第341話『鶴岡山の猛虎の罠』(左近のターン)

 山に緊張が走った。


 智林を連れ戻して、再び鶴岡山に足を踏み入れた左近は、山の変化を感じ取った。


 左近が満昌寺で智林を迎えに行っている間、大将の山県昌景の嫡男・昌満まさみつは、左近に下条智猛の調略は命じたものの、父・昌景が気に入らない総大将の武田勝頼の目もある。


「昌満、そんな小城一つに何日かけておるのだ!」


と、勝頼の意を受けた側近の長坂釣閉斎から矢の催促が連日届いている。


 昌満としては、一度、父・昌景の命じた軍師、島左近を信じたい気持ちもあるが、左近はそれまで織田家に仕えていたとも噂がある。


「いくら、父の認めた軍師とは言え、山県の家の者でもない。素性明らかならざる者を無条件に信じて、もし、失敗でもしたら、勝頼公の信頼を尚、失うこととなりますぞ」


 と、筆頭家老の広瀬景家が急き立てる。次席家老の孕石元泰も、副将で、姉婿の三枝昌貞まで、昌満を急き立てた。


 こうなっては、昌満は、いくら父・昌景の遣わした軍師・左近に、下条智猛の調略を命じているとしても、それはそれ、勝頼に仕える武将として、例え、被害が大きくなろうとも、正攻法の城攻めも行わなければならいのだ。




 山県家の足軽は、皆、一目でわかる赤備えと呼ばれる深紅の甲冑で統一されている。武田の赤備えといえば、近隣に響き渡る武田家最強の精鋭部隊だ。


 山県隊の主戦場は、広い平野で軍勢同士がぶつかる騎馬による戦闘だ主だ。


 鶴岡山のような山城攻めは本来、山県隊の苦手とする所。それがまだ、武田信玄直伝の昌景が指揮を執るならまだしも、昌景は戦前に理不尽に勝頼に打擲ちょうちゃくされて身動きできなく臥せっている。


 代わりの陣を任されたのが、25歳とまだ若い昌満だ。確かに、戦国期の成人・元服は現代でいうところの中学生にあたる13が多い。


もちろん、昌満も若き頃より父に着いて、武田家の駿河国今川氏侵攻・薩埵峠さったとうげ(静岡県清水区あたり)の戦いで、単身敵中深く切り込んで、今川の兜首も挙げ、味方の指揮を挙げ一番槍の手柄を上げた武勇もなかなかのものだ。


 つづいて、今川家に味方する関東雄の北条氏からの援軍を防ぐため、西を攻める父・昌景の背中を守った。


 援軍を牽制するため昌満は、筆頭家老の広瀬景家を付けられ、大北条の開祖・北条早雲が築いた名城・韮山城攻めた。


「よいか、昌満。韮崎城には総大将・北条氏康の正妻の生んだ三男の氏規うじのりが守っておる。あの者だけならば、城を落とすことも難しくはあるまいが、あやつの岳父は、あの地黄八幡じきはちまん北条ほうじょう綱成つなでげ、黄色い鎧兜が見えたならスグに城攻めを止め、小高い丘にでも下がって陣をはれ、さすれば、綱成はわかった男だ。向こうからは攻めては来ぬ」


 と、命じて、昌景がきつく命じて、昌満を向かわせた。


 昌満の機転で一旦は、韮崎城は、落城寸前まで追い込まれた。追い詰められた守将の早雲の孫にあたる北条ほうじよう氏規うじのりは、昌景の読み通り、北条家でも名高い”黄、赤、青、白、黒”の五色備ごしきそなえと呼ばれる大将で、筆頭の「地黄八幡」と詠われる岳父がくふ北条ほうじょう綱成つなしげが援軍として現れ、もう一歩のところで、攻略には至らなかった。



