第338話『戦国の奇跡:頼廉の治世』(カケルのターン)

 鉄砲鍛冶町・五個荘の晩飯時に、頭には笠を、首から腹にかけて頭陀袋ずだぶくろを下げ、たった一人で、新堀城の主・下間しもつら頼廉らいれんが木魚を叩きながら現れた。


「頼廉様が托鉢にいらっしゃったぞ!」


 すると、その場にいた門徒たちは懐に隠していた小さい木魚を取り出して、一斉に叩き始めた。そして、口をそろえて、


「だいじょ~ぶだぁ~、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」


 カケル、お虎、菅沼大膳、義平、月代の五人は異様な光景に目を丸くした。


 菅沼大膳が、カケルに耳打ちする。


「宗教は、これがあるから好かん」


 一向宗・本願寺の教えには特別、托鉢を奨励する修行はない。


 しかし、頼廉は、人の心と魂を救済する僧侶でありながら、無情の戦国乱世に槍を握ってからというもの、将として従う門徒たちの一人一人の顔と心を確かめるため飯時に、必ず托鉢に来るのだ。


 潜入するカケルたちは、頼廉が托鉢に現れた時には、笠で顔を隠しているから、誰もその人が城主の頼廉であるとは気が付かなかった。


 カケルの隣にいた職人の親方が、カケルたちに、ピシャリと、


「頼廉さまだ、頭を下げろ!」


 と、注意した。


 菅沼大膳が、不服そうに、親方に文句を言った。


「一向宗は、南無阿弥陀仏さえ唱えれば、上も下もない。ワシは坊主などに頭を下げんぞ」


 と、不服を漏らした。


 親方は、仕方ないといった表情で、


「一向宗はな、どんな身分の者、例え罪人であっても、南無阿弥陀仏さえ唱えれば、阿弥陀仏様があの世で必ず救ってくださるって、ありがてぇー教だ。本来、禅宗のように托鉢の修行なんどかしなくてもいいんだ。それに、ここは商人の治める自由都市堺のお膝元、食い物には不自由しない。仕事と金さえありゃいくらでも買える。その庶民の当たり前の暮らしを守ってくれるのが頼廉様なんだ」


 カケルが、興味を持って尋ねた。


「下間頼廉さんて、そんなにすごい人なんですね」


 菅沼大膳が、口を尖らせて口を挟んだ。


「左近、坊主と言うのはな、生臭者と相場が決まっておる。そんなだから信長が比叡山を……」


 と、菅沼大膳が言いかけた時、


「この、罰当たりが!」


 と、お虎が、菅沼大膳の言葉を遮るように殴り飛ばした。


 頭は、笑って、


「気にするな、そんなことでワシらは驚かん。なんと、いってもここは頼廉様の治める町だからの」


 カケルは、尚、興味を持って尋ねた。


「親方は、なぜ、そんなに、下間頼廉さんを信頼してるんですか?」


「ここで暮らす者は、皆頼廉様を信じておる。少し、昔話を聞かせようか……」



 ――半年前。


 五個荘の寝静まった夜更け、長屋の男たちが4、5人はいるだろう。顔を見合わせ、町の外れの灯りのこぼれる廃屋に駆け出して戸を開けた。


 中では、職人たちが半丁賭場を開いている。


 先ほどの若かった親方が、六文銭を紐で数珠のようにして現れた。


「六蔵、遅いじゃねぇ―か? また、あの口うるさいかかぁに問い詰められたか。飲む、打つ、買うは、職人が職人らしく働くための活力、女の代わりはいくらでもいる捨ててしまえ」


