第349話『織田信忠、決断の刻(左近のターン)』

 石山本願寺攻めで、織田家の当主信長は銃弾に撃たれた。自己は鉄の西洋甲冑によって、致命傷は防げたものの、本願寺に籠る雑賀孫一の銃弾を頭に食らい、強い脳震盪を起して、意識不明で大和、国多聞城に伏せっている。


 と、そこへ、美濃国、遠山氏が守る明知城へ武田勝頼の侵攻を知らせる急報が届いた。


 だが、信長は動けない。代わりに18歳の若き嫡男、織田信忠が、家老の明知光秀と立ち回る。


 急報の文を光秀がサッと目を通した。


「若殿、明知城、遠山一行が危のうござる」


 信忠は、父信長が伏せっているので、信長の指示は仰げない。今は、自己が当主として判断を下さなければならない。


「光秀、武田へ返した松は元気だろうか……」


 松姫、と言うのは、武田信玄が生前、織田家との争いを避けるため、織田家へ嫁に出された姫のことである。


 戦乱の世に、親同士が国防のため結んだ政略結婚であったが、信忠は、松姫と気が合った。


 信忠も、大国織田家の嫡男ならば、松姫も大国武田家の娘である。大きな家を守るために生きる二世の苦労はわかっている。そこが通じて、二人は仲睦まじい夫婦であった。




 しかし、信玄が三方ヶ原に散った日から、状況が動き出す。信長は、若き武田の主が、慎重さに欠ける勝頼になったと知ると、スグに、松姫を武田へ返して、不戦同盟を解消した。


 それを、織田家の宣戦布告と見た勝頼は、信長より先に動いたのが、この度の明知侵攻である。


 光秀が、信忠の目の奥をのぞき込むように、言った。


「若殿、まだ、武田へ返した松姫様のことをお想いで?」


 信忠は、若くはあれど、信長の次に家を任される覚悟は出来ている。


「いいや、チト、戯言が頭をよぎっただけである。して、明知の戦況はどうだ」


 信忠は、冷静に光秀に尋ねた。


「某の見立てでは、遠山は手勢500、守って一カ月。それまでに、我らが駆け付けねば、明知は武田に併呑されてしまいます」


 信忠は、顎に手をやり考えた。


「明知が落ちれば、次は、小里城おりじょう父上の乳兄弟ちちきょうだい、池田恒興、鶴ヶ城の河尻秀隆・秀長父子か、そこを突破されれば、広い美濃が原に出て、武田の蹂躙を許すことになる」


 光秀は、謹んで答えた。


「は! 美濃が原に侵入を許すと、北に上杉謙信、東に武田勝頼、西に毛利輝元、南に石山本願寺と雑賀衆と、四方を敵に包囲されておりますれば、織田家は次第に食いつぶされるは必定」


 信忠は、腕を組んで、沈考した。


(父・信長あっての織田家、しかし、勝頼を放っておけば、次は、岐阜城を狙ってくる。父の裁断仰ぎたいところではあるが、今は伏せっている。ならば……)


 信忠は、采配を握って立ち上がた。


「正面の石山本願寺攻めは、大和の原田直政に預けておく、勝たぬでもよい。負けない戦いをいたせ」


 と、命令書を走らせ、多聞城に籠る光秀に、


「手配を済まして、ついてこい!」


 と、伝令を走らせた。




 その頃、鶴岡山城には、山県昌景の旗、桔梗が翻っていた。


 昌満は、降伏した下条智猛を道案内に、鶴岡砦に登り、島左近がいかにして調略せしめたかを尋ねた。


 広間には、昌満を筆頭に、昌景の娘婿・三枝昌貞、筆頭家老の広瀬景家、次席家老の孕石元泰が侍る。


 降伏した下条智猛も、縄こそかけられてはいないが、腰の者はすべて奪われ、下座で話をうかがっている。


「左近、我らが、多大な損害を出しながら落とせなかった鶴岡を、お前は、どのようにして落としたのだ」


 すると、左近は、板戸の向こうへ呼びかける。


「智林殿!」


 サッと板戸を開けて、智林が母・信代の手を取り現れた。


 下条智猛の妻、智林の母、信代は、勇将名高い智猛を引き入れるために武田信玄が、重臣の娘を養女にして輿入れさせた女である。


 信代の登場には、昌満も深く頭を下げた。


「信代様ですな」


 信代は、長い病症で、足取りも重い。智林に支えられて、やっと、立ち歩いている。


 昌満は、佐近を顧みて唸った。


「そうか、智猛殿の調略の種は、信代様と嫡男にあったか」


 信代は昌満を見て言った。


「その赤備え、おそらくあなたは山県昌景の手の者ですね」


 昌満は頭を下げて謹んで答えた。


「はい、某は、山県昌景が嫡男・昌満にございます」


 信代は、力がないながらも、威厳を持って答えた。


「うむ、昌満殿ご苦労。して、父御の昌景殿はどういたしました」


 昌満は返事に窮した。


 まさか、武田家当主・勝頼の理不尽な打擲により動けないとは言えない。さて、どう、答えた物かと思案してると、横合いから左近が言葉を次いだ。


「昌景殿は、今は、岩村城におり、来る織田家の援軍を打ち滅ぼす策を巡らせているところにございます」


 信代は、佐近を見た。


「そなたは、先頃、主人を調略に来た島左近とか申す軍略家ですね」


「はい、此度は、信代様においては、ご嫡男の智林殿の智謀を借り申した」


 信代は、嬉しそうに、左近に微笑んで答えた。


「左近殿、ありがとうございます。貴方のおかげで智千代、いや、智林は足の不自由を克服して、下条の家を継ぐ器量をみせました」


 左近は、信代に褒めすぎだ。と、思いつつも頭を掻いて答えた。


「すべては、下条智猛殿、師・宗林殿が、育てた智林殿の才を引き出したまで。すべては、智林殿が身に着けた実力にございます」


 信代は、微笑んで答えた。


「そうか、夫と師によって、智林はたくましく育った。左近、そなたが、満昌寺から、連れ出さねば、今頃、夫も私もこの鶴岡山を墓場にする所であった。礼を言おう」


 左近は、返事をせず、信代にしっかり、目を合わせて頷いた。そうして、おいて、左近は、智林、智猛へ視線を送って、昌満を見て口を開いた。


「おそらく、数日のうちに、織田の援軍が参りましょう。明知攻め、織田家の援軍を防ぐには、この鶴岡山が全てにございます。そろそろ、昌景殿の策も出来上がる頃、我らにできる準備をして、ココ鶴岡での籠城の備えを固めておきましょうか」



 つづく



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