 駿河の今川氏を追い出した武田信玄は、西に徳川家康、東に北条氏政と、二正面の敵を迎え撃つこととなった駿河国江尻城の城代に山県昌景を据えている。


 そして、先にの武田信玄の西上作戦に昌景が出陣する間の城番を武勇に優れ慎重な昌満が任された。


 昌満は、決して凡庸な大将ではない、父・昌景には劣るものの堅実で有能な将である。そんな、昌満が、ただの小城の鶴岡山に手こずっている理由は、やはり、”鶴岡山の猛虎”下条智猛が尋常ならざる非凡な将なのだ。




 鶴岡山に踏み込んだ左近は、山が静かなのに驚いた。虫の声、鳥の声がまったく聞こえず静まり返っているのだ。相手は、自然の生き物だこれほどの静けさは考えられない。山裾では、赤備えの兵士の死体が転がっていたが、山の中には一つもない。


(これは、なにかある!)


「智林殿、自己が生まれ育った山とは申せ、安心いたすな、用心するのだ」


 と、左近は、智林に忠告した。


 すると、智林は、笑って答えた。


「はい、父は、この山のいたるところに罠を張り巡らしております。先に、山へ攻め込んだであろう赤備えの兵の屍が転がっていないのも、父が罠の詳細を隠すため、都度、屍をかたずけるためにございましょう。父は、罠の目印になる屍さえ越えることを許さぬのです」


 左近は、智林の父・智猛評に目を見張った。

(うむ、この子はやはり明智の里一番の名将・智猛殿と、里一番の知恵者・宗林殿の血と教えを受け継ぐ者だ。いい目をしておる)


 すると、智林は、四方を指さし始めた。

「まずは、足元をよくごらんください。この獣道の木と木の間に、細い糸を土で汚して、地面に化かしていました、これは、侵入者の居場所を教える罠にございます」


 そして、智林は、森の中の木々の高位置に吊るした、鳴子なるこ(徳島の阿波踊りに使う音の鳴る木の板)を指さした。


「気に吊るした鳴子を草木に隠すため緑に擬態していますが、おそらく、この足元の糸を切ると音が鳴り、こちらへ、一斉に矢が放たれる仕組みになっているでしょう。左近様、ご注意ください」


 先頭を智林に任せて、獣道を抜けると、これまでの緊張から、開放感がある広場に出た。功名争いをする侍なら、駆け出したくなるところだ。


 すると、智林が立ち止まって、左近に言った。


「左近様、ここは危険です。森に戻って迂回いたしましょう」


 左近は、大方の智林の読みは心得てはいるが、智林の見解が知りたく尋ねた。


「なぜだ?」


「ここは、どこもかしこも落とし穴です」


 左近は、首を振って、広場を見渡した。一見すると怪しい箇所は見当たらないが、鋭い勘で「ここには何かある」と感じていた。


「左近様、おそらく、ここには父が仕掛けた質の悪い落とし穴がございます。足を文っ込んだら最後、尖った竹槍が斜めから食い込んで、脚を切り落とさねば抜けない罠がございます」


 そういうと、智林は、近くのズシリと重い大石を両手で持ち上げて、よいそーれ、と力一杯、広場の中ほどへ放り投げた。


 バサッ!


 ドサリッ!


 智林の言う通り落とし穴があった。


「用心して、一つだけ見に行きましょう」


 智林は、確かめに行くにも、一々、すり足で、地面を削るように進んで落とし穴まで来た。


「ほら、左近様、やはり」


 左近が、穴をのぞき込むと、ぷ~んと、血の匂いがした。膝から下を切り落とされた赤い具足があった。


 左近は、智猛の知略を推し量るように顎を撫でながら答えた。


「一度、脚を落としたら最後、脚はサメの口の中へ入ったように動けば、歯が突き刺さる仕掛けか、これはたまらん」


 智林は、解説を付け加えた。


「それに、ここは、広場にございましょう。動けぬ獲物をしとめるには絶好の場所にございます。仕留めてから足を切り落として死体を谷にでも捨てれば、またここは、ただの広場にございます。我が父ながら恐ろしい」


 そういって、左近と智林は足で削った地面を戻って、広場を迂回し別の森に入った。




 ギョロリ!


 別の山に入った左近と智林を狙うような目が茂みの中でギョロリと動いたような気がした。




 つづく




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