第342話『虎口の曼陀羅』(カケルのターン)

 五箇荘で、晩飯を食い終わったカケルたちは、托鉢僧に扮した新堀城の城主・下間頼廉から「寺に面白いものがある。見に来ないか?」と誘われた。


 カケルは「いいですよ」と快諾し、頼廉を警戒するお虎、菅沼大膳、義平の三人をよそに嬉しそうにこういった。


「子供の頃に、志貴山・朝護孫子寺には家が近いからよくお参りしたけど、お坊さんのお寺はなんていう寺なんですか?」


 ここは、一向宗・本願寺が治める町だ。答えは聞かずとも、親鸞しんらんの興した浄土真宗に違いない。


(馬鹿か、左近!)


 大和の国・王寺に志貴山はある。領主は織田家の松永久秀だ。お虎は心中で、これでは自から織田家の間者であると申したようなものではないか。と呆れたが、これがカケル(嶋左近)、武田の先鋒、赤備えの大将、父・山県昌景が武田と徳川の大戦・三方ヶ原の戦いにおいて、赤備えの先鋒隊を任せた男の器なのだと認めている。しかし、頼廉の出方次第では、この場で切って捨て活路を開くつもりだ。


 菅沼大膳は、カケルの馬鹿はいつものこと、カケルも馬鹿なら自も馬鹿だ。仕方ない付き合うかと腹を括った。


 義平は、四方に目を配って、本願寺の僧兵の数を数えている。


 月代は、頼廉をまったく疑う様子もなく、カケルに「お坊様のおっしゃる面白い物見てみたい」と賛成し、カケルに花が咲くように微笑んだ。


「そうだね」


 カケルは、月代の微笑みに、微笑みで返した。


 カケルと月代のやり取りを見た頼廉は、警戒するお虎と大膳と義平の心中を宥めるように、仏のような微笑みを浮かべ、


「心配いらぬ。ただの古寺ふるでらだ」


 と、落ち着かせた。



「では、参ろうか」


 頼廉は、足取りが軽い。新堀城に籠城する大将とは思えない。まるで、雲河でも歩くような健脚だ。後につづくカケルたちの方が返って、肩で息をしている。


 古寺は、五箇荘と新堀城を隔てる土塁の上にあった。五箇荘が外堀なら、本丸新堀城は一段高い土塁の上にある。外堀と本丸を繋ぐ虎口に古寺がある。


「ここだ」


 頼廉が招き入れた古寺は、簡素なやぐらであった。新堀城を背景に柵で一旦、切り離されているが、ここには壁面に銃口を出せる小窓が表三方にあり、攻めるにはなかなか厄介だ。


