第347話『決斗! 赤備えVS鶴岡山の猛虎:左近の計(左近のターン)』

 鶴岡山の中原で、武田家最強部隊”赤備え”の山県昌景の跡継ぎ、昌満が頭の上で手槍を旋回させる。


 林から現れた獲物を狙う獰猛な虎、下条智猛は不動の構え朱槍をもつ。


 智猛の背中から、吹きおろしの山風が走った。


「いざ、参る!」


 先手を打ったのは昌満だ。


 智猛の兜事叩き潰すように渾身の袈裟切りに、槍を振り下ろす。


 智猛は、構えを崩し、昌満の槍を、呼吸を合わせて、グッと一歩踏み鋳込み、振り落とされた槍の芯を外して跳ね返す。


 返す槍背をまるで、蛇が飛び掛かるように、ストンと昌満の胴鎧に突き入れて、昌満を推し飛ばす。


 智猛の一突きは強烈なものだった。昌満の胴鎧が突かれたところが、大きく窪んでいる。今の一撃が穂先ならば、昌満は死んでいただろう。


「殿!」


 側近たちが、悶絶する昌満の両脇を抱え、後方へ下げ、スグに先手に槍隊を前に出す。


「どうした、天下に名高い、武田赤備えの大将はそんな腕でも務まるのか」


 と、昌満を笑った。


 これには、昌満もたまらない。ここで、昌満が引けば、隣国を恐怖に陥れる”赤備え”の評判が崩れてしまう。昌満の面目は丸潰れである。


 昌満は、意地だ。呼吸を整え、再び手槍を握り、立ち上がり、槍隊を下げて、自分が智猛の前に出る。


 智猛は、不敵な微笑を浮かべて、昌満の頭に来る罵声を浴びせる。


「お主の父、昌景をだせ! せがれのお主では相手にならん。兜首として一騎打ちで討ち取っても手柄とは言えん。おとなしく下がれ!」


 智猛のこれ以上ない侮辱だ。屈辱と言えるかもしれない。


 昌満は、さっき槍を合わせた時点で、智猛には敵わないと悟っている。しかし、ここで引けば、山県隊は総崩れ、下条智猛と30人の兵にその300倍の兵が退けられたことになる。そんな奇跡のようなことが起これば、明知の里で織田信長の援軍を待つ遠山氏が息を吹き返す。それどころか、武田家全体の士気を大きく下げることとなる。昌満は、ここは、絶対に引けないのである。


(勝てずとも、差し違えならば、何とかなる)


 昌満は、心中で覚悟を決め、再び智猛に向かって突きを入れた。


 智猛は身を捻って、昌満の突きをかわす。躱しながら、自己の槍を巧みに操り、ポーンと、昌満の突きの軌道を逸らす。


「まだまだ!」


 智猛に対して、昌満はまるで道場稽古だ。師範が、弟子に稽古でもつけているように、簡単にいなす。


 昌満は、決して凡庸な人物ではない。槍を取らせても、昌景が留守の駿河国・江尻城を東の北条の侵入を、先頭に立ち何度も撃退している。


 下条智猛が、東美濃の国人こくじん領主りょうしゅ遠山氏、鶴岡山砦を任される城主にしておくには破格の人物なのだ。


 智猛が、鶴岡山を熟知しているのもある。だが、この男は、田舎の小さな砦を守るには器量が大きすぎるのだ。だからこそ、主の遠山一行からは疎まれて冷遇されるし、他の家臣からも一目は置かれてはいるが、一行の目を気にして関わらない人物なのだ。


 智猛は、尚、昌満を挑発するように言葉をつづける。


「武田の赤備えとは、こんな物か! このままでは、ワシ一人で、大将首を挙げてしまうぞ。それでは、おもしろうない」


 そう言って、槍の穂先で、右から左、赤備えの侍たちに、一閃きを走らせた。


「皆で、打ちかかって参られよ!」


 智猛の挑発に、昌満は、薬缶やかんで茶を沸かすように、顔を真っ赤に怒らせた。


「おのれ、どこまでも、ワシを馬鹿にし追って、皆の者、下条智猛をここで、何が何でも討ち取るのだ!」


 と、号令をかけた。


 智猛は、不敵な微笑を浮かべて、


「これで、おもしろうなった」


 と、槍を頭の上で巧みに操り旋回させ、キリッと槍を背中で斜に構えた。すると、地面に槍の穂先が届いているのをいいことに、サクッと、昌満の顔を目掛けて、土を目潰しにぶつけた。


 昌満は、我慢の限界なのであろう。猛り狂って、智猛に打ちかかった。大将を馬鹿にされた、赤備えの兵も黙っちゃいない。大将につづいて入り乱れに智猛に槍を放つ。


 カツン!


