第2話 天秤は黒の方へ
通常、銀行が会社に融資する形態は、金銭消費貸借契約を交わして毎月返済を受ける「証書貸付」、手形を渡して返済期日になった一括で返済を受ける「手形貸付」、そして販売先から受け取った約束手形を換金する形の「割引手形」がある。そのなかで「手形割引」は、通常、その会社の販売先に業績の懸念がなければきちんと相当額が決済されるので、会社の信用力はさほど問題にされない。
言い換えれば、オレの管理先で不良債権先である武田工業でも、手形割引という形態なら融資を出すことも可能なわけだ。
ということで武田工業の手形割引は、毎月繰り返されている。その度に、もっともらしい、色々な理由をつけ、本部に稟議を回さなければならないのだが、武田工業この金がないと本格的に資金繰りに窮してしまう。そのことにオレは、少なからず使命感をもっていた。
だが、今回オレは、武田工業の手形割引を受け付けなかった。
理由はある。
業績の改善が見込めないこと。なんど依頼しても一向に資金繰り表をもってこないこと。そして、提出期限をとうに過ぎているのに、今期の決算書をもってこないこと。既に提出期限よりもう一カ月を越えそうになっている。
昨今の時勢により、融資を受け付けないのには、相応の理由が必要だ。決算書を出せば受け付けないことはないだろうし、泣きの一回だったら決算書なしでも通せただろう。
それでもオレは武田工業の申し込みに取り合わなかった。
「必要であれば、早く税理士に言って決算書をあげてください」
とだけ言い残した。
なぁ、彩藤。今のオレはどうなんだろうな。限りなく黒に近いグレーの上から黒い鉛筆で塗り潰し、「会社経営」という画用紙を終わらせようとしている。
でもな、「武田工業」はいいんだよ。今会社が潰れても、工場・土地が売れれば借金は全部返せるし、社長夫妻も年金で過ごしていける。
もう「ホークバス」みたいに資金繰りに苦しむ会社は見たくないんだよ。
*****
「電話、いいんですかぁ」
テーブルのアイスコーヒー越しに彩藤が言った。
スーツ姿でないこいつを見たのは初めてだ。
セーターにオーバーサイズのジーパンを履いたこの男は、どうにも野暮ったく見える。
こいつは教員免許を取るために、通信制の大学をスタートさせた。どうしてだろうか。勉強に対する切迫感のようなものは感じられない。きっと勉強だけは出来てきたタイプなんだろう。
「いいんだよ、どうせ内容は知ってる」
「ですがねぇ」
彩藤はストローでアイスコーヒーの氷をカラカラ回した。
「先輩、サボってていいんですか?」
「ダメに決まってんだろ」
オレは手帳を開いて、今週の予定と今日のToDoを確認した。まぁ、やらなくてもいい仕事達だ。別にどうってことないだろ。
オレはボールペンを取り出し、全部に取り消し線を引いた。
今日営業に出る前、預金係が慌てている様子を横目に見ていた。どうやら武田工業の当座預金が赤残(残高不足)らしい。このままでは不渡りとなる。
当然、担当のオレが確認し、資金を準備させるような段取りになるのだろうが、オレは知らないふりをして店を出た。
それが、この電話の正体だろう。オレにひっきりなしにかけてきたところで何にもなんないのに。
まぁ不渡り一回目だし、銀行取引停止にもならないから、オレにとっては別に、という感じだ。そりゃ武田工業の信用はガタ落ちで、倒産に至る序章が始まることになるが、もはやどうでも良くなっていた。
「僕を呼び出すのはいいですけどね、僕も気になっちゃうから、電話、先に出てもらっていいですか。そのあと話しましょうよぉ。そんだけ鳴ってるて、結構なことなんじゃないっすか?」
「まぁ、それもそうか。悪い、ちょっと出てくるわ」
店から席を外して、オレは支店に電話をかけた。電話に出たのはキツツキ君。たど
たどしく営業フレーズを唱える。うん、オレの教えをよく守ってるじゃないか。
「あ、黒川さん、大変っすよ。武田工業。支店長めっちゃピリピリしてますよ、いま代わりますね」
そりゃあそうだろう。オレがいつも通りやってりゃこんなトラブル起きてなかったんだから。
「おい、黒川!お前、電話でないで何してた!」
「いやぁ、ちょっと〇〇製作所の工場建設資金で盛り上がってまして。何かありました?」
シラを切る。オレのこんな簡単な嘘が見抜けるほど優秀だったら、もっと上に行けたのにな。
「なぁ、武田工業、赤残になってるぞ、知ってんのか?」
「あぁ、そうでしたか」
支店長はオレの次の言葉を待ってるようだが、オレは無言を貫いた。先にしびれを切らしたのは支店長だった。
「なぁ、さっき電話させたら、今日中に金は回せないってよ。不渡りだ。知ってたのか?」
「……」
「お前、今月の武田工業の手形割引、申し込みがないけど大丈夫か、ってお前に聞いたよな」
「……」
「お前がもっとちゃんとやってりゃ、赤残・不渡りなんかなかったんじゃないのか?」
「……もうけっこうです。オレ、会社辞めるんで」
「はぁ?何言ってんだ。お前なぁ」
「よく考えりゃ、会社の生き死にを僕らが握るのおかしいんですよね。それに無理に金出したって、苦しい思いするのは結局客だ」
「お前、新人研修でもそんな話、しねぇよ」
「またどこかでホークバスと同じことが起きますよ。そのときは、僕の責任だ」
「もういい。予定全部キャンセルしていいから、お前とりあえず戻ってこい、いいな」
電話は強制的に切られた。空を見あげると、太陽がもう真上にまで登っていた。いい天気だ。
「いい天気だな」
そう言って席に戻ると、彩藤はまだアイスコーヒーの氷で遊んでいた。
「そうだ先輩。この前72色の色鉛筆貰ったじゃないですかぁ。アレ、めっちゃありがたかったです。図工の授業で、家の近くの風景を描く、ってのがあったんですよぉ。それで僕、全然知らなかったんですけど、よく見ると近所の木の葉っぱでも、色々な緑があるんですねぇ。知らなかったなぁ。あんなに種類の多い色鉛筆もらったからかなぁ、なんだか世の中って沢山の色があるんですねぇ。最近じゃ絵を描くのが楽しくて。この前わざわざ画用紙まで買っちゃいましたよ。」
「そうか。なぁ、今、空は何色をしてる?」
「空ですか?え、青とか水色なんじゃないですか?窓越しだから分かりませんけど。でもそういわれたら気になるなぁ」
立ち上がろうとする彩藤を制した。
「それで、僕に用ってなんだったんですか?」
「まぁ、でもいいや。オレそろそろ戻るわ」
「はぁ、まぁ、でもまあまた呼んでください。今度僕の絵、見てくださいね」
一緒に出ようとする彩藤を制して、オレは伝票を持って先に出た。
恨み言だよ、彩藤。お前がボールペンじゃなくて4色くらいのカラーボールペンでもくれたら、こうはなってなかったのかもな。
店を出て空を見上げた。
「はっ。オレには灰色にしか見えんわ」
モノクロの男 バラック @balack
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