 そんな風に、お虎が心中で見立てていると、あろうことかカケルが頼廉に言った。


「すごい寺です。ここに鉄砲隊を配置すれば、そう易々と、どんな軍勢が押し寄せても簡単には落とせませんね」


 痛たたたた。


 お虎は、馬鹿正直なカケルに頭を抱えた。


 腹を括っている菅沼大膳も、鉄砲ののぞき窓から鉄砲を撃つ素振りを見せて遊んでいる。


 義平は、生真面目に、カケルの背中にしっかり張り付いてはいるが正直、物見湯山の大将に呆れている。


「あら、すごい」


 月代が、スックと、天井を見上げて驚きの声を上げた。


「やはり、そなたが最初に気が付いたか」


 頼廉は、月代に嬉しそうに微笑んだ。


「おお、これはものごつい!」


 月代の言葉で、天井を見上げたカケルが、広い天井全面に金色放つ阿弥陀如来が寺に居るすべての人を見守るようにこちらを見ていた。


 カケルたちが、天井の阿弥陀仏に飲まれていると、頼廉がポツリと、


「そろそろ、向き合って話をせぬか?」


 と、板間に居住まいを正して膝を折った。


 カケルとお虎、大膳と義平は胡坐を、月代はこれがらありがたい高僧の話を聞くように清く正座した。


 頼廉は、五人を見て、ポツリと尋ねた。


「ここをどう思う?」


 頼廉は、嘘を見通すような真っすぐな目をしている。傾けた頭をスッと、大膳に向けた。


 大膳は、「なぜワシからじゃと不満の顔を浮かべたが、仕方がないわ」と口を尖らせて答えた。


「ここは寺というより櫓だ」


 頼廉は、「その通り」と言うように大きく頷いた。次に、義平を見て、「お主は?」と尋ねた。


「某には、櫓は櫓でも、ここは虎口に見えます」


 頼廉は、大きく頷いて、次にお虎に尋ねた「どうだ?」


「ここは、念仏を唱えた殺し場ではないか!」


 と、頼廉に厳しい目を返した。


 頼廉は、お虎の答えに、大きく頷いて、


「それも、そうだ」


 と答えた。次に、月代に尋ねた。「お前さんはどう思う」


「ここは、優しい阿弥陀仏様の見守る極楽浄土にございます」


 頼廉は、微笑んで、


「そうだ、ここは極楽浄土だ」


 そして、最後に、カケルに問いかけた。


「お前は、ここをどう見る?」


 カケルは、始めは腕組みして頭を捻って考えたが、答えが見つからず、腕組みを止めて、両手で万歳して、大の字に寝転がって、まっすぐ天井の阿弥陀仏を見た。


「う~ん、答えは、わかんないけど、とにかく、ここは宇宙の一部で、俺たちは仏に見守らている。だから、本願寺は強いんだなーって」


 頼廉が身を乗り出した。


「わかるのか?」


 カケルは、天井の阿弥陀仏を宇宙そらに輝く月でも見るように、答えた。


「こりゃ、現在の織田家じゃ勝てねーや。もっと、当たり前の気持ちがわかる大将じゃなきゃ勝てない」


 頼廉は、仏の微笑を少し崩して、ニヤリとしかけたその時、カケルが、ポツリと、


「だから、本願寺は、秀吉さんには負けるのか」


 頼廉の微笑が消えた。


「秀吉? それは、羽柴とか申す織田家の武将のことか?」


「そう、羽柴秀吉。農民から、今は長浜城の城主にまで成り上がった、めっちゃ、おもろしろい人」


 頼廉は、唸った。


「そうか、羽柴秀吉は、農民上がりであるのか。それは、困った」


 すると、カケルが、ヒョイッと飛び起きて、


「大丈夫、秀吉さんは、本願寺には悪くはしないんじゃない。だって、農民上がりだもの気持ちがわかるから」


 月代が「左近様、秀吉様なら、踏みつけられ続ける気持ちがわかるものね」と笑んだ。


 お虎は、自分にはわからない価値観で左近と月代がわかりあうのが悔しくて眉間を寄せた。


 大膳と義平は、何のことかさっぱりと言った表情で首を捻った。


 フフフ、頼廉は笑い。


「そうか、我らの戦いは、信長の次で終わるのか。まるで、お主は未来を見通せるようであるのう」


 カケルは、戦国の嶋左近と魂が入れ替わっているとはいえ、現代の教科書で、歴史に詳しい。正直に答えた物かと一瞬考えたが、めんどくさくなって、


「未来か……そうかもね」


 と、だけ答えた。


 すると、頼廉は、頷いて、


「そうか、それまで本願寺は頑張らねばのう」


 と、頷いて、カケルに、


「お主の名前はなんと言うのだ?」


 と、尋ねた。


 カケルは、微笑み浮かべて、


「嶋左近です」


 と、答えた。



 と、そこへ、息込んで僧兵駆け込んできた。


「頼廉様、急報です! 南、長尾街道の筒井順慶の一陣が夜襲を仕掛けてきました」


 頼廉は、眉間を寄せて「うむ、すぐに行く!」


 頼廉は、立ち上がって、カケルに言った。


「私の名は下間頼廉、嶋左近、お主ともっと話をしたかったが、私はお主の言う秀吉の天下まで頑張らねばならぬ。話はここまでだ。すぐにここを出て五箇荘の北から出でよ。次に会うのは戦場だ。楽しみにしておるぞ!」



 つづく

















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