「兄い、みさおは口うるさくてえも良いところがあるんです。捨てるなんてとんでもねぇ」


「まあ、いいや、職人は宵越しの銭は持たねぇもんだ。大きく儲けてえ、京の都で綺麗な女と遊んで暮らすんだ。さあ、張った張った。半か丁か」


 六蔵は散々に負けた。


 負けて帰ると、長屋の表でお腹の突き出た女房の操が、六蔵を心配して待って居た。


 六蔵が気まずそうに操の顔を窺うと、操は、目を吊り上げて、


「あんた、また、親方に騙されて博打に誘われて、一日の働きを全部擦っちまったのかい。これから、子供が出来るっていうのに暮らしをどうするつもりだよ」


 と、操は拗ねたように背を向けた。


「すまねぇ、操。おりゃ、明日から心を入れなおす。博打もやめるお前と生まれてくる子供に、オレのような生まれの苦労はさせないと、阿弥陀様に誓うよ」


 すると、操が六蔵に向き直って、微笑んだ。


「うふふ、馬鹿な人だねぇ、阿弥陀様は、あんたのような馬鹿者だって、南無阿弥陀仏さえ唱えれば、救ってくださるんだよ。わかったから、家へお入り、明日も仕事だろ」


 そんな、六蔵と操の夫婦だったが、悪い親方についているせいもあって、一向に博打が治らない。博打だけならまだしも、仕事も疎かになり、酒と女遊びを覚えた。




 それでも、操は亭主の六蔵を信じていた。


 そんな時、托鉢僧に身を隠した頼廉が現れて、操の愚痴を聞いた。


 頼廉は、特別、助言もすることなく、「大変だのう。亭主を何とかしたいのう」とだけ同調して帰って行った。




 六蔵の博打は、泥沼にはまった。借金までして博打に入れあげた。


「六蔵、おめぇ、借金も相当溜まっている。もう、前借も重なって、おめぇの働きだけでは払えない額になっちまってるが、これ以上何を賭けるんでぇ?」


 六蔵は、目が血走っていた。


「兄ぃ、この勝負で勝てさえすれば、借金はすべて返せるんだ。頼む、後、一番だけ勝負させてくれ」


「だからよう、六蔵。お前はもう、賭ける物がねぇーだろうって言ってんだ。……いや、一つあるか」


 六蔵は、まるで気が振れている。飛びつくように尋ねた。


「何を賭ければ勝負させてくれるんだ」


「操は上玉だ。あいつを賭けたら最後の勝負をさせてやろう」


 六蔵は、博打に狂って見境がなくなっている。万が一、操が取られることよりも、勝負に勝てば、借金もすべてなくなってこれっきり博打を止める覚悟を決めて、操を賭けた。



 全て取られた。


 その日のうちに、操は連れて行かれて女郎屋に売り飛ばされた。


 操を失った六蔵は、酒に溺れた。生きる意欲を失い。とうとう、長屋を追われて乞食に身を落とした。


 と、そこへ、托鉢僧に扮した頼廉がやってきた。


 生きる希望を失った六蔵は、通りに蓆を敷いて寝転んで、信心深い一向宗の門徒が食い物を恵んでくれるのでなんとか、生きてはいるが、魂は死んでいるので一日寝て暮らしている。


 頼廉は、六蔵の隣に座り込んで、声を賭けた。


「お主も、わたしと同じだのう」


 六蔵は、坊主の説法なんか聞きたくないと、シッシとめんどくさそうに、手で追い払った。


 すると、頼廉はポツリと言った。


「まだ、すべてを失ってはおらぬかも知れぬぞ」


 六蔵は、カチンときて、


「うるせぇ、糞坊主! お前に何がわかる。向こうへ行け!」


 と、寝ながら、脚で蹴り飛ばす素振りをした。


 頼廉は、逃げるばかりか、言葉をつづけた。


「お主が失ったのは愛する女房であろう」


 六蔵は飛び起きた。


「坊さん、なんで、知ってる?」


「わたしが、ここで、托鉢を始めたばかりの頃に、たぶん、お前の女房が私に、博打癖さえなければ、お前はイイ男だとボヤいておった」


「坊さん、女房の話は知ってても、もうやめてくれ、オレがバカやって女郎屋へ売り飛ばされちまった」


 頼廉は、腕組みし、


「なるほどのう。それは、大変だ」


 六蔵は、めんどくさそうに、シッシと手で払う。


「なんだ、お前、職人のくせに根性がないな」


「なんだと!」


「そうではないか、なぜ、根性出して、女房を取り直さぬのだ」


「この、糞坊主! それが、できねぇからオレはここで腐ってるんじゃぇーか!」


 頼廉は、興味深そうに、六蔵の顔をまじまじと見て、


「そうかのう、まだ、若いし。根性さえ入れなおせば、女房を取り戻せると思うがのう」


「世の中のことを知らない坊さんだな、一度、値札のついた女は、その三倍は払わないと買い戻せないんだよ。ちくしょー!」


「なんだ、そんなことか、わっはっはー」


 六蔵は、頼廉に向きになって額をぶつけた。


「オレは馬鹿だが、女房を笑うと承知しねーぞ!」


 頼廉は、六蔵の言葉ににっこり笑って、


「今ここで、心を入れ替えて真人間になると、私と約束せぬか?」


 六蔵は、睨みつけて、


「約束したら、女房が返ってくるのかよ!」


 頼廉は、当たり前のように頷いて、


「たぶん、返ってくる」


 六蔵は、呆れて、


「たぶんて、なんだ。たぶんで、一度腐った人間が真人間になんか戻れぬもんか」


 頼廉は、信じられないような顔をして、


「そうかのう?」


「そうだ、世の中はそういうもんだ」


 と、六蔵は、ごろんと、また横になった。


「私の知り合いに金持ちが居るのだが、お前が心を入れ直して真人間になり借金を真面目に返すなら、私が頼んで女房を買い戻してもよいぞ」


 六蔵は、跳び起きて、頼廉に縋りついた。


「本当か!」


 頼廉は、ひょうひょうと、


「よいぞ」


 六蔵は、頼廉の手を力いっぱい握って、


「約束する。頼む、女房を取り戻してくれ」


 頼廉は、頷いて、


「条件がある。お主が、真人間になれるか確かめるために、ワシの知り合いの寺で1カ月厳しい修行をしてもらう。それが、耐え抜けねば、私も女は好きだ。女房はもらうぞ。それでよいか?」


