第337話『兵法の神髄(左近のターン)』

 鶴岡山のふもとへ並び立った左近と智林は、足元に倒れる鮮血を流す赤い鎧武者を見た。山に踏み込み、予想外の出来事の連続に恐れおののき逃げ出したであろう背中から心臓を射抜かれ絶命している。無数の武田の雑兵が亡骸をさらしている。下条智猛という武将がいかに知勇兼備な将であるかを垣間見た。


 現代でいうところの標高732メートル。六韜三略麓から見た限りでは、小高い丘のようなものだ。だが、そんな簡単に制覇できるであろう丘であっても、智猛の張り巡らせた防備と罠の数々によって、頂上の館までの道のりは死地と化している。


 左近は、鶴岡山と対峙した智林に尋ねた。


「智林殿ならば、この鶴岡山をどう攻めるな」


 意地の悪い問いである。智林は、師・宗林から多少『六韜りくとう三略さんりゃく』の山岳戦に特化した『豹韜ひょうとう』の手ほどきは受けている。師の教えを自分なりに解釈・注釈をつけ、頭の中には、基本が入って入る。しかし、それは、あくまで書物の上でのこと、実践で磨きに磨いた歴戦の雄・下条智猛の経験に裏打ちされた現実の城の防備とは違うのだ。


 知林は、父・智猛のいる館、一点を見つめてあっさりと笑顔で答えた。


「父を籠絡ろうらくするのが一番いいですね」


 知林の答えを聞いた左近は、「さすが、武田を一人で苦しめる下条智猛の嫡男だ。子供ながら一瞬で、ワシと同じ答えを導き出し居ったわ」と白い歯を見せた。


「うん、知林殿いい見立てだ。しかし、下条智猛なる武人は、おのれの美学に生きる漢、例え、自軍が劣勢であったとしても簡単には調略には応じまい」


 知林は、左近の目をまっすぐ素直などんぐり眼で見つめて答えた。


「左近様、だから、私が必要なのでしょう」


 と、コロコロと笑った。


 左近は、ニヤリとして、


「智林殿、お主も解るか、兵法の道のおもしろさが」


 知林は、急に顔から笑顔を消して、まじめな顔をして言葉を選びながら答えた。


「はい、兵法の道はおもしろくございます。ですが、兵法は人を殺す道でもあります。出来ることならば、師・宗林様のような悲劇は生み出したくありません」


 左近は、大きく頷いた。


智林の心の中には、戦を将棋盤の上の遊びの駒取り合戦ではなく、その駒には、人の命があることを知っている。


師・宗林の死を積んだことで、一言で「死」の中には、足が不自由でいじめられていた自分に心をかけてくれた宗林の優しさ、いずれ、遠山家の家臣になるであろう将来のある子どもに誠実に学問の手ほどきをする誠実さ、自分の信念に反することには命を懸けて戦う勇気。師の生きざまから命の重さを思い知っているのだ。


 左近は、真剣な眼差しで、知林を見つめて答えた。


「そうだ、戦で死ぬ人間一人一人に、自己の生きざまがあり、大切な人があり、死をもって伝える願いがある。智林殿、宗林殿は見事な人生の師であったな」


「はい、私にとっては、一生の師です」


 知林の言葉は一切よどみのない爽やかなものであった。


 左近は、腕組みし、智林の顔まで身をかがめて、甘えるように尋ねた。


「なあ、知林殿。ワシは、父御ててごのような人物は好きだ。出来ることなら殺したくないのだ。むしろ、ワシの朋友ともになってほしいと思っておる。なにか、父御ててごを説得する方法はないか?」


 と、子供がいたずらの相談でもするように尋ねた。


 知林は、大人子供で立場が逆転して甘える左近が面白くなって思わず笑ってしまった。


 知林は、父の人柄はよく知っている。地位や、名誉、ましてや金で心を動かすような俗な人物ではない。父は、誇り高く自己の美学を貫く武人である。腕組みして頭を抱え込んでしまった。


 左近は、子供友達に遊びを催促するように、


「智林殿、頼むぜ、なんとか、父御を仲間にする方法を捻り出してくれよ。ワシもあれこれ考えてはいるのだが、どれも、決め手に欠けるのだ。なあ、頼むよ」


 知林は、子供のように甘える左近に呆れた。しょうがないなあといった表情で知恵を絞りに絞ったが、そう簡単に答えが出る物でもない。智林は、満昌寺で師の宗林と、こういう時は禅問答をしたのを思い出した。


「左近様が、もし、父ならば何が一番大切でございますか?」


 左近は、答えた。


「それは、自己の守る鶴岡山砦であろう」


 知林は、首を捻た。


「う~ん、それは違いますね。父は、自分の所領に執着がある人ではございません。もっと、こう人の心を大切にしているというのか……」


 左近は、閃いた指を突き立て応えた。


「わかったぞ、武田の姫御料である智林殿の母御ははごだ。今は、病の床に伏していると聞く、そうか、回復を願っておるのだな。さすがは、武勇の士、一途に奥方を愛しておいでなのだな」


 知林は、その答えにも頷きつつもしっくりいかない様子で腕組みし考え込む。


 左近は、子供が謎かけの答えを待ちきれぬように催促する。


「なんだ、それでもないのか、下条智猛殿の一番大切な者とは一体なんなのだ。答えは智林殿お主の中にしかないぞ。早く、答えを教えてくれ」


 と左近は、まっすぐに智林の目を見た。


 知林は、左近をしばしボンヤリと見たかと思うと突然、目を見開いた。


「父、下条智猛の一番大切な者、母が病に臥す理由、その二つを繋ぐ答えは、左近様、私でございますね」


 左近は、ニヤリと白い歯を見せて、


「そうだ、鶴岡山の猛虎を籠絡できるのはお主しか居らぬ」


 左近にそう言われて智林は、急に不安になって尋ねた。


「左近様、私は、まだ修行途中の小僧です。そんな私にあの父を説得できるでしょうか自信がありません」


「自信がないのはないのはなぜだ?」


「私は、生まれたころより足が不自由で、父の跡継ぎ、武士になるには足手まといにしかなりません。そんな私が、真の武士の父を説得できるでしょうか」


 左近は、全く動じず智林を見つめたまま答えた。


「智林殿、お主の師は誰だ?」


「宗林様でございます」


「そうだ、この里で誰よりも高潔な御仁だ。次に、聞く。お主の父は誰だ?」


「下条智猛にございます」


「そうだ、この里で並ぶ者ない知勇兼備の武将が、知林殿お主の父御だ。それが、どういう事かわからぬか?」


 知林は、左近との問答に活眼した。


「答えがわかりました。私が自己の力で父を説得することが、父を救う事、師・宗林の無念を晴らすことにございますね」


 左近は、知林の答えに嬉しそうに大きく頷いた。


「智林殿、鶴岡山の猛虎は手強いぞ、及ばずながらワシも手助けするゆえ、父御、下条智猛を共に救おうぞ」




 つづく


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る