第345話『赤備えの跡継ぎVS鶴岡山の猛虎、両者を捉える左近の目(左近のターン)』

  鶴岡山の四方から、武田の赤備え、山県昌景の陣代・昌満が、主・武田勝頼の矢継ぎ早の攻略命令により、強攻策にでて夜襲を仕掛けた。


 山県昌景の居城は、駿河国江尻城15万石。1万石あたり、250人動員できる。そこから割り出される山県勢は、多くて4000人~3750人。


 本拠地、江尻城は、東に相模国・北条家と西に徳川家と隣接する。3750人だとするならば、城の留守に500人は残している。


 山県隊の総数は、3250人だ。それを、鶴岡山を囲んで四つに分けた。北は昌満1000人、東は筆頭家老の広瀬景家は750人、南は昌景の娘婿の三枝昌貞750人、西は次席家老の孕石元泰750人、わずか30人の下条智猛を狩るには、圧倒的だと思われた。


「伝令!」


 昌満の元へ足軽が駆け込む。


 鶴岡山の北面から攻める大将の昌満は、目を見開いた。


「どうした?」


「はっ、我が隊の先陣を務める組頭の右衛門様、寅蔵様、五郎蔵様が、どこぞから弓で次々に狙い撃ちに射抜かれて、隊は、統率を取る物が居らず、大混乱に陥りましてございます。


「なに⁈ 智猛は、兜首だけを正確に仕留めただと!」


「はい、敵には、夜目が利いて、相当な弓使いが居るようにございます」


「急報!」


 三人の伝令が昌満の元へ走り込む。


「広瀬景家様、肩を矢で射抜かれて、負傷離脱」


「三枝昌貞は、なんとか、奮戦いたしておりますが、やはり、組頭を弓で狙い撃ちにされ、戦線を保つのがやっと」


「孕石元泰は、伏兵に合い、大混乱」


 昌満は、伝令に目を怒らせて、問いただした。


「鶴岡山には30人しか兵はおらぬはずだぞ。それがどうして、大軍のこちらの兵を手玉に取っておるのだ!」


 伝令は、謹んで答えた。


「はっ、おそらく、鶴岡山は、大軍で攻めても、人が一人歩ける獣道けものみちがあるだけ、長蛇ちょうだの我らは、智猛の仕掛けた罠によって、急いで山を駆け上がることもできず、山を熟知した智猛の兵にかかれば、兜首は格好の的にございます」


 昌満は、顔を真っ赤にして、手に持った軍配を振り下ろした。


「おのれ、下条智猛。何としても、その首上げて見せる」



 頂の鶴岡砦の櫓には、智猛の目が四方を見張っている。


「ふふっ、赤備え、恐れるに足らず」


 櫓の下へ伝令が走りくる。


「殿、我らの罠に、山県昌満は、ことごとく網にかかり大混乱にございます。北面の昌満は、陣頭指揮をとる組頭を失い、自己みずから先陣の指揮に出たとのことにございます」


 智猛は、ニヤリと不敵な笑みを見せた。


「そうか、大将、自己から先陣に出たか。よし、ワシは昌満の首を頂戴に参る!」


 智猛は、そう言って櫓を降りて、館へ入って行った。


 そこには、妻の信代が青い顔して病床に伏していた。


 智猛は、信代に声をかけた。


「信代、大事ないか?」


 智猛の声に、信代は、薄っすら眼をあけた。


「出陣でございますか?」


「そうだ、此度こたびは、武田の赤備え、山県昌景の跡継ぎの首を獲ってくる」


 信代は、悲しそうな表情で答える。


「殿、何もそのような若い首っを挙げずともよいではございませんか」


 智猛は、一瞬、苦しみを吐露するように、眉を曇らせた。


「これも、戦国の習い。致し方ないことだ」


 信代は、ツッと、涙の糸を流す。


「そうですか、殿、ご武運を」


「そうだ、智千代が帰ってくるやも知れぬぞ」


「真に、ございますか智千代が……」


「うむ、前にここへ来た島左近とやらが、満昌寺から抜け出すのに成功したようだ」


 智猛は、壁にかかった朱槍を引っ掴むと、信代としっかり目を合わせ、「行ってくるぞ!」と砦を後にし、北面の昌満を目指した。




 一位の木の上で、左近が、智猛らしき芥子色の鎧が、砦を後にするのを、見定めた。


「智林殿、出番だ。ワシは、北面の昌満殿に助太刀いたす。智林殿、お主は、丸腰になった鶴岡砦に一人で行き、母御を説得せよ」


 智林が、不安そうに、左近に尋ねる。


「私、1人で、一身を賭け、父を愛する母を、武田へ組するように説得いたすのですか」


 左近は、自信を持って答えた。


「そうだ、智林殿。お主なら、母御を見事説得できる。父を殺したくなければ、お主が母御を説得いたすのだ」


 智林は、口を結んで答えた。


「わかりました左近様。父を生かすも殺すも、私の覚悟しだいでございますね」


「うむ」


 そう言って、左近と智林は、スルスルと、一位の木を降りて、昌満の救援と、鶴岡砦に別々に歩みを獲った。





 組頭を失い、北面で大混乱する昌満の兵は、大将の登場で、落ち着きを見せた。


 昌満は、危険ではあるが、先頭を買って出て、智猛の罠を看破しながら頂目指して山を登った。


 やがて、少し開けた丘に出た。


 昌満は、ここに罠があるに違いないと勘が働き、用心を重ねて兵を入れた。


 ヒュー!


 ヒュー!


 ヒュー!


 砂と木の葉が入り混じる突風が、昌満を襲った。


 昌満は、ギラリと光る目を補足した。


「お主が、赤備えの大将であるな」


 声の主は、智猛だ。威風堂々の見事な芥子武者が立ちはだかっていた。


 昌満は、負けじと、問い返した。


「その芥子の具足姿。お主が鶴岡山の猛虎と呼ばれる下条智猛であるな」


 智猛は、「うむ!」と、静かに頷いた。


 昌満は、槍持ちから、手槍を受け取ると、頭の上で旋回させて、穂先を智猛に向けた。


「鶴岡山の猛虎殿、勝負だ!」


 そう言って、昌満は、智猛に向かって槍を突き出した。



 つづく




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