「女郎屋に売り飛ばされて、糞みたいな男たちに弄ばれるより、まだ、坊さんの方がましだ。いや、オレはこの時から真人間になる! 坊さん、修業させてくれ!」


「そうか、ならばついてこい」


 と、その前に頼廉は、懐からゴソゴソと長い手拭いを取り出した。


「お主は、自分で甘えて、修業する寺を紹介してもすぐに逃げ出すやもしれぬ。簡単に逃げ出せぬように目隠しして連れてゆく。よいか」


 六蔵は、頼廉から手拭いを奪い取ると、自分でキュッと目隠しして、頼廉の袖を取った。


「坊さん、頼む。女房を取り戻してくれ」


 頼廉は、嬉しそうに、


「うむ、わかった。私についてこい」


 と、二人で歩き出した。





「これ以上の詳しい話は、控えるがな。現在、オレが親方としてここに居るのは頼廉様が手本だからだ。他にも、この町にはいろいろあるぞ」




 毎晩、毎晩、托鉢に現れる謎の坊主が、仕舞には、町の人間の話を分け隔てなく熱心に聞く中で、次第に、心近しくなり、世間話に始まり、家庭の事情、隣近所の喧嘩、仕事の揉め事、戦乱の無情……、あらあゆる悩みや、問題、不安を打ち明けてしまうようになった。


 すると、どうだ、底辺の人間たちのあらゆる苦悩の元が、翌日には城の主・頼廉のお達しで、何かしらの手当てがなされるのだ。


 世間話で、米や味噌、夜の灯り菜種油の値段が上がって家計が苦しいと、托鉢坊主に話すと、城でまとめて買い上げる代わりに商人に値引き交渉する。そうしておいて、市井で販売するのだ。


 家庭で、俺とおなじように旦那が酒と博打に狂って、まともに仕事をしなくなったと女房がボヤケば、城からやってきた巨漢の僧兵が、賭場に入り浸る旦那を担ぎ上げ、およそ1カ月、頼廉様の弟子と一緒に身も心も入れ替えるまで厳しい修行を強要され、真人間になって女房の元へ返される。


 近所の喧嘩は、城から代官僧が直接仲裁にやってくる。頼廉様がするように双方の話を丁寧に聞いて、話を聞くだけで終わりとはしない。壁の薄い長屋同士だ、夜の話声、夫婦喧嘩の騒音があれば、言って聞かして、それでもダメなら、代官が引っ越し費用をだして、離れ屋へ住まいを移す。


 仕事の揉め事は、職人は向こうっ気が強い。頼廉様は、職人たちの息抜きに、頭の芝辻妙才様に命じて、相撲大会をしたり、祭りをしたり、しっかりと楽しみを作る。そうして、明日も活気ある職場で汗水流すのだ。


 戦国の無情には、先に、述べたように、頼廉は、自分の兵になった門徒の名を刻んだ数珠を首から掛けている。不運にも戦で命を落とせば、猪之助、魚三郎、金之助……と、頼廉自ら一人一人数珠に刻んだ名を呼んで南無阿弥陀仏を唱えて歩く。


「オレは、親方になってやっとすべてが頼廉様の治世だとわかった。頼廉様はな、オレたち門徒一人一人の顔と名前を知っておるのだ」



 と、親方はカケルたちに昔話を話して聞かせた。




 話を聞いていた芝辻妙才が、


「そうだ。知らぬ間に、食べ物や油が安くなったのも、六蔵が真人間になったのも、長屋の喧嘩が治まったのも、すべては毎日、托鉢に現れ、一人一人の話を丁寧に聞く頼廉様のおかげだ」


 托鉢に現れる頼廉は、自らは決して、正体を明かさない。妙才、代官、組頭にも、厳しく命じて伏せている。あくまで、ただの修行中の托鉢僧として街の者と接して話を聞くのだ。町の者が自から頼廉の正体を知ってはじめて本物の信仰を得るのだ。だから、頼廉の治める城も、町も、その姿勢を通じて、自然と信仰と一丸となって強くまとまるのだ。



 托鉢に現れた頼廉は、笠で顔を隠してはいるが、その美しい姿勢と佇まいからその高潔さが滲み出ている。


 頼廉が、新堀城に入っておよそ半年、今や城内も五個荘もここにいる人間で頼廉を知らぬ者はない。皆、頼廉が現れると、何度も、


「城主も坊主も、門徒も、百姓も、無頼の門徒も、身分の上下は関係ない。皆が、手を携えて協力して、暮らしを世の中を、毎日、少しでも良くしていけば良いのだ。仏の前では皆、修業の身。平等な修行僧だ」


 頼廉が、門徒の背中を叩いて、有難がることはないと悟しても、自然と皆、頼廉の前では頭を下げてしまうのだ。




 昼夜を問わず五個荘の晩飯時、托鉢に現れた頼廉は、妙才の隣のカケルたちをめずらしいものでも見るように、興味深く真っすぐ歩いてきて声をかけた。


「あなたたち五人は、ここの者ではないね。素性はどうでもいいんだ。ここをどう思う?」


 と、にっこりと菩薩のような微笑みで、カケルたちに率直な頼廉の町の感想を求めた。



 つづく




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