 スラッ!


 コーン!


 四方から、入り乱れた数本の槍が飛んでくるのを智猛は、叩いて、流して、弾いて、止めは刺さずに、昌満にしたように胴鎧の鳩尾辺りを突いて、簡単に赤備えの兵を倒してゆく。


 昌満の先鋒部隊30人ほどが、わずか、数分の内に倒された。


 智猛は、まだまだ、余裕があるのか、息一つ乱れていない。血も流していないから、芥子色の甲冑は、尚、一層輝く。


「武田の兵よ。お主たちにも、国に母や、女房、子が居るだろう。先にワシの張り巡らした罠にかかって死んだ者の供養は必ずる。戦が落ち着けば、遺骨の返還も受け入れよう。命は取らぬ。おとなしく国へ帰れ!」


 昌満は、悟った。


(相手が悪すぎる。この下条智猛と言う男は、野生の虎だ。将としても父・昌景の器量にする人物に違いない)


 これ以上の意地は、赤備えの名声を傷つける。父・昌景ならば、このような失態は、ありえない。


(昌満、愚かなり)


 昌満は、槍を捨てて、その場に胡坐をかき、腰の短刀を引き抜いた。敗戦の責任を取り、自決する覚悟だ。


 智猛は、昌満のその姿を見ると、再び、不動の構えに戻して、昌満の覚悟を見定めるように動きを止めた。


 昌満が、短刀を首に差しあてようとした時だ。


「昌満様、早まれるな」


 聞き覚えのある男の声がした。


 昌満が声の主を探すと、そこには、島左近が立っていた。


「昌満様、鶴岡山砦は、某の手で落城いたしました」


 昌満は、目の前に、鶴岡山砦の主である下条智猛に追い込まれて、自決をしようとしている。それがなぜ、智猛を倒さずのに落城させられるのだと疑問の表情だ。


 昌満は信じられないといった表情で、左近に尋ねた。


「左近、ここに、まだ、下条智猛は居るではないか、それが、どうして落城させられるのだ」


 左近は、簡単なことでも言うかのように答える。


「智猛殿が、武田に歯向かわねばならぬ理由を取り除いたまでにございます」


 智猛も、左近の言葉に驚きを隠せない。


 智猛は、静かに、佐近を問いただした。


「島左近とやら、ワシが今まさに、大将首を挙げようというのに、歯向かわねばならぬ理由を取り除いたとは、どういう意味だ」


 佐近は、智猛をまっすぐ見て答えた。


「それは、智猛殿の嫡男、智千代こと智林殿が、母御に会い。見事説得いたしたところにござる。最早もはや、智林殿は一人前、智猛殿が武田と戦う理由はござりませぬ」


 左近の言葉を聞いた智猛は、不動の構えを崩し、の穂先を地面に突き立てた。


「はっはっは、そうか、智千代が、信代を武田へ与するよう説得いたしたか、ならば、最早、ワシがこれ以上、意地を張る必要もない」


 智猛は、智林に負けるのが嬉しそうに、観念し腹を括って、その場にドカンと胡坐をかいた。


 手で、首を叩いて、


「好きにいたせ」


 自決しようとしていた昌満が立ち上がって、自己おのれに向けていた短刀を仕舞い、刀を抜いて、智猛に歩み寄った。


「昌満殿、待たれよ。智猛を手打ちにしてはなりませぬ」


 左近が、落ち着いた声で言った。


 昌満は、智猛に圧倒された怒りもある。今にも爆発しそうな心を飲み込むようにして、左近に問うた。


「何故だ、左近」


「この鶴岡山砦を織田家の援軍を押し返す盾といたしまする。そのためには、我らを散々に苦しめた智猛の知略と武勇は必須にございます」


 と、左近が、さも当然のように答えた。


 昌満は、返事をせず眉間を曇らせたまま押し黙った。


 左近は、智猛に志を同じくする同志に話しかけるように言った。


「ワシは、智猛殿との約束を守ったぞ、今度は、お主がワシの約束にこたえる番だ」


 智猛は、意地か、頑固かわからぬ口調で答えた。


「ワシは、武田へは降りとうない」


 左近は、大きく、頷いて答えた。


「そうであろう。智猛殿のような誇り高い真の侍は、敵に仕えぬのが道理。それならば、ワシと智林に仕えるのはどうだ?」


 智猛は、ニヤリと笑った。


「智千代に家督を譲り、その下で働けと言うのだな。面白い提案だ。わかったワシはお主に仕えよう」


 と、智猛は、左近に向きなおして、臣下の礼をとるように深く頭を下げた。



 つづく

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