第352話『仁十郎の奇策(カケルのターン)』
ゲロゲーロー。
コロコロコロ。
ズィー、チョン。
「殿(カケル=嶋左近)、我らは、いつまで菜の花畑に身を隠すのですか?」
新堀城の北面、菜の花畑に伏せった島左近隊400人は、月が雲で陰るまで、息を殺して伏せっている。
「まだまだ、仁十郎叔父さんが、下間頼廉を誘き出すまで、オレたちはひたすら待つしかない」
昼間、嶋家の軍議で、ある重大な作戦が話し合われた。
大和川流域の立木と立木に、嶋家の”丸に三つ柏”の陣幕を張り、カケルと嶋家の重臣たちが、新堀城の絵図面を囲んでいる。
菅沼大膳が、先程、城内に逃げ遅れた僧兵を引っ捕らえて、得意の暴力と、ドスの利いた声で脅し、新堀城の曲輪内の守備を吐かせたのだ。
それを、筆の立つ、左近の叔父・東樋口仁十郎が絵図面に起こした。
山県昌景の娘で、大膳と共に、左近と長旅を共にしたお虎が、路傍の小石を3つほど拾って、新堀城を嶋家総勢500人でどう攻めたものかと、手のひらで石を転がす。
新堀城の絵図面は、東の外曲輪・五箇荘の町はもう開かれて、城へ通じる虎口をどう攻略するかが問われている。
城の南、自由都市堺・北へ石山本願寺へつづく長尾街道は、左近の主、筒井順慶の本軍が封鎖している。東は五箇荘を囲んで家老の森好之、松倉右近が囲んでいる。西は、北面から大和川の流れを引き込む大きなため池で船でなければ城へ近づけない。大和川と五箇荘の間に広がる北花田は、菜の花畑が広がっている。
新堀城に籠城する下間頼廉と総勢500人の僧兵と350
頼廉は、三方から鉄砲射撃のできる殺し場である虎口に、筒井の兵を引きこんで戦う籠城の準備は十分に出来ている。三ヵ月は籠城できるだけの火薬と弾丸、兵糧も十分だ。先頃、石山本願寺を攻める筒井家の主に当たる総大将の織田信長が、鉄砲の名手・雑賀孫一の銃弾を頭部に受けひっくり返って意識不明の情報も入っている。さらに、広い織田家の領国、美濃国東部・明知城を信長不在を突くように宿敵、武田勝頼が攻めた。
誰が、描いた筋書きか、広い領国を誇る多勢の織田家が信長不在で、大混乱に陥っている。
大和の多聞城では、信長の嫡男でまだ18歳と若い信忠が代わりに、家老の明智光秀と計らって、東美濃への援軍に向かったまではいいが、西の石山本願寺攻めは、大坂、紀伊と反抗激しく戦端は収開かれたままで収まる気配がない。
信忠は、河内の高屋城を落とした大和守護の原田直政と、松永久秀に本願寺攻めは預けて、総勢10万人の内、3万を率いて援軍に向かった。
後を任された原田直政は、胃のあたりを押さえて、大和の名医、北庵法印から煎じ薬を貰って飲みながら、いつも、信長の無理難題に応じている。信長不在で、気苦労が減ったと思って猪肉を喰らった矢先の難敵石山本願寺攻めの総大将の任だ。ゲロりと猪肉を吐き出した。
「原田殿、心配召さるな、久秀に妙案がござる。まずは、某の点てた茶でも飲まれよ」
と、裏切りを繰り返す曲者、松永久秀が、
久秀の茶は旨かった。胃のあたりがスッとして、気苦労まで消えた錯覚すら覚える。直政は、気をよくしたのか、久秀に額を寄せて尋ねた。
「久秀、妙案とはなんだ?」
久秀は、ニヤリと笑って答えた。
「本願寺の坊主の相手は、坊主に限る」
直政は、久秀に釣られるように笑って、身を寄せた。
「久秀、なにか、筒井に策を仕掛けたのか?」
久秀は、黙って頷き、ポツリと言った。
「筒井家は、跡継ぎ問題を抱えておりますれば……」
先頃あった、筒井家の軍議で、全軍での新堀城攻めに意をとなえたのは、主・筒井順慶の叔父で一門衆筆頭の慈明寺順国と、姉婿の十市藤政と、なぜだか、北面攻めに付けられた順国の息のかかった布施左京之介だ。
この慈明寺順国が、元服を控えた自身の嫡男・藤松を子のない順慶の跡継ぎにして、お家乗っ取りを画策しているのだ。順国は、藤政に扇子で口元を隠して耳打ちした。
「弱った家をもらってもしかたないからな。ここは、どんな難題を押し付けても、武田家の山県とやらに軍学を学んで、乗り越えて見せる鼻持ちならぬ嶋左近に押し付けておけば良いのよ」
藤政は、狐のように長いまつ毛で細い目をして薄笑いを浮かべた。
「順国様、お人が悪い」
順国は剃り上げた坊主頭をツルんと摩って、
「ワシは、坊主ゆへな、したたかよ」
と、高笑いした。
そのことがあっての、新堀城総攻めの反対であり、ただでさえ、互角の戦いを、嶋左近隊500に押し付けたのだ。
無理難題をまたも引き受けたカケル(嶋左近)は、嶋家の軍議を開き、それぞれ額をつき合わせて捻り出した策が、叔父の仁十郎と100人の兵による決死の新堀城の援軍に見せかけた偽報の策なのである。
一方で、カケルは、家宰の三代澤忠右衛門のコネを使い、堺の会合衆の頭で、大和国出身の今井宗久の元に、嶋家の外交僧・蜜猿を走らし、五箇荘と堺の繋がりからの和睦、開城を計りつつ、一方で、不本意ながら
嶋家の陣から、叔父の仁十郎が100人の兵を引き連れて立ち行こうとする時、カケルに人の良さそうな微笑みを向けて声をかけた。
「左近、ワシはこの戦が終われば、嶋家の傅役は引退じゃ。後は、妻のお
カケルは、そう言い残して去ってゆく仁十郎の背中を見送り、思わぬ言葉が口を次いで出た。
「無事に……」
つづく
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