻りください」


 間を置かずVIPルームの外から呼びかけられる。

 軍の関係者がやってきたのだ。

 その報告を聞かなくてはならない人物。そして今この場で酒と女に酔いしれている人物こそキジャン・グルーニー大佐。この地方の軍司令官その人だ。


「なんだ、今はお楽しみ中だぞ? 仕事の話なんか持ってくるんじゃない」


 一際不機嫌そうな声で関係者を追い返そうとする大佐ではあったが――


「緊急事態であります、失礼いたします!」


 バタンとドアが勢いよく開かれて、若い軍人がVIPルームの中へと足を踏み入れてきた。


 そして辺りの様子、この片田舎では見ることのできないような美人が欲情をそそる服を着て中央の男へしだれかかる様子を見て、僅かに目を逸らした。


「た、大佐、哨戒に出ていた重機士が消息を絶ちました。作戦指令室では情報を追うことができません。すぐさま調査隊を派遣すべきかと」


 上官であるキジャン大佐から目を逸らしたまま、若い兵士は状況を報告した。民間人に聞かれて良いものかと一瞬だけ逡巡したものの緊急性を優先した形。


「何かと思ったら、そんなことか。くだらん。どうせ哨戒に出たヤツが通信を切ってサボってやがるんだろ。ほら、帰れ帰れ」


「し、しかし、何者かに撃破された可能性も」


「見ない顔だが、新兵か?」


「はいっ! ライト・ハウンザー伍長であります! 中央から派遣されてきました!」


「きゃん、初々しい子」


 官姓名の名乗りはハキハキと。戦場に赴く前にみっちりと教えこまれる事。

 大抵は軍生活の慣れによって勢いが失われていくものだが、彼にはそのフレッシュさが残っている。


 そんな様子に、いつも金持ちの中年を相手にしている女たちは新鮮味を覚える。

 むろんその中年であるキジャン大佐も同じ。


「伍長、ここでは肩の力を抜くのが秘訣だ。何も起こらない、功績も上げられない。中央の関心も薄い。こんな場所で真面目さを貫いても馬鹿を見るぞ。ね~、ミーシャ~」


「いや~ん」


 唇を尖らせてミーシャの頬を狙うキジャン大佐だが。笑顔な割に全力で抵抗するミーシャの顔には迫ることが出来ていない。


「でもぉ、大佐のお仕事してる姿見てみたいなぁ。きっとカッコいいに決まってるしぃ」


「そうそう、私も見たいなぁ~。働いてる男の人ってス・テ・キ♡」


 大佐を挟む二人の女が猫なで声でヨイショする。


「そ、そうか? じゃあ、しかたないな。よし、伍長、行くぞ」


 勢いよく立ち上がると、かけてあった上着を取り、バサリと羽織って部屋を出て行く。


「あ、大佐、お待ちください!」


 その変わり身の早さに、急いでその後を追おうとする伍長。


 その背中から「キミも遊びに来てね。可愛いからサービスするわよ」と声が投げかけられたが、返事に詰まったため、返答しないまま大佐の後を追った。


 若い伍長が、彼女たちに助け舟を出されたことに気づくのはまだ当分先の事だった。

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